1-026U 《聖戦の祝福》
この世界にはときとして、クロノグリフの記述にはなかった新たな英雄が誕生することもある。祈りと想いが、剣や盾と同じ力を持つ魂の世界であるがゆえに。


 木漏れ日の差し込む森の中は静謐さに包まれていた。
 ときどき小さな栗鼠や可愛らしい小鳥、見事な角を持った牡鹿が姿を現すことがある。しかし彼らは静かに現れ、じっとこちらを見つめたあと、すぐさま姿を隠してしまう。だからやはり静謐な空間が保たれている。

 もし目の前のこの男がいなければ、きっとこの森の静寂は美しいままに保たれていただろう、とリャマに乗ったゼフィロン飛兵軍の斥候、エルトラは思った。

「だからさ、エマヌエルってやつは、おれの従兄弟なんだけど、ぜんぜん似てなくてさぁ、物凄い頭の良いやつなんだよ。聖書は読めるし、手紙も書けるし、金勘定だってできる。まったく、大したもんだぜ。聖書の中身に関しては、おれはだいたいあいつから教わったね」
 とエルトラと同じくリャマに乗った男が、延々と続けていた。
 名を、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》という。

 この男がザインの使徒の干渉を受けて召喚された英雄だということが、エルトラには未だに信じられなかった。
 ゼフィロンが召喚英雄を受け入れることは初めてではない。これまでの召喚英雄といえば、腕っぷしや知力といった戦争に役立つ能力はもちろんのこと、美男美女が当たり前だった。

 だがベルトランは違った。

 まだ年齢は三十代であろうというのに、頭の上には僅かな頭髪だけしかない。その頭髪を無理矢理撫でつけて頭皮を隠そうとしているようだが、結局は簾禿だ
 体格はといえば、丸顔の乗る太い首は短くて殆ど見えず、横に広い身体から伸びる腕は膝まで届くほどに長いアンバランスな体型だ。一方で足はといえば腕に長さを吸われたように短く、身の丈はというとエルトラより低いくらいだ。
 胴長の身体は丸かった。もちろん筋肉も含まれているのだろうが、下腹が出ているとなれば、太りすぎといって間違いないだろう。

 つまりが、ちびで、でぶで、はげなのだ。
 達磨のようなその見た目は、どこかユーモラスな愛嬌はないでもなかったが、ベルトランはお世辞にも美男とはいえそうにはない。

『この者、鎧を着た豚と罵られし最強の武人』
 彼が召喚されたときのザインの使徒の託宣はそんな言葉だった。

(豚って、ねぇ………)
 この奇異な見た目には、まさしく適当な渾名ではあるが、しかし最強の武人を名乗らせる人物の二つ名としては適当には程遠い。

 武士でもなく、騎士でもなく、武人である、というのも怪しいものだとエルトラは思う。
 脂肪の下のいかつい筋肉を見れば、確かに相応に力があるのは間違いなかろうが、ただの力馬鹿ではアトランティカの戦争には通用しない。技、精神、智謀策謀、でなければ人知を超える力が召喚英雄には求められるのだ。

 だが、ベルトランはどうだ。

 ベルトランが召喚されたばかりの頃、戦があった。小規模な戦いではあったが、召喚英雄として当然ながら、ベルトランは出番を乞われた。
 だがそのときの彼は出陣を拒否した。

「だって、小さい争いで、おれなんか必要ないくらい有利なんだろ? さっき聞いたぜ、そういう噂」
 怯えているという体ではなかった。
 ああ、おそらくは拗ねていたのだろう。「あんな男が召還英雄だなんて」などという陰口でも耳にしたのかもしれない。
 だからといって、召喚英雄が戦を拒否するというのは何事だろう。
 他国では前例はないではなかったが、風雷の戦神であるシグニィを崇めているゼフィロンでは前代未聞だった。

「おれにはあんたたちの戦い方をまだ知らんからな」
 などと言い訳じみたことを言いながら、代わりにと挙手したのが偵察任務への同行であった。
 かくしてゼフィロン軍スワントの斥候、エルトラは偵察任務に加えて、召喚英雄のお守りまでしなくてはいけないことになったのだった。

 任務自体は簡単な任務だった。それこそ、若い斥候であるエルトラひとりでもこなせるほどの。国境沿いにあるグランドールの村、ティグエナ付近で不審な動きが無いかどうかや歩哨の有無を確かめてくればよいだけのこと。

 アトランティカ大陸北東を占めるゼフィロンと、南西を占めるグランドール。その国境線は殆ど交わっていないように思えるが、実際の国境線は戦争の進み具合で大きく変わる。ティグエナの村は両国の間にあり、旧バストリア領の山間部だ。

 ベルトランがいなければ、己の翼に任せてひとっ飛びでも良かったのだが、翼の無い彼と偵察を行うためには、リャマに乗って山を越えなければならなかった。
 このような経緯で、二時間で済む偵察任務が一日仕事となり、エルトラはちびでぶはげの揃った中年のベルトランとともに山歩きをしなければならなくなったというわけだ。

 現在のことに思考を戻し、エルトラは未だべらべらと喋り続けるベルトランへと視線を向けた。彼は相当話好きのようだ。聞いてもいない話をこれだけできるのはある種の才能かもしれない。もしかすると、戦争のための召喚英雄ではなく、無駄に喋る才能を買われてやって来たのでは、と思わずにはいられない。

「それにしても、あんたらはほんと、天使みたいだよな」
「天使?」
 反応してしまってから、しまった、とエルトラは思った。せっかくここまで無視できていたというのに、また話が長くなる。
「ああ、天使よ。だって、立派な翼が生えてるだろ?」
「スワントと天使は別物です」
「そりゃ聞いたよ。でもよ、おれの国じゃあ、あんたらみたいのは天使………」

 言いかけて、ベルトランの言葉が止まる。
 延々と喋り続けていたベルトランの口が止まったのは、これが初めてである。偵察任務なんだから、もう少し静かにしてください、とは何度も言っていたが、ベルトランは延々と聞いてもいない話を喋り続けていたのだ。久しぶりに訪れる静寂に、エルトラは首を傾げた。
 ベルトランの視線は森の木々へと向いていた。がさりと彼の視線の先で草葉が揺れる。
 姿を見せたのは、ほっそりとした雌鹿だった。

 ほっと息を吐いたエルトラは、いつの間にかベルトランの表情につられて緊張していた己を自覚した。相手が召還英雄だと思うと、一挙一動に反応してしまう。困ったものだ。
「鹿ですよ」
 とエルトラは笑って言ってやった。

 だがその鹿を見てもなお、ベルトランの表情は険しい。
「静かにしろ」

 初めての威圧的な言葉とともに、ベルトランはリャマから降りて帯剣を抜いていた。
 既に雌鹿は姿を消していたが、ベルトランは鹿がいたところへと足音を忍ばせ、しかし素早く駆けていく。彼の思惑が理解できないでいたエルトラも、己が羽が木々にぶつからぬように苦労しながらそれに倣う。

 ベルトランが向かった先では、木々が開けていた。家ひとつぶんほどの空間に、小川が流れ込んでいて、小さな泉ができている。水かさは腿あたりまでしかないほど浅かったが、水は透き通るほど美しく、動物や鳥が集まっていた。先ほどの鹿も、この泉の水を飲みに来ていたのかもしれない。
 泉にいたのは動物だけではなかった。

 稲穂のように輝く金髪の持ち主だった。
 獣とともに水浴びでもしていたのであろう。その人物は全裸であった。突如として森の狭間から現れたベルトランとエルトラに気づき、慌てたように持っていた手拭いで濡れた身体を隠そうとする。
 少年のように短い髪であったが、白い裸身は薄布一枚では隠しきれていない。その下の胸の膨らみと僅かに尖った桜色は、女であることを主張するのに十分だった。

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