325日目

イクマールから馬で1時間ほどのところにあるディリグアバンの村は、藁葺き屋根や唐辛子の煮込みなど、カーギットの香りを感じさせる長閑な村だった。自然、異邦人であるセドは目立つ。

好奇の視線を感じながら、セドはディリグアバンの村長に金を握らせ、翌日明け方に火事を起こすよう頼んだ。

昔の経験が役に立ったかな)

カーギット・ハン国に宮仕えしようとしていた頃、あのときも貴族を助けるという依頼を受けて、ノルドの城に乗り込もうとしていた。今回は逆にカーギットの城に乗り込むことになる。

今回助けるのはロドックの貴族、ガールマール卿だった。彼は先日、セドに告白をした男、トゥリンバウ卿の父である。

セドはイクマールの城へと向かいながら、この任務を受諾したときのことを思い出していた。
ガールマール卿がカーギットとの戦に負け、捕虜にされたのが約2週間前のことである。ロドックの重臣であった彼はすぐさま首都イクマールに身柄を移された。
貴族が捕らえられた場合、身代金を払いさえすればすぐさま解放されるのがこの時代の通例である。しかしカーギットはそうはしなかった。ロドックで名を馳せた英雄を捕らえたのだと、カーギットはそう宣伝してまわり、決してガールマール卿を解放しようとはしなかったのだ。

彼を助け出す必要があった。セドは会議の場で、その任に立候補した。
「なぜ、あなたが?」会議が終わった後、トゥリンバウ卿が尋ねてきた。
「前にこういう任務はやったことがありますから」
正確には、やりかけた、か。失敗したわけではなかったが、任務そのものが帳消しになってしまったのだ。
ガールマール卿がわたしの父だからですか?」
「そういうわけではありません」

トゥリンバウ卿から結婚してくれと告げられてから約1ヶ月が経過していた。その間に、セドは彼と何度も会っていた。なぜ急に結婚を切り出してきたのか、その理由も聞いた。
実は彼とセドが出会ったのは、セドがロドックに士官し始めてからではなかったらしい。セドがノルドに所属していたとき、トゥリンバウ卿の軍と何度か戦ったことがあったのだという。ノルド王国に所属していたときに確かにロドックの軍隊と戦ったことはあったものの、セドは彼のことはさっぱり覚えていなかった。しかしトゥリンバウ卿は覚えていた。なにせ、騎馬軍のいないノルド王国の軍の中でセドの騎馬隊は目立つ。しかしそのときには何も会話はなかった。ただ槍と斧とをぶつけ合わせただけだった。

独立軍を立ち上げ、ロドックに鞍替えしてからも会話というものはまったくなかった。ただ、同じ軍に揃うだけだった。だがトゥリンバウ卿はセドのことを気にかけていた。
「それだけです」
なぜ告白してきたのか、そう問われて、彼は短く答えた。

告白に対する返事は任務が終わったら、とそう告げて、セドはカーギット・ハン国の首都までやってきていたのだ。

明け方、セドは行動を開始した。修道士の格好をして、イクマールまで歩く。
「ありがと」とセドは門の手前で、付き添ってくれたクレティに振り返って言う。「ここまでで良いよ」
前回と同じく、街に潜入して囚われの人質を解放するのは単独作戦だ。
「大丈夫?」とクレティが珍しく心配そうな顔で言った。
「だいじょぶ」
自棄になってない?」
「自棄に?」
「うん。自棄になってる」じゃなきゃ、傭兵でもないのにこんな任務に志願しないでしょ。クレティはそう言った。

好きだと、結婚してくれと、そう男性から請われたというのに何処に自棄になる理由があるのかと、セドは当初そう思っていたが、なるほど、言われてみれば自棄になっているのかもしれない。セドは牢へと向かいながらそんなことを思った。
何が厭なのか、言ってしまえば女だと見下されたことが厭なのだ。結婚してくれとは、つまりそういうことではないか。
セドは馬に乗りたくて、隊商についてきた。隊商が壊滅して、傭兵として生計を立てるようになった。さらに安定した生活を求めて、仕官した。しかし結局のところ、女は女だ。馬に乗って戦場を駆けるのが仕事というわけではない。家で薪に火をつけているのが仕事ということだ。それを気付かされた。

「おぉ、セド卿だな。そなたがトゥルグ卿の軍を撃破したとはこちらまで聞こえてきておる。お祝いの言葉を言わせてくれ」
門番を棒で倒して鍵を奪い、牢の中のガールマール卿と対面する。彼は開口一番、そんな冗談を飛ばした。
一見元気そうだが、腕も足も痩せ衰えていた。おそらくこの2週間、碌な食事も取ることができなかったのであろう。彼は戦力にならなさそうだ。セドは彼に、できるだけ離れてついてくるように告げ、牢を出た。

牢を出て、しばらく裏道を歩く。商人に扮したレザリットに、予め武器や防具を隠しておくよう手配してもらってあった。彼はこの作戦に強く反対していたが、最後は折れてくれた。斧と鎧、盾を身につける。これで10人でも相手をできる気概が湧いてくる。
盾を腕に装着したのと、矢が飛んできたのはほぼ同時だった。角度からして、盾では防げない。セドは矢を斧で叩き落した。衛兵に見つかったらしい。

ガールマール卿を急き立てて、イクマールの門へと向かう。
武装をしていない彼を先に逃がし、セドは追っ手を確認するために振り返る。その足に矢が刺さった。
踏ん張って堪える、その足にさらに矢が刺さった。倒れる。

手を地面について立ち上がる。斧と盾を構える。
やはり結婚なんて自分には似合わないな、とセドはそう思った。




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