展覧会/『ひよ恋』
70%がりっちゃんで、25%が結心で、残り5%がその他で構成されています。
りっちゃん可愛いで満たそうと思ったが、少女漫画読んでると通報されるらしいし、主人公の想い人(男性主人公の想い人ならヒロインと書けるが、女性主人公の場合の想い人をなんと書けば良いのかわからない)である広瀬結心(ひろせ・ゆうしん)について書きたい。
だいたいにおいて(というほどでもないが)、恋愛ものというと、主人公かその想い人は性格的に何かしら問題を抱えていることが多い気がする。
男性向けの少年漫画だと、主人公を足蹴にしたり、理解不能な理由で殴り掛かって来たりと、異様に暴力的だったりと女性が酷い一方で、女性向けの少女漫画だと逆に男性が性格破綻者だったりする。
たぶん人間というものは異性に対してはある程度までは寛容で、多少頓狂なところがあると(その感情が持続するかはともかく)惹かれるのだろう。
では『ひよ恋』ではどうかというと、主人公の想い人である広瀬結心というキャラクタは、異様なほど真人間なのだ。
結心は、高身長のイケメンとしてわかりやすく描かれる。身長190 cmで主人公より50 cm高く、陽気で人懐こく、クラスの中心人物だ。とてもわかりやすい。
無神経なところはあって、人の失敗を笑い飛ばすようなところがある。だが気が遣えないわけではないし、暴力的でもない。他人の悪口を言わない。人の話を聞くし、無為に嘘も吐かない。べつに老練しているわけではないし、いわゆる生徒会長みたいというか、なんか完璧超人というアレでもなく、歳相応に子どもだけれども、やはり相応に良くあろうと努力している。
「こんなまともな男が少女漫画の恋人役で良いのだろうか」
と思ってしまったレベルである。
まぁ、つまりが、優しいのだ。
主人公の友人のポジションにある、りっちゃん(名前なんだっけ?)のほうが、主人公側の性質に近い。すぐ泣くし、大食いだし、殴るし、かなり特殊だ。りっちゃん可愛い。
やはり主人公の友人(こちらは男)のコウくん(名前なん略)も、物理的に暴力を振るうというわけではないが、やはり性格が幾分破綻しているところがある気がする。
結心は良い人だ。
とここまで書いてみて、良い人とはいったいどういう人だろうとふと考えるに、感情的にならない人という意味で使ったというかんじがする。
感情でわかりやすいのは喜怒哀楽だが、結心は「喜」と「楽」にかけては常に発揮している。それが時として人を傷つけるようなところもあれ、そのときは謝ることもできる。
「哀」は殆どなくて、なにがしかのイベントに際して多少アンニュイな表情を見せるに留まる(おぉ、少女漫画っぽいな)。
では怒は、というとこれも希少だ。
その希少な中の怒鳴るタイミングはとはいえば、殆どが話題にあがりやすい幼馴染に関することと、主人公に関することだけなのだ。でなければ、声を荒げたことに対し、すぐにフォローを入れている。
こいつなんでこんなに理性的なんだろう、と心配になるくらいである。
嫌なことは嫌な顔をするし、嫌だということを表面に出しはするが、大声をあげて怒鳴ったりはしない。
これは非常に重要だと思っている。
怒鳴る(台詞の吹き出しの形状や色を変え、感嘆符や促音をつける)ことで感情を表現するのは容易だ。
そして怒鳴る表現が簡単であるように、怒鳴ることは簡単だ。感情の赴くままに声を出せば良いのだから。
だがすぐに怒鳴り声をあげるような人間を好きになることはできない。怖いし、五月蠅いし、厭だから、ぐっと堪えて我慢してほしい。感情を隠せなくても、努力しているところを見せてほしい。そうして好きにならせてほしい。そういうものだ。
ここまでまったくといっていいほど主人公について言及してこなかったが(りっちゃんが可愛いから仕方ないね)、『ひよ恋』の主人公は西山ひよりである。
ひよりは対人恐怖症気味で、はっきりとした言葉にして言ったことはないものの、怒鳴られるのは苦手だろう。大きな声を出されるのは嫌いだろう。
だから結心は大声をあげない、というわけではない。単にそういう人間というだけで、ひよりが結心に恋心を抱いた理由は、そうしたネガティブな理由ではない。そこに惹かれるものがあったからだ。
だがもしも結心がすぐに声を張り上げるような人間なら、好きなところがあっても、その人物丸ごと好きになることは難しかっただろう。
誰も彼もが、優しくいられるわけではないし、穏やかでいられるわけではない。世の中は平和ではないし、平穏ではない。
ただ嫌なことがあったとき、ほんのちょっとだけ頑張ることで、少しだけ相手を思いやることで、声を張り上げて怒りを露わにすることを抑えることができる。
誰だって優しい人が好きなのだ。
ひよ恋(雪丸もえ/集英社)
だいたいにおいて(というほどでもないが)、恋愛ものというと、主人公かその想い人は性格的に何かしら問題を抱えていることが多い気がする。
男性向けの少年漫画だと、主人公を足蹴にしたり、理解不能な理由で殴り掛かって来たりと、異様に暴力的だったりと女性が酷い一方で、女性向けの少女漫画だと逆に男性が性格破綻者だったりする。
たぶん人間というものは異性に対してはある程度までは寛容で、多少頓狂なところがあると(その感情が持続するかはともかく)惹かれるのだろう。
では『ひよ恋』ではどうかというと、主人公の想い人である広瀬結心というキャラクタは、異様なほど真人間なのだ。
(『ひよ恋』1巻p11より)
結心は、高身長のイケメンとしてわかりやすく描かれる。身長190 cmで主人公より50 cm高く、陽気で人懐こく、クラスの中心人物だ。とてもわかりやすい。
無神経なところはあって、人の失敗を笑い飛ばすようなところがある。だが気が遣えないわけではないし、暴力的でもない。他人の悪口を言わない。人の話を聞くし、無為に嘘も吐かない。べつに老練しているわけではないし、いわゆる生徒会長みたいというか、なんか完璧超人というアレでもなく、歳相応に子どもだけれども、やはり相応に良くあろうと努力している。
「こんなまともな男が少女漫画の恋人役で良いのだろうか」
と思ってしまったレベルである。
まぁ、つまりが、優しいのだ。
(『ひよ恋』6巻p132より)
主人公の友人のポジションにある、りっちゃん(名前なんだっけ?)のほうが、主人公側の性質に近い。すぐ泣くし、大食いだし、殴るし、かなり特殊だ。りっちゃん可愛い。
やはり主人公の友人(こちらは男)のコウくん(名前なん略)も、物理的に暴力を振るうというわけではないが、やはり性格が幾分破綻しているところがある気がする。
結心は良い人だ。
とここまで書いてみて、良い人とはいったいどういう人だろうとふと考えるに、感情的にならない人という意味で使ったというかんじがする。
(『ひよ恋』1巻p36より)
感情でわかりやすいのは喜怒哀楽だが、結心は「喜」と「楽」にかけては常に発揮している。それが時として人を傷つけるようなところもあれ、そのときは謝ることもできる。
「哀」は殆どなくて、なにがしかのイベントに際して多少アンニュイな表情を見せるに留まる(おぉ、少女漫画っぽいな)。
では怒は、というとこれも希少だ。
(『ひよ恋』6巻p149より)
その希少な中の怒鳴るタイミングはとはいえば、殆どが話題にあがりやすい幼馴染に関することと、主人公に関することだけなのだ。でなければ、声を荒げたことに対し、すぐにフォローを入れている。
こいつなんでこんなに理性的なんだろう、と心配になるくらいである。
嫌なことは嫌な顔をするし、嫌だということを表面に出しはするが、大声をあげて怒鳴ったりはしない。
これは非常に重要だと思っている。
怒鳴る(台詞の吹き出しの形状や色を変え、感嘆符や促音をつける)ことで感情を表現するのは容易だ。
そして怒鳴る表現が簡単であるように、怒鳴ることは簡単だ。感情の赴くままに声を出せば良いのだから。
だがすぐに怒鳴り声をあげるような人間を好きになることはできない。怖いし、五月蠅いし、厭だから、ぐっと堪えて我慢してほしい。感情を隠せなくても、努力しているところを見せてほしい。そうして好きにならせてほしい。そういうものだ。
ここまでまったくといっていいほど主人公について言及してこなかったが(りっちゃんが可愛いから仕方ないね)、『ひよ恋』の主人公は西山ひよりである。
(『ひよ恋』1巻p30より)
ひよりは対人恐怖症気味で、はっきりとした言葉にして言ったことはないものの、怒鳴られるのは苦手だろう。大きな声を出されるのは嫌いだろう。
だから結心は大声をあげない、というわけではない。単にそういう人間というだけで、ひよりが結心に恋心を抱いた理由は、そうしたネガティブな理由ではない。そこに惹かれるものがあったからだ。
だがもしも結心がすぐに声を張り上げるような人間なら、好きなところがあっても、その人物丸ごと好きになることは難しかっただろう。
(『ひよ恋』9巻p46より)
ただ嫌なことがあったとき、ほんのちょっとだけ頑張ることで、少しだけ相手を思いやることで、声を張り上げて怒りを露わにすることを抑えることができる。
誰だって優しい人が好きなのだ。
(『ひよ恋』 レビュー。引用画像は『ひよ恋』(雪丸もえ/集英社)1、6、9巻より)
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