小説ラスクロ『太陽の鴉』/時代3/Turn9《魂焦がしの呪い火》


8-067C《魂焦がしの呪い火》
「用心なさい。闘志の炎と憎悪の炎の間には、ほんの少しの色の違いしかないのだから。」
~紫光仙女の忠告~

 少女は両手でカップを握り、ふうふうと息を吹きかけている。毒を警戒しているのでなければ、よほど猫舌なのだろう。根本的に熱いのが苦手なのか、ローブの袖が手袋代わりになるようにずらしていて、おかげでローブの下に隠された彼女の特異な格好がいやでも目に付く。

 召喚英雄《ヴェルチンジェトリクス》によって連れてこられたエルニィ——《神告の秘使者 エルニィ》——と名乗る少女は、ローブ以外にはまるで膚の上に直接模様を描いたかのような薄い生地を、局部を辛うじて隠す程度にしか身に纏っていなかった
 明らかに下着以下の服装で、召喚英雄が彼女を連れ去る過程で脱げたり、着替えるときに連れ去られたりでもしたのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
 セゴナの遺産を巡る小世界での冒険や《魔導戦艦 ゼスタナス》内での戦闘の最中では見なかった顔なので、《メルアンの戦闘員》ではない。もっとも幼い容姿やほとんど筋肉が感じられない柔らかそうな太腿を見れば、戦闘要員ではないのは明らかなのだが。

「おれと同じ匂いを感じた」
 だから捕虜に取ってきたのだ、と《ヴェルチンジェトリクス》は言った。彼は樹洞の入口で、まるで外を警戒するように居座ってる。火の傍に近寄ってこないのは、まるで獣のようだが、筋骨隆々の全裸の大男が半裸の少女を抱えている構図が危なかっしかったので、もしかするとエルニィに近づくのを遠慮しているのかもしれない。いや、そんな遠慮は召喚英雄にあるとは思えないが。

(同じ匂い、ね………)
 ウォンガはエルニィに再度視線を向けた。最初は己の起きた事態をまったく理解していないようではあったが、取り乱す様子はなかった。逃げる様子は見せず、白湯に息をふうふうと吹き続けている。
「おまえは……、なんだ?」
 口火を切ったのは《魔血の破戒騎士 ゼスタール》だった。彼も《ヴェルチンジェトリクス》と同じく、エルニィからは距離を取っていて、こちらは間違いなくエルニィのその容姿に警戒しながら視線を向けることへの羞恥を感じているのだろう。エルニィのほうを向きながらも、視線はわずかに彼女を外している。
 エルニィは下腹が膨れた幼児体型ではあったが、人形のように整った顔立ちや灯りを受けて輝く膚の白さが蠱惑的な淫靡さを産み出している。

「わたしは……、わたしがセゴナの遺志を伝える者だということしか覚えていません
 エルニィが抑揚のない、静かな調子で語ったのは、彼女の記憶にある限りの、レムリアナに来てから《砂エルフの偵察兵》に拾われ、ティルダナに連れてこられ、メルアンに合流し、それからの大冒険だった。
「わたしは初め、大魂声術を使って救援を要請しました。それに最も強く応えたのがセレネカとゼスタール……、つまりあなたです」
 言いながら彼女は初めてカップに口をつけ、熱い、と舌を出した。

「大魂声術?」
「わたしの魔法です。他人と魂を通わせ、その心意や意思を通わせることができます」
「もしかして……」とゼスタールはふと思いついて問いかけてみた。「慟哭城の主の心をおれに夢に見させたのはあんたか」
「よくわかりませんが、物理的な距離が離れると魂が混雑して大魂声術で人の心を覗けることがあります。そのことかもしれません。
 話に戻りますが、最も強く反応をしたあなたがたは現在ルート昇級試験の資格者として紐づけられています」
「なに?」
「一般ユーザがセゴナの遺産を使用するための権限を得るための試験です。あなたがたが突破した、小世界の3つの試練のことです。《大翼神像 セゴナ・レムリアス》はルート権限を持つスーパユーザにしか実行をすることはできません

「つまり」とウォンガはゼスタールに代わって問いかけた。「そのセゴナ・レムリアスというのがセゴナの遺産で、試練を突破したゼスタールとセレネカにしか使えないということだな。それは兵器なのか?」
「はい、非常に強力な兵器です。それ以外の点については概ねそのとおりなのですが、今回は特例で、セレネカとゼスタールが同時に試練を突破しました。ゆえにルート権限の有資格者候補は2人存在しています。
 これは本来想定されていない状況です。そのためシステムが混乱を来しており、どちらかの有資格者が死亡した場合、残った有資格者がルートとして承認され、ただちに大神翼像のコマンドは使用可能になります。両者が死亡した場合に、ルート昇格への承認要請が再度可能になり、また一般ユーザからルート昇格のための試験に挑戦してもらうようになります」
 エルニィの説明を咀嚼しながらウォンガはゼスタールの様子を伺ったが、理解が追いついていないのが明らかだった。
「つまり——」とウォンガは説明に割り込む。「甲、セゴナの遺産が現在使用可能になりえるのはセレネカかゼスタールのみ。
 乙、ただし現時点ではどちらかが死亡しないと使えない。
 丙、両者が死亡した場合は再度小世界の試練を突破する必要がある、と、こういうことだな」
「おおよそ、そのとおりです。ですからセレネカは、今はあなたの行方を捜索しているはずです」

 あっさりと情報を吐き出すエルニィに、ウォンガは疑問を感じずにはいられなかった。
「あんたは……、メルアンではないのか?」
「メルアンとゼスタムについては知っています。ですが、わたしはそのどちらにも属していません。なぜなら、この戦いはまったく無意味なものだからです」
「無意味だと?」
 声を荒げたのはゼスタールだ。片足を引きずりながら、エルニィに歩み寄る。当然だろう。シェネを失った。その戦いが無意味だと言われたのだから。

 機械のように淡々と喋る少女は、ゼスタールの恫喝を受けても表情を変えることはないだろうとウォンガは想定していた。
 だがエルニィの瞳には涙が浮いていた。頬は赤く染まり、震えている。「ごっ、ごめんなさい………」と謝罪までしてくるのだから、こうなってはただの少女だ。

「でも、ほんとなんです。こんなことをしている場合じゃないんです。間に合わなくなっちゃうんです」
「何に?」
「わかんないです」とエルニィが首を振ると、左右のおさげが揺れた。「わかんないんですけど、でも、そうなんです。ほんとなんです、だから……」
 明らかに調子が変わったエルニィに、ゼスタールは毒気を抜かれたらしく息を吐いた。次いで視線を外して一歩二歩と下がったのは、冷静になってエルニィの格好を見つめてしまったからだろう。
「それで、なんだ、じゃあ片方が死なないで、セゴナの遺産を動かす方法はあるのか?」
「はい、あります。あるんですが――」
 エルニィも言葉を中途で切ってゼスタールの視線の動きに訝しげに首を傾げ、しばらく逡巡の様子を見せたのちに頬を薔薇色に染め上げたのだから、まるで初めて羞恥の感情が芽生えたかのようだった。
 今さら白い肢体に薄い布地が貼りつくように覆うだけの身体を外套で隠し始めるからには、まったく、珍奇というか、不思議な娘だった。

「あの、あのですね……、ええと、承認が、承認が取れればいいんです。すべての人の承認です。このレムリアナの、すべての人に、この人が大翼神像を動かしてもいいよ、と、そういうふうに承諾してもらえればいいんです」
「レムリアナのすべての者の意思を得るだと? そんなのは不可能だろう」とウォンガは口を挟む。
「いえ……、えっと、ごめんなさい、すべてじゃなくて、50%でもオッケィです。半分です。過半数でも大丈夫です。ええと、なんていうんでしたっけ、選挙みたいなやつです。主張をぶつけあって、どちらがセゴナの遺産を受け継ぐに相応しいかを決めてもらうのです」
「それでも無理だ」
「いえ、できます。大魂声術がありますから。大魂声術というのは、わたしの魔法で、えっと、ですね……、あの、色んな人から話を聞いたり、話をしたりすることができます。どんなに離れていても、どんな場所にいても、です。こちらから話をすることもできますし、眠っていたり、意識が無かったりしても関係ありません。応答するのは、魂ですから」

 武力ではなく、言葉で勝負をする。それは兵力をほとんど失ったゼスタールにとっては魅力的に映るだろう。
 だがそれでもやはり、結果は見えている。国のバックアップを受けているメルアンと、国を追われているゼスタムでは、母国の投票からでも票数で大きく差がつくだろう。それだけでなく、メルアンはメギオンやヘインドラからも支援を受けている。ゼスタムとは、明らかに背景が違う。

 にもかかわらず、ゼスタールの瞳には炎が灯っていた。まさか、この選挙じみた勝負に希望を見出したのではなかろうか。負けがわかりきっている勝負ならば、逃げるほうが得策だというのに。
「ゼスタール――」
「戦うのか」
 ウォンガの言葉はそれまでずっと沈黙を守っていた《ヴェルチンジェトリクス》によって遮られた。

「詳しい事情は知らんが、おまえらの敵のほうが遥かに強大というのはわかる。それでも戦うのか。抗うのか」
「そうだ」とゼスタールが即座に返した。「何か問題があるか。おまえが協力でもしてくれるのか」
「おれはおまえらとは無関係だ。それに、手ならもう貸した。捕虜を取ってきてやっただろう」
 と言って召喚英雄は火の傍のエルニィを一瞥した。ウォンガも、ゼスタールも彼女を見た。
 3人の男たちからの視線を浴びていることに気づいたエルニィは、頬を紅潮させながら必死な表情で外套を伸ばし、胸や股を隠そうとしていた。

「ま、あとは――餞別代りに武器でもくれてやる」
 《ヴェルチンジェトリクス》は大股でゼスタールに近寄るや、ゼスタールの右腕を握った。するとまるで稲妻が落ちたかのような閃光が走り、次に目を開いたときには《破戒の魔血騎士 ゼスタール》の腕に《ヴェルチンジェトリクス》と同じ刺青が刻まれていた。雷神の右腕の刺青が。



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