展覧会/『War of Brains』/1-3弾ストーリー&フレーバー解読(前編)
- 目次
- 序曲
- 文化学ー龍と神々の歌ー
- 生物学ー獣たちの午後の歌ー
- 機械工学ー正義の歌ー(後編)
- 医学ー華の歌ー(後編)
- 化学―朝と夜の歌―(後編)
- 終曲(後編)
序曲
2016年にAndroid/iOS用のアプリゲームとして登場したWar of Brains。その中にはLAPIS、TAOSIN、SHEDO、MAGNA、E.G.UNIONの五カ国が登場し、プレイヤーたちはWar of Brains中のそのいずれかの国の代表選手として、現実世界の電子戦争の道具として利用される――。
これはあくまでWar of Brainsの中の世界であるWar of Brainsという世界のストーリーであり、War of BrainsというDTCGのストーリーではない。
などと書いてもさっぱり意味がわからないのは、War of Brainsの世界が二重構造になっているからだ。
わかりやすくこの構造を書き下すと、まずプレイヤーがWar of Brainsというアプリを起動すると、2091年の電子世界へと飛ばされる。この世界では2091年に世界電子平和推進条約が定められており、現実の戦争の代替品として電子戦争が行われている。
そしてその世界でGoodbook Inc.によって提供されているデジタルカードゲームが『WAR OF BRAINS』という名前なのだ。
もう少しわかりやすく書くために、我々がアプリとして起動するWar of Brainsをウォーブレ、ウォーブレの中で遊ぶことのできるGoodbook Inc.のカードゲームWAR OF BRAINSをWoBと書くと、つまり、我々はウォーブレを通して2091年の電子世界にアクセスし、さらにそのウォーブレからWoBをプレイしているというわけだ。
ナビゲータであるSINOやANILA、WHITEといった人物やストーリーモードはウォーブレの物語の中の存在である一方、アン・サリヴァンや獅子王、ウィットフォードさまといった人物はWoBの人物である。ゆえにDTCGとしてのWpB世界はウォーブレの世界のストーリーとは(少なくとも現段階では)関係がない。それゆえ、ウォーブレのストーリーモードの内容は現状ではフレーバーの考察やWoB世界観理解にはまったく役に立たないといって間違いないだろう。
さて、WoB世界はあまりに《武闘派戦士 シリメツレツ》に見える。片や人と同様に思考するロボットが宇宙レベルでの戦いを繰り広げ、片や獣と人が合わさったような生き物が跋扈する。片や神々が戦い続ける一方で、片や金と暴力と権力の闘いが繰り広げられる。
こんなふうに滅茶苦茶な世界観に見えるのは、我々が前提条件を知らないからだ。
まずは代表的なLAPISのゲームチェンジャー(GC)、《覇王 白獅子》を見てみよう。《白獅子》のフレーバーでは、「白獅子が王として君臨する世界」があるということが述べられている。
ここでいう「世界」という表現が国だとかの意味である可能性はないではないが、素直に考えれば、この世界は全体がすべてがそうした人と獣が共生する世界であり、なおかつそうした世界は(当たり前だが)一般的ではないということが理解できる。
つまるところ、LAPISの生物学世界と機械工学世界はまったくの別物ということだろう。
となれば、それぞれの国ごとに2種類の学問があるため、2x5=10のまったく相互の関係がない世界があることになるだろうか? そんな雑多な世界観ということで完結してしまって良いのだろうか?
いや、そうではない。そんなはずがない。これらの世界は、何らかの形で繋がっているべきなのだ――それを確かめるために、《龍狩兵 ヴァイパー》というカードを見てみよう。
彼は龍狩り(ちなみに『竜』ではない。竜と龍はこうした世界観ではまったくの別物として扱われれることが多い)の戦士で、それはフレーバーにもカードテキストにも現れている。
では『龍』といえばWoBではどの世界を連想するか?
《ヴァイパー》は【ドラゴン】を破壊できるカードだが、SHEDOには【ドラゴン】のカードは存在しない。
《導きの風 パルテノア》というニュートラルの例外はあるが、【ドラゴン】といえばTAOSINである。この国は【ドラゴン】にシナジーがあるカードがいくつかある。
そしてその【ドラゴン】を見ていくと、あることに気付く。(《パルテノア》を含め)すべて文化学なのである。
SHEDOの文化学である《龍狩兵 ヴァイパー》が【ドラゴン】に対して効果を持ち、TAOSINの【ドラゴン】が文化学である。
このことから結論付けられる、WoB世界観理解のための前提条件はひとつ。
『WoBには5つの学問世界があり、同一学問世界は何らかの形でつながっている』
ということである。
文化学ー龍と神々の歌ー
神の号を冠するユニットは、後述する〈死地の華〉では伝説的な存在である《華の女神 ヴェーダ》を除き、SHEDOの文化学にしか存在していない。
医学世界での伝説的な女神《ヴェーダ》が果たして文化学世界の神々たちとどのような関連を持つのかはここではさておく。
文化学の世界では神の力は当たり前のように行使されており、5つの学問世界の中では最も力強く、神々と龍が支配する最も強大な世界観であるように感じられる。
しかし現代でいう神話のように、神々たちが相争っている人間の天の上の世界かというと、どうもそうではないように感じる。
《蛇神 ナーガ》のフレーバーの「呼び出す」という表現を見る限り、文化学世界観は神々が存在しているというよりは、神々を呼び出すことが可能な世界のようだ。とはいっても、完全に創造された召喚体かというとそうでもなく、自立した意思を持ち力を行使するものの、世界への影響に関しては制限された存在なのかもしれない。あるいは古き神々の時代の化石のようなもので、力が限定的なのかもしれない。
そうやって見ていくと、《古の巨兵 グオラス》のフレーバーで語られる《炎神 アゴウ》の復活も、この「呼び出す」ことの一種なのかもしれない。
そういうわけで、どうやら文化学世界では群雄割拠の戦国時代で、各国では神々の力を借りて覇権を争っているらしい。
そしてこの時代は神々の力の時代であるが、SHEDOとTAOSINの文化学世界が同一世界であるのならば、同時に龍の時代でもある。
龍は西洋では悪魔の使いとされることもあるが、東洋では神の一種である。
神ではなく龍を信奉する勢力があることからも、文化学世界での龍=神の一種という捉え方が理解できる。
《炎神 アゴウ》などは他の神と争っているような描写があることから、神々対龍という構図というよりは、国ごとにさまざまな神を擁し、己の信仰を確固たるものにするために相争っている世界観というふうに見ることができるだろう――もし後述する医学世界と繋がりがあるのだとすれば、医学世界は《華の女神 ヴェーダ》の勢力が勝利したあとの世界なのかもしれない。
さて、そんなふうに互いに神々と龍の力を使って食い合う文化学世界ではあったが、《炎神 アゴウ》によれば、そこに何かが紛れ込んだ。
果たして「ろくでもねぇ奴」とは何か? 彼が敵対する神か? 「腹黒すぎる神」で知られる《土神 モルド・マルド》か?
いや、たしかに《モルド・マルド》は性格最悪かもしれないが、彼はあくまで手段が卑怯なだけで、「戦に紛れて」はいない。
ひとつ思い当たるとすれば《不徳なる策士 コウメイ》である。
邪眼術と呼ばれる術法を操る《コウメイ》は竜と敵対しており、人間よりも遥かに強大な力を持つ冥龍や灰龍を操り、我が物とした。
神たる龍を従えた彼は世界を一変させてしまったが、彼の目的は未だ語られてはおらず、その真意を知るためには次弾を待つしかない。
生物学ー獣たちの午後の歌ー
LAPISとE.G.UNIONというふたつの生物学世界は、片や人と獣が共存する世界、片や合成獣(キメラ)が人に反旗を翻す世界と、一見するとまったく異なる世界のように思える。
だがこのふたつの世界ではひとつの共通する要素がある。それは「獣に他の要素が混じっている」ということだ。《覇王 白獅子》は明らかに獅子ではなく、人の要素が存在している。キメラたちはその名の通り、複数の動物を組み合わせた生物である。
先にキメラたちの饗宴を見てみよう。人間による戯れか研究か、はたまた戦争利用か、目的は判然としないが人工的に生み出された生物である彼らは、人間たちに怒りを感じていた。
とはいえ彼らは人工的に作り出され、檻に閉じ込められたままの身の上。どれだけ怒りに身を震わせようとも、それが世界を揺るがすことなどありえるはずがなかった。
だがキメラプロジェクトの終了と、ほぼ時期を同じくして生まれた新たなキメラ――キメラとさえ呼べぬ生物、《新世界の王 メア》の出現によって、彼らの世界は一変した。
キメラたちは反旗を翻し、人間たちの虐殺を開始した。
《新世界の王 メア》を王と掲げて人間の撲滅を目指すキメラたち。
彼らが目指すのは、人間たちの撲滅。
だが果たしてその先に、彼らの未来はあるのか?
キメラたちは人間たちが嫌いだった――思うがままに醜悪な生物として己らを作り出し、傲慢のままに命を弄ぶ彼らが。
だが人間たちをただ殺し、彼らに成り代わるだけでは、今度は己らが人間になるだけではないのか? 最も嫌っていたはずの存在に。
だから彼らは人間に成り変わるのではなく、獣として生きる道を選択した。
――そして新たな世界が産まれた。
キメラの反乱から幾年の月日が流れただろうか。
新たな世界。それは雑多な遺伝子を残すキメラが【獣】として認められた世界だった。
だがその新たな世界でも、また新たな暗き意思が蠢こうとしていた。
歴史の変革が起きる前兆と言われる《不死梟》の出現だけならば、王たる《白獅子》も一笑できただろう。だが山の占い師さえも、そう遠くはない未来に訪れる脅威の存在を予想した。
果たしてその「脅威」とはなんなのか?
そんなふうに訝しんでいるところで、かつて《白獅子》たちの里を去った《邪怨を纏う豪虎》が現れる。
故郷を追われた黒虎――果たして彼が、その山の脅威だったのか。
否、そうではない。彼は相も変らぬ乱暴者ではあったが、彼は山を襲うためではなく、守るために戻ってきたのだ。
山を襲った脅威、その名は《屍刀 クロホムラ》。碧い焔を駆るその妖剣は、次々と山の獣と人間たちを葬っていった。その力はまさしく脅威と呼ぶほどのものであり、王たる《白獅子》ですら太刀打ちできるものではなかった。
あらゆる命を奪い去ろうとした《クロホムラ》。《白獅子》さえも打ち払い、もはや脅威はないものと思っていた。
だがその前にとある獣が立ち塞がる。
「――おれたちが相手をしてやる」
その獣の名は《覇獣 獅子王》。《覇王 白獅子》と《邪怨を纏う豪虎》が融合した姿である。
「融合」とは何か?
それは、忌むべき力。『ブースト』とも呼ばれるその力は、かつて獣たちが人間たちに味あわされた改造の証左。獣たちが合成獣キメラと呼ばれていた頃の能力の断片。人工的に遺伝子改造を受けた人工生命であるからこそ扱える、己の遺伝子を他の遺伝子と組み合わせる力。
負の遺産であるそれを、片や王として世界を守るため、片や己の我を通すために機能させた。
こうして融合を用いた《覇獣 獅子王》は《屍刀 クロホムラ》を追い払うことに成功した。
しかし果たして《クロホムラ》とは何だったのか。何を目的としていたのか。その正体は、未だ明らかになっていない。
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