小説ラストクロニクル/『東京ローズ』/時代3/Turn10 《ラーンマジックナイト》
1-022U《ラーンマジックナイト》 |
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「よく覚えておくのだ。鍛えられた鋼などではなく、魂を剣に変えるとき、それを防げる者などありはしない。」
~力の天使 ラーン~
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時代 3
Turn 10
武力――並。
知略――並。
内政――並。
腕相撲―並。
グランドールの百人隊は僅か百人規模ではあるが、グランドールから選りすぐりの人材を、選りすぐりの武具で固めた最強の隊だ。
そしてその百人隊を率いる男こそ、目の前の男、《百の剣士長 ドゥース》であるということを、最初シャルルフィアンは信じられなかった。
「それは……、ギジェイですか?」
《東京ローズ》の第三の目で見ると、《狂魔技官 ギジェイ》の色はいつも歪んで見えていた。良く言えば、虹色だ。さまざまな色がうねっている混沌は《百の剣士長 ドゥース》の足下で動かなくなっていても、そのままだった。
「たぶんな。見えねぇもんで、ほかの誰かを殺しちまったかもしれん」
返って来たあまりに気安い言い方に、シャルは二の句が継げなかった。
《百の剣士長 ドゥース》の存在自体はもともと知っていた。最強の百人隊を率いる隊長である、と。
しかし《東京ローズ》の千里眼を用いて入手できる彼のデータはといえば、特段秀でた部分も無く、むしろ女にだらしがないだとか、いいかげんだとか、そんな風評ばかりで、だからシャルはこう思っていた。
彼には表面上のデータでは推し量れない以上の何かがあるのだろう、と。
だから精鋭の百人隊の長を務められるのだ、と。
きっとそれは、目の当たりにしてみなければわからないようなものなのだ、と。
だが《東京ローズ》の、視力とも聴力とも違う、第三の目を用いて見る《百の剣士長 ドゥース》は、まさしくデータ通りの平凡なものでしかなかった。いや、傷ついているぶんだけ、むしろその辺に掃いて捨てるほどいる自称騎士よりも弱いかもしれない。
ただの騎士。
それなのに、いや、それ以下なのに、災害獣である《邪光の獣 ニルヴェス》に挑むというのか。
「怖ぇかい?」
沈黙が続いたのちに、突如として投げかけられたその言葉に、シャルは咄嗟に反応ができない。
《百の剣士長 ドゥース》はシャルの反応など特に受け止めようとしていなかったのか、「だよなぁ。《東京ローズ》でも死体は怖ぇよなぁ。死ぬのは厭だよなぁ。戦争は厭だよなぁ」などと勝手に喋り始める。
だが、彼の言っていることはまさしくその通りだった。
死は怖い。戦争は厭だ。
「女は良いよなぁ。何度も股の間から血ぃ垂れ流してるんだから、血なんて慣れっこだ……、なぁんて思ってたんだけど、そんなことはないのかな。どうなんかね?」
彼の言葉は卑猥で、下品ではあった。こんな状況でふざけるなと、そんな怒りの言葉を返しても良かっただろう。いや、そもそも目の見えない彼のことなど無視してこの場に放っておいても良かったかもしれない。
シャルが彼を放っておけなかったのは、単に災害獣の襲来下という緊迫した状況であったからというだけではなかった。
《東京ローズ》の第三の目では、《百の剣士長 ドゥース》の怯えの色がはっきりと見えた。彼の恐怖が。畏怖が。悲哀が。
ああ、そうだ。彼は平々凡々な人間なのだ。十人並みの騎士なのだ。百の剣士長などという、実力に見合わぬ肩書きを負った、ただの男なのだ。
ならば怖いだろう。その恐怖は震えるほどだろう。軽口を叩きながらも青ざめ、目元が潤むほどだろう。泣きたくなるほどだろう。
それなのに。
「怖い怖いと言いながら、それでもあなたは《邪光の獣 ニルヴェス》と戦いに行くのですか?」
「仕方ねぇよなぁ。生死をかけるのは男の仕事だってんだから」
言って、ドゥースはぷっと噴き出す。今の台詞の何が面白いのか、シャルにはさっぱりわからなかった。
《百の剣士長 ドゥース》が何を考えているのか、どんな人物なのか、未だ理解はできていない。だが理解ができなくても、彼に力を貸そうと思った。
「なんだこりゃ」
《東京ローズ》の第三眼の能力の一端を受けた《百の剣士長 ドゥース》の反応は、そんな気が抜けたものだった。
「普通の景色と違いますか?」
シャルがドゥースに貸し与えたのは、己が世界を見るのに用いている第三眼の能力だ。こんなふうに、能力の一部を他人に与えられるということは、《狂魔技官 ギジェイ》には話していなかった。
恐る恐る、シャルは尋ねた。《東京ローズ》の依代を受ける以前は完全な盲目だったシャルには、召喚英雄の力を通して見える光景が網膜を通して見る景色とどう違うのかを知らない。
「ああ……、めっちゃ気持ち悪い。あんた、よくこんなもん見ながら生活できるな。酔いそう」
「それは……、すみません」
なぜ手助けしてやっているのに自分が謝らなければいけないのか、と思いつつも、シャルは謝罪の言葉とともに頭を下げた。
頭を上げてみると、《百の剣士長 ドゥース》がじっとこちらを見ていることに気づいた。
「どうか……、しましたか?」
シャルは己の手がじっとりと汗をかいていることを自覚しつつ、尋ねる。
「あんたはぼぅっと赤く見えるな。薔薇色だ」
「それだけですか?」
「いや残念だ。あんたの綺麗な声を聞いてから、実物はどんだけ美女だろうって思ってたんだ」
「それは……、見えなくて良かったですね」
シャルはリャブーだ。
己の姿が人間とどう違うのか、盲目のシャル自身はよく知らない。だがどれだけ違うのかは、よく知っている。このケルゲン城に来てからという者、醜い蛙だと、何度となく罵られたのだから。
だからシャルは怖かった。自分がリャブーだと知られたら、彼の態度が豹変するのではないかと。一度、リャブーとして会っているというのに、やはりシャルは怖かった。怖いものは怖いのだ。
「そうだな。まぁ、あんたの態度を見る限りじゃあ、大した美人じゃなかろうね。むしろ醜女の部類だろう」
と言って、《百の剣士長 ドゥース》は《狂魔技官 ギジェイ》の研究棟の出口へと足を向ける。第三の目の視界にも慣れてきたらしく、既に足元もしっかりしていた。
(なんて失礼な人だろう)
そう思いながらも、シャルはあとを追う。ドゥースに貸与している第三の目の能力は、あまり離れると消えてしまう。人に力を貸し与えるなどというのは、殆ど使ったことが無い力なのだ。どれくらい離れると無力化されるか、よくわからない。
「あんた、自信が無ぇよ。ぜんぜんな」とこちらが訊いていないのにも関わらず、ドゥースは勝手に話を続ける。「女ってのはプライドが高いもんで、見た目はしおらしくても、腹ん中じゃあ傲慢不遜で自信たっぷりよ。自分が綺麗だってわかってるやつはな。
あんたはそういうところが無い。まったく、勿体ないもんだ」
「勿体ない?」
ドゥースの歩みは一定で、軍靴がコツコツと規則正しく鳴らすぶんだけ、シャルは己の呼吸音の聞き苦しさを感じた。
この男は、このドゥースという男は、この状況でいったい何が言いたいというのだ。何を告げたいというのだ。
「多少は顔が不味くたって」とドゥースは己の顎を撫でる。「弱くたって阿呆だって、誰かしら取り柄はあるもんだろう。それを自信のよすがにでもして、もっと自信を持ちゃいいのに」
「そんなものはありません」
他人に勝ち得るほどの優秀さなんてない。そんなもの、持てない。長所なんて無い。
「でなけりゃ、とりあえずは生きてる」
生きてる。それはそうだ。
だがそれだけでは、惨めだ。生きているだけなんてのは、動物と同じだ。
「それだけじゃ不満か? 誰かに勝てねぇと厭か?」《百の剣士長 ドゥース》は見えない目で真っ直ぐ前を見据え、まるでこちらの心を読んだかのようなことを言う。「だがよ、勝てるやつなんてそうそういねぇ。誰かが勝ちゃあ、誰かが負けるんだからな。伸し上がれるやつなんて、そんなもん、一握りだ。
そんな、自分が他人より優れているだとか、頑張れば努力が実るだとか、そんなもんが信じられるのは餓鬼だけだ。
それでも努力すれば、何もしないよりはマシだろうさ。何か望みがあるんならな。努力しないと。ああ、くたびれる。で、あんたにはなんか望みがあるのかい?」
振り返ったドゥースの手が、シャルの額に触れていた。粘液で覆われていて、ねばねばしていて、人間のそれとはまったく違う、リャブーの皮膚に。
第三の目を通して見るドゥースの姿に、驚きの色は無かった。気付かれていた。シャルが召喚英雄《東京ローズ》の依代だと。リャブーだと。醜い蛙だと。
そうだ。シャルはリャブーなのだ。
ただ他人より力があるというだけで、召喚英雄の依代になっただけの、リャブーなのだ。
人間ばかりのバストリアの街で、シャルは罵られた。貶められた。
だから、だから。
「おうちに帰りたい………」
ぼろぼろと溢れ出る涙から、ドゥースは遠ざかっていた。
「それは自分でどうにかしろよ。おれは忙しいんだ。目ぇ瞑ってたって、馬鹿みてぇな光が見えるんだからな」
バストリア領、ケルゲンの街を白い輝きが覆い尽くしていた。市街を焼き尽くす邪光が作りだす影は、黒より暗い闇色だった。
敵は巨大な《邪光の獣 ニルヴェス》。
対するは、災害獣に比べれば小さな小さな満身創痍の盲目の騎士。剣に劣り、槍に劣り、たったひとりで立ち向かうその名は《百の剣士長 ドゥース》。
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