小説ラスクロ『太陽の鴉』/時代4Turn12《忘れ河の幽霊船 幻月号》


8-096U《忘れ河の幽霊船 幻月号》
忘れ河に銀の月明かりが落ちる夜、それはおぼろげな姿でやってくる。それに乗って帰ってくる者もあれば、旅立つ者もいるのだという。

 不確定要素は数えきれないほどあった。

 レーテで現在すぐに出立可能な艦で最も速度が速いものは果たしてどれほどなのか。
 大魂声術で現在ゼスタールとセレネカ、それにセゴナの遺産を巡る状況を理解した《慟哭城の主 パルテネッタ》がどれほど早く動いてくれるか。
 慟哭城の主が城のどこにいるか気象条件はどうか。精霊島までの道程に障害はあるかどうか。

 ゼスタールが確信できていたのは、たったひとつのことだけ。
 それは、《聖求の勇者 セレネカ》が《大翼神像 セゴナ・レムリアス》を手に入れることを知れば、慟哭城の主はそれを全兵力をもって妨害してくるであろうということだけだった。

「たとえば剣を手に相対しているときに、どうすれば勝ったといえるでしょう?
 腕を切り落とし、目を抉り出し、首を撥ね飛ばした結果に訪れるのが勝利なのでしょうか?」
 それは慟哭城の主の言葉だ。彼女は言った。いや、心の中で呟いただけだろうか? 大事なのはバランスだと。突出した力は危険なのだと。負けることが勝つための最善手である場合もあるのだと。
 慟哭城の主は、少なくともその部分においては正しかった。

 結果が開票された直後、ゼスタールは己の負けを悟り、まず一息を吐いた。
 勝つわけにはいかなかった。なぜならば、選挙で勝ってしまえば、それはすなわち負けだからだ。なにせ周囲には《メルアンの戦闘員》だらけなのだ。《大翼神像 セゴナ・レムリアス》を起動するまえにゼスタールは殺されるだろう。
 だから負けに関しては、ひとつ息を吐けるところであったが、負けを負けのままにしておいては、やはり緩慢な死を待つだけになる。将来の障害と思われてセレネカに殺されるだろうし、彼女から逃げてもそのうちに慟哭城の主によって派兵された軍がやってくる。

 だからゼスタールは、自ら慟哭城の主を呼び寄せた。彼女の軍隊を。
 
 レーテのゼスタールの支持率は、100%だった。通常なら、これはありえない。なぜなら、慟哭城の主はゼスタールと敵対しているからだ。
 それなのにゼスタールに票が入っていたということは、彼女がまさしくゼスタールの伝えた通り、セレネカの脅威を認め、セレネカではなく、ゼスタールが遺産を受け継いだほうがマシだと考えたからだろう。彼女は他のレーテ国民の意思も操ったに違いない。

 だが――だが慟哭城の主は、己が票を投じたとしても、国民の意思を操っても、ゼスタールが勝つとは考えないだろう。でなくても、念には念を入れる女だ。
 セレネカが選挙に勝利したとして、彼女がセゴナの遺産を起動する前に殺すのが確実だ。そのために兵を派遣するだろう。そうなれば、セレネカと戦いになるのは確実だ。その戦いの最中に、隙ができる。

 ゼスタールはそう読んだ。そして結末はその通りになった。
 読み違えたのは、慟哭城の主が権利を勝ち取ったセレネカだけではなく、負けたゼスタールをも同時に殺そうとしているということだった。上空に佇む巨大戦艦の底部に設置された銃口に、魔力が集中し始める。セレネカを殺したうえでゼスタールを傀儡にし、セゴナの遺産を奪う、などということは考えてはいないらしい。
 あれが見た目通り《魔導戦艦 ゼスタナス》と同程度の性能があるならば、フルチャージでの主砲はこの浮島を丸ごと吹き飛ばすだけの威力があるだろう。

「前脚、跳ね上げぇっ!」
 儀杖剣を掲げた《聖求の勇者 セレネカ》が叫んだ。隣で呆然と戦艦を眺めていたゼスタールとはまったく異なる、勇者の迅速な反応だった。
 まるで彼女の怒号に驚いて反り返るかのように、《聖求の旗艦 メルアンタ》の船底前部にある着陸用のランディングギアが勢い良く跳ね上がるや、さながらバク宙のように後方へと飛び上がり、垂直になったところで静止する。

「《メルアン式光波砲》、発射ぁ!」

 セレネカの儀杖剣が輝くとともに、垂直になったメルアンタの衝角から集束された光が真っ直ぐに発射され、巨大な戦艦の中央を真っ直ぐに貫いた――貫いただけだった。
 かつて《魔導戦艦 ゼスタナス》も同様の一撃を受け、船体に風穴が空いた。大きな被害を受けた、が、航行が不能になるほどではなかったし、発射されようとしている主砲を止めるほどでもないただ僅かに主砲の射線をずらしただけだ。僅かにずれた――が主砲の太いビーム波は精霊島に接触するだろう。
 《メルアン式光波砲》よりも激しい光が上空の巨大戦艦から迸った瞬間、《魔血の破戒騎士 ゼスタール》は右手を掲げた。

 《深淵の黒雷》、開放。

 ゼスタールの黒い右腕が金色に輝き、入れ墨が爆発したように膨らむ。右腕を飛び出した入れ墨は、まるで視界を黒く塗りつぶすように半球状に広がっていき、中空で戦艦の主砲から発射された魔力線と接触するや、その光に交じり合って主砲の威力を弱めていく。結果として、細まったビーム波は精霊島を掠めただけだった。それでも浮き島全体が僅かに傾き、地面が振動する。

(弱めるのが限界か……)
 セレネカの《メルアン式光波砲》がなければ危なかったが、《ヴェルチンジェトリクス》から受け継いだこの雷神の右腕が、死哭空域を丸ごと閉じ込めたかのような力がなければやはり終わっていただろう。
 ゼスタールはもはやこの世には存在しない召喚英雄に心の中で感謝した。 



「ま、あとは――餞別代りに武器でもくれてやる」
 《神告の秘使者 エルニィ》を捕虜として確保し、ゼスタールに雷神の入れ墨を渡した男――《ヴェルチンジェトリクス》は満足そうに頷いた。

「あんたは……、なんなんだ?」
 と呆然と己の右腕を見つめて、ゼスタールが問いかけた。実際にその力を行使せずとも、己の右腕に召喚英雄と同じ力が宿ったのは理解できた。
「おれは、ガリアだ。おれはガリアであり、ガリアのために戦った。糞ハゲおやじの《ユリウス・カエサル》と戦った――だが、ああ、勝てなかった。
 おれは今でも時折、夢に見る。ローマに抗うことがなければ――、ガリアがガリアのままであろうとしなければ――、戦おうとしなければ――、おれがいなければ――、あんな争いは産まれなかったのではないかと。
 だから、だから……、圧倒的な勢力の前に、それでも抗うなら………」

 勝ってみせろ。
 そう言った《ヴェルチンジェトリクス》は、樹洞の内壁にもたれかかるようにして崩れ落ちた。

 夜の暗がりのせいで、はじめはそれも刺青の一部なのかと思ったが、火に接近してみて初めてわかったことがあった。《ヴェルチンジェトリクス》の黒い身体にはいくつもいくつも大小の穴が空いていて、そこから赤い血を垂れ流していた。



(おれは、あんたのような英雄じゃない)
 《ヴェルチンジェトリクス》のような、《聖求の勇者 セレネカ》のような、誰よりも強くて誰もが羨むような英雄ではない。己の力で道を開けるような英雄ではない。《魔血の破戒騎士 ゼスタール》は、誰かの助けがなければ己の命すら守れないような負け犬だ。だから、勝てなかった。だから、負けた。
 だから――いや、それでも、だ。それでも、ここで勝つ。ここで勝たなければいけない。

「ゼスタール、どういうことですかっ!?」
 こんなことに、こんなことになるなんて、とエルニィが慌てふためいた表情でゼスタールに詰め寄ってきた。砲撃の余波で外套の裾が捲れ上がり、白い足が露わになったが、ゼスタールはエルニィを無視しようと努力した。彼女にも、《獄炎の料理人 ウォン・ガ》にも、今回の作戦は説明していない。選挙で勝利したセレネカが死ぬ可能性があるこの作戦を実行することは、エルニィに対する裏切りだからだ。だから説明できなかったのだ。

 恨み辛みに妬み嫉みを数えれば、佃煮にするほどに溢れてくる。それらは忘れえぬことだし、捨てられないものだ。
 だが横に置いておくことはできる――二射目のために再度エネルギーを集束し始める戦艦を見据え、隣の勇者に向けて叫んだ。「セレネカ! 次弾が来るぞ!」
「わかってる――くそう、いったいどういう状況だ、これは」
「説明はあとでするから、早く光波砲を撃て」
「今撃ったら、過熱で砲台が壊れて――」
「向こうに先に撃たれたら、砲台の心配なんてしている余裕はない!」

 だあぁ、くそう、のあとにとてつもなく汚い言葉を吐いたセレネカは、再度儀杖剣を掲げた。《メルアン式光波砲》が発射されたが、今度は魔導障壁で弾かれた。だが光波砲のエネルギーは完全には防ぎきれるわけではなく、魔力線を受け止めた衝撃で戦艦が傾き、またしても砲台の射線がずれる。ゼスタールはエネルギーを黒雷で弱め、精霊島はわずかに縁が削れただけで済んだ。

「もう撃ち止めだ。砲身がイカれた。あんなところまで届く武器は——」
「まだあるだろ。《大翼神像 セゴナ・レムリアス》だ」とゼスタールは浮島の奥、遺跡の方向を親指で示してやった。「もう使える。メルアンタで行け。援護する」
「もう使えるったって、あっちまで行くには……」
「黒雷の使い方がわかってきた。二、三発は止められる。あと、ゼスタナスを動かす――もう何日も作業しているんだ、動かせるようになってるよな? 返してもらうぞ。捕虜を全員解放しろ。動かすためには必要だ。ゼスタナスで陽動している間に、大翼神像で敵を落とせ」
「はぁ!? なんでだよ」
「ほかに方法があるのか? いちおう言っておくが、自分たちだけ逃げようとするなよ。慟哭城の主の標的はどちらかというとおまえだ。逃げようとすれば執拗に狙われ――」
 などと言っている間に、また上空でチャージが始まる。セレネカは納得したというか、ほかに手がないということは理解したのだろう。《メルアンの戦闘員》たちに命令をほとんど怒鳴るように飛ばし、己はエルニィを抱えてメルアンタへと走り出す。

「ウォンガ! ゼスタナスの始動準備だ! 捕虜はセレネカか誰かに解放してもらえる。全員ゼスタムは全員ゼスタナスに乗り込ませろ! 損壊部は全部切り離せ! 飛べるようになり次第発進、おれは地上から発進を援護するから、あとから引き揚げてくれ」
「あとからって、おまえ……」
「時間がない、防げるのは何発もないぞ!」
 言いきるまえに発射された砲を、ゼスタールは今度は竜巻のような死哭空間を作り上げ、その目に入り込んだビーム波を捻じ曲げて精霊島から逸らした。なんとか、ひとりでもビームを逸らせるようになってきたのは、ゼスタールが習熟し始めたばかりではなく、もはや撃てない《メルアン式光波砲》を警戒してそちらにエネルギーを使っているからでもあるのだろう。
 だが攻撃を受け止めるゼスタールにしても、消耗が激し過ぎる。この状況が続けば、もう一分も持たない。

 セレネカの乗り込んだメルアンタが砂埃を巻き上げ、垂直姿勢から飛び上がったのちに地面すれすれに下降し、遺跡に向かって滑るように飛翔する。頼むぞ、セレネカ。勇者。英雄。おまえなら勝てる。おれはここが精いっぱいだ。

 だが、それでも母や友が生き延びさせてくれた命だ。おれは、生きるぞ。生き延びるぞ。
 ゼスタールは雷神の右腕を天へと掲げた。四発目の魔力線の収束ビームを捩じ切った。



「もう行くのかね? あちらは随分と賑やかなようだが……」
 と穏やかな口調で言ったのは豊かな髭を蓄えた中年の男だった。灰色がかった髪はぼさぼさで、動きやすそうな作業着に近い格好をしている。
 《異邦の冒険者 テルマ》というこの男が、彼が拠点としているこの小さな小屋の主だ。壁には大量の地図やメモ書きが貼られており、写真機、お面、つるはし、角、干し肉と雑多な物品が壁には無数にかけられている。本人曰く、これで整理されているらしい。

「ええ、もう動けるようになりましたから」
 女は己の胸の下を撫でた。ごつごつとした感触があるのは、そこが機械化された部位だからだ。
 かつて女は大きな怪我を負った。そして臓器と右目と尊厳と息子を失った。ああ、大きな損失だった。臓器の代替となる機械を埋め込まねばならぬほど。

 それから8年。改めて剣で貫かれた場所は、かつて欠損した部分だった。
 もちろんかつて貫かれた部位だからといっても、二度鉄の杭を打ち込まれて無事というわけではない。事実、女は死にかけた。半死体のような状態で、他の死体とともに飛行艇から空へと捨てられた。グリフォンに乗って空を探検していたというテルマが拾ってくれなければ、やはりそのまま死んでいただろうし、蘇生も叶わなかっただろう。

 テルマの仮住まいである小さな浮き島で手当てを受け、なんとか蘇生した。身体も幾つかの部品は壊れてはいたが、新たな肉体的な欠損はほとんどなく、修理ができた。
 8年前に得たのは痛みであり、悲哀であり、憎悪であり、ありとあらゆる負の感情であった。
 だがあのときの苦痛が無ければ、この傷で死んでいた。いや、それ以前に二人目の息子と出会うことは無かった。

 だから良かった、とまでは言わない。でも、凍える冬のあとには暖かな春があることを、暗い夜のあとには明るい朝があることを、シェネは経験で知っている。
 さぁ、早く戻らなくては。ゼスタールが待っている。
(終)


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