小説メギド72/『2ガンズ』-1


小説メギド72

2ガンズ


  • 登場人物
    • マルコシアス 自称、正義の追放メギド。魔物ハンター。
    • アンドレアルフス 他称、マルコシアスの相棒である追放メギド。
    • ババ マルコシアスの出身である孤児院の経営者。ババ母さんと呼ばれる。
    • カミーオ 旅館の女将。
    • アルバ 旅館の従業員。
    • イト 同、従業員。アルバの幼馴染。
    • ナンダ 旅館の宿泊客。医者。
    • フージン 同、宿泊客。ナンダの妻。
    • マモルー 同、宿泊客。休暇中の自警団員。
    • トウゾック 同、宿泊客。殺害される。
    • アドンキ 流れの商人。
    • ウッタガッタ トウゾックを追っていた怪しげな人物。




 青空は良い。太陽が燦々と輝いていれば冬に徐々に近づきつつある秋空でも暖かい。ぽつりぽつりと白雲が浮いているが、雲はときおり日射を優しく遮ってくれるので、一面の青空よりずっと良い。
「うん、良い日和ですね!」
 馬車から降りたマルコシアスは腰に手を当てて言った。
「邪魔」
 後から降りてきたアンドレアルフスが言うと、「おっと、失礼」と横に下がる。

 馬車が停車したのは小高い丘の上だった。舗装された道の脇にぽつりぽつりと規則正しく色づいた広葉樹が並ぶからには、旅人の休憩を考えて作られた道だということがわかる。街と街の間の景観の良い場所に、ぽつねんと宿が構えられていた。馬車はそこに客を降ろしたところだった。
「荷物、下ろしておくぞ」
「ありがとうございます」とマルコシアスはにっこり笑ってから、馬車の御者席を指差した。「無料券で乗車したので、ちょっとしたアンケートへの回答が必要だそうです。アンドレアルフスは先に宿に入っていてもらえませんか? この券を渡せば大丈夫……らしいです」
「了解」
 
 チケットを受け取り、二人分の荷物を抱えて宿へと足を向ける。
 女といえば大荷物と相場が決まっているが、マルコシアスの荷物は鞄ひとつで少なかった。根無し草のため生活必需品を持って動くこのと多いアンドレアルフスよりも軽装かもしれない。
(いや、これは杭打ち機か………)
 荷物の重量と硬さから、なんとなく中身が想像できる。魔を統べる者〈ソロモン〉王に仕える追放悪魔(メギド)としての武器だ。旅行だからといって、彼女がそれを手放す姿は想像できない。

 馬車にはもっと人がいたが、宿の前で馬車を降りたのはアンドレアルフスとマルコシアスのほかはひとりだけだった。しかし、どこへ行ってしまったのか、姿が見えない。あるいは用を足すために馬車を降りただけだったのかもしれない。あまりこの宿に相応しくない部類の人種に見えた。

(温泉宿とは、まったく豪華なもんだ)
 三階建ての建物は木造らしい。エルプシャフト文化圏から遠いものを感じさせる建物だ。温泉宿である。
 街から街への旅路の中間にあるからには、もちろん通常の旅宿としての使い道にできるのだろう。しかし大きな道からは少し逸れたところにあって、最短距離で街から街へ移動するルートからは少し外れている。この先に何があるというわけでもなく、ただ景観の良い、かつ温泉が湧く場所に建てられた建物ということで、ここに一度足を踏み入れればもはやゆっくり温泉に入るしかない、まさしく温泉宿なのだ。
 金持ちが泊まるような豪華な宿というわけではないが、日銭を稼いでどうにか生きているような者が泊まるような場所ではない。アンドレアルフスはどちらかというと後者の人間なので、少し窮屈に感じないでもないな、などと考えながらぼんやりと建物の上のほうを眺める。どこかで薪を割っているのだろう、テンポの良い軽いリズムが心地良い。

「こちらは呉都ファデンの様式を取り入れています」
 という女の声が聞こえたので視線を落とすと、暖簾のかかった宿の入口に女が立っていた。黒髪の妙齢の女性で、着物を着ている。
「いらっしゃいませ」
 などと言うからには、どうやらこの温泉旅館の従業員らしい。
「この宿の女将をしております、カミーオと申します」
「アンドレアルフスです」
 丁寧に一礼されると、こちらも丁寧な口調になってしまう。
 アンドレアルフスの容姿を一言で表すのならば、うだつのあがらない、中年男である。これで活力に満ち満ちていれば相応に見えるのだろうが、活力に満ち溢れた、などというのはアンドレアルフスから最も遠い表現だ。そんな自覚があるからこそ、服や身なりは整えているつもりだが、礼の整った対応には少し慌ててしまう。
「ええと、宿泊チケットを貰って来たんですが。ふたりです。連れのマルコシアスはあれで、今、なんだ、旅行のアンケートだかなんだかの記入をしていて——」
「はい、存じております。新婚旅行でございますか?」
 という女将の発言で、アンドレアルフスは噎せそうになった。
 女将の視線が向くマルコシアスは、その心根そのままのまっすぐな金髪をした女だ。常はベールで隠れている顔はくるくるよく変わり、青い目は好奇心に満ちている。着ているワンピースは孤児院や冒険のときに来ているような真っ黒な飾り気のないものとどこか違う——ように思うが、女の服装に詳しくないアンドレアルフスにはどう違うのかはうまく説明できない。ただ、旅行らしい恰好ではあると思う。

「いや、たまたま祭りでチケットが当たって、仕事の休みに、たまたま………」
「あら、そうなのですか。お仕事は何を?」
 と問われるとさらに困る。アンドレアルフスは歯に布着せずに言ってしまえば、住所不定無職だ。自分は慣れているからそれで良いが、マルコシアスのほうまでそう思われるのはいかがなものか。
 そんな深慮の結果として出てきたのは、「魔物ハンター、とか………」という煮え切らない言葉だった。嘘は言っていない、ような気がする。マルコシアスは日頃は孤児院で働きつつ、時に自称「正義の」魔物ハンターをやっている。アンドレアルフスはたまにマルコシアスの手伝いをする程度だが。

 冗談だと笑って流してもらえば良かったが、カミーオ女将の反応は少し違った。
「魔物ハンター……」
 真剣な表情になり、カミーオは反芻する。怪しげな響き過ぎて警戒させたかと思いきや、どうもそうではないらしい。
 すぐに笑顔になって、カミーオは旅館へと手を差し出した。
「ではお怪我が絶えないのでは? こちらの温泉は傷にはよく効きますよ。それと美肌効果も」
 それはマルコシアスからも言われていた。

 今回、アンドレアルフスとマルコシアスがこの温泉宿を訪れるきっかけはカミーオに語った通りで、王都の秋祭りでマルコシアスや彼女の住む孤児院の子どもたちとともに秋祭りに出かけたとき、籤引きで一泊二日の温泉旅行ペアチケットを当ててしまったからだ。
 アンドレアルフスは最初、マルコシアスと孤児院の持ち主であるババ母さんに旅行に行くように勧めた。が、「アンドレアルフスが当てたのだから、あなたが使うのが正義でしょう」と来る。
 ではどこかに売ってしまおうか、と言ってみると、「それはあまり正義ではありませんね」と返される。
 そうこう言い合っているうちに「あんたたち二人で行けば何も問題はないだろう」とババ母さんが言ってきた。老いてはいるが、達者な人物である。年齢らしい老獪さを備える一方、ほとんど我が子のように思っているのであろうマルコシアスに対する感情は理解できるので、どうにもやりにくさを感じずにはいられない。
 最終的にアンドレアルフスを後押ししたのは、宿泊先が温泉宿であり、湯治になるのでここ最近の忙しさを癒すのにちょうど良いのではないか、というマルコシアスの言葉だった。大怪我こそしなかったものの、〈赤い月〉騒動でいくらかの傷を負った。湯治なら、まぁ、構わないだろう。適正だ。少なくとも、アンドレアルフスの中ではそういうことになっている。王都からも馬車であれば遠くないため、何かあってもすぐに駆けつけられる。
「いま、案内の者を呼びますので少々お待ちくださいね」と言って女将は宿の引き戸を開き中に入ると、「イトちゃーん! お客さまよ!」と呼びかけた。

「アンドレアルフス、お待たせしました」
 と女将が中に向かって呼びかけている間に背後から声がかかり、マルコシアスがやってきた。
「終わったか」
「ええ。アンケートに答えたら飴を貰ったのでひとつあげましょう」
「えぇ……いや、ありがとう」
 素直に受け取っておく。
 マルコシアスは飴の袋を懐に仕舞っているので、きっと帰ったら孤児院の子どもたちにあげるつもりなのだろう。

 アンドレアルフスとマルコシアスも建物の中に入ると、中は外観通りの木張りの空間が広がっていた。玄関の土間だけ石造りだが、ほかの部位はほとんど木か、でなければ紙のようだ。無垢材の壁は隅まで手入れが行き届いており、玄関横の棚には花が活けられた花瓶が置かれている。
 焦げ茶色の木張りの通路の奥からぱたぱたと足音が聞こえてくる。
「お待たせしました。いらっしゃいませ」
 とやってきたのはカミーオと同様に着物を着た、利発そうな少女だった。年の頃は十二、三だろうか。栗色の髪は年相応に二つ縛りにしている。イトと呼ばれていたので、それが名前なのだろう。
「イトちゃん、お客さまを二階のお部屋に案内してあげて。アンドレアルフスさんとマルコシアスさん。魔物ハンターなんですって」
「魔物ハンター………」
 女将と同様、何か思うところがあるのか、イトの目が丸くなる。単に驚いたというより、何か考えることがありそうな様子だったが、アンドレアルフスは深く追求はしなかった。

 女将は他の仕事のために引っ込んで、イトが部屋まで案内してくれることになった。
 少女は荷物を持とうとしたため、「いや、荷物くらい、自分で持てる」と言ったのだが、「大丈夫です! お仕事ですから」と返されてしまった。
「だが……」
「では、よろしくお願いします」
 とずいと進み出て、マルコシアスは荷をアンドレアルフスの手から捥ぎ取ってイトに渡してしまった。子どもであっても働いているのであれば、任せるべきだ、というのが孤児院で働いている彼女の判断なのかもしれない。大人しく従っておく。

 荷物を持ったイトの先導に従って木張りの通路を進む。通路は狭く、アンドレアルフスとマルコシアスが並ぶには少々狭かったので、彼女を先に行かせる。踏み出すたびに、床は軽く軋む。
「これからご案内するお部屋はお二階で、眺めが良いですよ。新婚旅行にも人気の部屋です」
 と女将と同様に何かを勘違いしているのか、先導しているイトは楽しそうに言った。
「それは楽しみですね」などとマルコシアスもマルコシアスで訂正しないのだから、話が抉れそうである。
「ところで……あの、魔物ハンターなんて、すごいですね」
 とイトがマルコシアスに言った。彼女はどうもそのことを聞きたそうにうずうずしていたようである。女将もそうだったが、何か事情があるのかもしれない。
「すごいというほどではありませんが」とマルコシアスも何か察知したのだろう、「何かお困りのことでもありましたか?」と訊いた。
「あの、実はわたし、昔住んでいた村が——」
 イトがそう言いかけたときだった。

「うわぁあああ!」

 野太い男の叫び声が旅館の穏やかな空気を切り裂いた。

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