展覧会『CARTE』/EP5-4《もう一つの始まり》
《エルビン・フォン・ベルクマン/Erwin von Bergmann》、
父王殺しの濡れ衣を着せられること
トルステン一世を失ったエスファイアは悲嘆に沈みました。エスファイアの隆盛に力を注いだ王だったので、奴隷から貴族に至るまで悲しみに浸るしかなかったのです。
しかしその悲しみが乾く前に、後継者の話をしなければなりませんでした。急死した先王は後継者を指定せずじまいだったので、貴族たちの綱引きが始まり、《エルビン・フォン・ベルクマン/Erwin von Bergmann》と《トルステン・フォン・ベルクマン二世/Torsten von Bergmann Ⅱ》の間で不要な不和が生じ始めました。
トルステン二世を支持する勢力が優勢でしたが、多くの見方では彼には王になる資質が不足しているようでした。一方でエルビンはといえば、王としての資質は十分だという評価がある一方で、本人に玉座に着く意思がなく、貴族との交流が薄かったため、それが彼にとっての毒として作用することになりました。
「違う! わたしじゃない! わたしがどんな理由で父上を毒殺したというのだ!? 堂々と理由を示してみろ! 一切の証拠もなく、愚かなことを言うな!」
必死になって己の無実を訴えるエルビンでしたが、《リハルト・フォン・シュバルト/Richard von Schubart》は幼い王子に厳しく言い放ちました。
「我々の調査では、エルビンさまのご命令によってレオン・クラウゼが毒を混入したものとみています。エルビンさまとレオンの密談を目撃したという情報もあり、レオンが誰もいないときに食品に何かしていた場面を見たという兵士もいます。正直に仰ってくださいますね?」
「だから、わたしではない! わたしの潔白はどうすれば証明できる? それに……リハルト、あなただって知っているはずだ! レオンがそんな人間ではないことを! なぜあなたが副官である彼に対してそんなことを言えるのだ!」
「それが我々の調査結果だからです、エルビンさま。今日はもう遅いため、これで終わりにしますが、明日また拝見させていただきます」
エルビンは潔白でしたが、大多数の貴族によって既に操作された状況を打破することはできませんでした。彼は絶望に浸る以外のことを何もすることができず、ただただ寝床で布団を被ることしかできませんでした。
叔父の後ろ姿を眺める《レア・シュミット/Leah Schmidt》の心も、裂けるほどに痛むのを感じていました。
「叔父さん。叔父さんも、エルビンがしたわけじゃないって思っているんでしょう? ねぇ、そうだよね? それなのに、どうしてエルビンを虐めるの? もうやめて、エルビンが王さまを殺したわけがないじゃない」
「レア……これが戦争というものだ。この叔父の力ではどうにもできない」
そう言って背を向けるリハルトの肩は、レアの目にも随分と小さく見えました。
《アルゼン家の一代目頭首/First Head of Ahreujen》、
夢の吸血鬼に違和感を抱くこと
「ぐあああああぁっ!」
魔王《ベリアル/Beliall》の悲鳴にハネスの地は揺れ、地位の低い悪魔は逃げ惑うことしかできませんでした。
「バフキン! 早く! 早く持って来い!」
「承知しております」
《ラジア・ベル/Lagia Bell》が命を賭して突き刺したプラウテによって心臓を深く穿たれた魔王ベリアルは、聖霊の力によって恐るべき苦痛を受けていました。沈黙の神アゼルから力を与えられていた絶対者であるはずの彼にとってしても、アゼルと正反対の力を持つイエバの力は彼を絶対者の席から引きずり出していたのです。
己の身体の中にあるイエバの力を耐えるために、彼は一日に10個以上の神々の残滓である《リチュアル/Ritual》を必要としました。アゼルの力が込められたリチュアルが僅かな時間だけでもイエバの力を抑えることができたからです。
ときに僅かな力しか篭められていないリチュアルが捧げられたときには、ベリアルはリチュアルの管理者をすべて殺してしまいました。彼はもはや、《夢の吸血鬼 アリス/Alice, the Dreamvampire》の夢の力がなければ眠ることさえできませんでした。そのため、アリスは毎晩魔王ベリアルの部屋を訪れていました。
「アリスが魔王の眠りを助けられるだと? わたしの夢さえも調整できない魔女がいったいどうやって……? まさか………」
その理由に思い当たったマルゼン家一代目の頭首は弟たちとともにアリスの家を訪ねました。
《アニル・ルーレシ/Anil Luleci》、休眠に入ること
《アニル・ルーレシ/Anil Luleci》は日当たりの良いシエナの穴に横になってしました。そして休眠に入るまえにと、今後数年は口にできないかもしれないシエナの種を食べ続けていました。ドライアドの友人が持ってきてくれた種と、セルヤが剥いてくれた種でアニルは腹いっぱいになりました。シエリオンの危機が去ったいま、彼女は眠るしかありませんでした。しかし外部からの脅威が消えたいまとなっても、内部での危険はまだ残っていました。
戦争で自尊心に傷を追ったドライアドの女王《セダ・アーズ/Seda Arzu》はドライアドたちを残してどこかへ消えてしまっていました。おそらくは新しいドライアドを吸収する時期になれば戻ってくるでしょうが、指導者が消え、戦争で最大の被害を受けていたドライアドは繁殖にだけ力を使っていました。あまりにも急いだ繁殖の結果として、彼らの花は突然変異を始めるようになっていたのです。
《ナーガ女王 プナル/Pnar, Queen of Naga》は森での戦争が終わったあとは、森の外に出て行くことがナガには難しいということで、戦争には無関心でした。ですがそれは言い訳であり、ドライアドの女王が消えた森を心地良く思っていただけに違いありませんでした。しかし彼女は今回の戦争で活躍ができず、その前の紛争も円滑に解決できなかったため、次の女王に選ばれることはないでしょう。これからは残っている女王としての時間を楽しまなければならないでしょう。
エルフのことは特段気にしていませんでした。子どもの頃から優れた能力を示していた《セルヤ・タスデレン/Serya Tasdellen》が信頼に値する相手として成長していたので、アニルの心には余裕が生まれていました。
そのほかにも多くの考えが生まれました。まだ眠っている《アイカン/Aikahn》はいつ目覚めてくれるのだろう? ドライアドの友人の笑顔をいままで見たことがないが、笑ったらどれだけ美しいのだろう? 花はいつでも美しく広がっていたが、太陽は嫌いなのだろうか? 今回は《捕食者達の王 クルク/Gurk, the King of Predators》に会いにいけなかったが、まだ他の捕食者たちのように理性を失ってはいないということだろうか。それでも、いつか捕食者の王が理性を失ってしまったらどうするべきだろうか……?
長い間、それらを考えていたら、アニルはいつの間にか眠ってしまっていました。そして彼女の寝所の扉がゆっくりと閉じていくのでした。
《メリナ・エモンス/Melina Emmons》、
月影の夜の恐ろしさを知ること
「マリー、身体は大丈夫?」
ラプリタ病院に入院した《星砂の逸材 マリー/Marie, Jewel of Starsands》に《メリナ・エモンス/Melina Emmons》は優しい口調で話しかけました。
「はい、大丈夫です。それより、先生はお怪我はしていませんか?」
「あなたのおかげでね。よくもまぁあんな傷を受けながら月影を倒すことができたわね?」
「あれって月影だったんですか? うわぁ……」
「大した腕だったよ、暗殺者殺しのマリーさんって呼べばいいのかな?」
「そんな……あれは、月影が油断していただけで………」
「まさか愛する師匠を助けるために駆けつけてくれるだなんて、感涙するほどありがたいね。お礼に、これからは涙が出るほど勉強させてあげる」
「もう卒業したのに勉強なんて!」
「身体の具合は順調だって先生も言ってたから、心配ないね。まぁ、しばらくは休みなさい。わたしが連合長官になってしまったら、無駄に呼び出される回数だけ多くなるだろうから」
「はい、いまは休みます……美味しいものを買ってきてもらえれば、たぶんもっと早く回復します」
「そうするよ。じゃあ、また来るね。ゆっくり休んで」
笑顔を交わしてから、メリナは病室のドアを閉めて出て行きました。廊下を歩きながら、メリナは当分ベッドの上で寝ているしかない愛弟子にどんな本を勧めてあげようかと悩みながら、心地良い気分で病院を出て行こうとしました。
その瞬間でした。廊下の冷たさを感じたのは。
一瞬にして過ぎ去ったその感覚は〈夢の道標〉である彼女にさえも、何が起きたのかはわかりませんでした。きっと気のせいだろうと片付けて建物の外に出ようとしたとき、病院の中から大きな爆発音が聞こえました。
メリナは出てきた道を必死に逆走して病室の入口に辿り着きましたが、それ以上は動けませんでした。先ほど己の手で閉じたドアは跡形なく消え去り、部屋の中には黒煙が立ち込めていました。まさかという不安と予感とともに入った部屋の中には、つい先程明るく挨拶を交わしたばかりのマリーの身体が天井に磔にされていました。そしてマリーの身体を天井に固定していた短剣が誰のものなのかは、ひと目で知ることができました。
《月影/The Moonshadow》。
「違う。そんなはずがない。それまで梯子を昇ることができたなかった人間が、梯子もなしに出てきたなんて聞いたことがない。そんな、まさか………」
そして彼女はへたり込み、とめどなく涙を零すのでした。
《夢の吸血鬼 アリス/Alice, the Dreamvampire》、
その本性を明らかにすること
「アリス、どこへ行っていた?」
「うん? なぜそんなことを聞くの?」
急に邸宅を訪れたアルゼン家の第一頭首の疑問に対し、アリスは無邪気に応じました。
「おまえの力でベリアルさまが眠れるようになっていると聞いた」
「そうだよ。で?」
「それくらいの力があるならば、わたしの夢を操ってミケイラのことを締め出すことくらいは簡単だったのではないか?」
「そうだよ。で?」
普段は冷静な第一頭首も、このアリスの呑気な口調にはだんだんと腹が立ってきました。
「わたしがミケイラのことを夢から消せと言ったとき、そうしなかった理由はなんだ」
「だって、つまらないじゃない?」
「なんだと?」
「せっかく面倒を冒して夢の種を植え付けておいたのに、簡単に摘んじゃうだなんてつまらないでしょ? だから消さなかったんだよ」
あっという間にアリスの首根っこを掴んだ第一頭首は、彼女の身体を壁に叩きつけました。怒りのため、力を抑えることはできずに壁が壊れるほどに力を込めた第一頭首でしたが、アリスは何ごともないかのように笑っていました。
「いったいなぁ……いくら腹が立っているとはいえ、これはいけない。アルゼン、手を置いて話そうじゃないか」
「おまえはこれまで自分がしてきたことを理解しているのか?」
アリスの首を掴む彼の爪は徐々に鋭くなり、彼女の首は出血し始めました。
「手を置いてくれるつもりはないのかな? ではそうさせるしかない。首の傷までつけてくれるとはなぁ……」
事の推移を見守っていたアルゼン家の弟たちは、その瞬間にアリスの身体から噴き出してきた黒いオーラの威圧感に触れて倒れ、辛うじて立っていることができたのは第一頭首だけでした。しかしその彼の頭も、すぐに吸い込まれるように地面に倒れました。
「楽しくて遊んでいると力量差がわからなくなるものだね? そうだろう? こうやって足で踏んづけてあげなければ、力の差がわからないというわけだ。ああ、面倒なやつだな。まったく、首に傷までつけてくれて。こんなことは久しぶりだ。これがベリアルなら首を捻ってしまったんだろうがな」
第一頭首は弟たちの前で最大の屈辱を味わい続けていましたが、何もできませんでした。踏まれ続けること以外には。
「ああ、本当に苛立つな。久しぶりにちょっと面白いことをになったと思ったのに、こうやってすぐに苛立たせるやつらがいるのだから、信じられないことだよ。いますぐベリアルの元へ向かうから、あの身体を世話をするように。それと、きみの子はすぐに家に戻るだろう」
言葉だけを残し、アリスの姿は黒い雲になって消えましてしまいました。カイデロンの最高貴族の彼らでさえ初めて感じる恐怖の中、何も言葉は出てきませんでした。
《レオン・クラウゼ/Leon Krause》、
濡れ衣を着せられた王子を救い出そうとすること
「エルビンさま、起きてください。いま行動しなくてはなりません」
限りない悩みの中でようやく寝付いたエルビンは、眠い目を擦りながらどうにか目の前の光景を理解しようとしました。
「明日まで待っていたら、死刑は確実です。さあ、早く起きてください」
エルビンのベッドの傍に立っていたのは彼と同じく王殺しの汚名を着せられて逃亡しているはずの《レオン・クラウゼ/Leon Krause》でした。
「レオン? あなたはどうやってここに? 逃亡したと聞いたが……?」
「詳しい話は後ほど説明します。まずは外に出る準備をしてください」
「どういうことだ。わたしは潔白だ。わたしたちは潔白のはずだ。それなのに、無実のわたしたちがどうして逃げなくてはならないのだ?」
「わたしには潔白を証明することはできません。そうである以上、行動するしかないのです」
「どういう意味だ、レオン!? あなたが父上を毒殺したというのは事実なのか?」
エルビンの質問に対し、レオンはこれ以上時間を取ることなく、剣を抜いて応えました。
「いま死ぬことをお望みですか? それとも明日死にますか? あるいはーー生きて潔白を証明しますか? 選択肢は3つです。選ぶのはあなたです」
「わ、わかった……出て行く準備をする………」
話がひと段落つくと、周囲にいた人々の姿がようやく目に入るようになってきました。赤ん坊の頃から自分を育ててくれた乳母、同じ年頃でよく遊んでくれたメイド、いつも美味しい食事を作ってくれた料理人。みなエルビンのために、常に働いてくれた人々えした。
「着替えながら聞いてください。このあとは全員で宮殿を出ていきます。向かうのは演舞場の近くの広い道で、遊歩道を抜けていくと外に繋がる道があります。ご存知の道でしょうから迷われることはないでしょうが、一言も喋ってはいけません」
「わかった」
彼らは廊下に出て、階段へとかけ出しました。奇妙なことに、普段なら警備兵が守っているはずのどの場所にも、ひとりの姿も見えなかったため、演舞場までは簡単にたどり着くことができました。
しかし演舞場には《初代騎士団長 ベン・クローゼ/Ben Klose, the First Knight Captain》が待ち受けていました。
ただトルステン一世への忠誠心を狂気の枷として生きていた彼にとって、王の崩御によって増幅された赤鉄剣の呪いは彼の理性を吹き飛ばしてしまっていました。彼にとっての恨みの対象であるエルビンとレオンが現れるや、彼は我を忘れて剣を振り回しました。常勝将軍の副官であるレオンにさえも彼の剣を防ぐのは精一杯で、怯えた使用人たちはその場を動けませんでした。無差別に振り回される剣は徐々にレオンの身体を切り裂き始めました。
「エルビンさまを連れて全員逃げろ! 騎士団長はおれが防ぐ! さぁ、早く!」
エルビンと使用人たちは、ベンを避けて狂ったように逃げ出そうとしました。走り続けたことで息は顎の端まで上がりましたが、彼らには走り続けること以外にできることはありませんでした。そのおかげで外へと続く遊歩道にまでは到着しましたが、そこで問題が起こりました。
「緊急事態だ! エルビンが消えたぞ! 反逆の証拠だ、追え!」
その叫びとともにベンが追いかけてきたのです。彼を留めていたはずのレオンの生死もわからず、彼らは逃げ惑いました。しかし使用人たちの体力が騎士団長よりも強いはずがありませんでした。
「エルビンさま、先にお逃げください。我々はここで時間を稼ぎます」
「駄目だ、一緒に行くんだ。ここえ諦めてはならない。ベンが来たら、みんな死んでしまう」
「我々は大丈夫です。エルビンさまが生き延びてくれさえすれば。これは我々全員の願いなのです」
「みんな……ごめんなさい………」
彼らを見つめ続けることができず、エルビンは出口へ向かって駆けました。背中から聞こえてくる使用人たちの悲鳴とともに、エルビンの目からは涙が流れました。
そしてエルビンはすべてを犠牲に、庭園の出口に辿り着きました。しかしその門は鍵がかけられていて、開きませんでした。持っていた錆びた剣を振り下ろしてみても鍵を壊すことはできないまま、背後からは何者かの足音だけが響いていました。もう一度、錠を壊そうとしましたが、もはやどうすることもできませんでした。
「罰を与える、エルビンよ! 父なるハケンの栄光を!」
(ああ……そうか、死ぬのか。どうせ明日死ぬのなら、一日早く死んだところで特段の違いなんてないだろう。でも、みんな、ごめん。努力はしたつもりだが……何もできなかった………)
「待て、ベン」
目を瞑って死を受け入れようとしたエルビンは、声に反応して瞼を開きました。目の前には悲惨な姿のレオンが立っていました。彼はもはや歩くことができないほどの傷を負いながらも、エルビンを一分でも、一秒でも長く生かすために立っていたのです。盾を投げつけてベンの視線を惹きつけ、立っていたのでした。エルビンの目からは涙が止まりませんでした。
「そうか、ではまずはおまえからだ」
「やめてくれ、ベン!」
エルビンの悲痛な叫びも虚しく、レオンの剣はベンの剣を受けきることができずにその持ち手を切り裂かれてしまいました。血に染まったベンの目に映るのは、今度こそエルビンただひとりでした。ゆっくりと歩み寄ってきた彼は、剣を高く振り上げてエルビンに振り下ろしました。
エルビンにはもはや泣く力さえ残されていませんでした。目を閉じることもできず、己の頭に迫ってくる刀身を眺めていました。
そのときのことでした。ベンの剣とエルビンの頭との間に新たな剣が現れたのは。父の部屋で何度も見てきた、皇帝の剣が。《皇帝の剣 プラウテ/Praute, Sword of Emperor》が。
反逆者の王子、翼の折れた天使に出会うこと
「まだ死ぬな。わたしの呪いを解いてから死ね」
エルビンはその言葉を理解しようと努力しようとしました。庭園の門は開いていて、その声の人物はそこからやってきたようでした。初めて見る人でした。いや、正確にはーー背中に羽根が生えた人。天使。
「起きろ。いまは寝ている場合じゃない」
何も言い返すことができないまま、これ以上立っている力さえも残されていなかったエルビンは、その場で倒れました。
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