アメリカか死か/09/03 Tranquility Lane-3
老女はほとんど錯乱していたが、しかしこの場所が仮想空間であり、悪夢のようなこの世 界をすべて終わらせてほしいとはっきりと嘆願した。
あるいは本当に狂っていたのかもしれない。
だが彼女の述べた言葉の中には、狂気の中にある人間以上のものがあった。
安全装置を使え。
彼女はそう言った。
「この街にある空き家……、その中に安全装置はあるの。Braunはわたしたちがあの空き家に入らないようにしている。それは安全装置を発見されてしまうのを恐れているからなの。安全装置は、ただの端末にしか見えないはず。でもそれが、この世界を終わらせられる唯一の方法なの。お願い、必ず見つけ出して。あなたなら、きっとできる」
老女の勧めに従い、Lynnは空き家へと向かった。隅々まで探しても、彼女の言う安全装置のターミナルは見当たらなかった。
しかし代わりに、いくつかの調度品が触れると音階を奏でることを発見した。
(これは………)
ひとつの調度品につき、ひとつの音階を鳴らす。いくつかを連続して鳴らすと、ひとつの曲になる。
Lynnの脳裏に、公園で花に水をやりながら、鼻歌を奏でるBraunが思い起こされた。もし何らかの方法で安全装置の端末を隠蔽しており、その隠蔽を解除するためのパスワードが一連の音階だとすれば、Braunはそれを忘れないようにするために、鼻歌として歌っていた可能性がある。
曲の音に合わせて調度品を鳴らそうとして、鼻歌自体は思い出せるものの、いったいどの音がどの音階なのか、よくわからないことに気付いた。Lynnは音感があまり良くない。というか、音痴だ。
結局、総当りでやった。
23回目の試行でようやく正解を引いたようで、壁に端末が現れた。
既にBraunに察知されているかもしれない。Lynnは急いで端末を立ち上げた。
(安全装置……、安全装置………)
キーボードと叩き、項目の一覧を選択していく。
(これか!)
ようやく安全装置という名称がついている項目を発見した。だがその項目の名は『「安全装置:中国侵攻」の起動』というなんとも奇妙なものだった。
しかしこれ以外に、安全装置を起動できるような項目はない。起動すると、端末モニタの下部にプログラム起動の文字が現れる。
(これで良いのか………?)
一見したところ、何も変わらない。
否、変わった。
聞こえてきたのは銃声と火薬の臭い、そして悲鳴だった。
空き家を出たLynnが目にしたのは、中国軍兵士が小銃でTranquility Laneの住民を虐殺する姿だった。
何度も目にした光景だ。実際にこういった体験をしたわけではない。戦前の時代に生きていたLynnは、学校の教育ビデオで「アメリカが中国に負けたらどうなるか」というビデオを散々見せられたのだ。敵も人間だろうに、アメリカ政府が作成したビデオによる中国人は、まるで悪鬼そのものだった。
足元で倒れているのは、Lynnに安全装置の存在を恐れた老婦人だった。彼女は胸を撃ち抜かれ、しかし幸せそうな表情で死んでいた。
安全装置を起動すればどうなるか、彼女は知っていたに違いない。おそらく現実世界でも、彼らは死ぬのだろう。何しろ彼らは200年前の世界の住人だ。だが死ぬとわかっていても、何も変化のない悪夢のような生活には耐えられなかった。
中国人兵士はなぜかLynnを認識していないようで、攻撃をしかけてこなかった。同じく、公園に佇むBraun/Bettyも無事だった。
「何をしたか、わかっているのか!?」
BraunはもはやBettyを保とうとはしていなかった。Lynnが安全装置を起動させたことに、今頃気付いたらしい。
「これで何もかも終わりだ! おまえが安全装置の引き金を引いたせいで、被験者は全員死ぬんだぞ! そしてわたしはこの地獄のような世界で取り残されることになったのだ! たったひとり、永遠にだ!」
どうやらBraunは、他のTranquility Laneの住人とは、この世界に存在している形式そのものが別らしい。ともあれ、それはLynnには関係ないことだ。誰だって終わりがある。永遠にとBraunは言ったが、終わらせたいのならば、終わらせられるだろう。あの老婦人のように。
「JamesとRitaはどこですか?」
Braunは苦々しく首を振った。もうすべてを諦めた、という表情だった。「Jamesの小僧なら、ずっとそこにいたよ。おまえも見ていた、あの犬だ。インディアンの小娘ともども、もう現実世界に戻っている」
犬がいた位置には、いつのまにか扉が出現していた。どうやらあれを潜れば、現実世界に帰れるらしい。
Braunは年老いた声で、もう行け、と言った。
Lynnは頷き、扉を潜った。
モニタが明滅してから消える。シールドが開く。外の空気が入ってくる。
どうやら現実空間に戻ってきたらしい。
LynnはTranquility Loungerのシートから降りる。どれくらいの間、あの仮想空間の中にいたのかはわからないが、身体が少し強張ってしまっていた。
「助かったよ」という男の声が聞こえた。Braunの声でない。彼よりもだいぶん若々しく、そして力強い声だった。「あの中で一生を過ごすことになるものかと思ってた。いやぁ、参ったね。会えて嬉しいよ。それで……、いったいぜんたい、どうしてきみがここにいるのかな、Lynn?」
Lynnはようやく、Jamesに出会った。
あるいは本当に狂っていたのかもしれない。
だが彼女の述べた言葉の中には、狂気の中にある人間以上のものがあった。
安全装置を使え。
彼女はそう言った。
「この街にある空き家……、その中に安全装置はあるの。Braunはわたしたちがあの空き家に入らないようにしている。それは安全装置を発見されてしまうのを恐れているからなの。安全装置は、ただの端末にしか見えないはず。でもそれが、この世界を終わらせられる唯一の方法なの。お願い、必ず見つけ出して。あなたなら、きっとできる」
老女の勧めに従い、Lynnは空き家へと向かった。隅々まで探しても、彼女の言う安全装置のターミナルは見当たらなかった。
しかし代わりに、いくつかの調度品が触れると音階を奏でることを発見した。
(これは………)
ひとつの調度品につき、ひとつの音階を鳴らす。いくつかを連続して鳴らすと、ひとつの曲になる。
Lynnの脳裏に、公園で花に水をやりながら、鼻歌を奏でるBraunが思い起こされた。もし何らかの方法で安全装置の端末を隠蔽しており、その隠蔽を解除するためのパスワードが一連の音階だとすれば、Braunはそれを忘れないようにするために、鼻歌として歌っていた可能性がある。
曲の音に合わせて調度品を鳴らそうとして、鼻歌自体は思い出せるものの、いったいどの音がどの音階なのか、よくわからないことに気付いた。Lynnは音感があまり良くない。というか、音痴だ。
結局、総当りでやった。
23回目の試行でようやく正解を引いたようで、壁に端末が現れた。
既にBraunに察知されているかもしれない。Lynnは急いで端末を立ち上げた。
(安全装置……、安全装置………)
キーボードと叩き、項目の一覧を選択していく。
(これか!)
ようやく安全装置という名称がついている項目を発見した。だがその項目の名は『「安全装置:中国侵攻」の起動』というなんとも奇妙なものだった。
しかしこれ以外に、安全装置を起動できるような項目はない。起動すると、端末モニタの下部にプログラム起動の文字が現れる。
(これで良いのか………?)
一見したところ、何も変わらない。
否、変わった。
聞こえてきたのは銃声と火薬の臭い、そして悲鳴だった。
空き家を出たLynnが目にしたのは、中国軍兵士が小銃でTranquility Laneの住民を虐殺する姿だった。
何度も目にした光景だ。実際にこういった体験をしたわけではない。戦前の時代に生きていたLynnは、学校の教育ビデオで「アメリカが中国に負けたらどうなるか」というビデオを散々見せられたのだ。敵も人間だろうに、アメリカ政府が作成したビデオによる中国人は、まるで悪鬼そのものだった。
足元で倒れているのは、Lynnに安全装置の存在を恐れた老婦人だった。彼女は胸を撃ち抜かれ、しかし幸せそうな表情で死んでいた。
安全装置を起動すればどうなるか、彼女は知っていたに違いない。おそらく現実世界でも、彼らは死ぬのだろう。何しろ彼らは200年前の世界の住人だ。だが死ぬとわかっていても、何も変化のない悪夢のような生活には耐えられなかった。
中国人兵士はなぜかLynnを認識していないようで、攻撃をしかけてこなかった。同じく、公園に佇むBraun/Bettyも無事だった。
「何をしたか、わかっているのか!?」
BraunはもはやBettyを保とうとはしていなかった。Lynnが安全装置を起動させたことに、今頃気付いたらしい。
「これで何もかも終わりだ! おまえが安全装置の引き金を引いたせいで、被験者は全員死ぬんだぞ! そしてわたしはこの地獄のような世界で取り残されることになったのだ! たったひとり、永遠にだ!」
どうやらBraunは、他のTranquility Laneの住人とは、この世界に存在している形式そのものが別らしい。ともあれ、それはLynnには関係ないことだ。誰だって終わりがある。永遠にとBraunは言ったが、終わらせたいのならば、終わらせられるだろう。あの老婦人のように。
「JamesとRitaはどこですか?」
Braunは苦々しく首を振った。もうすべてを諦めた、という表情だった。「Jamesの小僧なら、ずっとそこにいたよ。おまえも見ていた、あの犬だ。インディアンの小娘ともども、もう現実世界に戻っている」
犬がいた位置には、いつのまにか扉が出現していた。どうやらあれを潜れば、現実世界に帰れるらしい。
Braunは年老いた声で、もう行け、と言った。
Lynnは頷き、扉を潜った。
モニタが明滅してから消える。シールドが開く。外の空気が入ってくる。
どうやら現実空間に戻ってきたらしい。
LynnはTranquility Loungerのシートから降りる。どれくらいの間、あの仮想空間の中にいたのかはわからないが、身体が少し強張ってしまっていた。
「助かったよ」という男の声が聞こえた。Braunの声でない。彼よりもだいぶん若々しく、そして力強い声だった。「あの中で一生を過ごすことになるものかと思ってた。いやぁ、参ったね。会えて嬉しいよ。それで……、いったいぜんたい、どうしてきみがここにいるのかな、Lynn?」
Lynnはようやく、Jamesに出会った。
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