展覧会/ダブルブリッド

 昔はライトノベルというのはもっと格好良いものだったような気がする。


中村恵里加/メディアワークス/イラスト:藤倉和音(1-2巻)、たけひと(3-10巻)

 主人公が格好良かったし、世界観が格好良かった。好き勝手に書いている感じが小気味良かった。
 最近のはなんかアレだ、正直書店で手に取るのさえ辛いようなやつが多い。書店で店員に訊こうものなら罰ゲームも同然だ。

 最近のライトノベルは駄目だ! とかそういうことをいうつもりはないが、なんというかこう、最近のラノベとちょっと前のライトノベルはなんか違う気がする。格好良くない。

「何かあると、そういう建て前を持ち出してくるんだから……。誘拐事件とかならちゃんと規則に従うくせに、怪がらみだと無視するってのはどういう了見なんでしょうね」
「国民が面白がるからだろうな。他の事件だと『人道に反する』と抗議されることでも、怪の報道なら何をやっても誰も抗議しない。我々が下手に抗議すると『国家権力の報道弾圧』と来る」
赤川が太い眉をひそめてみせる。
「その野次馬根性で、私たちの命が危険に晒されるってことをわかってほしいもんです。一人怪我人は出ましたが、私じゃ誰も同情しませんからね」
「確かに……」

 ダブルブリッドはいちばん好きなライトノベルだ。未だに買っている作家は中村恵里加うえを久光くらいで、わたしは好きな本は何度も読み返すタイプで、ダブルブリッドの1,2巻と悪魔のミカタの5巻は何度読んだかわからない。

 主人公、片倉優樹は刑事である。しかし彼女は人間ではない。彼女は刑事部捜査第六課に所属する怪(アヤカシ)である。
 怪というのは日本国内における通称で、正しくは特異遺伝因子保持生物と呼ばれる生き物である。これが抽象的に何を指すのかというと、神や化け物、妖怪変化の類を指す。怪である彼ら彼女らは形態や生態も様々であるが、人知を超える超常能力を持ち、ときとして事件や事故を引き起こす。それに対応するのが怪による犯罪に対応するために怪によって構成された警察組織、捜査六課である。

「君は、怪と人間を分ける決定的な違いって何だと思ってるの?」
唐突な切り返しに言葉が詰まる。
「超常能力の有無……ですか?」
教練で習ったことを反復してみた。
「違うね。特異遺伝因子を持っているかどうかだよ。見た目とか力だけじゃ、本当は判断しちゃいけないの」
どんどん難しい話になってきた。太一朗は優樹の正面に座り、話を聞くことに専念する。
「普通の生物の塩基は、A、T、G、Cの四つだけで構成されているけど、怪はそれ以外の塩基を多数持ってるの。その実態はまだ解明されていないけど。ヒトゲノム解析だってまだ終わってないんだから。怪のゲノム解析と並行しようとしたから、当初の予定よりだいぶ遅れたらしいね。あと二、三年中には終わりそうだけど。でも怪は染色体の数だって一致しているわけじゃないから、解析は大変だろうね」

 日本国は特異遺伝因子保持生物に対して非常に特異な対応をしている国である。
 まず日本国では、怪を甲種と乙種に分類している。甲種とは人間と近似した形状であり、人間と意思疎通が可能で、人間と同等、あるいはそれ以上の知能を有する怪を指し、乙種はそれ以外の怪を指す。国外では基本的にこのような区分はされず、特異遺伝因子保持生物は一括して害獣であると括られるのが一般的である。
 さらに日本では甲種に人権を与えており、一定の条件さえ満たせば公務員になることさえ可能である。その代表例が片倉優樹その人であり、捜査第六課である。
といっても現在在職している捜査第六課の刑事は優樹ひとりしかおらず、また彼女が出動するような事件もここ三年ほどはほとんど起こっていないというのが現状だ。日本国の姿勢に反して、国民にとっての怪は他の諸国と同じく、単なる化け物であり、害獣でしかないのだから。
 優樹は怪であるがゆえに人間より力強く、知能が高く、そしてより強靭だ。彼女は以前の仲間が戻ってきてくれることを信じて、たったひとりで捜査六課を守り続けた。

 物語は怪によって構成された対怪犯罪組織である捜査第六課唯一の刑事、片倉優樹人間によって構成された対怪事件組織である緊急捕縛部隊の隊員、山崎太一朗を中心として進む。

「糸の最後の方を結んで玉を作って。で、あたしの右腕に針を刺す。そしたら、皮と肉を通して手首の方に針を出す。それをずっと繰り返して手首を一週すればいいよ」
口で言い、耳で聞くのは簡単だ。だが、実行段階になると難しいものだ。太一朗の額と手に汗が浮かぶ。他人の皮膚に針を刺し、それを貫いて縫うなど初めてだ。
震える手を押さえ付けて、針の先端を優樹の皮膚に埋没させる。嫌な手応えだ。血が一滴も出ないのが奇妙だが。
「この辺りに今は血液を流してないの……血がもったいないから」
先回りして優樹が答えるが、気休めにもならない。ぐっと力を入れて肉を貫通させ、切り離されている右手首から針を出す。
「うまい、うまい。その調子」

 第一巻で描かれるのはふたりの出会いである。事件をいち早く解決しようとする優樹と、自分の成すべき事が曖昧なままの太一朗。事態が収束するにつれて太一朗は目指すべきものと片倉優樹という人間のことが見え始めてくるが、事件の解決のために優樹が引き起こした出来事のために、ふたりの間には人間と怪の間で越えることのできない大きな溝が生じる。
 第二巻でふたりの関係に僅かながらの進展がみられる、と思っているのは太一朗の側だけであり、優樹からすればふたりの関係は何も発展していない。あくまで怪と人間は別のものであり、もちろん仲良くできればそれに越したことがないものの、それ以上の深い付き合いはありえないはず存在同士だからだ。

 ダブルブリッドは第一巻および第二巻と、それ以降の巻とでは表紙、挿絵、口絵を描いているイラストレーターが違う。一、二巻のイラストを担当していた藤倉和音が事故により急死してしまったためだ。
 わたしは藤倉和音氏の描く口絵や挿絵がとても好きだった。絵と効果と写真と文字を組み合わせて作り出された挿絵はダブルブリッドの世界にとてもよく合っているように感じた。ライトノベルらしいと感じた。
 イラストの担当者が変わってから、物語も力を失い始めたように感じる。良くも悪くも普通になってしまった。

 もし藤倉和音氏が描き続けていれば、物語もまったく違うものになっていたのかもしれない。
(*画像、引用は『ダブルブリッド』(中村恵里加/メディアワークス)より)

[追記:2020年3月]
 最近、というほどでもないが1、2ヶ月ネット環境が遮断された旅路に出たときにいくつか電子小説を買っていった。そのうちのひとつが『ダブルブリッド』で、改めて一巻から最終巻、短編集まで読み返す機会ができたというわけだ。

 改めて読んでみれば、やはり1-2巻の藤倉和音時代は時代を経てもやはり好きだが、3巻以降のたけひと時代も良いし、小説そのものの内容も悪くない。優樹や太一朗、晃らの生きた軌跡が綴られている。
 同じ時期、原田たけひとがキャラクターデザインを手掛ける『ルフランの迷宮と魔女の旅団』をプレイした。改めて原田たけひとの絵に向き合い、これは良いものだと感じた。原田たけひとに対してわたし以上に謎の上から目線な人間はそうそういないと思うが、まっさらな気持ちで向き合うのは悪くないものである。

 追記であるため、特に話の流れのようなものはなく、そう感じたと、そういう話である。

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