アメリカか死か/10/02 Our Little Secret-2
戦前にはマラソンという競技があった。42.195kmをひとりの人間が走り続けるという競技で、これを生業にしている人間はこの距離を2時間と少しで走りきる。40kmに対して2時間なのだから、時速にして約20km。
しかしJamesは軽快に走り続けていた。彼を追うようにして、Dogmeatも。
Vault112を出てから約2時間。陽光の中でも風が涼しい天気だったが、LynnはJamesから少し距離をとってバイクを走らせていた。Jamesが汗臭く、暑苦しかったからではない。彼にいろいろと訊きたいことがあったのに、走っているために邪魔をしてしまいそうで訊けず、しかし近くにいると我慢ができずに問いを発してしまいそうだったからだ。
だがその心配は無用にも感じられる。Jamesは、走りっぱなしだというのに、元気だ。Ritaは十代だろう。彼女の父親なのだから、少なくとも30は越えているはずだ。顔つきは若いが、白髪だらけで、それを考慮すると50歳近いのかもしれない。信じられない体力だった。
「Lynn」
考え込みながら走っていたLynnに、Jamesが声をかけてきた。彼は汗だくだったが、走りながら会話をすることを苦とも感じていないように見えた。
「ぼくの鞄から、水を取ってくれ」
Lynnは右手でアクセルの位置を保ったまま、左手でサイドカーをまさぐる。今そこにはRitaが寝ていたが、LynnやJamesの荷物も一緒に入れてあった。彼女は小さいため、十分に余裕がある。
Jamesのバックパックから、汚染されていない水のボトルが見つかる。Jamesは、投げろという合図。投げる。汗だくだったが、彼はキャッチを失敗しなかった。
「ところで、Lynn。きみはどうして」Jamesは走りながらボトルの水を半分ほど飲み干し、腰のホルスターに差した。「あそこにいたんだい? ぼくらを助けに来たってわけじゃあないんだろう?」
彼のほうから質問をしてくれたのがありがたかった。Lynnは正直に言うことにした。彼なら、走りながらでも質問に答えてくれそうだ。
「あなたに……、訊きたいことがあったんです」
「自分の生まれについてだね?」
Jamesがすぐに返した。Lynnは頷く。
Jamesは走りながら、少し考えるような表情を見せた。
「まず逆に訊きたいんだが……、きみは自分のことを、どこまで覚えている?」
どこまで、と言われると難しいものがある。
Lynnの記憶は酷く断片的だった。戦前の記憶もあるにはあるが、ところどころが、まるでデジタル信号が欠損してしまったホロテープのように掻き消えている。Vaultでの生活のことも怪しい。Vaultを出てからの記憶は連続してはいるが、目覚めたばかりの頃は目が見えなかったため、自分のいたVaultがどこなのかさえわからない。正直なところ、Lynnは自分の名がLynnなのかということさえ自信がなかった。
「なるほど」Jamesが頷く。
「でも、おれの名前はLynnなんですよね? Vault112で、あなたはおれのことをそう呼んでいました」
「それはぼくがTranquility LaneできみとBraunの会話を聞いていたからだよ。もともと、ぼくはきみの名は知らなかった。記録されていなかったからね」
「できる限りのことを、教えてほしいんです」
「うん、できればそうしてやりたい」Jamesはもう一度頷いた。「でも、正直なところぼくがきみに与えられる情報は、おそらくきみにとってかなり衝撃的な事実になると思う」
「どういうことですか?」
「まさしくショックを受ける、ということだよ。きみはかなり特殊な生い立ちで、特殊な立場にある。きみもそれは自覚しているだろう?」
戦前の記憶。
Vaultで聞いた女の声。
そして、得体の知れない変身スーツ。
確かにJamesの言う通りだった。
「よって、質問は一日一回にしよう」と言ってJamesは笑みを向けてきた。「Braunじゃないけどね」
「一回だけですか?」
「一回だけだよ。今日の質問は終わりだ」
Lynnは愕然としかけたが、Jamesが噴き出してから、冗談だと気付いた。
改めて走り始めてから、Lynnは尋ねた。
「おれの家族はどうなったんですか?」
「残念ながら、既に亡くなっている」Jamesはすぐに答えた。「きみのお母さんも、妹さんも。というより、きみのいたVaultの生存者は、きみ以外にはいない」
「おれだけが助かったんですか?」
「見方によっては、そうとも言えるかもしれない」
「どういう意味です?」
「きみのいたVaultでは、ある不幸な事故があった。それによって、多くの人命が失われた……。きみだけが、今、ここに生きている。それもある意味では、事故のようなものだ」
どうやらJamesは、この質問には直接的に答える気がないようだった。聞きたいのならば、次の質問の機会にせよ、ということかもしれない。
「どうして家族に関する質問にしたんだい?」とJames。
「生きているなら……、会いたいからです」
「きみの身体のことは気にならなかった?」
「それは、べつに後でも構いませんから」
「なるほど、確かにその通りだ」
少しの間沈黙が流れていたが、やがてJamesのほうから口を開いた。
「きみはもう故郷には帰れない。それは二重の意味で、だ。戦前の街にも戻れないし、Vaultにも戻れない。だがそれはぼくも、Ritaも同じだ。このCapital Wastelandで生きていくしかない。それを忘れないでほしい」
「急に、なんですか」とLynnは言い返してしまった。
「過去は取り戻せないということだよ。だが新たに作り直すことはできる。Project Purityが実現さえすれば、いつか戦前のような風景がこの地にも生まれるだろう」Jamesはまた少し沈黙してから言う。「ぼくの話だ。ぼくはきみの事情を知っているからね。知っているだけじゃあ、あんまりフェアじゃないと思って」
「あなたの事情ですか」
「事情というか、なんだろうね、まぁ、ルーツとか、いろいろなことだ」
「Project Purityとかですか」
「うん。ぼくがVault112にいたのは、Braun博士から情報を得るためだった。いろいろあったが、幸いにして彼から情報は得られたし、Project Purityを現実にする方法もわかった。G.E.C.Kが鍵だったんだ」
サイドカーで、Ritaが小さく唸った。
走りながら、エンジンの爆音越しにだというのに、Jamesも彼女の動きに気付いたようだった。
「いろいろなものを失った……。この子の信頼も、失ったもののひとつかもしれない」
「彼女はあなたを必死で探してるように見えました」
「麻酔を打たれていなかったら、ぶん殴られていたかもしれない」とJamesは笑った。
空が赤くなり始めた。Jamesは足を留め、そろそろ寝床を探そうか、と言った。
まだ明るいからもう少し進むべきではないか、とLynnは提案したが、Jamesは否定した。たとえ狼でも、夜は怖がるものだ、と。
「ここは集落みたいだね」
Jamesは橋の前で立ち止まった。
彼の言うとおり、そこには人の生活臭のある建物が三軒並んでいた。核戦争で破壊を免れた建物を維持している人間がいるのだろう。ずいぶんと綺麗に保たれているので、Raiderではない。だがRaiderではないからといって、他人に寝床を貸せるほどの余裕があるとも思えない。
「ま、試しに聞いてみよう。ちょうどそこに、人がいる」
Jamesの指差した先には、赤い帽子を被った少年の姿があった。ひとりで遊んでいたようだったが、Lynnたちに気付いて駆けてきた。子どもひとりでも出歩けるということは、物騒な場所ではないらしい。
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