■神聖帝国シェイクと魔道大国アルケン■

 時間がなかったのです。

 シェイクとアルケンは連合軍を結成するやいなや、カイデロンへと進軍を開始しました。
 その進軍の様はといえば、急ごしらえの連合軍とは思えぬ程の勇ましさでした
 実際のところ、時間が無かったとはいっても、シェイクはこの10年間、すぐにでも戦争を起こせるほど軍を鍛えていましたし、アルケンは多くの従軍魔術師や溶岩術師たちが、法に抵触せずに、生きている人間に魔法を使用し、キメラを用いることのできるこの機会を待ち望んでいたのです。


 ただ一度として敗北なく進撃するシェイク・アルケン連合軍の士気が高いのは当然でした。
 しかしまともな戦闘が一度もなかったという事実が僅かな不安を感じさせました。


 従軍しているほとんどの者は、自分たちが強いと考えるより、10年前の悪夢を思い出し、不安な勝利を感じるだけでした。
 指揮官が統制しようとはしたものの、根拠がない噂が徐々に広がり始めました。
 やがて兵士たちは、この一方的な戦争がなぜ始まったのか、ということに対してまで疑問を持つようになりました。

 末端の兵士たちよりも、さらに大きな不安が戦場の指揮官には伸し掛かっていました。
 カイデロンの悪魔たちは、オベリスクの抑圧がなければ、まともに指揮を取ることはできないはずです。


 それなのに、恐怖という感情を知らぬはずの悪魔が連合軍に怖気づき、ひたすらに後退だけを繰り返したのはあまりにも不自然で、明らかに何者かの命令によって、悪魔が組織的に後退をしているということは誰の目にも明らかでした。
「カイデロンの誘引計略は明らかでしょ。進軍を止めるべきよ」
 破竹の勢いの連合軍の進軍を止めることを提案したことは、メリナでした。


 彼女は、最終目標であるカイデロンの首都、ハネスに辿りつくためには必ず経由しなければならない都市、カサディンに注目していました。
「カイデロン以外のユニオンが力を合わせた前戦争でも、カサディンを突破することはできなかった。それを忘れたの?
 今は一先ず様子を伺い、兵士を休めるべきよ。ここまでは軍議のときより順調に進軍できているんだから」
 順調に進軍できているというのは嘘ではありませんでした。ほとんど抵抗を受けないうえに、占領した所もほとんど防衛のための兵を置かず、進軍だけを行ってきたのですから、当然といえば当然です。

 この点について、しかしアルケンの指揮官と兵士たちは同じ疑問を感じていました。
 占領を行わないこの急いた戦争の目的は、いったいなんなのか?
 解決できない疑問に不安な心が湧くのも当然のことです。

 初めから自身が願って出兵したわけではなく、ピエトロを始めとした議会の決定に押されるように司令官職をひきうけて軍を導いたメリナは、この戦争の本当に目的を知らされていませんでした。
 しかも、ピエトロを監視するために首都とラプリタに残しておいたスパイとの連絡も取れなくなったため、不安は積み重なっていたのです。

アイリンさま、報告があります。セノトからの伝令です!」
 息を切らせて入ってきた四番目の羽が報告した内容は、指揮官たちのテントの空気をさらに冷たく重くするのに十分でした。
 その知らせは、エスファイアがシェイクの平和使節団を撥ね除け、不可侵条約を断ったというものでした。


 テント中にいた誰もが、それが事実上の戦争宣言であることを理解していました。
 連合軍がカイデロンの奥深くにまで進軍しているこの状況で、エスファイアがシェイクに進軍したならば……。
(この最悪の状況がアイリンに予想できなかったはずがない)
 メリナはそう思いました。
 ならこの戦争には、シェイクを担保としなければならないほどの理由があるということになります。

「兵を休ませる必要はありません。進軍を続けます」
 一切の説明もないアイリンの決定に対し、激しい反論がされたのは当然でした。
 今まで無敗で来ており、士気が高いのだから、カイデロンの準備が十分に整っていないうちにカサディンを攻略すべしという司令官の決定には、シェイクの指揮官まで反発するほどでした。

「シェイクにいる家族はどうなる?」
 そんな声も上がりましたが、「シェイクはすでに十分な防御体勢が整っています」というアイリンの話に反論できる者は誰もいませんでした。
 最小限の兵だけを残して来た連合軍です。民兵隊とともに、動員できる限りの兵を集めるでしょうが、それでもエスファイアの烈火の如き攻撃には長く持ちこたえることはできないでしょう。

 結局、この会議で皆が知るようになりました。
 このハネス攻略には、シェイクの国運それ以上の何かが関わっていると。
 連合軍の高い士気と相反し、不安が徐々に首を擡げてきました。

■自由連邦シエリオン■

 住民会議は決裂しました。
 シエナの呼び声で集まった各代表は、ついに意見の合致をさせることができないまま、感情の溝だけを深くしたのです。

 エルフであるセルヤ、ドルイドのミュラ、そしてトカゲの君主らは、時既に遅しとなる前に参戦して、大陸の勢力図が書き換わるのを防がねばならないという立場でしたが、ドライアドを始めとした保守派やノームなどは、シェイクとアルケンが先に戦争を起こしたのだから、彼らを助ける必要はないし、戦争はすべきではないという主張を続けました。ライカンスロープとその他の住民たちのように、中立路線を唱えた者もいました。

 住民会議がで決裂した以上、セルヤはセルヤの補佐官や自身に従うエルフだけでも集め、参戦することを決断しました。自身が後で受けるであろう問責などには、目を瞑って。


 彼女がその決断を為したのには理由があります。
 大陸の均衡というシエリオンの大義のために犠牲にされたトルステン一世の死を黙認した自身の決断を、正しかったと信じたかったのです。
 彼の死が間違いではなかったと信じるために、自分の目が曇らぬ間は大陸の均衡が崩れぬように防ぎたかったのです
 そうでなければ、彼の死を見届けたのは間違いではなかったと納得できなかったのです。

 そんなにふうに、ミュラと共にひそかに兵士を集めていたセルヤの前に、予想外の人物が接近しました。
 バテュー・カヤ
 森を追放されたはずの2次戦争の英雄です。


 一切の代価なしに共に戦うと述べた、このかつての英雄の真意がわからず、戸惑っていたセルやに対し、バテューはただ一言、「アニルに頼まれた」と告げました。

 この一言に込められている意味は、しかしただ一つではありません。
 古代エルフ長老のひとりであるアニルが長い眠りから覚めたこと。
 そのアニルがこのバテューに直接要請をしたという事実。
 そして、シエリオンの表舞台に己から出るわけにはいかないバテューという、巨木のように偉大な存在が、アニルの頼みでセルヤに協力してくれること。これはアニルがシエリオンの代表として、セルヤを影から支持してくれるという意味になります。

 非公式とはいえ、セルヤとミュラは古代エルフ長老の支援を受けることができることになりました。
 結果がどうなるかはわからないとはいえ、バテューの存在はセルヤたちにとって明らかにメリットになります。
 光の波が南へ向かって氾濫する中で、森の葦が静かに壁になり始めました。

 いよいよ大陸の運命を変える火蓋が切って落とされようとしていました。

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