15-013U《青武皇の威風》
イズルハ、ミスルギの双剣が、ともにイースラに在ったあの頃……往年の青武皇は、その時代の思い出をたびたび振り返っては、ナナツキ、テイハらとともに懐かしんだという。


 夕暮れ刻、街道を行く、髪が濡れ、ふらふらと幽鬼に似た足取りをした女を見れば、まず見た者は驚くだろう。頭に包帯を巻いていればなおさらだ。しかも現在、イースラでは90人殺しの女の〈剣鬼〉が首都を目指し、立ち塞がる者をすべて切り伏せているという噂まで流れているのであれば、目にしたものが悲鳴をあげても仕方がないところであろう。
 しかしながら噂によればその〈剣鬼〉は容姿端麗、長身の見目麗しい女性の姿をしているということで、うろついている小柄な幽鬼とは似ても似つかなかった。

 どちらにせよ、ミスルギは己がどう見られているかなど気にしてはいなかった。死んだ蒼眞勢のことも考えていなかったし、現在のイースラの混乱についても思考を割いてはいなかった。考えていたのは、ただひとつのことについてだった。
(なぜおれは生きている?)
 おかしい。ありえない。なぜ、なぜ生きているのだ。死ぬはずだったのに。

 生きているのがおかしいというのは、《皇護の刃 イズルハ》の一撃を喰らったからだった。あの女の月光のような剣閃。それは間違いなく、他の90人と同じようにミスルギの首を刈り取る軌道を描いていたはずだった。
 にも関わらず、ミスルギは己の長ドスを頭の横で縦に構え、受けの姿勢を取ることに成功してしまった。鋭い一撃は長ドスの刀身に衝撃を与え、曲がった刀身が額に当って割れて血が出たうえに勢いに押されて海に落とされたが、それだけだった。首はついているし、心臓を貫かれてもいない。
(なぜおれは生きているんだ?)
 だから、おかしいのだ。イズルハの一撃はミスルギを殺すはずだったのだ。なのに、なぜ自分は死んでいないのか。

(運が良かったから?)
 イズルハが殺した他の90人は、遠距離から彼女を狙撃しようとして弾丸を返された射手などを除き、正確無比に一撃で首を切断されていたという。操られているからといって、あの女の手元が狂うはずがない。すべてが機械のように正確な一閃であれば、運の良いも悪いもない。

(あいつに理性が残っているのか?)
 それなら、他の兵を殺したりはしないだろう。彼女はその腕前のみならず所作も兵の模範であり、国に奉仕していた。理性が一欠片でも残っているのなら、味方に傷ひとつつけることすら厭ったはずだ。

(では……おれがあいつに匹敵するほど強くなったということか? あいつより強くなったということか?)
 だからあの女の一撃を受けることができたのか――その答えは魅力的ではあったが、間違いだと理解していた。ミスルギの剣はイズルハには及ばない。ミスルギとて、他の兵や将よりは強いという自負はあれども、災害獣を両断するあの女にとっては、所詮は有象無象でしかないのだ。

(なのになぜ、おれは生きている?)

「ミスルギさん! ミスルギさん!」
 背後から高い声が投げつけられて、ようやくミスルギは足を止めた。太陽は街道を赤く染めているからには、空は晴れていた。災害獣の影響はもはやないということだ――イズルハ以外に対しては。周囲に人気はなく、舗装された道にはぽつねんぽつねんと旅人が休むための木々が植えられているだけだ。そんな寂しい道ではあったが、平時であれば夕暮れ刻でももう少し人の行き交いがあるはずで、そうなっていないのは関所で旅人の通行を封じているからに違いない。〈剣鬼〉の被害を少しでも減らすために。
 声の方向を振り向けば、駆け寄ってきたのはイースラでは珍しい、稲穂のような金髪に空と同じ色の碧眼の少女だった。
「ミフネ将軍がお呼びですよ」
 と息を切らせて伝える金髪の少女に対し、ミスルギは頷いて踵を返した。《海部の将 ミフネ》の用件はわかっている。イズルハと相対して生き残っているのは自分だけだ。彼はその理由を知りたいのだろう。だがミスルギ自身、その理由がわかっていないのだから、伝えようがない。

 街道は緩やかな坂道で、急ぎの用件であることはわかっていたが、ミスルギはゆっくりとその道を下った。走ろうと思えばこの程度の下り坂で転げるはずもなかったが、わざわざ駆けてミスルギを呼びに来た少女を置いて自分だけ行ってしまうのは気が引けた。
「あなたはトウアの学生か」
 と歩きながら、ミスルギは少女に尋ねた――というより、話のつなぎとして聞いてみた。イースラとしては些か珍しい、羽織の形状に合わせたジャンパースカート姿を見れば、トウア学院の学生であることは明らかだった。しかしトウアの学生がなぜこんな場所にいるのか。
「あ、ええ。実は里帰りする予定だったのですが、災害獣の騒動で実家に帰ることができなくなってしまって……」
 と言うからには、少女の家は本土の外らしい。彼女はイルミナと名乗った。家に帰れなくなったと言うわりに、それを告げるときのイルミナはどこか嬉しそうではあった。

「あの、ミスルギさん、具合はいかがですか?」
「具合?」
「頭の傷とか………」
「いや……大した傷ではない。自分の剣の峰が当たっただけだ」
 とミスルギは己の額に手をやった。もう出血も止まっている。そう大量出血したわけではないので、行動にも問題はなく、包帯も視線を妨害するほどではない。戦うことに何の支障もないといえるだろう。
「イズルハさんは……どんな状態なのかわかりますか? 説得したりとか、そういうことは駄目なんでしょうか」
 ミスルギは首を振った。「それは難しいだろうね。あいつに理性が少しでも残っているなら、兵を殺したりはしなかったはずだ。意識はないに違いない。止めるなら、おそらくはあの手に持っている核をどうにかするしかない。だが情けないことに、イースラの全兵力を持ってしても、片手が塞がっている女から持ち物を取り上げることすらできないと来る」
 とミスルギは半ば自嘲的に笑った。
「イズルハさん、強いですものね。それに、綺麗で……知ってます? イズルハさん、かなりファンが多くて、わたしの学院の友だちにもイズルハさんのファンの子がいるんですよ。ファンクラブの会員番号が二桁台だって自慢していました」
 とイルミナはくすくす笑った。どこか人を和ませる雰囲気を持った娘だ。ファンクラブのことは知っているよ、と請け負いながら、ミスルギも笑ってやった。
「……イズルハさんは、本当に強いんですね」
「強いよ」ミスルギは頷いた。「とても強い」
 ああ、本当に。

 しばらく沈黙が流れた。元はといえば、見ず知らずの少女である。しかもミスルギが蒼眞勢という武装集団の頭であるのに対し、イルミナを名乗る少女は学院の生徒だ。天と地ほどに立場が違えば、年齢は近いように見えたが、イズルハに関する話題以外に話すことはなかった。
 だがミフネの待つ天幕が見えてきたところで、イルミナが決心したかのように口火を切った。
「あの、何か悩んでいらっしゃるのですか?」
 その問いかけに対してミスルギが首を傾げてみせると、イルミナは恥ずかしそうに赤面しながらも、己の疑問を説明しようとした。
「いえ、そのぅ、こんな状況ですから、考え込まないわけがないというのはわかるのですが……あの、ミスルギさんの悩みは、イズルハさんをどうやって止めるかということ以外にある気がして……」

 この少女は存外鋭い、とミスルギは思った。
 だが果たしてこの少女に己の疑問を正直に打ち明けたところで、その回答を得られるか。でなくても、共感してもらえるか――そんなふうに思わないでもなかったが、結局説明してやることにした。どうせ袖が擦れ合うだけの縁であれば、一笑されたところでのちに影響も何もないからだ。
「イズルハは強いんだよ」
 なのにおれは生き残った。背後に注意を向けていたのに、剣を受けた。海にこそ突き落とされたが、受けきってしまった。その理由が、わからないのだよ、と。

 イルミナは笑わずにやけに神妙な表情で話を聞くや、最後に「なるほど、やっぱり」と納得したように頷いた。
「何が、なるほど、なんだ?」
「あっ、いえ、えっとですね」と慌てたようにイルミナは言った。「わたしがトウア学院にいたときなんですけれど、イズルハさんのことが話題になったんです。〈皇護の刃〉で知られるイズルハさんに、もし勝てる人がいるとすれば誰か、という話で……なんというか、ええ、みんなただの学生で、戦いのことなんて知りませんから、思い思い勝手なことを言って、そのうちに、友だちの中だけで喋っていたのに、他のクラスの子だとか、教師だとかまで議論が伝わっていって……。
 その中でいちばん多かった意見は『イズルハさまに勝てる人なんていない』というものだったんですけれど……あ、『イズルハさま』って言い方はファンの子ので、わたしのではないですよ。
 でも、でもですね、講師としていらっしゃっていたとある召喚英雄の方が『唯一可能性を挙げるのだとすれば、蒼眞勢のミスルギだ』と仰って――」
「待て、召喚英雄って……」
「その方、見た目は普通のおじさんなんですよ。喋り方や所作もなんだかとぼけていて、でもときたまとても鋭いところがあって――」
「その召喚英雄というのは、《寺田寅彦》というのではないか?」
「覚えていらっしゃいましたか」とイルミナはにっこりと笑った。「先生は『もう二、三年前のことだから彼女が覚えていてくれるかどうかはわからない』だなんて言っていましたが」

(先生が……)
 三年前、僅かな期間だけ同行した召喚英雄のことを、ミスルギは忘れてはいなかった。
「あなたのことは、こちらの世界での最初の教え子だと言っていましたよ。それと、あなたがイズルハさんに勝てる点は、少なくともひとつはある、と。それは――」



 陽は既に暮れ、森は黒く失せ、虫の音すらなかった。静寂の街道沿いに立てられた灯籠に沿い、〈剣鬼〉はひたすらに同じ歩調で歩みを続けていた。
 街道の終端、首都への関所の門前で、月を背負い、ミスルギはイズルハに相対した。関所の篝火と月明かりのおかげで視界は確保できている。戦闘には有利に違いなかったが、もっと暗ければ良かった、とミスルギは思わずにはいられない。

 戦場では返り血すら浴びずに優雅に戦いを続ける女が、いまや血塗れだった。
 その多くは、もちろん返り血なのだが、彼女を汚しているのは返り血だけではない。昼過ぎに災害獣を討伐し、船で船員たちを斬り殺し、陸地に飛び移り、妨害してきた兵たちを切ったその道中は、直接的な矢傷こそ負うことはなかったが、ひとりの女を消耗させるには十分だった。履物はどこかで脱げたのか、素足は道すがらでぼろぼろに傷ついていた。太刀を握り続けてきた左手は蒼白で、疲弊が強いのか指先に痙攣が見え、中指の爪は剥がれていた。長く艷やかだった髪は乱れ、瞳には生気がなく、乾いて罅割れた唇に色はなかった。言われなければこれが《皇護の刃 イズルハ》だとは誰も気付かないのではなかろうか。

 相対する距離、およそ30歩。
 その距離を射程内と見なしたのか、〈剣鬼〉は一足踏み込むとともに左手の太刀を振るや、生じた次元の破断に己の身体を滑り込ませた。《覇仙術の抜け穴》だ。災害獣が討伐されて次元の歪みが収まってきたため長距離移動ができるほどの長さの抜け穴を開けるのは容易ではないが、イズルハほどの覇力を持つ者なら短距離移動程度ならば造作も無いことだろう。
 時空の破断を越えて背後から伸びてきた白刃を、ミスルギは前回りするようにして避けた。
(これで2回目………)
 イズルハの刃を受けて死ななかった回数だ。
〈剣鬼〉は己の太刀が空を切ったことなど気にも留めずに音超えの剣を二度、三度と閃かせた。3回目、4回目、5回目と、ミスルギは途中で数えることを止めた。こんな僅かな回数、意味がないからだ。ミスルギがイズルハの刃を受けて死ななかったのは、そんな少ない回数ではないからだ。
(はじめは3年前だ)
 初めてひとりで蒼眞勢の島を抜け出し、本土で剣術大会に出場した。並み居る強豪を打ち倒し――いや、決勝戦の相手以外は大した相手ではなかった――最後にミスルギはイズルハと相対した。そして負けた。彼女の剣撃は素早く、しかし優しかった。
(あれが最初だ)
 その後、片や蒼眞勢の頭首となり、片や青武帝付きの筆頭護衛官である〈皇護の刃〉となった。職務が被ることはそうそうなかったが、お互いがトポカ宮にいて時間に余裕があるときは剣を突き合わせた。そうだ。ともに剣を合わせたのだ。所詮は訓練。しかし幾度となく剣を交えたのだ。

 イズルハの剣圧はそれだけで仰け反るほどに強い。しかしミスルギはそれをすべて受け流した。愛用の白鞘のドスが折れてしまったため、代わりの刀を手にしているわけだが、それでも刀の背で閃光の太刀を受け流すことはできる。ミスルギは傷一つ負わずに、イズルハの攻撃をすべて防いだ。息は乱れ、手足は痛かったが、イズルハよりも遥かに弱いはずのミスルギは、彼女と対等に戦っていた。

 イルミナが教えてくれたことを思い出す。召喚英雄《寺田寅彦》が言ったこと。ミスルギがイズルハに唯一勝ること。
「同じ敵と戦ったとき、ミスルギは負け、イズルハさんは勝つかもしれない。それが力量の差というものです。だが、ぼくの知る限り、ミスルギはイズルハに勝つために修練を続けてきた。蒼眞勢の頭首になってからも、研鑽を積み続けてきた。イズルハさんが国を護るために鍛えている間、彼女はただイズルハさんに勝つというその目的のために鍛えてきたのです。イズルハさんに勝つために訓練してきたのです。イズルハさんの剣を受けてきたのです」
 ならばミスルギがイズルハさんの剣を受けきれぬ道理はないでしょう?
《寺田寅彦》はそう言ったのだという。

 イズルハの敵は外にあった。青武帝を脅かす内患外敵、イースラを脅かす敵国、そして世界を揺るがす災害獣。彼女はミスルギのことなど見てはいない。敵などとは見なしてはいない。
 ミスルギは違った。ミスルギの敵はイズルハだ。ミスルギの敵は常にイズルハだった。だから彼女のことを常に見てきた。だから――だから彼女のことは知っている。

 おまえのことは全部知っている。
 もし同じ敵を相手にしたとき、ミスルギの斬撃は鈍く、遅く、先読みに欠け、足運びももたつくかもしれない。自分は弱くて、あなたの足手まといになるかもしれない。

 おれは弱くて――弱くて、あなたはずっと強くて、でも、おれはあなたのことをずっと見てきた。

 知覚するよりも遥かに早い剣閃を、ミスルギは意識するよりも素早く反射で避けた。頭上を通過していく刀身を眺めながら、一歩踏み込んで〈剣鬼〉の懐に入る。射程内。
 その刹那、〈剣鬼〉は右手でずっと握っていた〈災害種〉を捨て、両の手で剣を握り、ミスルギに向けて振り下ろした。片手で振るうときとは段違いの速度で振り下ろされたその一閃も、しかしミスルギには予想できたものだった。むしろ、いままで片手で剣を振るってきたときより慣れた速度になったので、合わせやすくなったというものだ。

 次の瞬間、〈剣鬼〉の――いや、イズルハの手からは剣が消えていた。
 ほとんど密着するようにして太刀を避けたミスルギの下方からの巻き上げによって、刀が弾き飛ばされたのだ。刀はイズルハの後方に刺さった。勝負ありだというのは、刀を手放したからだけではなく、イズルハの顔色に驚愕が浮かんでいたことからもわかった。〈災害種〉を手放したことで、正気を取り戻したらしい。
(結局最後は、こいつ自身の力で〈災害種〉に対処したか)
 イズルハが両手で太刀を握ろうとしたのは、彼女自身の意思だろう。ミスルギに負けたくないと、そんなことを思ったのかもしれない。
 地面に落ちた〈災害種〉を両断、さらに念には念を込めて呪符で焼く。宝樹の力を研究しようとしていた軍のお偉方には睨まれるかもしれないが、こんなものを持ち帰るのはごめんだ。

「わ、わたし………」
 イズルハには明らかなる動揺の色が見えていたので、ミスルギは心の中で彼女に同情した。操られている間に己が何をしたのかを理解しているのだろう。
「イズルハ、何を言うかわかっているか」
「ごめんなさい――」
「違う、参りました、だ」ミスルギは刀を肩に担ぎ、犬歯を見せてにやりと笑ってやった。「おれの勝ちだ」

 天には満月が浮いていた。静けさを取り戻した夜にふさわしい、静謐な光だけがイースラを包んでいた。



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