目次

    • 《木下藤吉郎》 & 《墨俣城》
    • 《貂蝉》
    • 《九天玄女》
    • 《クフ》 & 《ギザの大ピラミッド》
    • 《ティターニア》
    • 《平賀源内》





5-002R《木下藤吉郎》 & 5-021U《墨俣城》
日本史

 ――気が利くというのは逆だ。
 まず相手を理解する。その上で望まれているところを正しく差し出してみせる。それを藤吉郎は自然にできる。稀有の才だと、御長は思う。
 人間さまより足らぬ猿のような顔をして、それは尋常でなく頭がよい証拠であった。
『女信長』, 佐藤賢一, 毎日新聞社, 2006. p113より


 草履取りから足軽大将へ上り詰めた男。のちの天下人豊臣秀吉。

 出自についての詳細はあやふやであるが、一説には幼い頃に下級身分であった父を亡くした彼は、元服後に東海一の弓取りと名高い今川義元治める今川家に奉公を求め、この際に見聞を広め、のちの部下となる蜂須賀小六などと交友を持ったという。
 天文二十三年(1554年)に18歳で《織田信長》に仕えたのちに、永禄四年(1561年)に浅野長勝の養女、ねね(当時14歳)を娶る。妻の母親が木下家出身であったため、苗字を持たない下級の出であった彼は、このときから《木下藤吉郎》を名乗ったといわれている。

 《織田信長》からは「猿」や「禿げ鼠」などの通称で好まれ、僅か10年足らずで有力武将となる。そのスピード出世には周囲から疎まれることもあったが、《織田信長》 が取り成したという記録もある。
 しかし《木下藤吉郎》自身は「無暗に血を流すことは好まない」などと、時に虐殺に近い戦争を行う《織田信長》を批判するようなところもあった。
 《織田信長》による虐殺の記録が多いが、《木下藤吉郎》がそれに参加したという記録は少なく、口実を設けて城に籠っていたためではないかといわれている。


『 勇猛 』
木下藤吉郎のパワーとATKをあなたの戦場にあるカウンターの置かれていない【カテゴリ(建造物)】のヒストリー1個につきそれぞれ+500、+1する。
 《木下藤吉郎》は城攻めを得意としていた。
 特に経済的な戦法については抜きんでており、たとえば天正九年(1581年)の因幡鳥取城攻めの際には、商人を使って米を買い付けさせたうえで、城の向かいで築城を行って射手を配置し、兵糧攻めにした。


[X][W]:あなたの手札からコストX以下のヒストリーカードを1枚戦場に配置してもよい。
『 準備1 条件(あなたのメインフェイズ1の開始時に) 』
墨俣城に準備カウンターが置かれていないならば、あなたのすべてのユニットのパワーとATKをそれぞれ+1000、+1する。
対戦相手のユニットが攻撃したとき、墨俣城に準備カウンターが置かれているならば、墨俣城を犠牲にする。
 天然の要塞ともいわれる斉藤竜興の稲葉山城攻めの際に、《木下藤吉郎》の才は如何なく発揮された。
 《木下藤吉郎》は稲葉山城攻めの拠点とするために、野武士である蜂須賀小六などを従え、《墨俣城》の建築担当に名乗りをあげた。
 途中で建城が暴かれてしまえば、拠点を危険に晒しかねない賭けではあった。だが《木下藤吉郎》は上流からすぐに組み立てられるように加工した木材を筏で下流に運び、大量の食糧や人員を投入することで、わずか4日にして、一夜城とも称される《墨俣城》を建設し、美濃攻めに貢献したといわれている。
 ただし《墨俣城》の建築に関しては諸説あり、創作ではないかという説もある。



5-009S《貂蝉》
三国志(演義)

呂布が画戟をふりあげ、公孫瓚の背中めがけて突き刺そうとした瞬間、公孫瓚の側にいた大将が、ドングリ眼をみはり、虎ヒゲをぴんとおっ立てて、長さ一丈八尺の蛇矛を突きだし、馬を飛ばして大声で叫んだ。「三度も姓を変えた召使い野郎め、止まれ。燕人張飛ここにあり」。
『中国の五大小説』上, 井波律子, 岩波書房, 2008. p28, 『三国志演義』第5回より

 「人中に呂布有り、馬中に赤兎有り」と称された《呂布》を籠絡した美女。
 その名は陳寿による三国志正史には記されておらず、小説である三国志演義に登場する。

 朝廷の重臣である王允の養女。当時政権を掌握した董卓とその武将であった《呂布》を仲違いさせるため、美女連環の計として董卓のもとへと送り込まれる。才色兼備の美女であった《貂蝉》は董卓と《呂布》を魅了した。


あなたのメインフェイズ1の開始時に、対戦相手の傾城カウンターが3個以上置かれているユニットを1体選ぶ。それを破壊する。
[白][W]:対戦相手のEPICユニットを1体選ぶ。それをワイプする。その後、それの上に傾城カウンターを1個置く。
 上の引用は虎牢関での戦いの際、張飛が《呂布》に向かって叫んだ台詞である。
 《呂布》は《貂蝉》に出会う前に、3つの姓を渡り歩いている。初めは実父であり、彼を亡くしたあとは後漢の重臣丁原の養子になった。その後、董卓に引き抜かれ、養父を殺して董卓の下へと寝返った。
 すなわち、この時点での主君替えは2回。
 しかし《貂蝉》に出会ったことで、彼は「3度」目の主君替えを決め、董卓を殺害した。
 《貂蝉》は、三国志の英雄いずれもが手が出せなかった董卓政権を、たったひとりで破局へと追い込んだのだ。 
 彼女にしてみれば、「3度」主君を変える(「寝返る」)ような男ならば、その傾城の美で破滅へと導かせることも容易なことなのである。



5-029S《九天玄女》
道教・水滸伝

 みると一寸ほどもあるうじ虫が、一面にはいずりまわっていて、その臭気たるや、鼻も曲がるほどの凄まじさだ。目をつぶり、ひと息に飲み込もうとしたが、胃袋が受け入れてくれない。げえげえ込み上げてきて、どうしようもない。さすがの長望も、思わず顔を横にそむけて唾を吐き出してしまった。
 壺公は嘆息して言った。
「仙道に入るのは、お前さんには少し無理なようじゃ。しかし、お前さんのその気骨を見込んで、人間界のあるじにしてやろう。人間の誰しもが望む、数百歳という長寿が得られるよう取り計らってやるぞ」
『中国奇談集』, 鈴木了三 訳編, 社会思想社, 1972. 『二六 仙人・壺公と長望』p183より

 道教の仙女。
 中国四大奇書のひとつとされる『水滸伝』では、梁山泊三代目首領にして序列第一位、天魁星の宋江を護るようにして現れる

 梁山泊の一員となった宋江は、郷里の父に会うために決死の思いで故郷へと向かう。しかし刑吏に捕まりそうになり、古びた社に隠れていた彼の下に現れたのが、《九天玄女》であった。
 彼女は突風を起こして追っ手を退け、宋江を天上に案内し、歓待する。そして天書を授け、これから為すべきことや運命について語ったのち、元の社へと返す。


[3][橙][橙]、SSを1個犠牲にする:『 オーラ 』を持つユニットを1体か対戦相手のヒストリーを1個選ぶ。それを破壊する。
[CB]あなたのデッキからカードを1枚サーチし、ソウルヤードに配置する。
 《九天玄女》は絶体絶命の場面で、守るべき存在である宋江を選び、そして守った。
 ああ、守った。確かに彼女は宋江を手助けした。そして彼女の授けた天書は道を示した。

 だがこれ以降、彼女は積極的に宋江や梁山泊の面々を助けない。なぜならば、もし助けてしまったら、それは運命を変えてしまうことになるからだ。
 《九天玄女》が排除をするのは、あくまで運命を捻じ曲げようとするものだけだ。梁山泊を正しき道に進ませるべく、彼女は覇力を破壊し尽くす。




5-031R《クフ》 & 5-045R《ギザの大ピラミッド》
エジプト史

「何か見えるのか?」カーターの後援者のカーナヴォン卿がいらいらした声で訊いた。
「見えますとも」カーターは答えた。「すばらしいものが」。
『図説 大ピラミッドのすべて』, K. ジャクソンとJ. スタンプ, 吉村作治 監, 月森左知 訳, 創元社, 2004. p21より

 《ギザの大ピラミッド》は世界の古代七不思議のひとつ。

 七不思議のうち、ロードス島の巨像や《アレクサンドリアの大灯台》、《マウソロス霊廟》は地震で倒壊し、オリンピアのゼウス像は砂に飲まれ、エフェソスのアルテミス神殿が倒壊し、《バビロンの空中庭園》は消失したが、《ギザの大ピラミッド》のみは現在もその姿を保ち続けている。

 《ギザの大ピラミッド》は高さ150m近い建築物であり、基底部には230万個のブロックが使用されている。ブロックの重さはひとつあたり平均して2.5t。総重量は600万t近い。
 その基底部は3cm以下の誤差で水平に保たれており、側面は東西南北の包囲から平均して約4分しかずれていない。また、その四辺の長さは20cm以内の誤差で等しい。
 ピラミッドは王のための墳墓だといわれている。しかしその中から王族と思われるミイラが見つかった例は少ない。


[CB]あなたのデッキから【カード名(ギザの大ピラミッド)】のヒストリーカードを1枚サーチし、手札に加える。
 《クフ》は紀元前2551年に玉座に着いたエジプト王である。
 正式名はクヌム・クフウイ(「クヌム神に護られし者」の意味)であり、50年近い期間、エジプトを統治し、《ギザの大ピラミッド》の建設を命令したことが知られている。
 だが彼本人に関する記録は乏しく、彼自身を示すものは《ギザの大ピラミッド》に対して約1/2000の高さの小像しか残されていない。


クフが防御するか防御されたとき、あなたのクフ以外のユニットを1体ソウルヤードに配置してもよい。そうしたならば、ターンの終わりまでクフのパワーを+500する。
 古代エジプト人はミイラを作った。
 死体はまず、腐敗しやすい臓器をカノポスと呼ばれる壺に分割して収め、ホルス神の4人の息子たちによって守らせ、故人が再び臓器を必要とするときに備えて封印した。脳は篩骨を折って、鼻孔から取り出し、やはり壺に収めた。ただ感情と思考を司るとされる心臓のみが遺体には残された。
 遺体は炭酸ナトリウムを使って乾燥させ、包帯を巻きつけて形を保ち、墳墓に収めて封印した。ミイラ作成は重労働であった。


『 準備3 条件(あなたのユニットが戦場からソウルヤードに配置されたとき) 』
ギザの大ピラミッドからすべての準備カウンターが取り除かれたとき、あなたのソウルヤードにあるコスト5以下のユニットカードを最大2枚まで選ぶ。それらを戦場に配置する。
 そうまでして、なぜ古代エジプト人はミイラを作ったのか?
 それは、古代エジプト人は他の文化圏とは異なり、その肉体を重要視し、再生のためにその遺体の保存に重点を置いたからである。
 《ギザの大ピラミッド》を含む「三」大ピラミッドは王族のための墳墓の一種であるといわれているが、その中でミイラが見つかった記録が少ないことは既に述べた。

 だが単なる墳墓ではなく、再生の場であるのならば、その事実は当然のことである。なぜならば、彼らは既に蘇ったのだから。




5-051S《ティターニア》
英戯曲

マイケルは親類の男たちと協力して、妻の手足をつかんで前後に激しく揺さぶった。それから、男たちは斉唱した、「去れ、そして帰ってこい、ブリジット・クリアリー。神の名において」。そうしている間、家のなかにはブリジットの叫び声が響き渡ったという。さらに男たちは、「貴様は本当にブリジット・クリアリーなのか、マイケルの妻なのか、神の名において答えろ」と詰問しながら、何度となく台所の火のそばへとブリジットを引っ張り出した。これは、人間に化けている妖精は火と鉄に弱く、火で脅されると正体を現すという言い伝えがあったからである。
『妖精のアイルランド』, 下楠昌哉, 平凡社, 2005. p46より

 夏至の夜の妖精と人間の騒動を喜劇を交えて描いたシェイクスピアの戯曲、『真夏の夜の夢』に登場する妖精の女王。
 夫であり妖精の王であるオベロンの名が、それ以前から魔術師の使役する魔物や詩の中に登場するのに対し、《ティターニア》の名前はシェイクスピアのオリジナルである。ただし元となっているのはオウィディウスの『転身物語』に登場する巨人族の娘であり、月の女神ダイアナである(《ティターニア》は巨人族(タイタン)の娘の意)。

 夫であるオベロンからは、「高慢ちき」という評がある。
 劇中では夫婦喧嘩の果てに、目を覚まして初めて見た者に恋に落ちる惚れ薬を塗られ、ロバ頭の労働者に恋をする。


[3][W]:あなたのコスト3以下のスペルを1個選ぶ。あなたのデッキからそれと同じカード名のカードを1枚サーチし、手札に加えるかコストを支払わずに使用する。
[CB]あなたの捨て札置き場にあるスペルカードを1枚選ぶ。それをデッキの下に置く。
 日本では妖精というと、《ティターニア》のイラストのような羽の生えた人形めいた美しい少女を連想するが、ヨーロッパの認識ではむしろ妖怪変化や魑魅魍魎の類に近く、醜い化け物めいたものも存在する。またその行いも、妖怪めいている。

 たとえばチェンジリング(取り換え子)の妖精は、赤子を連れ去って、代わりに木の棒や人間に化けた醜い妖精を置いていく
 チェンジリングの妖精が赤子と入れ替わったと感じたときには、子どものうえに火をかざして以下のように唱えるとされている。

「燃えろ、燃えろ、燃えろ。悪魔のものなら燃えてしまえ。神さまの授かりものなら傷つくまい」

 このとき、3度「燃えろ」と唱えるのは、西洋では3という数字は異界の扉を開いたり、逆に異界との結びつきを払う魔法の数字だからだ。

 こうした妖精観を変えたのがシェイクスピアで、彼は『真夏の夜の夢』の中で、美しく可愛らしい妖精たちを描き上げた。
 しかし、シェイクスピアによって新たに美しい姿を得た妖精たちも、その本質は変わっていない。
 ゆえに自在に魔法を使えるはずの妖精の女王、《ティターニア》でも、魔法の数字である「3」より大きなスペルは扱うことができないのだ。




5-054R《平賀源内》
日本史

 筋電図に現れるものは、筋肉の活動電位と考えられており、ふつうは数十マイクロボルト~数ミリボルトで、周波数も二ヘルツ~一○キロヘルツと非常に広範囲に及んでいる。心臓の電気や脳波などと比較すると、比較的高い周波数帯域まで広がっているのが特徴的である。
『電気システムとしての人体 からだから電気がでる不思議』, 久保田博南, 講談社, 2001. p135より

 本草学者。
 本草学とは動植物を健康長寿や病の治癒のために利用する方法を研究するもので、薬学のようなものである。博物学的側面もあり、《平賀源内》はそこから学んだ知識や持ち前の行動力を活かし、エレキテルの復元や火浣布の制作を行った。土用の丑の日の鰻食の発案などでも知られる。

 《平賀源内》は享保十三年(1728年)、讃岐国高松藩に米蔵番白石茂左衛門の息子として生まれる。幼い頃から、酒を備えると天狗が顔を赤らめるというカラクリの掛け軸を作るなど、人を驚かせる物を作ることを好んだ。
 父の仕事を継ぐも、宝暦四年(1754年)に出奔。大阪で医学を学んだのち、江戸で本草学を学ぶ。
 そして鎖国を行ってきた日本には無い様々な物を見出して世に排出してきた《平賀源内》であったが、一般市民からは山師(詐欺師)と言われることもあり、心を病む。晩年は酒に酔って人を殺傷し、獄中で病死する。


あなたの時代が発展したとき、あなたの時代マーカーを最大2枚まで裏向きにする。
[CB]あなたの時代マーカーを1枚裏向きにする。
 《平賀源内》の功績として知られるもののひとつに、エレキテルの復元がある。
 晩年の《平賀源内》は事業失敗を取り戻すために奔走。安永五年(1776年)に、長崎で購入した破損したエレキテルの修復に成功し、オランダ通訳の協力のもと、その修復に成功。多くの観衆を集めることになる。

 エレキテルは摩擦によって静電気を発生させる装置であるが、当時の江戸の科学知識でそれを理解するのは容易ではなかった。
 そのため、《平賀源内》がエレキテルを用いて行ったことといえば、電気治療がせいぜいで、それ以外では見世物にしか使っていない。
 そもそもがエレキテルは購入したものであり、彼はそれを修復したに過ぎない。

 では、彼の為したことは誰かの猿真似に過ぎなかったのか? 全く意味の無い、まさしく山師めいた行いだったのか?
 《平賀源内》の時代の日本は厳格な鎖国体制にあり、外国人のみならず物品や書物の輸入が制限され、その結果として学問は停滞した。
 だがその中でも、《平賀源内》と彼の本草学は、外国人と積極的に関わり、日本の文化を海外へと紹介するとともに、新たな時代の風を日本へ吹き込んだ
 確かに彼はその「時代」で使えはずのものを、当たり前のように示したに過ぎない。だが、当時の日本では、その当たり前さえも貴重だったのだ。

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参考文献
『女信長』, 佐藤賢一, 毎日新聞社, 2006.
『秀吉神話をくつがえす』, 藤田達夫, 講談社, 2007.
『河出人物読本 豊臣秀吉 新装版』, 河出書房新社, 1995.
『中国の五大小説』上下, 井波律子, 岩波書房, 2008-2009.
『中国奇談集』, 鈴木了三 訳編, 社会思想社, 1972.
『図説 大ピラミッドのすべて』, K. ジャクソンとJ. スタンプ, 吉村作治 監, 月森左知 訳, 創元社, 2004.
『妖精のアイルランド』, 下楠昌哉, 平凡社, 2005.
『妖精学入門』, 井村君江, 講談社, 1998.
『電気システムとしての人体 からだから電気がでる不思議』, 久保田博南, 講談社, 2001.
『本草学者 平賀源内』, 土井康弘, 講談社, 2008.

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