小説ラストクロニクル/『東京ローズ』/時代2/Turn3 《束の間の平和》
1-027C《束の間の平和》 |
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グランドールの古い伝承では、かつて、初恋の女神は平和の女神と姉妹同士だったとされる。どちらも、場合によってはとても儚(はかな)いからだ。 |
「以上が事の始まりです」
言葉を紡いだ唇は桃色で、肌が透けるように白かっただけ、より赤く艶やかに見えた。
陽を浴びた麦穂を思わせる長い髪は腰に届くほど長く、細い首元や胸の形を露わにするように這っている。恰好は聖職者らしい白を基調とした服装で、顔や手以外は肌が出ていない。それでも、その下にある肉の盛り上がりを隠すのには不十分だ。
(子持ちとは思えんな)
などと考えていると、心配そうな声が続いた。ドゥース、ドゥース。
「わたしの話を聞いておられますか、《百の剣士長 ドゥース》?」
「もちろん」
機密レベルの高い話を扱うために、ステンドグラスから射す光に彩られたグランドールの大聖堂の中に居る人間は3人だけだった。《聖女教皇 ファムナス》、《百の剣士長 ドゥース》、そして先ほどまでの戦争の記録を水面に幻視させるためにイースラからやってきた《アリオンの巫女》。
それではこれで失礼します、と言って出ていく《アリオンの巫女》を《聖女教皇 ファムナス》が寂しげな様子で見送ったからには、イースラのトウア学院に留学している娘のことを心配しているのだろう。留学といえば聞こえはいいが、実際は人質だ。
そうして《アリオンの巫女》がいなくなったのであれば、《聖女教皇 ファムナス》の言葉がドゥースに向けられたものであるということは明らかだ。
危なかった。胸だの足だのを見ていたものだから、口を開けばおっぱいおっぱい言っていてもおかしくはなかった。
ひとつ息を吐いてから、《百の剣士長 ドゥース》は《聖女教皇 ファムナス》に向き直る。聞いていました、ええ、聞いていましたとも。それで、「そのバストリアの召喚英雄の最初の戦のことはわかりました。声も聞けたし。しかし、その召喚英雄の話が、おれを呼び出したこととどう関係してくるのでしょうか?」
ドゥースは敢えて強い口調で問うた。一見して相手は妙齢の美女だが、《聖女教皇 ファムナス》だ。一騎士であるところのドゥースが対等に口を利ける間柄ではない。
それでもドゥースが単刀直入に問うたのは、この人払いした大聖堂という場所が、こうした口を利ける良い機会だったからだ。簡単にいえば、大柄な騎士にこんなふうに口を利かれたら、清廉かつ高潔と謳われた《聖女教皇 ファムナス》がどんな対応をするのかが見たかった。
「それは、あの《東京ローズ》が普通の召喚英雄とはまったく違うためです」
ファムナスの口調は、平時と特段変わりが無かった。というよりは、他の物事に気を取られているためか。その《東京ローズ》に。
「《東京ローズ》というのが、例の召喚英雄の女の名前ですか」
「その通りです。正確には通称のようですが、ザインの使徒の宣託からはその名しか伝わってきていません。市民に伝わっているのも、その名前ですが……、知りませんでしたか?」
「生憎、山籠もりしていたもので」
とドゥースは肩を竦めた。冗談で言っているのではなく、山籠もりは事実だ。アリオンの軍事教練だった。苦労した。今も進行中なのだが、ドゥースがここに居るのは教皇から直々に呼び出しがあったためだ。
「《東京ローズ》の存在も、山を下りるまでは知りませんでしたよ。それで、おれに頼みたい任とは?」
「《東京ローズ》の確保です」
《聖女教皇 ファムナス》の語るところでは、《東京ローズ》なるバストリアの召喚英雄は非常に特異な存在らしい。
ザインの使徒が正式な名称を告げなかったこと。
前回の召喚からあまりにも短い間隔で召喚されたこと。
理力と関連した力を持っているらしいこと。
千里眼めいた力のこと。
《東京ローズ》はバストリアにいるはずだが、敵国であるグランドールや戦場の状況を正確に言い当てていた。単純に、陣を知られたり、兵数や作戦を見抜かれたりするのも困るわけだが、それ以上にグランドールが警戒しているのは、どうやらプロパガンダ放送らしかった。
プロパガンダとっても、多くは王家や教会のゴシップや醜聞らしいのだが、それだけでも影響力は大きい。最前線で戦う兵士は民草だ。背負って戦うはずの国の中枢が、汚職だの犯罪だの自己保身だのに塗れているのを知れば、それだけで戦う力を失う。
「もはや看過できるものではありません」
《聖女教皇 ファムナス》が頬を膨らませ、そんなふうに可愛らしく怒ってみせるのは、彼女も《東京ローズ》の標的になったからだろう。
とはいっても、清廉で通った《聖女教皇 ファムナス》だ。流れてくる噂話にしても、ポエムを書くのが趣味だとか、最近夜はご無沙汰だとか、Fカップだとか、隠れて少女漫画雑誌を買っているだとか、その程度のことで、でなければ《聖女教皇 ファムナス》に直接会ったことがある人間ならばすぐにわかる程度のデマしか言われていない。
それでも《聖女教皇 ファムナス》は恥ずかしいやら悔しいやらで、顔を赤くさせながら必死で事情を説明してくれた。ドゥースは何度か笑いそうになった。
「これはですねっ」だんだんと語気が強くなっている《聖女教皇 ファムナス》は一歩こちらに近づき、ドゥースの手を両手で握った。「あなたにしかできない任です。アトランティカの各地を渡り歩き、様々な経験を積み、人と関わってきた、あなたにしか。
ですから、討魔軍アリオンの練兵教官の任を一時的に解き、召致させていただいたのです」
そう言い切ったあとで、ドゥースに接近し過ぎていることに気づいたのか、慌てた調子で《聖女教皇 ファムナス》は手を離し、下がった。顔が赤かった。愉快だ。
こほん、とわざとらしい仕草で喉の調子を整えてから、《聖女教皇 ファムナス》はドゥースに向けて手を差し伸ばした。
ですから、討魔軍アリオンの練兵教官の任を一時的に解き、召致させていただいたのです」
そう言い切ったあとで、ドゥースに接近し過ぎていることに気づいたのか、慌てた調子で《聖女教皇 ファムナス》は手を離し、下がった。顔が赤かった。愉快だ。
こほん、とわざとらしい仕草で喉の調子を整えてから、《聖女教皇 ファムナス》はドゥースに向けて手を差し伸ばした。
「《百の剣士長 ドゥース》、《聖女教皇 ファムナス》の名に於いて、あなたに《東京ローズ》確保の任を与えます」
ドゥースは跪いて、ファムナスの差し出した手に恭しくキスをした。
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