かくもあらねば/00/02

Must Be Dreaming
これはきっと夢なんだ



早く、早く助けなければ。
わたしは彼の出血している部位を彼自身のハンカチをあてがって止血しようとした。どうにかしてこの愛らしい子供を助けてやりたい。そう思ったのだ。

動けるものはわたし以外にはいない。わたしが助けなければ。まだ彼は生きているのだから。助けられるのはわたししかいないのだから。

傷口を確認しようとして、あまりの出血量に気が遠くなる。こんなに血を出してしまって大丈夫なのだろうか。傷の具合はどうなのだろう。弾丸は抜けているのか、肉や骨に食い込んでいるのか。見てもわからない。ただ傷の隙間から赤い血とピンク色の肉、それに白い骨が見えているだけだ。見ていても何もわからない。止血をしなければ。
なるべく清潔なタオルを選んで持ってきて、頭部の傷口に宛がう。しっかり抑えたつもりだったが、滑る。すぐにタオルは血で染まり、傷を抑えきれなくなる。傷口を抑えるだけでは駄目なのかもしれない。傷口の傍の血管を圧迫して血液輸送量を減らせばましになるかもしれない。しかし頭部の怪我の場合の圧迫部位なんて知らないし、知っていたとしてもわたしの身体で圧迫なんてできない。傷口を抑えるので精一杯だ。
血を吸い込みすぎて使い物にならなくなったタオルを捨て、今度は持てるだけ新たなタオルを持ってくる。それらを重ねて彼の頭部に当てた。傷口に障るかもしれないと思ったが、全身を使って傷口を抑えた。タオルが使い物にならなくなったら新しいものを宛がう。それを繰り返す。何度も何度も

気が遠くなりそうな作業だった。噎せ返るような血の臭いが気持ち悪い。この場所は死臭で溢れ返っている。かつては神を祭った教会であったというのに
出血量はだいぶ収まってきたように思う。しかしそれが傷口が塞がってきたためなのか、それとも単純に彼の身体を流れる血液の絶対量が減ってしまったためなのか、わたしには判断がつかなかった。ただ神に祈るような気持ちだった。

神。

 神さま。

何度も何度も、わたしは神に問うた。なぜ自分にこんな運命を背負わせたのか。なぜこんなに辛い思いをしなくてはならないのか。呪い、憎んだ。だが今では神に縋るしかない気持ちだった。どうかこの子を助けてください、と。

朝になって昨夜の騒ぎを聞きつけたNCRがやってきた。彼らは唯一の生存者であるSilasを見つけて応急処置を施すと、相談を始めた。どうやら隊を教会の検分を行う班とSilasを連れて帰る班に分けるようだ。わたしはほっとした。襲撃者を見つけることに躍起になるあまり、彼の処置を後回しにされたら怪我が悪化してしまう可能性もある。
わたしは少し迷ったものの、Silasを連れて帰る班に付いていくことにした。Aniseも他の教会の子供たちもすべて死んでしまった以上、わたしがここにいてもすることはない。それにSilasのこれからが心配だった。


アメリカ南部は西海岸ほど核の被害が少なかったわけではないが、東海岸ほどは絶望的な状況ではなかった。汚染されていない水や食べ物もいくらかはあり、危険な獣もそう多くはない。過ごすには悪くない土地だ。
南部NCRの基地に連れて行かれたSilasはNCRの従軍医師によって治療を受けた。どうやら頭蓋骨に弾丸が刺さったままらしく、それを摘出する手術が必要らしい。わたしは彼の手術に立ち会って、気持ち悪くなってしまった。しかしどうやら手術は成功したようだ。

頭に包帯を巻かれて眠る彼の姿を眺める。
彼の家族であったAniseや他の子供たちは、殺されるか奴隷にされてしまった。彼はこれからどのように生きていくのだろう。

そしてわたしは、どうすれば良いのだろう。

溜め息を吐いて過ごす日々が何日も続いた。Silasはずっと眠ったままだったが、彼の手術を行った医師は特段慌てる様子を見せなかったため、そう重い状態ではないのだろう。

基地にやってきてから4日目、ようやくSilasが目を開いた。わたしは急いで医師の下へ向かい、カルテを書いていた彼の白衣を引っ張って病室へ向かうよう促す。何度か引っ張って呼び続けているとようやく反応してくれた無意識に引っ張られるままに病室へと向かってくれた。医師は病室に入るとSilasが目を覚ましたことに気付き、急いで病室を出て行き、すぐに少尉の階級章をした男と一緒に戻ってきた。

医師はそれからSilasに向かって話しかけ始めた。自分の名前や年齢は言えるか、気持ちが悪かったり頭が痛いということはないか、などという質問から始まり、ここがNCRの基地であるということ、当面の生活の心配はないということを説明した。

Aniseは………?」Silasが尋ねる。「他のみんなは?」
医師は少尉の男と一瞬目配せをした。少尉の男は首を振る。それがどういう意図で行われた仕草なのか、その仕草が医師に十分に伝わったのかどうかはわからなかったが、医師は「わからない」とだけ答えた。
「わからない?」
「何人かは」と医師はゆっくりと言う。「殺されてしまったようだ……。だが全員じゃない。攫われた子もいる」
医師の言葉は正確ではない、とわたしは思った。子供は全員殺された。攫われたのはAniseだけだ。
「Aniseは?」Silasは食い下がる。「Aniseは!?
「きみの言うAniseという子がどの子なのか……」
「Aniseはひとりだけ大人だからすぐにわかる!」医師の言葉を遮ってSilasが言う。「褐色の肌で、髪は黒くて……、綺麗で、長くて……。とても綺麗で、みんなのご飯を作ってくれたり、それで………」
医師はもう一度少尉の男と視線を交わした。
「きみの言う女性は教会にはいなかった」医師はSilasを落ち着かせるためか、穏やかに言った。「だから死んではいない。たぶん連れて行かれたんだろう……」
「どこに?」Silasは横たえていた身体を起こす。「助けに行かないと……。ぼくが、ぼくが助けないといけなかったのに……! ぼくの銃はどこ? Johnnyの銃は……!」
落ち着いて、と言って医師が再度Silasの身体をベッドに横たえさせる。
「おれたちは、攫われたきみのお友達を助けるためにここにいるんだ」と少尉の男が口を開く。「教会で、何があったのか聞きたいんだ。きみの友達を助けるために」
少尉の男はそう言って、教会の襲撃に関していくつか質問を始めた。襲撃者は何人だったのか、銃は持っていたか、いくつ持っていたのか、どんな服装だったのか、など。
「赤い金属製の鎧に黒いマスク……、拳銃だけじゃなくて鉈のような刃物も持っていた……」少尉の男はSilasの言葉を反芻して頷く。「なるほど………」
「助けに行くの? Aniseを助けに行くの?」Silasはすぐに言う。「ぼくも行く。行かないと……、行かないと、銃は? ぼくの、ぼくの銃は?
「きみの銃は預かっているよ。あの銃はきみが扱うには大きすぎる」と医師が言う。
「でも………」
「安心しなさい。きみの友達はおれたちが救ってみせる」
少尉の男が医師に合図をすると、医師は注射器をSilasの腕に突き立てた。薬液が注入されるとSilasは眠りについた。鎮静剤か何かだろう。

Silasが眠ったことを確認すると、医師と少尉階級の男は病室を出て行く。わたしも後をつけることにした。肩に乗っていけばついていくのは簡単だ。
「Legionだな………」少尉の男が吐き捨てるように言った。「どう思う、ドクター」
「どう、とは?」
まさか南部にまでCaeser's Legionの侵略があるとは予想していなかった。南部は比較的温和だが、それゆえNCRの兵士の数も少ない。補給物資も、銃も、弾丸もだ。今まではそれでやっていけた。だがLegionがいると考えると……、この基地にいる兵士では足りない。全力を注げばどうにかなるだろうが、被害が大きすぎる。基地司令はおそらくLegionを直接叩こうとはしないだろう。本部から増援があれば良いが……、まだ2人しか確認できていないLegionのために増援を送るとは思えない
「つまり、彼の言う……、Aniseという少女を助けることは不可能だ、と?」と医師。
少尉は頷く。「そうだ。そしておれが訊きたいのは、それをあの子に伝えるべきか否か、ということだ。あの子は随分と、そのAniseという子を好いていたようだ。もし助けられないとなればショックを受けるだろう。彼はそれでも……、大丈夫だろうか? 事実を受け止められるか?」
「それは身体が、ということですか? それとも心が?」
「両方だが……、わたしが聞きたいのは、心の影響が身体に悪影響を及ぼすかどうか、だ。何せ頭を撃たれたんだ。脳の作用が体調に影響を及ぼしかねないだろう」
「それについては大丈夫でしょう。弾丸は頭蓋骨で止まっていました。脳への影響はないはずです」と医師は答えた後に頷く。「しかし精神の影響が身体に悪影響を及ぼしかねない、というのはあなたの言うとおりですね」
「ではやはり、Legionを攻めにいけないことは伏せておいたほうが良いか……」
「それも……、どうでしょう」と医師は首を捻る。「ここは戦前の病院ではない。わたしもあなたも医師教育を受けた医師や看護士というわけではない。秘密を守り通すというのは簡単ではありません。それにこの基地は小さな基地です。小さな基地ということは情報がどこからともなく伝わりやすい。あの子に伝わる情報をすべて遮断できるという保証があるなら良い。ですがもし秘密が守りきれなくて、あの子にわれわれが伝えていた情報が嘘だということを知られてしまった場合、あの子は今真実を打ち明けられるよりもより大きな衝撃を受けるでしょう。あの子にとっては、この基地も未知の場所だ。怖がっている。わたしとしては今伝えておくべきだと思います」
「なるほど……」少尉は頷く。「だがわたしは伝えぬべきだと思うよ。司令にもそう進言しておく」

Sumikaは2人から離れてSilasのいる病室へと戻る。彼はまだ眠っていた。
そっと彼に近寄って頬を撫ぜる。失った血液が完全には回復していないのであろう、顔色が少し青白く、顔もちょっと冷たい。それでも生きている。


良かった、とわたしは心の底から思った。
彼とは言葉を交わしたことさえないが、幼い頃から知っている。長年を連れ添った友人のようなものだ、とわたしは勝手に思っている。

「それにしても、Caeser's Legionか………

わたしは窓辺に腰掛けて呟いた。外からの日差しが心地良い。
わたしには独り言の癖がついていた。誰とも話さないままでいると喋り方を忘れてしまいそうなので、ということで半分意図的に身につけたような癖だ。いつか普通の人間と同じようになって、普通の人生が送れることをわたしはまだこのときは夢見ていた。

Caseser's Legionのことはわたしも幾らか聞き及んでいた。Caeserという人物を中心とした一風変わったRaider集団だという話は聞いていたが、NCR兵たちの話を聞く限りではどうもそれだけではないように思える。NCRが恐れるほどの力がある集団なのだろうか。

「Legionに連れて行かれたら、女は奴隷にされるっていうけど………」とわたしは呟く。「Aniseは大丈夫なのかな………。NCRが本当に助けに行ってくれるんだったら良いんだけど
Aniseも会話をしたことがあるわけではないが、やはり彼女のこともわたしは友だと思っている。できることなら助けてやりたい。

少し時間が経ってから、再度医師がひとりで病室を訪れた。その頃にはSilasは目を覚ましており、身体を起こして何か考え事をしているようだった。
「やぁ」と医師が言う。「体調はどうだい? 悪いところはないかな?」
「Aniseは?」Silasはまずそう発言した。
「まだだよ。きみが眠ってから半日も経っていない」と医師は落ち着いて返答する。
Legionに連れて行かれたら奴隷にされるの? Legionを倒しに、本当に行ってくれるの?」
Silasがそんなことを言い出したので、わたしは驚いた。もちろん医師も。午前中医師と少尉がSilasに質問をしたときには、教会を襲撃した集団が何なのかということを彼は知らない様子だったというのに。
「きみは、Legionを知っているのか?」
「Aniseを本当に助けてくれるの?」Silasは医師の言葉を無視して言う。「本当に、助けに行ってくれるの?」
「待ってくれ」と医師は手を翳す。「きみはなぜLegionを知っているんだ? さっきまでは、襲撃者は何処かのRaiderだと思っていたと言っていただろう? Legionという名前すら知らなかったはずだ。なのに、きみはどうして……」
「だって………」
青い瞳が見えた。
Silasの視線が窓辺のわたしへと向いているような気がした。思わず振り向いて、窓の外に何かあるのかと見てみるが、沈みつつある夕日を除いて何もない。

まさか。

まさか………。

そんな馬鹿な。

だって………

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