2-013C 《名乗りを上げる騎士》
名乗りを上げるということは、戦いの天使の名簿に魂を刻むということだ。一度そうしたなら、その名簿に黒い横線が引かれるまで、決して退けはしない。


 主力となる騎馬隊が簡単に潰されたことに、百人隊のルグは驚かなかった。
(ドゥース隊長の言っていた通りになったな)
 《百の剣士長 ドゥース》は何も、ゼフィロン軍の戦略を見抜いていたわけではなかった。
 彼は優れた剣士で、軍人だ。だが、それが彼の強さなのではない。彼より強い剣士などいくらでもいるし、彼を上回る戦略を立てる人間だっているだろう。
 ドゥースのドゥースたるところは、武勇や智謀などといった、誰しもが理解できるものではない。的確に事態を見抜き、もし見抜けなければ、相手の動きがわかるまでじっと機を待つ。奔放な性格に似合わぬ慎重さこそが、ドゥースの強さだった。

 言い換えれば、ドゥースは恐れを知っていた。
 彼は《ベルトラン・デュ・ゲクラン》という男を恐れていた。名しか知らない、敵国の召喚英雄のことを。
 だから彼はこの戦場を離れなければいけなくなったとき、ルグにベルトランに対する恐れを伝えた。相手は召喚英雄で、何をしてくるかわからないから、慎重に行け、と。無理をするな、いざとなれば逃げろ、と。
(自分のミスだ)
 ルグは悔いた。城を預かるパステロのことを止められなかったのは、彼のミスに違いなかった。

 既に趨勢は決まっていた。
 グランドール軍が失った兵の数、千という数そのものは、さして大きな数ではない。だが失ったその千の騎馬隊は、グランドール軍の主力となる優れた兵士たちだった。
 グランドールは完全に攻め手を欠くこととなった。
 とすれば、あとは籠城しかないのだが、ゼフィロン相手の籠城は困難を極める。何せ相手には、城門を破壊するミノタウロスがいる。山を迂回するケンタウロスがいる。空から忍び込むスワントがいる。

(ならば、自分にできるのはドゥース隊長の指示に従うことだけだ)
 慎重に行け、という最初の指示は実行できなかった。
 だが最後の指示は実行できる。
「撤退します」
 とルグはカダナル城の全兵士に指令を発した。
 兵たちがどよめく。最初の司令官が聖都に戻り、次の司令は勇み足で死んだ。だがまだ兵は多く残っている。まだ負けたわけではない。まだ戦える。そう思っているのだろう。
 しかし、負けを悟ってから撤退するのでは遅すぎる。ゼフィロン軍は疾風迅雷だ。

 だがその前に、為さねばならないことがある。
自分は残ります。ほか、二十人ほど、結婚しておらず、親がいない者がいれば残ってください」


「うーん……、騙された、か?」
 長弓持ちのミノタウロスによる強襲から半日。
 グランドールの動きは何も無いまま、時間だけが過ぎた。もちろんゼフィロンとしては攻めを怠ったわけではなかったのだが、堅牢で知られるカダナル城の守りは固く、グランドール軍は二度は勇み足を踏もうとはしなかった。
 そうこうしているうちに、陽は地平線に近く、空は赤く染まっていた。

 ベルトランが呟いたのは、ゼフィロンの天幕でもグランドールの城でも、煮炊きの煙が上がり始めた頃だった。
「何がだ」
 と問うのは《折れ角の暴風 モル・ガド》である。まだ戦闘をしていないせいか、力が有り余っているという様子だ。
「逃げられたな」
「何? どういうことだ?」
「あの城はもう蛻の空だよ。いや、何人かは残ってるかな。うーん、気付くのが遅れた」
 とベルトランは舌打ちした。

「なぜそう思うのですか?」
 エルトラは問う。カダナル城には、松明の明かりや旗は前日と同じように立っているし、何より煮炊きの煙が立っていた。戦闘を継続するつもりがないのであれば、飯を作る必要など無いはずだ。
「ありゃ、単に煙を起こしてるだけだ。だってよ、ほら、向こうからは飯の匂いがぜんぜんしねぇだろ?」
 ベルトランが鼻を指さしたので、エルトラも匂いを確かめようとしてみるが、そもそもゼフィロンの陣地でも飯を作っているのだから、カダナル城からの匂いだけ嗅ぎ分けるなんて芸当ができるはずもない。だがベルトランはできるらしい。

「ふむん、じゃあ確かめてみるか」とモル・ガドが斧を担いで腰を上げる。
「そうするか」とベルトランも立ち上がり、カダナル城へ向かおうとする。
 どうやらたったふたりだけで、敵陣に乗り込むつもりらしい。鎧装束を解いていないとはいえ、このふたりは正気ではない。待ってください、待ってください、とエルトラは押し留めようとしたが、殆ど引き摺られるように馬に乗せられ、カダナル城の門前へと連れていかれてしまった。

 夕暮れ刻ではあるが、視界が完全に閉ざされてしまったわけではない。何より、巨体のミノタウロス族の中でも群を抜いて巨漢の《折れ角の暴風 モル・ガド》がいるのだから、グランドール側が警戒しているのであれば、発見されないはずがなかった。
 にもかかわらず、矢の一本も飛んでこないのだから、どうやらベルトランの推測は当たっていたらしい。
「いないんだったら、城門を抉じ開けるか?」
「いや……」馬上のベルトランの表情は険しかった。「いるな」
「どこだよ」
「門の」
 向こうだ、とベルトランが言い切るまえに、巨大な鋼鉄製の門が開いた。

 カダナル城の開いた門の向こう側に立っていたのは、端正な顔立ちの若者だった。薄い胸当て以外には鎧は身に着けておらず、平服であり、身体の線は細いからには、腰に提げた長剣が無ければ、文官のようにも見えるほどだった。
「ゼフィロン軍の総大将とお見受けします」と若者は静かな声を発した。「自分はグランドール百人隊のルグと申しまして、死んだディレーゼ伯パステロの代わりに城守の代役を務めさせていただいております。
 降伏を受け入れていただきたく、門を開けさせていただきました。城は兵糧や装飾品を含めてそのまま明け渡しますので、代わりに兵は全員見逃してほしいと思っています」
「それはできんな」

 すぐさま返答したのは、馬上のベルトランだった。
 彼の拒絶の理由も、エルトラには理解できた。

 兵とは殺すもので、将とは捕虜にするものだ。もっともこの考え方は土地や時代によっては異なるが、少なくともグランドールでは大部分がそうだ。ゼフィロンでは、基本的には捕虜を取るというやり方は少ないが、グランドールと戦うときには、取れる捕虜は取ることにしている。
 なぜなら、グランドールに合わせれば、捕虜とは金と等しいからだ。捕虜というのは、身代金と交換ができるのである。

「受け入れていただけない場合、いまから全員で攻撃をかけさせていただきます」とルグは淡々とした口調のまま言った。
「攻撃できるほどの人数は残っちゃいないだろ」とベルトランは返す。
 モル・ガドも怯まずに、「いいさ、かかってこい。暴れたりなくて、うずうずしているんだ」と言った。
「折れ角と召喚英雄に勝てるとは思っていませんが、死にもの狂いでかかるつもりではいます」
 と、ルグのほうも退かなかった。

 静かな沈黙が流れた。沈黙を打ち破るのはベルトランしかいないだろう、とエルトラは思っていた。彼の決断が、この場の流れを決定するのだ、と。
 しかし、先に口を開いたのはルグだった。しかも予想外なことを言い出した。
「もうひとつ、要求したいことがあります」静かな口調のままに百人隊の男は言った。「《ベルトラン・デュ・ゲクラン》どのと決闘をさせていただきたい」

「なんだと?」
 エルトラは思わず声をあげてしまった。
「決闘を戦争の道具にするつもりはありません」とルグはエルトラを無視して言った。「ただ、自分は戦いたいだけなのです」
 未だ名乗ってはいないはずなのに、ルグは真っ直ぐにベルトランを見ていた。
 ほかのふたりがミノタウロスとスワントなのだから、3人の中で誰かがベルトランなのかといえば、騎乗の男に違いないというのは推測できるとはいえ、ルグの視線は不思議な確信を持っているように見えた。

「あんた、名前は?」とベルトランが問う。厭な予感がした。
「グランドール百人隊がひとり、ルグ。先ほども名乗りました」
「ああ、そうだっけ、そうだっけ。忘れてた。だがなぁ」ベルトランはにやりと笑う。「へっへっへ、これだよなぁ。騎士なら名乗りを上げて決闘だよなぁ」
 おれの名は《ベルトラン・デュ・ゲクラン》だ。そう言って、ベルトランは腰に下げていた戦槌を抜くと、馬上で一振りした。

「それは、決闘を受けていただけるということでしょうか」
「馬に乗れよ」
「ベルトランどの、答えてください」とルグはあくまで答えを引き出したがった。「受けていただけるか」
「ああ、受けるぜ。だからさっさと準備をしてくれ」

 勝手なことを、とエルトラが反論しようとした刹那、既にルグは動いていた。


 ルグは鞘に剣を収めたまま、前方に向かって疾走していた。

 歩兵、対、騎馬。
 長剣、対、戦槌。
 一、対、三。

 どれだけ考えてもルグの不利は明らかで、しかし彼は一縷の迷いも無く走っていた。
 ルグは心の臓を守る位置に胸当てをしているくらいで、ほかに大仰な装備は無い。だから軽い。
 剣は僅かに湾曲した片刃だ。この剣も、そしてこの剣を用いた剣術も、ベルトラン・デュ・ゲクランが知らないに違いないものである。

 スワントが反応する様子を見せたが、担いでいる弓を構えて矢を番えるまではまだまだ時間がかかりそうだった。こちらは問題ない。
 一方でミノタウロスはといえば、《折れ角の暴風 モル・ガド》である。噂が正しければ、このような決闘を好む武人のはずだ。妨害を喰らう心配は無かったが、万が一の心配をして、ルグは脇差しをミノタウロスへと投擲した。これで彼の反応は遅れる。

 ミノタウロスが脇差しを払いのけ、スワントが弓へと手を伸ばす間に、ルグは鞘に刀を収めたまま、ベルトランへと接近していた。
 歩兵からは、馬は騎乗の人物が見えないほど、山のように巨大に見える。剣は簡単には届かず、足を攻撃したとしても致命傷に至らない。逆に騎乗からは振り下ろす力を使って、容易に足下を攻撃できる。しかも剣が届かなくとも、馬の足が鈍器となるからには、ルグの攻撃は通常なら悪手といって違いなかった。

 イースラへ武者修行に行ったルグが取得したのは、居合いなる名称の剣術である。
 疾走する勢いそのままに、馬の足をかわし、抜刀。馬の腹ごと騎乗の男を狙った。

 馬上鎧は矢の通る隙の無いほど堅牢な造りではあるが、人が着るものである以上、関節には余裕がある。
 狙ったのは股座である。股間は男性にとって、言うまでもなく急所で、睾丸を狙われずとも血管の多い股を切り裂かれれば、出血が止まらなくなる。しかも騎乗であれば、股は大きく開かれた状態で、刀が入る隙が大きい。馬の胴越しにも、ルグの居合術なら刃が通る。

 教本のような完璧の動きで、丸太のように太い馬の胴体を切断した。
 だが切断した馬の胴体の向こうに、ベルトランの姿は無かった。

 纏ったままでは碌々動けぬはずの馬上鎧を着たまま、馬の頭上に立っていた。
 いや、違う。ベルトランは既に鎧を着ていなかった。

 視線を下げれば、地面に脱ぎ捨てられた鎧兜が転がっている。格好は殆ど黄ばんだ下着姿だ。
(こちらが走り出した瞬間に、もう脱ぎ始めていた………?)
  徒歩のルグからは、騎乗のベルトランの動きは見えていなかった。だが、馬上にあれば動くのは馬で、人はそこから攻撃を仕掛けるだけのはずだった。少なくとも、ルグはそう思っていた。だから居合いが通用すると思っていた。
 だがベルトランは、そのルグの考えを読んでいた。歩兵が騎馬に攻撃を仕掛けてきた時点で、鎧を脱ぎ捨て始めていたのだ。でなければ、着るに比べて脱ぐのが易いとはいえ、間に合うはずがない。

 ベルトランの戦槌が振るわれた。
 まるでルグの身体に縦に一本、線が描かれたかのようだった。次の瞬間、その線は赤く滲み、さらには鮮血を吹き上げた。ベルトランの戦槌が、胸から腰にかけての肉を抉り取った。

 召喚英雄は化け物だ。
 だから戦うな。
 《百の剣士長 ドゥース》はそう言っていた。 

(ドゥース隊長、あなたは間違っています)

 この程度。
 この程度なのだ。

 ベルトランは策を弄した。策を弄し、だからルグに勝った。
 もちろんルグは、ベルトランと正面切って戦えたとしても、勝てなかったと思っている。戦槌の鋭さは類を見ないほどで、きっとルグの刀を叩き折っていただろう。
 だがそれでも、軌跡が見えぬほどではなかった。化け物ではない。人間のそれだ。

 ケンタウロスの囮とミノタウロスの長弓を用いた作戦にしたってそうだった。囮はともかく、ミノタウロスの長弓の存在は、ルグには思いつかなかったし、ドゥースがいたとしても見破れなかっただろう。
 だがドゥースだったら、ああも簡単に囮には食いついたりはしなかったはずだ。何があるかはわからないなりに、対策を立てられたはずだ。ディレーゼ伯パステロが功を焦らなければ、誘き寄せられたりはしなかった。

 ベルトランという男は、強い。ああ、確かに強い。凄まじい軍人だ。
 だが、それだけだ。
 それだけなのだ。
 一度に千の兵を相手に向けて、ただその声その指先ひとつで味方につけてしまう《ジャンヌ・ダルク》とは違う。
 所詮はこの程度、ただ強いだけの軍人。ひとりで無理なら、ふたりで、三人でかかれば倒せる程度の男なのだ。

 殆どの肉が抉れ、背骨と背筋だけで真っ直ぐに立っていたルグは、予備の2本目の脇差を抜くや、ベルトランに切りつけた。脇差はベルトランの腕を掠り、僅かな傷を作った。
(自分程度の男にも……!)
 こうして傷を負わせられる。

(だから、ドゥース隊長………)
 ルグは脇差を高く掲げた。空には満月がかかっている。
 月は白く、空は黒く、そしてカダナル城は赤く染まっていた。ルグの合図で、火がかけられたのだ。先に撤退した軍と、残っていた兵たちが逃げやすくなるように、という処置だった。

 天に月、地に炎。
「あなたなら、勝てます」
 2撃目の戦槌がルグの右腕を断ち切ったとき、既に百人隊一の剣士は絶命していた。

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