決戦前夜/時代3/Turn8 《女帝の呪雷》
4-114U 《女帝の呪雷》 |
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その闇色の雷は、世界の哀しみと魂の孤独を凝縮してできている。 |
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フィルメリアは律儀にも、「一眠りでもしていて待っていてください」というウーディスの言葉を実行しようとした。
つまりは彼女は眠ろうとしたのだが、少し考え込んでしまった。寝るまえには、いつも注射をすることになっている。フィルメリアの身体にかけられた呪いを緩和するための注射だ。
今回の眠りは、ただ時間を経過させるためのもので、いつもの眠りとは違う。だから寝ている間に時間のずれが起きていたとしても問題無いわけだが、フィルメリアは無意識に注射のことを思い浮かべていた。寝る前に、いつもアロンドが打ってくれた注射を。
視線を向けた先は、本棚の陰だった。小剣のような物体が見えた。拾い上げたフィルメリアには、それが注射器であり、それが己の主治医であるアロンドのものだということを悟った。
と同時に、彼女にはその針先を己の腕に突き立て、引き金を引いていた。この部屋はアロンドではなくウーディスの部屋で、でなくても床に落ちていたものである。常ならば、注射器の薬剤の中身がいつも使っているものと同一であるという確信があったとしても、己に注射したりはしなかっただろう。
だからそうさせたのは、アロンドが今際の際に込めた一種の魔法だったのかもしれない。
フィルメリアは眠った。
そして夢を見た。アロンドがウーディスに殺される夢だった。大きな剣で切られて、ゴミのように《闇の魔穴》に捨てられる夢だった。
「フィー。きみはきっと、これを夢だと思うだろう。でももしわたしのことを信じてくれるのなら、どうかウーディスのもとから逃げてくれ」
アロンドの声が聞こえて、消えた。
目を覚めてからも、夢の中のアロンドの声は消えなかった。
こつりこつりと何者かが階段を昇ってくる音が聞こえ、ドアが揺れ、そして開いて漆黒の鎧が現れたとき、フィルメリアは反射的に小剣を握っていた。
注射されたのは、注射器に残っていた僅かな量の薬剤だ。
それがいつもフィーに使っているものであれば、注入された対象の時間を加速する時空魔術が詰まっていたことになる。寝ているだけならともかく、覚醒状態で身体機能だけを加速させた場合、認識と身体のずれが生じ、まともに動けなくなる。
ウーディスは動けなくなった。
しかし中身がその薬剤でなくても、ウーディスは動けなくなっていただろう。アロンドを殺したということが発覚してしまったことが、ウーディスには大きな衝撃だった。これまでの次元では、アロンドよりまえにフィルメリアが死んでいたのだ。こんなこと、初めてだった。
仰向けに倒れたウーディスの身体に、ぽたぽたと温かい水が落ちてきた。
「アル……、アル、ごめんなさい………」
注射器を握りしめて、フィルメリアが泣いていた。ウーディスはとても愉快な気持ちになった。
「あの医師のことが好きだったのですか?」
歪んだ時間の中、必死に喉を絞ってウーディスは言葉を発する。それだけの価値がある問いだった。
「当たり前です」フィーは美しい顔をくしゃくしゃに歪めて泣きながら、言葉を返す。
「愛していましたか?」
「そうです」
「自分との結婚は断るつもりだったのですか?」
「そうです」
「あの男はあなたにとって……」
「誰よりも大事な人でした」
そして踵を返し、見張り塔の部屋を出て行く。人を呼びに行ったのだろう。
ひとりきりになったところで、ウーディスは拳を突き上げた。
フィーは、アロンドを愛していた。愛してくれていたのだ。
だから。
(ぼくの勝ちだ)
そんなふうに笑ってみたところで、虚しいだけだった。
ウーディスの世界では、フィルメリアが死んだ。
《疫魔の獣 イルルガングエ》の呪力に冒され、《疫魔の眷属》と成り果てた。
《黒の宝樹》を喰らい尽くして満足したイルルガングエが隣の次元へと移ったのち、生き残ったウーディスは、眷属から身を守る術とプレインズウォークの禁呪、そして眷属を元通りにする方法を研究した。
最終的にどうしようもなくなり、眷属となった彼女を殺したのはウーディスだった。
フィルメリアが死んだあとも、ウーディスは戦い続けた。もはや戦う理由は、《疫魔の獣 イルルガングエ》を殺すことだけになった。イルルガングエを追い、己を殺し、吸収し、そしてまた次元を渡った。渡り続けた。
渡る世界渡る世界では、いつもフィルメリアは死んでいた。病が侵攻して命を落とすことあり、《疫魔の眷属》に侵されることあり、ときにはバストリアの革命で死んでいることもあった。
この世界に来て初めて、ウーディスは生きているフィルメリアと出会った。そこで欲が出た。またフィルメリアの隣に居られるのではと思った。
「だが、違ったんだな」
この次元はウーディスの世界ではない。ウーディスのフィーは死んだ。フィーが愛していたのはアロンドで、ウーディスが捨てた存在だ。
(早くこの場を離れなくては)
すぐにフィーが兵士を連れてやってくるだろう。王宮医師を殺した裏切り者を捕えるために。捕えられるのは構わない。だが、彼らは「兜は脱がさないでくれ」などという嘆願は聞いてはくれないだろう。ウーディスの正体を明らかにされるわけにはいかないのだ。ただの暗殺者でなくてはいけない。
最後に残った力で次元の破断を作り、そこにほとんど這いずるようにして飛び込む。
破断の先は、王城の真ん前の広場であった。
今度こそ、力を使い果たした。あとは死ぬだけだ。一時間と持たないだろう。
あとやるべきことはひとつだけ。
それにはウーディスだけではなく、協力者の存在が必要だ。そしてちょうどその協力者がやってきたところだった。
破断の先は、王城の真ん前の広場であった。
今度こそ、力を使い果たした。あとは死ぬだけだ。一時間と持たないだろう。
あとやるべきことはひとつだけ。
それにはウーディスだけではなく、協力者の存在が必要だ。そしてちょうどその協力者がやってきたところだった。
ひとりは顔の隠れるフードを被った線の細い男。表情は見えないが、警戒する様子は感じ取れた。
もうひとりは、銀髪のダークエルフ。
「ベルスネ、か………」
「わたしを呼び出したのはおまえか」と《傭兵女帝 ベルスネ》が用心する様子も見せずに近づいてくる。「ウーディスとかいう英雄らしいが、おまえの正体はなんだ。おまえの名前は伝わってはいるが、わたしとは面識は無いはずだ。なのに一方的に呼び出されたんだ。理由を教えてもらおうか。イルルガングエに関係があるのではあるまいな?」
「もう……、あまり時間が無いから簡潔に伝える。《疫魔の獣 イルルガングエ》は自分が撃退した。完全に倒したわけではないが、もうこの世界には現れない。
あなたを呼び出したのは、頼みたいことがあって、あなたがいちばん魔力が強くて信頼できそうだったからだ」
「イルルガングエを倒した、だ?
情けなく倒れているくせに、勝手なことを言うな。だいたい、お願いすることがあるなら兜くらい脱いだらどうだ」
と言うや、止める暇も無く、ベルスネは勝手に兜に手をかける。
容易には脱げないようにできているはずの兜のはずが、ベルスネには殆ど無力だった。
「存外に可愛らしい顔をしているな」
ウーディスの素顔を見たベルスネは、にやりと愉悦を含んだ笑いを漏らす。
昨今は食事を必要とせず、発汗などの生理機能は失われてしまったため、鎧を脱ぐ機会が本当に減った。鏡を見る機会も。
とはいえ可愛らしいといわれるような顔をしているつもりはないのだが、相手はダークエルフの女王だ。彼女の年齢からすれば、適当な発言なのかもしれない。
「用件を伝える」と気を取り直し、ウーディスは寝転んだまま手を差し出す。「自分の知識をあなたに伝えたい。具体的にはフィルメリア姫の呪病の治療法と、《疫魔の眷属》になりかけている者を治す方法だ」
「この手はなんだ」
「握れば知識を伝えられる」
「成る程」
「おい、ベルスネ!」
彼女に付き添っていたフードの男が制止するように叫んだが、ベルスネはウーディスの傍らに座り、手を握った。あっさりとベルスネが信用してくれたので、ウーディスは驚いた。
「何を驚いている。早く伝えろ」
「いや……、あんまりにも簡単に手を握ったから……。騙されるかも、とか思わなかったのか?」
「おまえ、2、30年ほどまえに時空魔術師と旅をしていた小僧だろう。確かそのときはあの魔術師のほうがウーディスという名前だったはずだが……。おまえはアルとかいったか。だいぶ変わったな」
その通りだ。
そもそもウーディスが知識を伝える対象として彼女を選んだのは、彼女の魔力が膨大であるという理由もあったが、もっと単純に、彼女に会ったことがあるから、という理由からだった。
ベルスネは2、30年まえと言ったが、ウーディスにとっては気が遠くなるような過去の話だ。時空魔術師である師とともにアトランティカ中を旅していた頃で、ベルシ森で野生動物に襲われていたウーディスを助けてくれたのが彼女だった。彼女とは僅かな期間だけ、一緒に旅をした。
アルと呼ばれたのは、兜を脱ぐ以上に久しぶりだった。次元を渡り歩くようになってから、アロンドという名は捨てたのだ。ウーディスになったのだ。
なのに次元を幾つも渡った先にいるこの女性は、アルの名を覚えていてくれた。
「あなたは……、変わらない」
「そうか? 綺麗になったとよく言われるぞ。まえから美人だと言われてもいたんだがな」
とベルスネは空いているほうの手を頬に当てて、不思議そうな顔をする。
ウーディスは苦笑しながら、知識を伝えた。自分の知る、あらゆる知識を。
伝達は一瞬。稲妻のように駆け抜けた。
それが済むとベルスネは細い両腕でウーディスの上体を起こさせると、ぎゅうと抱きしめた。
「おやすみ、アル」
紫色の炎が燃え上がり、ウーディスの身体と魂は闇に溶けた。
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