小説メギド72/『パワー9』-3



 一般に、村や街というものはフォトンスポットを中心に作られる。農作物や牧畜といった食糧生産に必要な行為には「大地の恵み」とヴィータが呼ぶだけあり、フォトンが必要不可欠だからだ。
 だが、生態を変化させる程度のフォトンとなると、単なるフォトンスポットとは思えない。

「そうだねぇ、たぶん、新しいゲートかな」
 とこともなげにシャックスは言った。
 ゲートはフォトンによって作られた異次元門だが、ソロモン王の一行の場合、この単語が指すのはメギドラルとのゲートだ。メギドラルはゲートを使って、幻獣を送り込んでくる。
「じゃあ、このキノコが大量に生えている方向にフォトンスポットかゲートか何かがあるってことか?」
「違う違う。そんな簡単にはいかないよ」
「なんでだよ」
「だって街中は均一な条件じゃないもん。もともと生えていた状態から乱されているだけだから、部分的に見ただけじゃわかんないよ」
 シャックスの言うことは、つまり、ゲートなどから発生するフォトンによって生態系は乱れ、本来そのキノコが生えないような場所に生えるかもしれないが、必ずしもそれがフォトンスポットの影響だけで決定されるとは限らない、ということだろう。

「そもそも、なんでこのキノコだけ変な場所に生えるんだ? どんな生物だってフォトンの影響は受けるだろ?」
「なんでだろなんでだろー? 栄養の取り込み方が他の種とは違うから? それとも何か知らない要因がある?」
 わかんないわかんない、と能天気に笑うシャックスだが、話している内容そのものは真面目だ。
「どうすれば、フォトンスポットの場所がわかる? 単純にキノコが生えている方向を見りゃ良いんじゃない、ってのはわかったが、なんか方法はあるんだろ?」
 うーんとね、とシャックスは顎に指を当てて思案げな表情になる。この表情を切り取れば、そこそこ知的には見えるかもしれない。
「全体を見て、傾向みたいなのが見えればそれで方向くらいはわかるかも? 地図見てぇ、なんか変だなーと思うところにいっぱいあれば、そっちかな、とか、そういうのはわかるかも?」

「ふむ」
 シャックスの言葉を受けて、マルファスは思案する。
 現状、商業区で話を聞く限りでは有効な情報は得られていない。たぶん、このまま情報収集を続けていても駄目だろう。それなら、シャックスの知識を頼りに(するのは癪だが)奇妙なフォトンスポットの位置を推測してみるのも悪くはない。
「よし、キノコの位置を探ろう……キノコが生えてる場所を地図上でメモっていけばいいんだな?」
「たぶんねー、それでわかるかも?」
 シャックスは曖昧な同意を示したが、変に断言されるよりむしろこのほうが信頼できる。

 そうして、マルファスはシャックスと別れたのだ。
 二手に分かれて行動することにしたのは、効率を求めてだ。人に話を聞くわけではなく、単に地面に生えているキノコの場所を記録するだけならひとりで十分だ。
 だから、そう、効率が良い、良いやり方だったはずだ。

「あいつ、どこで道草食ってるんだ………」
 マルファスは苛々しながら、商業区の時計台の前で足踏みをした。待ち合わせの予定時刻を過ぎたというのに、シャックスが待ち合わせ場所に来ない。
 考えなくても、シャックスが時間通りに来ないというのはわかりきったことだ。なのに彼女を単独行動させてしまったのはマルファスのミスだ。シャックスを心の中で罵倒するより、自分の失敗だということにしたほうが心理的には安らかである。
 待っていても戻ってこないのは間違いない。マルファスはシャックスを捜しに行くことにした。幸い、区画は地図上で分けてある。さすがに定められた区域からは出てこないだろう……たぶん。

 時計は夕に近づき、太陽は地平線に近づきつつあったが、まだ明るいために人通りは減っていなかった。これではひとりの人物を(たとえそれが阿呆のように五月蝿いとしても)捜すのは容易ではない。
 マルファスは視線で鳥頭を探しながら、商店の人々にも聞いて回ることにした。商人というものは、目の前に客がいないときには周りをよく観察しているものだ。
 幸い、シャックスはよく目立っていた。
「キノコを持って走り回ってた」
「ああ、あの子ね。地面に這い蹲って何かやってたよ。きみはあの子の……何?」
「あの子が突っ込んできたせいで、避けようとしたら商品を台なしにしちまった。あんた、あの子の知り合いだったら弁償してくれ」
 あるいは、不運にも、かもしれない。シャックスの話はどこででも聞けた。

「あいつ……ぼくの話を聞いていたんだろうな」
 聞いていなかった。当たり前だ。
 人々の話を付き合わせていくと、シャックスはあらかじめ定めておいた区画から出てしまっている。しかも、彼女が向かっているのは西区画だ。あまり治安が良い場所ではない。
 ふぅ、とマルファスは溜め息を吐いた。彼女のことを心配しているわけではない。向かい合っての喧嘩なら、追放メギドである彼女は屈強な男性にも引けを取るまい。キノコに夢中になっているところで、後ろから襲われた、だとかなら話は別だが。

 西区画へ向かい、シャックスを捜すが、今度は商業区のように簡単にはいかない。人捜しにも、いちいち見返りを求めてくる。でなければ話も聞いてもらえない。いちいち喧嘩をふっかけられる。3人殴った。話が大きくなる。シャックス、どこだ。くそ、あの馬鹿、あの馬鹿、どこに。
「耳当てを付けた……女だったら、見た」
「どこでだ!?」
「な、殴らないでくれ!」
 とシャックスについて情報を提供した男——鼻から血を流し、前歯が折れている——は自分より頭ひとつ分小さいマルファスに怯えた。
「見たけど、見たけど、知らねぇ。柄の悪そうな男と一緒に歩いているのを見ただけで……」
 くそ。
 マルファスは男の掴んでいた襟首を解くと、男の分厚い胸板を蹴飛ばした。彼は路地のゴミの中に突っ込んでいって、動かなくなった。

 見つからない。あの馬鹿、どうせ、キノコの情報を貰えるだとかいって、知らない男についていったのだろう。馬鹿か。馬鹿なのだ。あの馬鹿は馬鹿なのだ。くそ、それはわかっていたはずなのに。ぼくは。
 いつの間にかマルファスはシャックスのいる西地区を出ていた。出てしまった、というわけではなかった。目的を持って走っていた。ソロモンとブネとの待ち合わせの場所へと。
 広場の領主像の前。全身刺青の青年と半裸の巨漢。このふたりは目立ちすぎていた。
「ソ……ソロモン………!」
 彼の元へと駆け寄ったマルファスは、自分が思いのほか消耗していることを知った。走り過ぎた。馬鹿みたいに走ったのだ。自分の体力を上回るほどに。
「マルファス? どうしたんだ……? それに、シャックスは?」
 ソロモンは訝しがっている。彼にさせたいのは、ひとつだけ。マルファスの体力的にも、一言しか喋れない。だから、言った。
「シャックスを召喚だ!」

 マルファスら追放メギドは、ソロモンの指輪を持つ彼と契約をしている。彼によって召喚されたものは、次に彼が望んだときに応じれば、任意の場所に呼び出すことができる。召喚にはフォトンが必要だが、フォトンの豊富なこの街であれば問題ない。
 理由は説明せずとも、マルファスの必死な様子で悟ったのだろう。ソロモンは構え、フォトンを集め、そしてシャックスの名を呼んだ。
 来てくれ、シャックス。
 シャックスは現れなかった。

 来ない理由はたったひとつ。メギドが召喚に応じていない。シャックスが拒否しているか——でなければ、意識がない。
「マルファス……シャックスはどこだ!? 何があったんだ!?」
 ソロモンも同じ結論に悟ったのだろう。
 マルファスは喘ぐ息の中で考える。何が最適か。何が早くて、何が遅いのか。いまできることは何か。
「マルファス……」
「幻獣だ!」

 マルファスはたった一言、言った。幻獣。敵だ。敵がいるのだ。だからそれにシャックスは襲われたのだ。危険な状況だ。一瞬の予断も許さないような。シャックスはもはや意識がないほどの大怪我だ。対応しなければならない。メギドの力で。目の前にいる、マルファスに、メギドの力を。
 そう、思わせた。
 ソロモンはそこまで軽率ではなかったが、相手の言葉をまるきり無視するほど薄情ではなかった。フォトンを集め、マルファスに与える直前になって、あるいは、マルファスのメギド体の危険性に気づいたのかもしれない。

「マルファス、ここだと………」
「いいから、フォトンを寄越せ!」
 マルファスはソロモンの腕を掴むと、ブネが制止するよりも早く、己の胸に押し付けた。
 マルファスら、追放されたメギドが臨界ヴァイガルドでメギド体を取り戻すために必要なのはふたつ。ひとつがメギド体を構成するフォトン。もうひとつがこの世界を守るルールに抵触しないためのソロモンの指輪との契約。
 フォトンさえあればソロモンの意思が伴っておらずとも、変身は可能。

 一瞬で、マルファスは元のメギド体を取り戻した。
 身の丈16.3メートル。
 体重38.8トン。
 建造物を取り込み、取り込み、巨大化した巌の巨人。それがマルファスの本当の姿。

 マルファスは足を動かさなかった。召喚したタイミングで、身体は上手い具合に家屋の隙間を縫って二本足で立つことに成功していた。足元ではヴィータたちが逃げ惑っているが、足を動かさなければ問題はない。
 西へと、首を動かす。走り回るのにあれだけ苦労した街が、いまやミニチュアだった。あまりにも矮小な街。小さなミニチュア。隅々まで見渡せる空間。
 夕陽で紅く染まる街の中、奥まった路に黄金色に輝くものが見えた。シャックスの髪。倒れているシャックスの身体。シャックスに伸し掛かる男の姿。破れた服。複数の男。飛び散っている血。
 マルファスの巨大な腕がその巨躯に反した俊敏さで動き、シャックスの上にのしかかっている男を弾き飛ばした。そしてシャックスの身体をゆっくりと、恭しく摘み上げ、掌の上に乗せた。移動させ、足元に下ろす。ソロモンの元へと。
 その間、空いた手はシャックスの傍らにいた男たちの近くにあった。あった、というか、防いでいた。彼らが逃げるのを。ただマルファスが手を置くだけで、脆弱なヴィータにとっては巨大な壁と化した。
 彼らがただ運悪く、シャックスの近くにいただけの存在、などとは思わない。

 シャックスの身体を下ろすと、もう片手も空く。マルファスはその手で握り拳を作った。家ほどの大きさのある握り拳。
 それをあの腐ったヴィータたちに叩きつけようと振り上げる。
「やめろ、マルファス!」
 振り下ろされる直前に、ソロモンの声が耳朶を打った。と同時に、マルファスの腕をなにかが掴んだ。巨大なマルファスの腕を掴むほどの存在となれば、同じメギド以外にありえなかった。
 どこまで事態を把握したのかは知らないが、ソロモンは良い選択をした。マルファスの腕を止めたのは、ソロモンの傍にいたブネが変身したものではなかった。彼は10メートルより少し巨大なドラゴンで、メギドの中では巨大な部類だが、マルファスほどではない。殺し合いの場では体の大小は必ずしも勝利に直結しないが、「殺さずに動きを止めようとする」というこの状況では、サイズと力の差は絶対的だ。
 だからソロモンはマルファスより巨大で、かつ街中でも行動可能なメギドを召喚し、メギド体へと変身させた。
 全高23メートル、体重12.6トン。
 重量でこそ劣るものの、マルファスより巨大な身体を持つ鎧。サブナック

 彼はうまくマルファスの身体を受け止めた。さすが日頃から巨大な盾を使って仲間を守っているだけはある。
 が、体重差だけは如何ともし難い。
 マルファスの腕はサブナックの両手で引っ張られながらも、ゆっくりと地面に近づいていく。ヴィータの男5人。無抵抗なシャックスに襲いかかったであろうその卑劣な男たちに。
 殺す。一思いに殺す。一瞬で。ただこの手を押し付ければ。
「マルマル………」
 シャックスの声が、聞こえた気がした。
 聞こえるはずがない。当たり前だ。変身したマルファスにとって、シャックスは遥かに下方にいる。彼女の呟きなど聞こえるはずがないし、そもそも彼女はまだ意識を取り戻していない。
 が、それでも。
(ぼくは何を………?)
 マルファスは我に帰った。自分はいったい、なんと馬鹿げたことをしようとしたのだろう。

 シャックスを襲った男たちを、一思いに殺そうとした。

 違う。
 そうじゃない。

「ひっ………」
 腕が近づくにつれて、男たちの表情が歪んでいくのがわかった。恐怖。力無いヴィータの表情が、涙と鼻水で溢れていく。
 その頭に、マルファスの掌が接触した。片手で逃げ道を塞がれたいま、上から降りてくるマルファスの掌は、釣り天井と呼べるものだった。

 一思いには殺さない。
 ゆっくりと時間をかけて。
 押し潰す。
 磨り潰す。

 掌が沈んでいくにつれて、伝わってくる触感が変わっていくのがわかった。小さなヴィータとはいえ、肉がある。骨がある。死にゆくだけなのに、肉と骨は最後まで抵抗を続けていた。ぶちゅっといって何かの臓器が弾けても、まだ動いていた。さらに押し付けてもまだ動いていたが、もしかすると単なる生活反応だったのかもしれない。

 最後には赤い沁みとフォトン袋に包まれていたフォトンだけが残った。

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