「助けて」

 Azaleaは振り返った。誰もいない。だが、確実に何かがいる。幽霊だ。
 そしておそらく、その幽霊とはこのホテルに宿泊した女性の幽霊だろう。地下通路で見た女性の姿時折姿を現す白い服を着た女の姿から、Azaleaはそう予想していた。


 ホテルの様々な場所で、L. A. SUN紙の古い生地を見つけた。
『地獄のホテル。ランドリールームで切断された子どもの頭部発見』
『またしても遺体発見!』
『許されざる殺人者。幼子殺しの犯人は父か、それとも母か』


 Azaleaは白い服の女が誘導するままにホテルを進んだ。ランドリールームではボイラー室の鍵を見つけ、ボイラー室でエレベータの電源を復旧させた。エレベータで二階に戻ってからは、東奥の部屋で部屋の鍵を見つけた。


Retrieved: Boiler Room Key
Retrieved: Upstairs Key

 鍵の掛かった部屋を開けると、まるで火事にでもあったかのように、ぼろぼろな部屋だった。床に穴が空いている。
 下はバーだった。バーは入口が封鎖されていたが、業務用のエレベータで移動できた。エレベータが移動した先は、キッチンである。


 そしてそのキッチンで、Azaleaは日記を見つけた。

Retrieved: Diary

1958年5月30日
 Ocean Houseホテルに到着。Edが予約してくれたホテルのグランドオープン。とても綺麗な場所で、子どもたちも午後は楽しそうに泳ぎに出ていた』

 日付は50年以上前。書いたのは恋人と子どもとともにこのホテルにやってきた女性らしい。
 綴られていたのは、一週間の休暇の間の幸せな日々と、それが徐々に恐怖に変わっていく有様だった。


1958年5月31日
 とっても素敵な毎日。
 ただEdがお母さんに貰ったロケットのことをやけに気にするのが気になる。ほかの男のひとから貰ったんだと思ってるみたい。彼はとっても良いひとだけど、たまに凄く焼もちを焼くから怖い。明日には仲直りできてると良いな。

 1958年6月1日
 Edは、「新しいボーイフレンドは誰なんだ?」なんてことを聞く。とても胸が痛い。馬鹿なEd。そんなひと、いないのに。

 1958年6月3日
 朝、ホテルのほかのお客さんとピクニックに行った。
 帰ってきてからEdの態度が暗い。
 わたしが愛しているのは彼だけなのに、何を言っても彼は信じてくれない。心が痛む』

 日記は6月5日で終わっている。女性はバスルームに閉じ込められ、Edという恋人に殺されたらしい。

 キッチンを出て、通風孔を伝いエレベータの軌道へ。メンテナンス用の梯子を攀じ登り、3階フロアに到達する。
(幽霊は女性の姿だった)


 声も女性のものだった。女の姿と声は、キッチンにあった日記へとAzaleaを誘おうとしていた。日記を見て欲しかったのだ。真実を知って欲しかったのだ。
 無念だったのだ。子どもを護れなかったこと、真実を知ってもらえなかったこと、男を狂気へは知らせてしまったこと。すべてが。


 幽霊の正体が明らかになったいま、恐怖はなかった。存在するのはただただ哀れな存在で、だから恐ろしくはなくなっていたのだ。自分が助けてやらなければ、という気持ちにもなった。

 4階の扉を開けたAzaleaは、一瞬自分の頭がおかしくなったのかと思った。
 明るい。



 それはAzaleaがおよそひと月ぶりに見る暖かな太陽の光だった。スイートルームらしき部屋は、うららかな午後の光に包まれている。
 Azaleaは己の腕を擦る。溶けていない。焼けてもいない。正常だ。ああ、異常になってしまったこの身体は、しかし正常だ。ならばこの明るさは幻想だということだ。幽霊が見せている世界なのだ。
 Azaleaはその部屋の中で、女物のロケットペンダントを見つけた。

Retrieved: Pendant

 ペンダントを手にした瞬間、周囲の景色が元通りの廃墟になる。
 日記にもロケットペンダントのことが出ていた。たぶん50年前の女性が残したものだろう。

 Thereseの話では、生前に執着していた物をその場所から取り除けば、幽霊は消えるという。それが成仏するという意味なのか、ただ現世に現われなくなるというだけなのかは判らないが、前者であればいいと、Azaleaは祈りながら、ホテルをあとにした。

 時間にしてはたかだか数時間なのだが、Santa Monicaに戻ってきたAzaleaは人心地着いた気分だった。いつもは煩わしい喧騒がありがたいほどだ。
 AzaleaはThereseに会うために、Asylumのオーナー室を訪ねた。ドアは開いていて、部屋の奥には女の姿がある。


「あっ、Azalea」
 と駆け寄ってきたその金髪の女は、しかしThereseではなかった。
「Jeanette………」
「いま、あなたのこと考えてたの。そしたら来てくれるなんて運命的ね、Azalea。わたしに会いに来てくれたの?
 Jeanetteは胸元が大きく開いた服を着た、蟲惑的な雰囲気を漂わせる女である。並べば、小柄で童顔のAzaleaは子どものようにしか見えないだろう。
 だからというわけではないが、AzaleaはJeanetteが苦手だった。ひとつにはMercurioから聞いていた、彼女が男と寝て夜の街を操っているという噂があるからだったが、もうひとつは殆ど本能的なものだった。
 Azalea自身も、夜の女として生きていた頃がある。その頃に身についた防衛本能だ。Jeanetteのような女は、何を仕出かすのか解らない怪しさがあった。

「Thereseに会いに来たのだけれど………」と一歩下がってAzaleaは答える。
「Thereseに用事?」とJeanetteの歌舞伎のように隈取られた瞳が輝く。「へぇ……、Thereseに何か持ってきたってわけ? なになに? 見せて?」
「いや……、これは」Azaleaは手の中で握っていたロケットペンダントを、咄嗟にポケットに突っ込んで隠す。なぜだか、これをJeanetteに見せてはいけないような気がした。「Thereseに渡すことになっているものだから……」
「見るくらいなら良いでしょ? ね、なに?」

 Azaleaが無言で下がると、Jeanetteは僅かに憂いを含んだ表情で、しかし無理矢理明るい声を作ったような声で言葉を発す。
「ねぇ、Azalea、そんな態度を取らないでよ。べつに取って食いやしないんだから。ただ、Thereseに何を持ってきたのか見せてほしいな、って思っただけで………」
「ごめん、見せられない」
 Azaleaの言葉に、Jeanetteの顔がくしゃりと歪む。


「なんでそんなふうに拒絶するの?」とJeanetteの顔が紅潮し、悲痛な声で怒鳴り始める。手近な机を叩く。「あなたも、みんなと同じなの? Thereseはわたしのこと、馬鹿な妹だって言ったんでしょ? 脳味噌腐った色情魔だって!」
「Jeanette、わたしはべつに………」
「Thereseはいつもわたしのこと馬鹿にする……。そうよ、解ってる! Thereseのほうが賢い、Thereseのほうが人望がある、Thereseならなんでもできる。Therese、Therese、Therese! みんなそう! わたしだって頑張ってるのに! このクラブだってそう! わたしだって」Jeanetteは両手で顔を覆う。掌の隙間から、涙が伝う。「努力してるのに……、みんなThereseのことばっかり気にかける………」
「Jeanette、落ち着いて………」
 すすり泣くJeanetteの背中を、Azaleaは撫でる。
「Azalea……、わたしのこと、嫌いじゃない?」
「嫌いなわけないでしょ」
「ほんと?」
「本当」
じゃあThereseに持ってきた物、見せて
「厭」

 Jeanetteの声には血力が篭っていた。
 それなのにAzaleaがそれを跳ね除けることができたのは、Jeanetteがそうした実力行使をしてくることが予想できていたからだった。

 ゆっくりと、Jeanetteの顔から手が除かれる。現われたのは、同性のAzaleaさえも惹きつけられてしまいそうな愛らしい笑顔である。
「餓鬼みたいな見た目と裏腹に、いちおうそこそこ腹は据わってるってわけね」
 その愛らしい笑顔から発せられたどす黒い声に、Azaleaは警戒の色を露わにした。

戻る

0 コメント :

コメントを投稿

 
Toggle Footer