4-059C 《伝承の紫炎》
それは禁断の炎だ……積み重ねられた時と受け継がれてきた知恵そのものが、燃え上がって敵を焼き滅ぼすのだから。


 強い敵意と魔力を察知したためか、バストリア王都を殆ど覆い尽くさんばかりに広がった《疫魔の獣 イルルガングエ》が、それまでとは打って変わった速度で触手を伸ばしてきた。
 ウーディスは、腹を貫かれて風穴を空けられると同時に、《疫魔の獣 イルルガングエ》を殺すためにウーディスが身に付けた、もうひとつの禁呪である《伝承の紫炎》を発動させた。
 
 王都の東西南北に打ち込まれた楔が紫色に輝き、空まで覆い尽くす紫炎に囲まれる。紫炎は一度発動してしまえば、術者が解除するか対象を焼き尽くすまで消えない。
 代償として、術者の寿命をも同時に焼いていくのだが、その程度なら軽いものだ。なにせウーディスは、もう何度も死んでいる。

(一回死んだか………!)
 腹に空いた風穴は、まるで時間を逆戻しにするかのように塞がっていく。
 ウーディスは一度殺しただけでは、死なない。なぜならば、複数の命を蓄えているからだ。

 ウーディスがこの世界のアロンドを手にかけた理由はふたつあった。

 ひとつはプレインズウォークによって次元を渡ってきたウーディスにとって、元を同じくするアロンドの存在がウーディスの存在を不安定にしかねなかったため
 この世界、アトランティカはクロノグリフに記載された多次元宇宙のうちのひとつだ。だが、「アトランティカ」というページはクロノグリフの記述の中で唯一ではないのだ。隣に記載されている世界にも「アトランティカ」という世界は存在する。
 同一ではないがゆえ、隣のアトランティカとこのアトランティカは、僅かに異なる。だが多くの部分で共通している部分があるため、隣接世界から同一存在がやってきた場合、クロノグリフの記述に混乱が起き、最終的には対消滅を起こす
 それを避けるため、ウーディスは渡り歩く世界では常にアロンドを殺して来た。

 もうひとつの理由は、命を蓄えるためだ。
 同一存在の魂の一部を吸収し、己が物にする。それは次元を渡る過程で身に付いた新たな能力だった。邪魔な同一存在であるアロンドを殺すついでに、命を吸う。力を蓄える。ただひたすら、災害獣を殺すため。蓄積した命が擦り切れるまで、ウーディスは死なない。戦う意志がある限り。
 そしてそれは、《疫魔の獣 イルルガングエ》にしてもある意味では同じだ。

 《疫魔の獣 イルルガングエ》は群体であり、約60兆個体の《疫魔の眷属》によって構成されている。
 ゆえに細胞ひとつひとつは脆弱であり、殺すのは容易だ。
 だが細胞は《疫魔の眷属》なのだ。殺せば疫魔の魔力によって取り憑かれ、殺される。そして《疫魔の眷属》になってしまい、新たな細胞を得た《疫魔の獣 イルルガングエ》は元通り、というわけだ。
 構成要素のひとつひとつが《疫魔の眷属》であり、個々の《疫魔の眷属》に対するのと同じ自殺を促す戦術では時間がかかりすぎる。

 ではどのように対処すればよいか?

 再度の触手による攻撃によって切断された右腕が、そのまま剣を握ったまま宙を飛び、《疫魔の獣 イルルガングエ》の身体を切断する。
 切断することで、《疫魔の獣 イルルガングエ》の表面積が大きくなり、《伝承の紫炎》に焼かれる部分が大きくなる。

「おまえの細胞とこちらの命、どちらが先に尽きるか試してみるか」

 簡単なことだ。
 こちらの命が尽きるまえに、《疫魔の獣 イルルガングエ》の60兆個の細胞を一片残らず焼き尽くせばよい。
 《疫魔の獣 イルルガングエ》の身体を双剣が切り裂く。表面を炙るのでは、《伝承の紫炎》でさえ時間がかかりすぎる。それでは先にウーディスの命が尽きてしまう。
 だから、ただひたすらに、切り裂く。同時に自分の魂が燃えようとも、それだけでは死なない。まだ死なない。死なない間に、より効率よく。より速く。迅速に。機械のように。イルルガングエ、おまえを殺す。



 数時間前まで夜と疫魔の黒に覆われていたバストリアの王都は、いまや血と灰の色に染まっていた。
 朝焼けの光を受けながら、ウーディスは剣の鞘を杖代わりに、死者の燃え滓が転がる灰塗れの王都を歩いた。

 もはや命は殆ど残されていなかった。
「だが、生きている」
 そしてそれは、《疫魔の獣 イルルガングエ》にしても同じだ。
 ウーディスはイルルガングエの細胞の9割以上を焼き尽くすことに成功した。だが最後の最後で時空の歪みが生じ、そこから逃げられてしまった。
 とはいえ、あのまま戦っていたらどちらの寿命が先に尽きてたかはわからない。負けていたのは、ウーディスだったかもしれない。
 ウーディスは最後の力で、イルルガングエにマーカーを撃ち込むことに成功していた。イルルガングエの時空座標を常に取得し続け、干渉するマーカーだ。ウーディスはそのマーカーを用い、このアトランティカの座標を常に排除するように操作した。これで《疫魔の獣 イルルガングエ》は、この世界には二度と現れない。

 勝てなかった。だが負けなかった。痛み分けのようなものだ。
 魂は擦り切れ、命はもうひとつきり。だがまだ生きている。
 生きている。生きているのならば、まだ人生は続く。フィルメリアとも結婚できるかもしれない。

 ようやく見張り塔に辿り着いたウーディスは、己の住処の扉を開けた。階段を上がるのが億劫だった。
 結界を解除し、扉を開ける。寝台の上に、膝を抱えて不安そうに座るフィルメリアの姿が見えた。
「《疫魔の獣 イルルガングエ》は撃退しました。殺し尽くせたわけではありませんが、もう二度とあれがこの次元に現れることはないでしょう」
 フィルメリアさま、もう安心です。そう言い切るまえに、フィルメリアがウーディスの胸に飛び込んで来た。
 彼女は手に、小剣にも似た注射器を持っていた。

 注射器の針がイルルガングエとの戦闘で破壊された鎧の隙間を貫き、中に篭められた薬液が体内に挿入されたときはまだ、ウーディスは己の身に起きている事態について、さっぱり検討がつかなかった。
 視線を落としてフィルメリアの顔を見たとき、彼女の瞳から流れる涙を見て、あらゆる事態を悟った。彼女がウーディスとアロンドの間にあった出来事を知ったのだということを。

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