小説ラスクロ『ペチコートを着た悪魔』/時代3/Turn8《邪知の魔学者》


11-092C《邪知の魔学者》
よく聞きたまえ、無知なる善こそ、実はもっとも恐ろしき罪を犯しうるのだ。そう、諸君はこの闘争世界に生まれ出てきて苦痛ばかり味わうのは、神が愚かだったからに相違ない!



 二階の宿部屋で着替えてから一階の酒場(サルーン)へと戻ると、《ベル・スタァ》は壁に空いた穴に布を引いて一時凌ぎの壁を作っていた。アルマイルを見つけるや手招きをしてきて、何か手伝わせるのかと思いきや、意外なことにアルマイルを座らせ、頭の傷の手当てをしてくれた。一瞬、感動しかけたが、そもそもが彼女によってつけられた傷であることを思い出し、「ありがとう」と複雑な気分で礼を言うことになった。
「まぁ、こんなもんかな」と包帯を結び、ベルは言った。「痛い?」
「そりゃあ、痛い」
「あらまぁ」
 何があらまぁだ、と言ってやりたかったが、拳を握り込むだけにしておいて我慢してやった。

「正午に南の駅馬車停留場だっけ? 馬で行くと2時間ってところかな……。準備とか差し引いても、まだある程度余裕があるね。酒でも飲む? 痛み止めになるよ」
 とベルが提案したが、アルマイルは首を振った。痛みで覚醒するならむしろ儲けもので、酒で酩酊するほうが避けたい。幸い眠気はなく、頭は冴えていた。それだけに気になるのは空腹で、アルマイルは飯を食い逸れたことをいまさらながら思い出した。
「げろ吐いてたしね。じゃあ飯作る? 時間もないから、簡単なものしかできないけど」
 という提案に対しては素直に受け入れた。

「幾つか訊きたいことがあるが、いいか?」
 エプロンを付けて調理の場に立つベルと会話をするため、アルマイルは厨房に近いテーブルに移動して問いを投げかけた。
「料理代は別会計だよ」
「うん……いや、まぁ、それはいい。あの男はなんだ?」
「なんだ、って、〈ワイルド・ビル〉だよ。知らないの? 〈死に札(デッドマンズ・ハンド)〉ともいうね。本名は、なんだっけ、ヒコックだったかな。《ジェイムズ・バトラー・ヒコック》
「知らない、が、これだけはわかる。彼は召喚英雄だな。そして、あなたも」
英雄(ヒーロー) わたしの地元じゃあ、無法者(アウトロー)っていうんだけどな」
 そう言って、彼女はナイフを握ったまま肩を大袈裟に竦めてから笑顔を作った。
「彼とはいろいろ話していたが……因縁があるのか?」
「特にないね。何回か殺し合ったことがあるくらい」
 ベルは事も無げに言ったが、アルマイルの常識では、それは因縁の相手というものだ。

 料理は夜に食べそこなったチリコンカンとマッシュポテト、ベーコン、それに固パンだった。本来食べるはずだった食事に比べれば貧相で、しかしコーヒーも付いてきただけありがたかった。
「あなたは……あの少年のことを大事に思っているのだな」
 ベルが預けてくれた黄金銃の位置を確かめながら、しみじみと感慨に耽りながら、アルマイルは言った。単なる感想で、特段の返答を求めていたわけではなかった。というか、返答は聞かないべきだった。
「冗談言わないでよ、お嬢ちゃん。商売なんだから、当然でしょう?」
「商売?」
「たまにあんたたちみたいに何も知らないで泊まる人間もいるけれど、この宿……〈ヤンガーズ・ベンド〉は基本的には犯罪者の宿だ」
「あなたは、何を………」
「どうせばれるから言っておくけどね、こっちはそういう商売なんだよ。隠れ家を提供して、逃がすまでのお手伝い、ってね。レリーもそうだよ。あれはメレドゥスの……なんて言ったっけかな、どっかの司都官を殺して逃げてきたって言ってたね。けっこう金は持っていたけど」
「犯罪者だと?」
「こういうのは信用商売だから、ミスはしたくないんだわ。ま、そういうわけでね」

 説明を受けて、ベルがこんな安宿を経営しておきながら黄金を貯め込んでいたことや、辺鄙な場所に宿を構えている理由は理解できた。だが、理解はできても納得はできない。

「あなたは犯罪を許容しているのか?」
 料理に手を付けるまえに、アルマイルは問う。
「どういう意味?」
「あなたには道徳心というものがないのか。殺人を是としているのか」
「そういうときもある」
「そういうときもあるって………」
「わたしはさっき宿で襲われたときに相手を殺したよ。あなたはそれを駄目だっていうの? それに、あなただって武器を持っていたら襲撃者と戦って、最終的には殺していたでしょ?」
「それは……正当防衛だ」
「これから〈ワイルド・ビル〉を殺しに行くのは――殺せないかもしれないけど――これも正当防衛?」
「それは……そうだ。将来的には、そうなる」
 ベルはひとつ溜め息を吐いた。「そう、じゃあ……あなたはオルバランのお姫さまなのだよね? 敵国と戦争をして相手の国民を殺しているわけだけれども、それは正当防衛? すべて敵から仕掛けられた戦いなわけ?」
「戦争は、また別問題だろう」
「人を裁くのも王の義務だと思うけど、罰として死刑とするのもまた別問題なの? 天の裁きとか言っちゃうわけ?」

 しばらく考え込んでから、アルマイルは言った。「あなたの意見を聞こう」
「まずは自らの非を認めるのは大事だよ。お嬢ちゃん、あんたに足りないのはそれじゃない?」一度溜め息を吐いてから、ベルは手近なテーブルの上に腰かけた。「そりゃ、簡単なことでしょう。人殺しは悪いことだって、あなた子どもの頃に教わらなかったの?」
「あなたは人を殺している」
「そうだね。悪いことをしているわけだ。で?」
「で、とは………」
「わたしは無法者だ。その自覚はある。正義の真っ直ぐな道を歩いているとは思っていない。思っていないけど、そう思い込んでいるやつよりは上等だとも思っている」

 さて、わたしも準備してくるかな、と言ってベルはテーブルから降りると、馬の用意をするためか、サルーンの入口のドアを音もなく開けて出ていく。彼女の姿が見えなくなってから、アルマイルはチリコンカンを木のスプーンで口に運んだ。スウォードの言う通りだ。辛い。汗が噴き出す。だが頭から爪先までをびっしょりと濡らすその汗は、辛さだけによるものではなかった。
 撃たれかけた――殺されかけた。なのになんでもなかったのように会話をした。あの女。《ベル・スタァ》。やはり異常だ。召喚英雄の恐ろしさをアルマイルは体験したのだ。





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