以心電信 You've Got To Help Yourself


「圭ちゃん、なかなか戻ってこないねぇ」
言ったのは珍しく淑やかな格好をしている魅音だった。緊張しているのか、頬が少し赤い。
魅音、レナ、沙都子、梨花、そして圭一の5人は東京に来ていた。圭一は絵画コンクールの授賞式のため、梨花ら4人はその付き添いだった。
「圭一くんも緊張しているんだよ、きっと」とレナ。
「人が多いもんねぇ」と受賞会場の中を見回す魅音。一番舞い上がっている様子を見せているのが彼女だった。「さすが東京! 日本の首都! 山手線も回ってるし、さすがだね、東京だね! 圭ちゃんもきっと緊張しまくってトイレで出すもの出しまくってるんだろうね!」
「魅音さん」と渋い顔をして沙都子が言う。「ひっじょーに下品でしてよ」

三人の和やかな会話を耳を傾けつつ、梨花は圭一が遅いのが雛見沢症候群のせいではないかと僅かに心配していた。雛見沢を離れるのは僅か二日なので大丈夫だとは思うのだが。


なぜ!
どうして!
今になってここに!

圭一は便器に向かって吐いていた。
会場からトイレへと向かう際に圭一が見たのは、彼がエアガンで撃った少女の姿だった。間違いない。片目には眼帯をつけていた。まだ治癒しきっていないのか、それとも圭一に当てつけるためか。
そう、なぜ彼女はここにいるのだろう。単に絵画やその授賞式を鑑賞しにきたのか、それとも圭一に復讐するためにきたのか。圭一の存在に気付いているのか。会場入り口で配られたパンフレットには圭一の名前は出ていた。きっと、気付いている。否、違う、圭一のことを求めてやってきたに違いない。圭一に、復讐するため。逃がさないため。償わせる為に、罪滅ぼしをさせるために。

もし自分の過去が知られてしまったら。
沙都子に知られてしまったら。


逃げよう。
そう、逃げよう。殺される前にこの場から逃げ出そう。

男子トイレから出た直後に少女に出くわして、圭一は腰を抜かしそうになった。少女が着ていたのは膝までのベルベットのワンピース。黒い生地の間から白い足が伸びて、湾曲し、膨らみ、先では黒いベルトで十字に固定されたミュールが巻きついている。肩には白の肩掛け。這い出る二の腕はそれよりさらに白い。視線を上にやると柔らかそうな顔がある。明るい色の髪。小さな唇。大きな瞳と影を落とすほどの長い睫。右目。右目がある。左目も。
「沙都子……」
少女は沙都子だった。

「沙都子、沙都子………」圭一は沙都子の下半身に縋った。「助けてくれ………!」

ああ。
おれはいったいなにをやっているのだろう。


圭一は涙を流しながら雛見沢に来た経緯を話してしまった。
沙都子は驚くほど落ち着いた様子で話を聞いてくれた。

「そう……、そんなことが………」
沙都子は膝の上の圭一の手を撫で擦った。
圭一には彼女の表情が見られなかった。どんな表情をしているのかを想像するのかさえ罪深い気がした。
「いっぱい辛いことがあったのですね………」
圭一の涙が沙都子の膝に落ちて、腿を伝った。彼女の脚を伝うその水滴を、圭一は舐めたくなった。
「ごめん………」
圭一は一瞬、酷く猥雑なことを考えた自分の思考を謝った。
「良いんですのよ。今までずっと……、いっぱい後悔して、いっぱい頑張ったんですものね」
沙都子の言葉は暖かく、沙都子の掌は柔らかく、優しかった。


「でも、ずっとこうしてはいられないっていうのはわかるでしょう?」

沙都子は頭を振り絞って言葉を考え、感情を込めて必死で言葉を紡いだ。きっと自分の言葉が圭一の心に届くのだ、と思いつつ。

「ねぇ、きっと東京に来る機会はあるじゃありませんの。こうやって……、たとえば絵を描くにしても、大学に進学するにしても、お仕事するにしても……、東京に来る機会は幾らでもありますわよね? 圭一さんが傷つけてしまったというその方に会うことも、いつかあるかもしれませんわよね? そういうときに、厭だ厭だって言って逃げてばかりいるわけにもいきませんわよね? ずっと雛見沢に引き篭もってでもいない限り、きっといつかはそういう日が来るんです。ねぇ、だからほら……、もうすぐ授賞式が始まりますわよ。今日のこの日が練習だと思って、これからの最初の一歩だと思って、ね、頑張りましょう? ひとりじゃ怖いならわたしも一緒に行きますわよ。だから……、ね?」
圭一の頭を優しく撫でてやる。柔らかな髪質が心地良い。

圭一が何か呟いたので、沙都子は耳を傾けた。

「やだ………」圭一は震えていた。「厭だ、怖い……。沙都子、もっと優しくして………」
沙都子は圭一を張り飛ばした。

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