ブロセリアンドの黒犬/02/04 《聖戦への召集》
3-019C 《聖戦への召集》 |
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国が滅ばんとするときには、ひとりの勇者が。世界が滅ばんとするときには、百万の勇者が生まれるだろう。 |
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「おお、来てやがる、来てやがる、ゼフィロンの鳥と牛と馬どもが」
焼けば美味そうなんだけどな、などと言いながら、《百の剣士長 ドゥース》は城壁に足をかけて掌で額に庇を作る。眼下には開けた戦場があり、遠くにはゼフィロンの駐屯地が広がっている。
部下には、危険だから城壁から顔を出すのはやめてください、などと言われるのだが、構いやしない。まだ敵は攻撃を仕掛けてこない。歴戦の戦士であるところのドゥースには、戦いの流れというものが手に取るようにわかっていた。
(問題は、矢でも剣でもねぇ。敵さんの大将だ)
軽口とは裏腹に、カダナル城の守備を任されていたドゥースの表情は真剣だった。
今回のゼフィロン軍には、召喚英雄が参加している。
その報告は間違いなかろうとドゥースは判断していた。ああ、間違いない。布陣はどこもかしこもいつも通りで、しかし槍のような殺気だけが鋭く放たれていた。何処へも逸れることはない、真っ直ぐな殺気だ。
グランドールでは、今のところその人物が召喚英雄であるということと、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》という名であることしか知らない。
いや、正確にいえばもうひとつ、彼の異名が「鎧を着た豚」であるということも伝わってきている。
多くの者は笑った。豚など揶揄されるなら、大したことがないな、と。
だがドゥースは知っていた。戦場で名と顔を覚えられることがどれだけ難しいか。
その異名をつけたのは、ベルトランの敵だろう。彼らはベルトランを知り、恐れたのだろう。ベルトランの強さを知ったのだろう。そしてその恐ろしき武人を、豚と、そう謗らなければ平静を保てなかったのだ。馬鹿にすることだけが、唯一の体面の保ち方だったのだ。
最近はバストリアのほうで奇妙な病が流行っているということで、戦争は自然休戦状態となっていたが、ゼフィロンとの諍いはむしろ活発になっていた。
《ベルトラン・デュ・ゲクラン》の実力は、いまのところ未知数だ。だが、気を引き締めないわけにはいかない。
そう、ベルトランは《ジャンヌ・ダルク》と同じ召喚英雄なのだから。
「ドゥース隊長、よろしいでしょうか」
と、凛とした声が響き渡る。声がしたほうを振り向けば、花の髪飾りをつけた兵士が立っていた。兵士といっても、装備は簡素で、しかも女だ。年齢は少女といっても良いほどで、どうやら伝令らしい。
「おいおい、戦場にまでラブレターかい」
とドゥースは城壁から足を下ろし、少女に向き直る。
「書簡が届いております。受領を」
見た目とは裏腹に硬い言葉遣いの伝令から、書簡を受け取る。開く。
「おい、お花ちゃん」
「わたしのことですか」
「他にいないだろ。それで、こいつぁどういうこった?」
「なんのことですか?」
首を傾げる伝令の少女に向けて、ドゥースは書簡を広げた。その末尾には、聖王家の印が押されている。
「見ての通りです」と、少女が事も無げに応じる。「聖王家直々の……、アルシフォンさまの命です」
「そりゃあ、まぁ、いい。いちおうはおれも、百人隊なんてのを率いている。ああ、王子さまから命令だって下るだろうさ。だが、なんでこの状況で、なんでその王子直々に、なんで新部隊の教官役なんぞに呼び出されなきゃならん」
書簡に書かれていないのは、とある部隊の新設の報告と、その部隊の教官役に《百の剣士長 ドゥース》を任命するという人事であった。
「あなたがこの場にいても、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》に勝てる可能性が低いからでしょう」
と花の伝令は事も無げに冷たい口調で答えた。
「おれが、勝てない?」
現在の状況は、兵力でいえばグランドールとゼフィロンはほぼ同数が布陣しているが、防衛側のグランドールのほうが優勢だ。城攻めには3倍の兵数が必要とされるのは常識だ。明らかに、勝てる戦争である。
相手の召喚英雄の存在さえ無視できれば。
「では、もし相手が《ジャンヌ・ダルク》なら、勝てますか?」
問われてグランドールの召喚英雄、《ジャンヌ・ダルク》のことを思い描く。
(あいつは一種の化け物だ)
剣が振るえるわけではない、魔法が使えるわけでもない。
しかし十代の少女にしか見えない女は、絶大なるカリスマを持っていた。彼女が戦場にいれば、ひとりの兵士が2倍にも3倍にも力を発揮するほど。
しかも本人は異様な力で守られていて、矢も剣もびくともせずに跳ね除ける。攻撃には使えないらしいその能力は、しかし彼女の力を示すのには十分だった。
彼女がいるだけで、グランドールの力は倍増したのだ。聖王家も教会もなく、いまやラ・ピュセルこと《ジャンヌ・ダルク》一色である。
(あいつが恐ろしい)
(あいつが恐ろしい)
精鋭部隊である百人隊の長、ドゥースもジャンヌ・ダルクに会ったことがある。彼女は恐ろしかった。なぜならば、彼女の一言一句が神の言葉に、一挙一動が神の指先に感じられるからだ。彼女のためならば、命がけで戦えると思えるからだ。彼女の命に従っていれば、ただそれだけで幸せを享受できるからだ。
恐ろしいのは、彼女によって呼び起される信仰だ。
ジャンヌがいれば、戦争には勝てる。なぜなら兵が奮闘するからだ。士気の高い軍隊は、士気の低いそれとは別物だ。だが戦争に勝てたからといって、兵が誰もが生きのびられるわけではない。むしろジャンヌが参加する作戦というのは、その士気の高さを最大限に生かすために、正面衝突になる場合が多い。
もちろんその場合は、通常の状態よりは士気の高さのために死傷者数は減るものの、死者が出ないわけがない。殉死だ。それを、グランドールは受け入れている。それが、恐ろしい。ラ・ピュセルに染まりつつあるグランドールが。己が。
(だから、召喚英雄はやばい)
もしジャンヌに相対すれば、その時点でドゥースはすべての兵士にとっての信仰の敵となる。如何にドゥースが歴戦の戦士とて、信仰を槍に剣にした無数の兵には敵わない。ああ、ジャンヌには勝てない。
ベルトラン相手でも、それは同じだというのか?
「勝てない、とはいいません」と、淡々とした口調で伝令が言う。「ジャンヌとは違い、ベルトランという男は単なる武人だそうです。それならば、あなたは対等に戦える可能性はあるでしょう。でも、そうじゃないかもしれない。
あなたのような、数数多の戦を経験をしてきた軍人を、ここで失うわけにはいきません。極端な話、カダナル城は奪われても構わない。それが聖王家の選択です」
聖王家からいろいろと言い含められてきたらしい伝令の言葉に、ドゥースは頭を掻いた。
(おれの力が評価されてねぇってわけじゃあない、と言いたいらしいな)
まったく、王家というのは上手く人を使うものだ。ドゥースはそう思いながら、わかった、わかったよ、と両手を挙げた。
「ああ、行ってやる。命令通りに行ってやるさ。軍法会議にかけられちゃあ困るからな。
で、新部隊ってのはいったい何をする部隊なんだ? 詳細は何にも書かれてねぇんだが」
「名はアリオン」
魔を滅するための部隊です。花の伝令の言葉には、一片の迷いもなかった。
*
「《百の剣士長 ドゥース》が王都へ帰還したとのことです」
という報告を、ベルトランは聞いてはいない。巨大なミノタウロスと笑いながら小突き合っている。
「あんたら、前の戦争だと斧持って戦ってたみたいだけど、ほかに何ができんの?」
とベルトランが問えば、ミノタウロス隊の隊長たる巨漢の大男、声も身体も態度もでかい折れ角が答える。「ミノタウロスといえば前線で戦うのが誇りだ。それ以外には無い」
「ふむん、わかりやすいな」
と、彼からすれば見上げるほどにすれば大きな相手にも、ベルトランは物怖じしない。
「ベルトラン」
とゼフィロン軍のスワント、エルトラはもう一度彼に声をかけた。ベルトラン、ベルトラン、ベルトラン。敵の総大将がですね、と。
「ああ、聞いてる、聞いてるよ」
などと応じて長腕を振りながらも、しかしこっちのことなんて見ていやしない。己の話に夢中になっている。
エルトラは溜め息を吐いた。先日の偵察任務だけでベルトランとの関係は終わりになると思っていたはずが、彼の部下のような立場として扱われるようになってしまった。おかげで気苦労が絶えない毎日だ。
しかもその理由が、「ベルトランとエルトラで、名前も似てるし」などというベルトランの一言があったからで、要は気に入られたということなのだろうが、嬉しくない。
「で、ドゥースって、どういうやつだったんだ?」
とミノタウロスのところから戻ってきたベルトランが問う。いちおう、本当に話は聞いていたらしい。
「精鋭部隊である百人隊の隊長です。凄腕ですよ」
「それは、知ってる。だから、どういうやつ?」
「どういうやつ、というのは……」
「やつは貧乏貴族だ」
と話に加わってきたのは、先ほどまでベルトランと話をしていた巨漢のミノタウロス、ゼフィロンでは知らぬものの無い戦士である《折れ角の暴風 モル・ガド》であった。
「腕はなかなか、おれさまから見てもよくやるほうだな。顔もまぁ良いほうで、部下からも慕われている。おれほどじゃあないが」
「おお、おお、そういうのが聞きたかったんだよなぁ」と、ベルトランはにやりと笑う。「で、後任の大将は?」
「ディレーゼ伯パステロです」と既に報告を受けていたエルトラは答えてやる。「聖王家の血縁の大貴族です」
「ドゥースとどっちが偉いの?」
「爵位はパステロのほうがずっと上ですが………」
「戦果を立ててるのはドゥースのほう、ってこったな。成る程、わかりやすいや。今回の戦は楽勝そうだな」
そう言うや、ベルトランは槍を担いだ。
戦が始まろうとしていたが、未だエルトラには、ベルトランの力、単なる武勇のみではない英雄としての資質を見極められないでいた。
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