小説メギド72/『パワー9』-4(終)



 ノックもなく、木製のドアが開かれる。
あんた、そうやって構って欲しそうなポーズするのはやめなさい」
 と部屋に入ってきた女は言った。

 日頃は野外に出て幻獣やメギドラルの侵攻の兆しを探しているソロモン王だが、拠点となる場所も持っている。単純に〈アジト〉と呼ばれるその場所は遠隔地から異空間を通って移動可能なポータルを通してのみ利用される。
 マルファスがいるのは、アジトの空き部屋のひとつだった。誰も利用していないため、6畳ほどの狭い空間にはマットレスのないベッドが置かれているだけだ。マルファスはベッドには座らず、床に座ってベッドに背をもたれてじっとしていた。

 部屋に入ってきた女、ウェパルの表情は平素と変わらない。小柄な少女にしか見えないのに誰しも見下すような目つきだが、これは相手を見下すというよりは、警戒心の表れのようにも見える。彼女はソロモン王の一行の中で、どこか距離があるように見える。
 なんにしても、訪ねてきたのが彼女ということはありがたかった。
「……状況は、どうなったんだ?」
 とマルファスが訊くと、彼女は小さく肩を竦めた。
「あんたが幻獣ってことになった。急に街中に化け物が出て暴れまわったけど、たまたま辺境の異変に出くわした勇ましきソロモン王が化け物を退治した……だなんてバルバトスだったら歌にするかもね。マッチポンプなのに」

 事件から、まだ数時間と経っていない。
 ソロモンからフォトンを奪ってメギド体になり、シャックスを保護して彼女を暴行した男たちを殺したマルファスは、その後、同じくメギド体と化したブネとサブナックによって、街の外まで吹き飛ばされた。
 草原に仰向けに倒されたマルファスに対し、ブネが「大人しくヴィータ体に戻れ」と告げてきた。殺したい相手を殺した以上、マルファスには抵抗する気はなかった。ヴィータ体に戻ると、そのままアジトへ身柄を移されたのだ。

「フォトンスポットは? あったか?」
「まだ。でも、あるのは確か。3人同時にメギド体になれるくらいにはフォトンに溢れていたみたいだから」
 捜索は明日ね、とウェパルは言った。
「あとは? 質問は?」
「あんたはぼくのことを咎めないのか?」
「咎める? どうして?」ウェパルはすっと目を細める。愛らしい顔立ちに、少しだけ凄みが入る。「あんたは追放メギド。ヴィータじゃない。この世界じゃ、化け物。それが暴れて、脆弱なヴィータを殺しただけ。悪いのは、あんたみたいな化け物の思惑を見抜けたなかったあいつ。あんたの口車に乗せられてフォトンを集めて、あんたに奪われた。いま、ブネに説教されてる。わたしも次はその予定」
「そうか……それは申し訳なかったな」
 とマルファスは正直に思ったことを呟いた。ソロモンのことは、騙してしまった。彼は責任感が強い性格なので、自分が間接的に人を殺してしまった、という自責の念を抱えるかもしれない。

「もうちょっとおとなしくしてなさいよ」
 と言って、それでもう質問はないと思ったのか、ウェパルは部屋を出て行こうとしたが、マルファスは彼女を呼び止めた。
「………シャックスは?」
 意を決して尋ねると、彼女は大きく息を吐いた。
「べつに、大きな怪我はしていない。バルバトスが治療したし、風呂にも入れた。いまはアジトの部屋で寝てるはず。見舞いたいなら行けば? アジトからは出ないでよ。面倒だから」

 じゃあ、とも言わずに無言でウェパルは出て行った。

 マルファスは己の顎を揉んでから、立ち上がって部屋を出た。アジトの中に光源はなかったが、天窓から月明かりを取り込んでいるだけ、足元がおぼつかないほどではなかった。
 通路を歩きながら、シャックスの部屋を探す。彼女の部屋にはキノコのプレートが貼ってあったので、すぐにわかった。
 扉をノックする——が、返事がない。
 もう一度。やはり返事がない。
 そういえばウェパルが、寝ている、と言っていたことを思い出す。諦めるか、と思いながら何気なくドアノブを引いてみると、ドアは簡単に開いた。間取りはマルファスの部屋と同じだろうが、物が多く、乱雑だ。足の踏み場もない。
 真っ暗な部屋の中、ベッドの上でシャックスが寝ていた。

 マルファスは足音を殺し、苦労して彼女のそばに近寄ってみた。
 布団に隠れていてよく見えないが、どうやら寝間着姿のようだ。いつもはポニーテイルにしている髪も解いている。両手を上に投げ出し、口は開いていて、涎が垂れ、だらしない寝姿だった。
「シャックス」
 名を呼ぶが、起きない。熟睡している。
 その横顔を見下ろしながら、マルファスは自分の中に湧き上がってきた感情に気づいた。

(ああ、そうか。ぼくは、こいつのことを………)
 思えば、シャックスが暴行されていることに気づいたとき、なぜあそこまで自分の中に怒りの炎が燃え上がったのかよくわからなかった。
 シャックスは同じ学校に通う学友だが、特に深い仲というわけではない。むしろ、いつも彼女には迷惑をかけられている。彼女は苦手だ。ただ、苦手だ。それだけだと思っていた。
 だが、そうではない。
 今なら、わかる。

「ぼくは、おまえのことを尊敬しているんだ」
 尊敬している。憧れている。あるいは、嫉妬している、と言ってもいいかもしれない。認めたくはないが、認めたくはないが……認めたくはないが。

 マルファスもシャックスも、というか、ソロモン王のもとに召喚されているメギドたちは、ほとんどが追放メギドだ。以前は力があり、欲があるメギドラルの強者だった。自分の思うがままに過ごしてきた。
 それなのに唐突に、追放された。
 弱くなった。
 ヴィータになった。
 マルファスは諦めた。あとはただヴィータとして、脆弱な存在としてこそこそと生きていくだけだと思った。

 だが、シャックスは変わらなかった。
 彼女はヴィータになったが、今でも自分のことを貫いている。力こそ失えど、メギドらしく生きている。それが羨ましいのだ。彼女のようでありたいと思ったのだ。だから、彼女が汚されたときに、まるで自分自身のことのように思えて許せなかった。
(こんなこと、本人には言えないな………)
 自分の中の感情を整理し終えたマルファスが部屋を出ようとしたときだった。
「マルマル?」
 女の声に、びくりと震える。振り返ると、シャックスが身体を起こしていた。こいつ、起きていたのだ。いや、いま起きたのか。そうだと言ってくれ。

「起きたか」
 とだけマルファスは言いながら、内心では動揺していた。心臓が早鐘のように鳴っている。こいつは、聞いていたのか。そもそも事態をどこまで把握しているのか。
「うん……」あのね、とシャックスは小首を傾げる。「マルマル、あたしに何か言ってた?」
「言ってない」
「なんか言ってたから、目が覚めたんだ」とシャックスはマルファスの言葉も聞かずに言葉を紡ぐ。「あたしのことが……あたしのことが………」

 ぐ、と唸って一歩下がる。こいつのことを尊敬しているだなんて知られたら、最悪だ。くそ、油断した。一瞬前の自分を殴ってやりたい。
「あたしのことが、好きだって」
 が、シャックスが言ったのはそんな言葉だった。マルファスは安堵した。自分が、シャックスを好きだ? それは笑える。
「おまえがそう思うんなら、それでも良いさ」
 尊敬している、ということを知られるくらいなら、好きだと思われるほうが何倍もマシだ。まぁ、だから、そう思わせておこう。それが都合が良いから。マルファスはシャックスほど真っ直ぐにはまだ生きられていないから、だから少し狡猾なくらいが、この世界で生きるにはちょうど良い。
(了)



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