かくもあらねば/34/01 Good Morning Sunshine

Good Morning Sunshine
夢が終わりそして今日が始まる



 みらい、みらい。
 あるところにあるところに、小さな村がありました。土は荒れ、作物は取れず、動物も少なく、水もあまりないような、寂れた村でした。その村の外れには教会がありましたが、誰も住んでいませんでした。

 ある日、その教会に牧師がやってきました。その牧師は若い男で、いつも機嫌の悪そうな顔をしていました。
 村人は余所者を最初は敬遠していましたが、彼は畑を耕すのを手伝ったり、狩りのための罠を教えたり、井戸を作ったりと、村人のためにさまざまな仕事をしてくれたので、村人はすぐに彼のことが好きになりました。
 牧師は何か仕事をしても、お礼をいっさい貰おうとしなかったため、村人はさらに彼のことが好きになりました。
 しかし彼は仕事中も、仕事が終わった後も、いつも厭そうな顔をしているので、たまに嫌われもしました。

 あるとき村人のひとりが牧師にこう尋ねました。
「牧師さま、どうしてあなたはいつもそんなに機嫌が悪そうなのですか?」
 牧師は答えました。
「働いても礼は受け取れないし、自分が得することは何もないんだから、厭な顔くらいして当たり前だ」

 牧師は自分でお礼を断っているはずなのに、いったいなぜそんなことを言うのだろう。やっぱり変わった人だ、と村人は思いました。
「お礼を貰えばいいじゃないですか」
「無償で人助けをしろと教えられている」
「神さまにですか?」
 牧師は首を振りました。
「家族にですか?」
 牧師はまた首を振りました。
「恋人にですか?」
 牧師は少し考えてから、やはり首を振りました。

 村人は降参して尋ねました。
「では、だれにそう教えられたのですか?」
 牧師は答えました。
「天使だ」
 と。


 それからしばらくして、牧師のところにひとりの女性がやってきました。
 彼女は牧師とは親子ほども年齢が離れているように見えましたが、すぐに結婚をしました。
 ふたりの年齢がとても離れていたため、村人の間ではさまざまな噂が流れました。

 やはり坊主は好色なのだ。
 どうやってあんなに綺麗で若い女の人を妻にしたのだろう?
 子どもがなかなかできないのはどうしてだろう?

 いろいろな噂が流れましたが、牧師や牧師の妻のことを、村人たちは決して嫌ってはいませんでした。牧師も牧師の妻も、いつも無償で人々の手助けをしてくれたからです。
 牧師と牧師の妻の間では子どもはできませんでしたが、彼らは村の孤児を引き取って育てました。

 牧師は相変わらず機嫌の悪そうな調子で、牧師の妻は夫のそんな様子をたびたび注意していました。
 ふたりの仲はとても仲睦まじく見えました。
 ふたりはとても幸せそうに見えました。

 あるとき村人のひとりが牧師と牧師の妻に、こう尋ねました。
「牧師さま、奥方さま、どうすればあなたがたのように幸せになれるのですか?」
 牧師は答えました。
「夢を諦めることだ」
 牧師の妻は答えました。
「夢を諦めないことです」

 ふたりの相反する答えに、村人は戸惑いました。
「どちらが正しいのですか?」
 牧師の妻はにっこり笑い、子どもたちの頭を撫でて答えました。
「どちらでも」
「どちらでも?」
「だってそうでしょう? 夢を見るのは、個人の自由なのですから」
 と。


 さらにしばらく経って、牧師は年老いました。
 やがて牧師は眠るように死にました。

 村人たちは牧師の死を、自分自身の死のように悲しみました。
 そして、今まで牧師に世話になった分を、残された牧師の妻や子どもたちに返してやろう、と村人たちは決意して、葬式のために教会を訪ねました。

 牧師の妻は、牧師が年老いても、なぜか若いままでした。
 その牧師の妻は、牧師の横で眠っていました。
 牧師の妻はいくら呼んでも起きませんでした。
 牧師の妻は、そのまま死んでしまいました。

 きっとあまりにも仲が良かったから、牧師が死ぬのを嘆いて死んでしまったのだ。村人たちはそう結論し、ふたりを一緒の棺に入れました。棺は教会のいちばん大きな墓に入れました。
 牧師がいなくなってからも、教会は村人の手によって運営され、大きな孤児院になりました。

 いま、その教会はありません。
 これからその教会は作られるからです。
 みらい、みらい。
 かくあらねばという夢を持っていた牧師のおはなしです。
(終)


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