かくもあらねば/06/03
3
殺したか、と目の前の怪物が言った。お腹の底の底から頑張っても出すことのできないほどの低く、濁った声で。
いない、ともうひとりが言った。服だけだ、と。燃えたのは服だけだ、とさらにひとりが言った。
「どこかへ逃げたのだろう。みんなで手分けをして探すべきだ」と言ったのはNeilだった。
しかしSuper Mutantたちは首を振る。駄目だ、おまえは信用できない、Tabithaがそう言っている、第一世代は信用するな、と。
周りからSuper Mutantたちが集まってくる。彼らは会議をし、やがてHidden Valleyに通じる道に2人を残し、他のSuper MutantたちはS字カーヴが何度も続く坂道を下ってところどころに関所を設けた。消えた人間を炙り出す気なのだろう。
会議の輪から弾き出されたNeilはこちらを一瞥し、それから他のSuper Mutantたちを追うように坂を下って行ってしまった。
Neilという人物はCentaurを一刀で切り伏せた技術といい今の眼力といい、凄い人物だとSumikaは感じていた。SiとSumikaはStealth Boyという外から見ると透明に見える迷彩フィールドの中にいるのだ。常人であれば目視できない。しかしNeilはSiを確かに見ていた。去り際の彼の視線は坂の下を、そして逆方向の山の上を指していた。
S字カーヴの連続する下り坂の要所要所には小さな関所が乱立し、その両側はSuper Mutantが見張っている。およそ何も考えずに設置されたのであろうその関所が今のSiとSumikaの通行を阻んでいる。Siの姿はStealth Boyによって見えなくなっているとはいえ、接触すれば気付かれてしまう。それに今のSiの足では狭くなっている場所で足音を殺しきれない。
道を歩かずに崖を下ればBlack Mountainを脱出することはできそうだが、それもSiの足の怪我では難しい。
Hidden Valley側に抜ける道は当然ながら塞がれているため、ここからの脱出は不可能だ。
前と後ろを塞がれた。しかしまだ道はある。山を登る道。そちらはまだ警戒が薄い。もしかすると脱出口もあるかもしれない。
「上に行くの?」とSumikaは尋ねる。
「下は無理だ」とSiは小声で返してくる。「上には脱出できる道がある。Centaurから逃げるときに見た。アンテナ装置があるところだ」
見上げてみると、確かに山の頂上付近に巨大なパラボラアンテナが見える。だいぶん遠いが、緩やかな道が続いているようで登れないほどではない。
「じっとしてろよ」
Siはそう言って上り坂を歩み始めた。
道程は楽ではなかった。あまり舗装されていない上り坂でSiの足が不調だというのもあるが、ときどき通るSuper Mutantの存在が恐ろしかった。道の端に寄って息を殺していれば彼らは素通りしてしまうが、Stealth Boyの迷彩効果は完全ではない。200年も前に作られた戦前機械は動作が安定せず、効果時間も定かではない。不安と焦りが募る。
このStealth BoyはGood Springを襲ったPowder GungersのCobbという男が隠し持っていたものだ。貴重品であり、スペアはない。使い捨てなので効果が切れたら終わりだ。山道の途中で戻ることも進むこともできなくなる。
なんとかStealth Boyの効果が続くうちに山頂へ辿りつかなければならない。
Sumikaが今いるのはSiのシャツの胸ポケットの中だ。いつもの定位置であるコートのポケットの中よりも、ずっと彼に近いところにいる。体温を感じる。心音が聞こえる。
Siはときおり通り過ぎるSuper Mutantを警戒し、Sumikaのほうを見てくることはない。
そっと彼の胸元に唇を寄せてみる。薄い布越しに彼の肌と体温と汗を感じる。汗臭い。汗だけの匂いではないかもしれない。
とてもいやらしいと思う。とてもいやらしい匂いだ。いやらしい、というのはよくわからないが、たぶん、そうだ。甘くて、愛おしくて。
ときおりSiは足の調子を確かめるように爪先で地を叩く。痛みが出てきたのかもしれない。足首を冷やしてやりたい。舐めてやりたい。汗を、血を。
Sumikaは口に手を当てた。息がとても熱い。とても嬉しい。Siとまた近しい関係になることができた。嬉しい。
舌をSiのシャツに這わせる。唾液で白いシャツが透けて肌が見えた。
ずっとこのままでも良い。
ずっとこのままでありたい。
Sumikaはそう思った。
*
Siが違和感を感じたのはSuper Mutantが家代わりに使っているらしい小さなドームを越え、頂上のアンテナに連なるラジオ送信施設らしき建物が見えてきたときだった。
小さな違和感はすぐに膨らみ、巨大な違和感になった。
何かにぶつかった。
目の前には何も存在していないはずだ。それなのにSiは何かに触れた。それでも彼はその透明な存在が何なのか気付かなかった。彼は疲弊していた。
透明な何かが彼の腕を掴み、締め付けたとき、ようやく彼は自分だけではなく敵もStealth Boyを使っている可能性に気がついた。
身体が吹き飛ばされる。
うつ伏せに落ちる。胸ポケットにはSumikaがいる。この加速度で地面に叩きつけられたら彼女の身体が危うい。
そう認識した瞬間にSiの身体は動いていた。足を伸ばして地面を引っかき、逆の足を振って半回転する。左手で受身を取り右手で.38口径回転式拳銃を抜く。受身を取った左手が跳ねるように撃鉄へ向かいコッキングし、見えない敵に向かって引き金を引く。
切れかけの電球のような音をたててその怪物は現われた。コンクリートの塊を持った青黒い肌の巨人。ただのSuper Mutantではない。
(Nightkin……!)
NightkinはSuper Mutantより高い知能と戦闘力を持つ特殊な個体だ。Stealth Boyを使って姿を消すというのも話では聞いたことがあったが、直接見たのは初めてだ。
「Si、Stealth Boyが……!」
Sumikaの声でSiたちを隠していたStealth Boyの効果も切れたことに気付く。Nightkinに投げ飛ばされた衝撃のためか、単なるエネルギー切れか。
問題なのは原因ではない。目の前にNightkinがいるという結果だ。
Siは.38口径拳銃を連射する。Nightkinの頭や胸に弾丸が直撃する。しかし怪物は揺らがない。着弾したはずの弾丸は小さな傷をつけただけだった。
Nightkinがコンクリートの塊を横に振るう。
目の前を巨大な塊が通り過ぎる。Siが避けたわけではない。ただ当たらなかっただけだ。Nightkinは愉快そうに笑った。威嚇のために、否、儀式のように振っただけなのだ。次は殺される。
コンクリートの塊は今度は縦に振られた。今度は当てる軌道に乗っていた。当たる軌道。頭にあの巨大な塊が当たれば死んでしまう。
Nightkinの膂力は凄まじく、コンクリートの塊は恐ろしい早さでSiの頭部へと襲い掛かった。
しかしその速さは山の中腹で見たSuper Mutant、Neilのそれよりは遅かった。
Siは一歩Nightkinに向かって踏み込んだ。次の一歩で横に動く。コンクリートの塊が脇をすり抜ける。
Nightkinの目に銃口を突っ込む。弾丸を発射する。眼球が瞑れて血が噴出す。目の破片も。
振るわれた巨大な腕がSiの身体を吹き飛ばす。Nightkinはもはや目が見えていないのか、それとも脳が理知的な行動ができないほどに壊れてしまったのか、無茶苦茶に腕とコンクリートの塊を振っている。Siは逃げた。止めを刺している暇はない。走る。来るときに見た脱出口まであと少しだ。
ラジオ受信施設の裏には確かに山を降りる道があった。しかし近づいてみて気付く。道を阻む鉄条網と金網、巨大な鎖と錠に。
金網の高さは4mほどで、高さ自体はたいしたことはないが、金網の目があまりにも細かく指を引っ掛けて登るのは難しい。おまけに金網のいただきには鉄条網が張られている。鉄条網には電気が流れているようで、侵入者と脱走者の両方を阻んでいる。鎖のかけられた戸の錠は厳重で、外せそうにない。
(ここまで来たってのに……!)
NightkinとSuperMutantたちが近づいてくる。このままでは危険だ。
「Silas、逃げないと……」胸元からSumikaが不安そうに言う。」
「わかってる」
金網から離れようとして、敵の気配に気付く。Siは背中を壁につけて左右を伺う。どちらにも敵がいる気がする。手を壁に這わせる。何かを掴んだ。冷たい。回す。ドアノブ。
ドアの中に逃げ込む。中にNightkinが待ち構えているかもしれない、などと考えている余裕はなかった。そっとドアを閉める。
そこは小さな部屋だった。6畳ほどの小さな空間に机と小型の発電機、それにコンピュータ。奥には頑丈そうな扉がひとつ。
ここで立ち止まっているわけにはいかない。そう思って奥の扉を開けようとしたが、扉には鍵がかかっていた。扉の脇のパネルでロックしているようだ。ロックするだけの価値がある部屋ということは、武器庫かもしれない。Super Mutantに対抗できるだけの武器があれば、山を下りるのもなんとか可能だ。
パネルは番号を入力する形になっていた。適当に入力して間違えれば警報が鳴る可能性もあるので、、パスワードを探す。コンピュータを調べると、馬鹿らしいことにパスワードはすぐに見つかった。この部屋を管理していたSuper MutantだかNightkinだかが書き残した管理ログに書かれていたパスワードは、123456789というあまりに単純なものだった。
「本当にこれ?」とSumikaが不安そうな表情で言う。「罠とかじゃないのかな………」
「他に手もない。あいつらが馬鹿であることを祈るだけだ」
Siはパネルに番号を打ち込む。エンターキー。
Super Mutantたちは素晴らしい愚か者だった。扉が開く。
扉の先の部屋は、やはり小さな部屋だった。その部屋で椅子には作業着姿のGhoulがいた。
「ああ、ずいぶんと時間がかかったなぁ」とそのGhoulは間の抜けた声で言った。「で、おれはもう出て行っても良いのかな?」
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