リサイクルライフ/4
結
君に胸キュン
1
「ほうほう、そんなことが」
詩音はマンションの自室のベッドの上で胡坐をかいて電話をしている。電話相手は東京へ行った圭一だ。
圭一は詩音の姉である魅音やその友人であるレナ、沙都子、梨花とともに圭一の絵画コンクールの授賞式へと出掛けている。詩音も一緒に行く予定だったが、世話役の葛西が体調を崩したので、看病のために彼女だけキャンセルしたのだった。圭一の授賞式や東京という場所よりも、葛西のほうが大事だ。
『おれ、何か悪かったかな………』と圭一が呟くように言う。
「そうですね、いろいろ悪かったんじゃないかと」と詩音は言ってみる。「あとそういうことを、夜に取り立てて親しくもない女友達の家に電話して相談してくるってことにも問題があるような気がしますが。わたし、風呂上りにかかってきた圭ちゃんの電話のせいでさっきからぱんつ一丁なんですが」
『じゃあ待ってるから着て良いよ』
今のはちょっと苛っとくる台詞だな、と思いつつ「じゃあお言葉に甘えて」と詩音は返答して服を着る。といってもタンクトップを上に着ただけだ。どうせ夏なので寝るときはこんなものである。葛西の部屋に行くときだけ何か身につければよかろう。
「で、本当に、優しくして、って言ったんですか?」
『言ったよ』
「へぇ」と詩音は鼻で笑う。「ちょっと言ってみてください」
『厭だよ』
なるほど、と詩音は思った。確かにこれは沙都子でなくともぶん殴りたくな、と。
2
しかし圭一としては殴って欲しいのだろう。殴って欲しくて殴られたい言動をしているのだから、殴ったら喜ばせることになる。それをおそらくわかっていてぶん殴ったのだから、沙都子は優しい。圭一の要求どおりだ。詩音だったら絶対に殴ってやらない。たとえ殴りたくでも自制する。こういう相手は相手をするだけ無駄なのだ。歯応えがない、つまらない、だ。
実際既に詩音は圭一との電話に興味を失っていた。さっさと会話を打ち切って葛西の様子を見に行きたい。単なる風邪だというが、結構な年齢なので心配だ。それにこういうときにだけ、予期せぬ表情の葛西が見られるので嬉しいことこの上ない。
そう、つまり圭一との会話をつまらないと感じるのはこの逆の理由から、あるいはその対偶からだな、と詩音は適当に相槌を打ちつつ自己分析する。
圭一は常に何らかの反応を相手に期待している。
そして彼の期待通りの反応を返すと喜ぶし、それ以外の反応を返すと否定的な感情をぶつけてくる。
それは単に相手の自由を許容しないというだけではない。圭一の場合、彼の中に他人の人格を想定して会話をしているのだ。他の人格が如何にして会話をし、如何なる反応を返すかということを予めシミュレートしてから言葉を投げかけてくる。だから会話をしていると、いつの間にかずれを感じてくる。自分と、圭一の中で想定されている自分とのずれだ。それが気持ち悪い。そう、気持ち悪い、だ。つまらないというより、気持ち悪い。気味が悪い。あるいは、怖い、だろう。それを許容しているのだから、沙都子も大したものだ。
3
結局、圭一は表彰式に出なかった。
逃げるようにしてホテルに戻り、東京見物もろくろくしないまま雛見沢へと戻ってきた。
今はまた絵を描いている。沙都子の絵だ。可愛らしく、愛らしい沙都子。
少し髪が伸びた。背も伸びた。胸も少し盛り上がってきて、尻や足に肉が付いてきた。そのひとつひとつを丁寧になぞっていく。この場に沙都子がいる必要はない。彼女の身体はすべて覚えている。心も。しかし最近彼女は怒ってくれない。
触れ合う時間は増えた。以前よりもずっと。さまざまな表情を見せてくれるようになった。笑ったり、恥ずかしそうにしている表情は多い。しかし怒ったり、悔しがったりという表情を見せてくれる機会が減った。それが一番欲しい表情だというのに。
たまにカンバスをぐちゃぐちゃにしたりしてみる。ぐちゃぐちゃにといってもいろいろある。単純に絵の具の適当な色で塗りつぶすという手があるが、それではぐちゃぐちゃにしているということに気付いてもらえないこともある。パレットナイフでカンバスを切り裂くのは良い。わかりやすい。鋭すぎるとたまに手も切れる。水をぶちまけたり、燃やしたり。
それでも沙都子は怒ってくれない。
終いには沙都子に手を出したりもしてみる。痛い痛いと言う沙都子は可愛らしくて涙が出てくる。しかしそれでも彼女は怒ってくれないのだから、別の意味でも涙が出てくる。
彼女の怒った表情がどんなものだったか、忘れてしまった。思い出せない。思い出すためにも描かなくては、と思いつつ描く。描き続ける。
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