天国/02/10
104日目
スノ、セヌツグダ城、リュイベレト城、そしてプラヴェン。スワディア解放軍はベランズ卿、クライグス卿などを味方に加えつつ、これらスワディア王国の領土を次々と奪取していった。
プラヴェンを制圧した後、初めて国民の前にイソラが姿を現して演説をした。
その夜、酒場でひとり酒を飲んでいたウルのところにイソラがやってきた。
昼間に街の人間すべてを相手にして演説を行った後に、まさかこんな場末の酒場にやってこようなどとは思ったため、酒を吹き出しそうになってしまった。
「どうした?」とイソラが首を傾げる。
「こんなところに来るんじゃない。昔とは違う。有名人なんだぞ。国王だ」
「服も着替えたからわからないさ」
イソラはにっこりと笑う。彼女の容姿は目立つので、着替えたからといって人目を隠せるとは思えない。酒場の暗さが幸いだった。
「そうだ、ウルギッド。昼間のわたしの演説、どうだった?」
「まぁ、良かったんじゃないか」
実を言うと、ウルは心配で見ていられなかったのだが、そう答えた。失敗もなく、むしろ民衆からは大喝采とともに歓迎されていたとはグラインワッド卿から聞いた。
「格好良かったか?」
その訊き方はどうなのか、と思ったが、ウルは「そうだな」と答えてやった。
「そうかそうか」とイソラはご満悦だ。
残るはハルラウス王が治める街、ウクスカルのみだ。もちろん敵もそこに兵力を集中してきている。侮れない。
しかしここまで来たのだ、という感慨があった。思えばこのプラヴェンの街からすべては始まった。
「ウルギッドはどうしてわたしに協力してくれる気になったんだ?」と不意にイソラが尋ねた。「最初は厭そうだったろう?」
「べつに、おまえに協力したわけじゃない。ただハルラウス王が気に入らなかっただけだ」
「わかった、クライス卿の真似だな?」
得意げな表情のイソラを見て、ウルはほっとした。どうしてハルラウス王が気に入らないのか、と尋ねられていたら、ウルはみっともなく赤面することしかできなかっただろう。
翌日からウクスカルに向けて進軍を開始した。
道中、モンテワール卿の隊およそ60とハルラウス王の隊およそ200と遭遇した。今回は前回とは違って、こちらの装備も兵力も充実しており、ウルの隊は野戦において勇猛を奮うスワディア騎士相手にもひけをとらなかった。
残念ながらハルラウス王は逃がしてしまったが、しかし彼の逃げる先といえば決まっている。もはや逃げる先はひとつしかないのだ。
ウクスカルに篭る軍は、およそ150だった。どうやら先ほどの野戦で兵力は使い果たしたらしい。野戦に次ぐ攻城戦で、スワディア解放軍は疲弊していた。
しかしこれが最期の戦いだという想いが皆の心の中にあったのか、疲れと痛みを振り切って戦い、突破できた。街の中に入ると、ウクスカルの町民や兵士の中には、解放軍を歓迎するものもいた。
ウルの隊古参のマルニドや精鋭兵数人とともに、城内に切り込む。ここを制圧してさえしまえば、それで戦の片がつく。
「ハルラウスはどこだ!?」
ウルは信じられぬ思いでその声を聞いた。ウルら尖兵隊を追いかけて、鎧を着込んだイソラが城の中までやってきていた。いくら大部分の兵士が協力的であるとはいえ、彼女が敵陣をうろつくのが危険なことには変わりない。
彼女を制止しようとした。しかしそれより前に、矢を弓に番える撓りの音を聞いた。
ウルは彼女目掛けて跳んだ。イソラを抱きかかえ、伏せさせる。矢が飛んできたほうに向けて弓を構え、射掛けた。イソラを狙っていた弓兵の頭に矢が突き刺さる。
その兵の放った矢はウルの左脇腹に刺さっていた。どうやら鎖帷子を貫いて肉に刺さっているようだ。
城の中に立て篭もっていた兵が雪崩れ込んできた。矢を抜くと出血が酷くなりそうだったので、矢が突き刺さったまま我武者羅に剣を振った。切り伏せる。
「ウル、ウルギッド………」イソラが泣きそうな顔でウルの傷口に手をやる。「すまない………」
「ハルラウスは?」ひとまず敵がいなくなったところでウルは矢を抜き、傷口を固定して止血する。「殺したか?」
イソラは無言で首を振る。
「くそっ……」頭が重い。ウルは首を振った。「逃げられたか………」
スワディア王国の領土すべてを制圧しても、ハルラウスをどうにかしない限りは前スワディア王国は死なない。逃げに徹されると厄介だ。
「ウルギッド、わたしが悪かった。だからいまは、ハルラウスのことは忘れてくれ………」
「ウルどの、大丈夫ですか……、うわっ」マルニドがやってきてウルの傷に眼を留めた。「その傷は?」
「そんなに深くない。大丈夫だ……、ハルラウス王を見つけたか?」
「いえ、伝令の兵が来ました」
ウルはそれを、逃亡しようとするハルラウス王をどこかで見つけたという報告だと思っていた。
しかし齎されたのは、ウクスカルに攻め寄る軍隊の報せだった。
ウクスカルの街壁の周りには地平を埋め尽くさんばかりの無数のボードシールドと弩兵の姿があった。矢が雨のように降り注いでいた。
ロドック王国の軍勢だった。スワディアが内乱で疲弊しきるのを待っていたのだ。
ウクスカル奪還に疲弊し切っていたスワディア解放軍の兵はなすすべもなかった。兵たちが矢で射られ、街壁から落ちていく光景を見て、ウルはマルニドに、撤退しろと命令を出した。
「いや、解散だな」ウルは脇腹を押さえて言った。「もう、スワディア解放軍は終わりだ。兵は全員逃げるか投降しろと伝えろ。マルニド、おまえもだ」
「解散……」
イソラが絶望的な様子で呟くのがわかった。しかし彼女はそれ以上は何も言わなかった。
「ウルどのは?」マルニドが尋ね、イソラに視線を移す。「それに………」
「おれは逃げる。こいつも逃がす」
ウルはイソラを抱きかかえる。
「わたしもお供します」
「いや、一騎のほうが逃げやすい。それに」追い縋ってこようとするマルニドの手を、ウルは払った。「邪魔をしないでくれ」
歩くたびに脇腹の傷から血が漏れ出そうな気がしたが、ウルはイソラの身体を離さなかった。城内の厩に残された馬に鞍をつけ、イソラを前に乗せて抱くように馬に乗る。
「ウルギッド、身体は………」
「大丈夫だ」ウルは心配そうな様子のイソラの手に触れてやった。彼女の手は熱かった。
街の外に出ようとすると、残っていた僅かな兵がこれからロドックの攻壁陣に突っ込み、敵を引きつけると告げてくれた。彼らが攻め込んでいる間、ロドック兵の包囲陣が一部手薄になる。
「ウルどの」と兵士のひとりが言った。「イソラ皇女のこと、よろしくおねがいします」
言われなくてもそうすると言ってやりたかったが、ウルは頷いて、手綱を握る。
目指すはウクスカルの傍にあるアメレの村だ。
「ウルギッド、一度降りて手当てをしたほうが………」イソラはずっと心配そうな表情だった。
「止まったら追いつかれる」
「でも………」
アメレの村まではもたないだろう。ウルには自分自身、それがわかった。だがせめて、彼女を村まで送り届けなければならない。
その後は何も話をしなかった。もし何か訊かれたら、おまえが愛らしいと思ったから、可哀想だと思ったから、とあらゆる問いにそう答えようと思っていたが、何も訊いてくれないのが残念だった。村が見えたところでウルは安心し、目を瞑った。意識が遠くなって、身体が馬から落ちて地面にたたきつけられたのがわかった。
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