アメリカか死か/15/03 Picking Up the Trail -3

 真っ直ぐな通路を歩いていた。
 手を伸ばせば、届きそうなところに壁がある。つるりとした硬質の壁。白い壁。汚れていない壁。この壁は、Vaultの壁だ。


「この壁は?」
 自分は何を言っているのだろう。この壁は、などと、まるでほかの場所を知っているかのような言い方だ。Vault 101以外の場所に行ったことがあるかのような表現ではないか。
 RitaはVault 101で生まれ、Vault 101で育った。だからきっと、死ぬまでVault 101の中にいるだろう。ほかの場所なんて、知らない。

 通路を歩いていく。歩いていく。歩いていく。
 どこへ続いていくのだろう。

「どこへ?」
 Vaultだ。ここはVault 101なのだ。だからどこの場所でも、その地図が頭に入っている。


 この先は、Overseerの部屋だ。
 だから、Overseerがいるのは当たり前だ。

 Overseer。
 その後姿を見た瞬間、Ritaは銃を構えていた。


「あんたは死んだはずだ……」
「なぜ死んだ?」
 背中を向けたままのOverseerが、低い声で言う。
「おまえが殺したんだ」
 振り返ったOverseerの顔はぐちゃぐちゃに砕けていた。頭蓋骨の左側が陥没して、左目が飛び出ていた。鼻と耳から血を流し、紫色の舌が覗く口からは、砕けた黄色い歯が見えた。


 Ritaは悲鳴をあげて銃を撃った。連射した。Overseerの顔はさらに砕け、ばらばらになり、最後には砂になってしまった。
「おまえが殺した」
 振り向けば、見慣れた顔があった。
 Butch。Paul。Wally。
 Vault 101の友だち。


「どうしてわたしのお父さんを殺したの?」
 Amata。
 
「だって……」
 だって、仕方がなかったじゃないか。
 危ないと思ったんだ。父さんはいなくなってしまった。父さんの友だちで優しかったJonesは殺された。わたしも、わたしも殺されそうになった。
「だから殺した」
 わたしはAmataを守りたかった。友だちが危ないと思った。だから。


 Ritaの身体から力が抜けた。目の前が真っ暗になった。


「Rita……、Rita!」
 どれだけ呼んでも返事は無い。糞、糞、とLynnは悪態を吐きながら、荒れ果てたVault 106の中を奔走した。



 Vault 92に残された記録から、Vault 106の位置情報を探し当てたまでは良かったのだ。
 Vault 92の入り口は、これまで探索したVault 108やVault 92とは違い、閉まっていた。しかしロックされているわけではなく、外から操作パネルを動かせば、簡単に開いてしまった。
 中はやはり荒れ果ててはいたものの、いちおう扉が閉まっていたVaultということで、ここならG.E.C.K.が見つかるかも、とLynnはRitaとともに期待を膨らませたものだ。


 Vault 106の中は、しかし荒れた内観通り、優しいものではなかった。
 Vaultの中には居住者がいた。いや、本当に居住者だったのだろうか。Vault-TecのPip-Boyを身に着けておらず、ただ薄汚れたJumpsuitを身に纏った彼らは、みな一様に武器を構え、わけのわからないことを言いながら襲い掛かってきた
 そうした男たちは、Ritaが撃ち倒した。技術も思考もない吶喊は、Ritaの腕前のまえにはただ倒れ伏すだけのはずだった。


「大丈夫?」
 その小さな後姿に不穏を覚えたLynnは、銃を収めるRitaに声をかけたものだ。Rita、大丈夫か、と。
「何がだ」
 振り向いたRitaの表情には不安の欠片もなく、ただいつものように睨んでくるだけだったので、Lynnは己の心配が杞憂であると思い、そのまま先に進んだ。

 荒れ果てたVault 106の中だったが、その中には一定の秩序というか、何某かの思考があるように感じられた。もっともそれは、社会的な人間の秩序というよりは、たとえば狼や鴉が珍しいものを取ってきて自分の巣の中に飾るような、そんな好奇心と本能に飾られた思考であった。


この黒い染みはなんだろうね、Rita?」
 通路と部屋とを隔てる隔壁の前で、Lynnは興味深い染みを見つけた。血ではない。塗料か。いや、油だろうか。触れると指に粘りつく、殆ど固化した液体である。

 しゃがみ、眺め、触れ、問い、そして振り返る。
 そのときには既に彼女の姿が消えていた。


 走った。叫んだ。それでもRitaは見つからない。出会う敵は倒し、Lynnは進んだ。
(なぜ………?)
 確かにどことなく、Ritaの様子はおかしかった。特にVault 108では異常なクローン、Garyたちに襲われ、恐ろしい思いをしたのだろう。厭になったのだろう。同行者であるLynnはもともと嫌われているから、いつLynnの元を離れてもおかしくはない。
 だがそれでも、Vaultの中で急に姿をくらますのはおかしい。

(このVaultは、なんなんだ………?)
 Lynnは初めて、Vault 106という場所に疑問を持った。いままで訪れたVaultは、たとえばVault 108は異常な状態のクローンを生み出し続け、Vault 92は音響兵器の開発をしていた痕跡があった。それらは異常だった。だが、異常だっただけだ。過去のものだ。残っていたクローンや兵器の跡は、残滓に過ぎない。
 このVaultは、違う。まだ生きている。
 なぜならば、空気が違う。


 Lynnは気付いた。このVaultは、換気口が動き続けている。いや、換気口とは違うのかもしれない。出てくる気体は、温度差ゆえに、僅かに揺らめいて見えた。無色無臭だが、精神に何らかの影響を及ぼす瓦斯だ、と検討をつける。おそらくはこのVaultの居住者たちも、瓦斯に汚染されたのだろう。
 なぜLynnだけが無事で、Ritaが異常を来したのか。それはRitaのほうが精神的に参っていたせいかもしれないし、単に彼女のほうが背が低く、瓦斯が重かったせいかもしれない。あるいはLynnの変身機構が瓦斯の浸食さえも防いでいるのやもしれない。
 わからないことだらけだが、ひとつわかっていることがある。Ritaを助けなければいけない。

「Rita………!」
 Lynnはついに見つけた。Vault 106の最深部で、彼女は倒れていた。頭から血を流している、が、大きな怪我ではない。呼吸はしているし、心臓も動いている。生きている。だが瓦斯を吸い込みすぎたせいで、中毒になっているかもしれない。早くVaultの外へ出さなければ。


 彼女の小さな身体を担ごうとしたとき、Lynnは異変に気付いた。目の前の空気が揺らいでいる。瓦斯ではない。
(Stealth Boy……!)
 彼女を襲ったのが目の前の人物であると気付いた刹那、Lynnは刀を抜いた。
 Lynnは刀の扱いなど知らない。だから目の前の透明人間に対しては、刃先を僅かに当てるのが精いっぱいだった。


 だがそれだけで十分だ。
 Outcast前線基地で手に入れたJingwei's Shock Swordは、Power Armorさえも一時的に動きを止めるほどの電圧を生じさせる。稲光が走り、人型の影が倒れる。遅れて、Stealth Boyの効果も止まった。

 倒れていたのは白衣を着た老人だった。Vaultの研究者か。いや、この荒れ果てた様子から考えれば、Vaultに居着いたRaiderだろう。ほかの居住者たちも似たようなものだったのかもしれない。彼の場合は、しかし瓦斯の効能に気づき、それを利用してRitaを襲ったようだ。


 改めて、Ritaを担ぐ。そして出口に向かって歩く。とりあえず外に出たあとは、Megatonの自宅へ戻るべきだろうか。いや、Citadelのほうが医療器具が揃っているだろう。Ritaの体調がどの程度悪いのか不明な以上は、より良い医療機関を頼ったほうが良い。そろそろCitadelでも、Vault-Tecのコンピュータの修復が完了した頃合いかもしれない。
 そんなふうに考えながら、Lynnは転んだ。


 階段だったため、脛と腹と頭を同時に角に打ち付けてしまった。危ういところでRitaは抱きかかえ、なんとか無事だったものの、Lynn自身はだいぶん悶えることになった。
(脚が………)
 立ち上がろうとして、Lynnは己の脚が酷く重たくなっていることに気づいた。抱えるRitaの小柄な身体さえも、押し潰されそうなほどに重い。
 身体がおかしいのは、Ritaと同様、瓦斯を吸ったせいか。あるいは身体に蓄積されつつ放射能の影響だろうか。

Rad = 305 (Minor Effect)

(不味い………)
 このまま動けないと、瓦斯を吸い続けることになる。未だ理性を保っているLynnはともかく、Ritaはどうなってしまうかわからない。

 Lynnは壁に寄りかかるようにして、立ち上がる。そして、鉄のように重いRitaの身体を背負ったまま、鉛のようになってしまった足を引きずって歩く。
 一歩一歩が酷く重い。
 それでも、止まるわけにはいかない。自分を守るため、背負った少女を守るため。Lynnは進んだ。何度も転げた。内臓に異常が起きているのか、なぜか血を吐いた。それでも、一歩、一歩と進んだ。

 Vaultの入り口を開ける。もう少しで出られる。
(もう少し………)
 外の光が木製の扉の隙間から漏れている。もう少し、もう少しなんだ。もう少しで、外なんだ。
 出たら、少し休もう。それから、Citadelを目指そう。


 そう思いながら、Lynnの意識は闇に沈んでいった。


 目覚めたとき、Lynnは瞼がいやに重いことに気づいた。自分の手で押してやらなければ、目の前が見えないほど。
 瞼を無理矢理に開き、立ち上がる。見渡せば、周囲に広がるのは白い空間。直線的な通路。人工的な床。
「ここは………」
 Lynnは気付いた。
 ここはVault。知っているVaultだ。
 ほかのどんなVaultとも違う、清浄な空間。人間以外の居住が拒否された場所。
(おれは、この場所を知っている)
 Vault 113。
 Vault 113だ。

 Lynnは異様な恐怖に囚われた。
(おれが入ったのは、Vault 121のはずだ…)
 そうだ。それは覚えている。Lynnは戦前の人間で、非難したシェルターはVault 121だった。その後のことは覚えていないが、Vaultから出た記憶はない。Jamesに助けてもらったことも合わせて考えて、冷凍睡眠状態に陥っていたのだろう、と考えていた。

 だが、違うのか。
『お帰りなさい、Lynn』
 女を模した電子音声が人工的な空間に響いた。

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