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《ツクヨミ》

 月読(ツクヨミ)は天地開闢において産まれた神、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の間に産まれた子のうちのひとりである。火の神、軻遇突智(カグツチ)を産んだときの女陰の火傷が原因で死んだ妻イザナミを冥界へ迎えに行ったものの、連れ戻すことに失敗したイザナギが冥界から戻ったあとで禊をした際、右目から誕生したとされている。
 ちなみに兄もしくは姉である天照(アマテラス)は左目から生まれ、弟の素戔嗚(スサノオ)は鼻から誕生した。

《月夜神 ツクヨミ》
闇を恐れるのならば、 わらわが側におろう。 月明かりのもとで、迷うことなどありはせぬ。

 姉/兄であるアマテラスがアマテラスが高天原を治め太陽を象徴するのに対し、ツクヨミは月を象徴する神である。月は太陽を受けて輝く存在であり、太陽に比べれば出番が薄い。特に古事記では「月齢を数える神として太陰暦に結びつく」以上の記述はない。
 その出番の薄さに対応するように、昨今は地形生成のほうが人気があるので脅威も薄く、ついでに胸囲も薄い。ゆえに影も薄い――であればDxMの隠密もその結果なのかもしれない。

 しかしながら、古来より月はその引力と潮の満ち干きによって海や水を象徴し、さらに生命をも象徴する重要な要素であった。これは月の満ち欠けを生死に関連させていたためである。

《大国主の神米》
男はたちまちネズミの姿になった。そんな男を、皮目当てに捕獲された猫たちが見つめていた。
――民話「猫泥棒と神米」より

 ツクヨミの神徳(恩寵)として、家内安全や海上安全のほか、五穀豊穣もある。これはツクヨミの数少ない出番である五穀誕生に起源を持つ。
 アマテラスの使いとして、保食(ウケモチ)という神をツクヨミが訪ねたときのことである。ウケモチが客をもてなすために口から食材を吐き出すのを見たツクヨミは、その汚らわしさに嫌悪して彼女を斬り殺してしまう。
 そのウケモチの死体からは五穀(*1)が発生し、人々の食物になったが、この事件に腹を立てたアマテラスはツクヨミとの関係を断絶してしまい、二度と会わなくなってしまった。

 こうして昼と夜が生まれたのである。


*1) 米、麦、粟、豆、黍または稗。





 素戔嗚(スサノオ)はアマテラスやツクヨミのきょうだいであり、始祖の神イザナギとイザナミの3人の子のひとりである。

 スサノオの「スサ」は「荒む」と同源で、「スサビ」からなるが、この語は「進び」や「遊び」とも書く。「荒む」だと「荒れる、風雨が時折降る、湧いてくる勢いに任せたままにする、慰み興ずる、破れかぶれとなる、勢いがつきてやむ」などの意味となる。

 父であるイザナギによって下界の海原の統治を任されたスサノオであったが、死んだ母イザナミに会いたいと泣いて働かない(*2)乱暴者であったため、父と縁を切られ、兄/姉のアマテラスのもとへ赴くが、謀反を疑われ、アマテラスには武装されて出迎えられる。


*2) 日本最古のマザコンニート。


 誓約(*3)によって身の潔白を証明すると、神々の地高天原(たかまがはら)に滞在を許されるものの、高天原の田んぼを荒らし、神殿に糞をまき散らかした。


*3) うけい。神事的な占い。


「まだ若い弟が仕出かしたこと」とアマテラスはそれらの行為を許しはしたが、スサノオの悪戯でアマテラスに仕える機織り娘のひとりが死ぬと、ついに堪忍袋の尾が切れて天の岩屋に閉じこもってしまう。太陽を象徴するアマテラスが姿を消してしまったことで、世界は闇に包まれた――この後、どのようにして世界が太陽を取り戻すかはアメノウズメの項で述べる。

 ともかくとして、このような行いはアマテラスのみならず八百万の神々を怒らせ、ついには高天原からも追放されてしまった。

《暴風神 スサノオ》
斬られたい奴ァ、前に出ろ! 斬られたくなけりゃ、とっとと失せろ! 煽りを食らっても知ンねェぞ!

 高天原を追放されたあとのスサノオの足取りのひとつに、先に述べたツクヨミとウケモチの五穀誕生の神話に似たエピソードがある(*4)。


*4) このあたりの内容はDxM Now投稿デッキ、→話は聞かせてもらったイズモでも書いている。


 神々の地、高天原を追放されて地上へ落とされたスサノオは腹を空かせていたが、大宜津比売(オオゲツヒメ)の元へと迎えられる。しかし彼女は鼻や口、尻から食べ物を出して調理をしたため「汚物を食わせるつもりか」とスサノオは激怒し、彼女を斬り殺してしまった。
 その後、ウケモチの場合と同様に彼女の死体からは五穀(と蚕)が生まれた。頭から蚕、目からは稲の種、耳から粟、鼻から小豆、女陰には麦、尻には大豆がなった。これらを見つけた万物の生成に携わる神産巣日神(カムムスヒノカミ)が五穀の種と養蚕を作り出したのだという。

 その後、出雲に降り立ったスサノオは足名椎(アシナズチ)という男が嘆いている現場に出会う。彼が言うには、彼にはもともと8人の娘がいたが、高志(北陸地方)からやって来た化け物が毎年毎年娘を一人ずつ食ってしまうようになったのだという。

 その体躯、ひとつきりの胴体に8つの頭と8つの尾。
 その長さ、ひとつきりの身体で8つの谷と8つの峰。
 その名、《八頭蛇 ヤマタノオロチ》。

《八頭蛇 ヤマタノオロチ》
蛇っころ風情が、頭数ばかり揃えやがったな! 半分は焚き火用に残してやらァ。残りの半分は蒲焼きにすンぜ!

 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は日本神話に登場する、八頭八尾の怪物である。

 スサノオはこの怪物退治を請け負ったが、その報酬として足名椎の最後の娘、櫛灘姫(クシナダヒメ)を妻として娶ることを要求した。彼女は稲田の神であり、それを喰おうとするヤマタノオロチは水害を象徴していると考えられる。
 ヤマタノオロチ退治のため、スサノオは高いアルコール度数の酒を用意させて酒樽を満たし、夜を待った。まんまとやって来たヤマタノオロチが濃い酒を呑み、泥酔したところでスサノオはこれを殺傷した。

 その後、スサノオがヤマタノオロチの尾を捌いていると、剣が何か硬い物に当たり、刃先が欠けてしまった。
 見つかったのはいかにも強靭かつ神聖に見える剣で、明らかに霊的なものがあると感じたスサノオはその剣を高天原のアマテラスに献上した。この剣こそが、草薙の剣――すなわち三種の神器のひとつである天叢雲剣である。

《大国主の大ネズミ》
大ネズミを自ら放ち、退治用にと老猫を売りつける行商人に注意されたし。
――町に貼られた触書

 大国主(オオクニヌシ)はスサノオの血縁である(*5)。


*5) ただし古事記と日本書紀では関係性が少し違う。また、出雲風土記ではスサノオとの血縁関係は特に書かれていない。


 天津神の主神がアマテラスなのに対し、オオクニヌシは土着神=国津神の主神である。前述のスセリビメのほか、八上比売(ヤガミヒメ)など複数の妻がおり、子は百八十一いると書かれるほど子沢山である。
 葦原醜男という異名を持つが、醜男とは「強くてたくましい男」の意味とされる。

 彼にはもともと80の兄弟がいたが、兄弟たちからは疎まれてスサノオの領地である根の堅洲国(*6)へと逃げ込む。


*6) 黄泉の国の暗示であるともされ、母に会うという幼い頃の念願が叶ったスサノオは死後の世界の王になっていたともいわれる。


 オオクニヌシを迎え入れたスサノオであったが、彼は単純に歓待したわけではなかった。オオクニヌシは蛇や百足、蜂だらけの部屋に寝泊りを強制された。だがオオクニヌシはスセリビメの協力を得て、危険な部屋の中で安全に寝過ごす。
 あるいはこれは、オオクニヌシが娘の夫として相応しいかどうかを見極めるための試練だったのかもしれない(*7)。


*7) オオクニヌシがスサノオの息子ならスセリビメとの婚姻は(異母)兄妹婚となるが、神話では兄妹・姉弟婚は珍しくはない。


 あまりにオオクニヌシがぴんぴんとしているので、スサノオは 最後には鏑矢を広野の中に撃ちこんだあとに拾わせにいき、その後に火で焼き囲んだ。
 絶体絶命の状況であったが、そのとき突如として鼠が現れる。その鼠が「内は豊良豊良、外は須夫須夫(*8)」と言い、近くに大きな穴があることを示唆した。鼠の言う穴を探すために地面を強く踏みつけると、その通りの広い穴が現れ、その中に隠れることでオオクニヌシは炎を逃れることができた。


*8) 中は広い空洞になっているが、外側は窄まっていて狭くなっているところがある、という意味。


 そうして火が収まったころ、鼠はスサノオが探せと言っていた鏑矢を咥えて持ってきた――ただし羽はその鼠の子たちがすべて齧ってしまっていたが。
 その後、オオクニヌシはスサノオを騙してスセリビメと駆け落ちし、最後にはスサノオに結婚を認めさせ、太刀と弓の使い方を学んだ。

 ゆえにオオクニヌシと鼠の関係は深く、現在では鼠は大国主の使いとされている。 



《アメノウズメ》

 天鈿女(アメノウズメ)は芸能を司り女神である。ウズとは神事に髪に挿す花や葉を指す。

 アメノウズメはまた天乃於須女(アメノオズメ)とも書き、このオズはオズシ=強情が元である。そのエピソードを示すものに海鼠との物語がある。
 アメノウズメが海の魚たちを集めて「天津神の御子(*9)に仕えるか」と尋ねたとき、海鼠だけが返事をしなかった。それに怒ったアメノウズメは、小刀でその口を裂いてしまった――ゆえに現在でも海鼠の口は裂けているとされている。


*9) アマテラスの孫である邇邇芸(ニニギ)のこと。


 室町時代の能の第一人者である世阿弥によれば、能の原点は彼女であったという。
 現代にも演目が残る能の「ウズメ」はアメノウズメの舞だが、作者不詳。祭りの余興のようなものから生まれたとされる。

《舞踊神 アメノウズメ》
束の間戦いは忘れて、私と共に踊りましょう! 踊り笑えば闇も晴れ、光が再び射しましょう!

 アメノウズメに関する最も有名なエピソードは、アマテラスの天岩戸隠れであろう。
 先にスサノオの項で書いたように、弟の乱暴さに嫌気がさしたアマテラスは深い洞窟の中に隠れてしまった。太陽神であるアマテラスがいなくなると、世界は闇に包まれ、国中で災いが起きるようになってしまった。

 神々はどうにかしてアマテラスを外に出そうとするが、アマテラスは深く閉じこもってしまったうえ、洞窟の前に置かれた岩は簡単には退けられない。
 そこで神々は一計を案じ、洞窟の前で宴会を開くことにした。宴会の只中、アメノウズメは踊りを披露する――ただの踊りではない。このブログが設定の「アダルトコンテンツですか?」の質問に「いいえ」と答えているがために書けないほど筆舌に難く非常にいやらしい踊りである。具体的には天の香山の真坂樹を髪にまとい、天の香山の日葛(ひかげ)を襷としてかけ、天の香山の笹の葉を手草とし、手に鈴をつけた矛を持ち、庭火を焚いて巧みに踊ったという。DxMのアメノウズメの恰好は、これらを描いているものと思われる(*10)。


*10) ATKを1にするのは、ちょっとえっちすぎて戦える状況じゃないですトイレ行ってきていいですかという意味なのかもしれない。


 桶を伏せて踏み鳴らし、神がかりの如く声を出し、それだけではなく「胸乳を描き出でだして」「裳の紐を陰部まで押し下げて」踊り狂ったという。簡単にいえばぎりぎりモザイクである。

 アマテラスもお若い、乳丸出しの美女が踊っているのがわかればチラ見したくなるのが人情である。サンプル範囲内でもわりといけるかもしれない。早いからな。興味を示したアマテラスが僅かに岩戸を岩戸を開いたとき、今が機会と天手力男(アメノタヂカラオ)が岩戸を無理矢理に開き、ついにはアマテラスを外に出すことに成功した。こうして世界には太陽が戻ったのだ。

 ここから日本神話で言いたいことがはっきりとわかると思う。
 そう、エロは世界を救う。

《サルタヒコの扶助》
「今朝港に来たらあったんだ!」「おお、これぞ天の恵みだな!」「さっそくこいつで酒盛りだ!」
途端、荷は煙となった。

 アメノウズメに縁深い神に、猿田彦(サルタヒコ)がいる。

 アマテラスが高天原から葦原の中つ国への降臨を決意したときのことである。アマテラスは自身ではなく、孫のニニギを遣わそうとした。
 しかし実際に中つ国に向けて出発してみると、「天の八衢(やちまた)」と呼ばれるいく筋にも分かたれた道の辻で、奇妙に道を照らしている神がいた。
 ここでニニギはアメノウズメに、その光を発する神の正体を探らせた。おそらく色仕掛けとしてであろう、乳を露わにさせて(*11)。


*11) まーたウズメちゃんが乳出してる。


 その光を発する人物の正体こそがサルタヒコであった。彼は背が異常に高く、鼻も高く、目尻が赤く照り、眼は鏡のように光るという怪異の姿であり、天狗のモデルと言われるが、気が利く性格をしており、道が複雑に交差する天の八街でニニギを正しく案内するために、先導を買って出たということであった。
 サルタヒコの案内のおかげでニニギは日向の高千穂峰へと到達することに成功した。その後、アメノウズメにサルタヒコを送らせ、その後にふたりは結婚したという。

 そのため、アメノウズメとサルタヒコは人生を指し示す神とされる。曰く、サルタヒコが人生の道筋を照らし、アメノウズメがより良い縁を結ぶ、とのこと。



■参考文献
『国民の神話 日本人の源流を訪ねて』 2014/4/23 産経新聞社 (著)
『日本のまつろわぬ神々』 2010/11/25 新人物往来社 (編集)
『日本神話―神々の壮麗なるドラマ』 2003/10 戸部 民夫 (著) 新紀元社
『八百万の神々―日本の神霊たちのプロフィール』 1997/12 戸部 民夫 (著) 新紀元社
『日本神話の神々』 2007/4 大西 雅子 (著) 東京図書出版会

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