小説ラスクロ『ペチコートを着た悪魔』/時代2/Turn4《猛々しき黒象兵》


12-066U《猛々しき黒象兵》
その巨体はすべてを踏み潰して吠え狂う……命も町も人も、そして一縷の希望すらも。



 火薬の香と煙を漂わせる金色の真鍮構造ブラスフレームを二、三度振り、安宿〈ヤンガーズ・ベンド〉の女主人は足元まで隠すスカートを捲り上げた。どうやら太腿のところに拳銃嚢ホルスターを隠していたらしく、収めるべきところに拳銃を収めてから、女はようやく《黄金の宿命 アルマイル》へと視線を向けた。
「まったく、やってくれたな。宿は壊され、酒は飲まれ、嫁入り前の娘のおっぱいは揉まれた。何もかもあんたたちのせいみたいなんだけど」女はアルマイルを一瞥してから、半壊した店へと視線を向けて大声をあげた。「レリー、もう出てこい」
 呼び出しに応じて、隠れていたのであろう銀髪の吸血鬼の少女――いや、レリーという名の少年が姿を表わす。彼は酒場の外で起きていた出来事に目を丸くしていたが、雇い主である女主人の恰好を見てか、惨劇や死体を忘れたかのように真っ赤になり、酒場の中に引っ込んでからレース編みの白いテーブルクロスを手に戻ってきて、女主人に押し付けた。露わになった胸に巻いておけということだろう。

〈げらげら笑い〉や〈狐目〉の言動から目当てはアルマイルで間違いないだろう。メレドゥスに帰るだとか言っていたか。完全な形勢が決まっていたあの状況でわざわざ偽の情報をばら撒くとは思えないので、メレドゥスの暗殺者――おそらく〈黒覇帝〉が賭けた賞金に集まった傭兵崩れの類だろう。
 つまり彼女の言うことは的を射ていたのだが、それとは関係なしに目の前の女は明らかに尋常ではないとアルマイルは感じていた。いくら銃火器が非力な者でも使えるようになっているとはいえ、抜く瞬間さえ感じさせない動きといい、その技術で3人を殺しておきながら動揺する素振りがまったくないことといい、普通ではない。同性のアルマイルの前だからというのもあるのかもしれないが、乳を放り出したことを気にする様子さえ見せておらず、レリーという吸血鬼の少年がいなければいまも露わになっていたままだっただろう。
 あれだけの戦闘力を持っているのならば、捕まる前に敵を倒すことも可能だったはずで、であればわざわざ拘束されて引きずり出されたのもこの女の策略の内で、なぜそんなことをしたのかといえば敵の正体を掴みたかったからではなかろうかと想像できた。

 一言で言えば、この女は得体が知れない。

 だがそれよりもアルマイルには、とりあえず言ってやりたいことがあった。
「あんた、旦那がいたって……」
「女は旦那が死ぬと嫁入り前に戻って、処女膜も再生するんだよ。お嬢ちゃん、知らないの?」と女はくすんだ色の金髪を掻き上げて言った。
 アルマイルには女の冗談に反応する余裕はもうなかったので、ただ溜め息を吐いてから「とにかく、助けてくれ」と頼んだ。未だアルマイルは樹に縛り付けられたままだ。

 が、女は首を傾げた。「え? なんで?」
「なんでって――」
 絶句するアルマイルを見下して女は肩を竦める。「助ける理由はないでしょ、お嬢ちゃん? さっきはそっちの半裸男に余計な嫌疑をかけられたわけだし、あんたたちのせいで店が台無しだ。それなのに都合良く助けてだなんて――あっ、こらレリー!」
 馬鹿、と女が言い切るまえに、アルマイルに近づいてきたのは、レリーという吸血鬼の少年だった。縛り付けられる樹の裏にまわり、酒場の厨房から持ち出してきたらしいナイフで綱を切ってくれた。スウォードのも。
 女の舌打ちはとりあえず聞かなかったことにして、アルマイルは自分と同じ程度の上背しかない少年に礼を言ってから、スウォードの容体を確かめた。アルマイルよりも余程暴力に晒されていた彼だったが、鍛え方が違うだけはあり、命に別状はなさそうだ。気絶したままのようだが、呼吸はしていて、出血していたところはもう血が止まっていた。
「良かった………」

「はい、良かった良かった」安堵感をぶち壊しにするのが女の茶化した拍手だ。「おめでとさん。で、お嬢ちゃん。払うもん払ってもらえるんだろうね? 酒場の修理費と掃除費、迷惑料、弾と火薬の代金も……あとは食事代も貰ってなかったね。助けてあげたんだから、その手数料も貰うよ。お嬢ちゃん、メレドゥスに狙われるくらいなんだから、相応の金は持ってるんでしょ?」
「手助けには感謝をしているし、恩義に報いるつもりもある。オルバラン王家に請求してくれ」
「請求してくれってね、そんな口約束を信用しろって?」
「あいにく、手持ちはそれほどない」
「冗談はよしてよ、お嬢ちゃん」と女は呆れたようにわざとらしい溜め息を吐いた。「いまの状況わかってる? 暗殺者に狙われてすぐにでも死ぬような立場の、自称お姫さまをこのまま逃がせって? 無茶言わないでよ。その鎧とか、金ピカだけど値打ち物なんじゃないの? 最悪それくらい置いてってよ」
「生憎と、これは真鍮製だ」
 わたしと同じで、とまではアルマイルは言わなかった。
「じゃあほかに何かないわけ?」
「何かって………」
 促され、つい正直にアルマイルは己の斧――襲撃者に襲われた際に奪われ、いまは死体の傍らに転がっているそれに視線を向けてしまった。斧そのものも値打ち物ではあるが、重量を増すために斧の刃の中央に埋め込まれた塊は純金製だ。アルマイルの持ち物の中で、最も値が張るものといって間違いない。
「お、なになに、あるんじゃん」と目聡く視線に気づいた女は手を打った。「レリー、ちょっとそこの死体の傍の斧を――」
 
 レリー少年に指示を出そうとした女主人の言葉が途中で止まった。彼女の視線がゆっくりと動き、まるで犬がそうするように鼻をひくつかせる。

 一瞬の静寂。

 彼女の手が己のスカートの下に伸びて黄金色の銃を取り出すのと、気絶していたスウォードが目を見開いてアルマイルの前に立ち塞がるのはほとんど同時だった。
 銃声は不思議に遠かった。
 それも当たり前で、女の手に握られていた拳銃からは発射を意味する紫煙は立ち上ってはおらず、しかも銃口の先は明後日の方向を向いていた。宿に面した丘の上、木樹の影からずるりと倒れる者がいた。口元をスカーフで隠した男は倒れた勢いのまま、丘をごろごろと転がり落ちてきて、アルマイルたちの足元で止まった。その男の胸には穴が空いていて、もはや物言わぬ死体と化していたが、手にクロスボウが握られていたので、〈禿頭〉たちと同じくアルマイルを狙う暗殺者であるということは理解できた。

「おいおい、〈山賊女王バンデッド・クイーン〉。油断したな」

 男が落ちてきた丘から姿を表したのは、髭面に癖のある長髪の大男だった。〈山賊女王〉――髭面の大男がそう呼ぶ女主人――の持つ黄金色の拳銃より遥かに長い、しかしやはり黄金色の真鍮構造を持つ小銃ライフルを肩に載せた男。彼は髪と同様のもじゃもじゃの髭面の下から白い歯を覗かせて言った。「おれがいなかったら危なかったな」

「うるせぇ、死ね」
〈山賊女王〉の構えたままの銃口から弾丸が発射され、髭面の男の頭を貫いた。彼はバク宙でもするように後方へ吹き飛び、血を流して動かなくなり、その場はまた静かになった。




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