アマランタインに種実無し/05/03 Fun With Pestilence-3

(死んでる………)

 Skylineアパートの5階。Azaleaは思わず息を呑んだ。
 血力を目に集めて周囲を警戒する。人の気配はない。1フロアに1部屋で、二階構造まである立派なアパートだ。周囲に争ったような様子は無く、ただ若い男の死体だけが倒れている。死体に外傷はなかった。


(たぶん、このひとがPaulって人だ……)
 部屋の様子を見れば、ひとり暮らしであるということはわかる。そこで死んでいるのだから、この部屋の住人で間違いない。
「わたしの友だちの……、PaulってGhoulがさっき言った伝染病にかかってる。Skylineっていうアパートに住んでるんだけど、その様子を見てきて欲しいの」
 赤毛のDamselに依頼をされて、Azaleaはこのアパートにやってきた。だがどうやら遅かったようだ。


 死体の様子を確かめようとして、Azaleaは躊躇した。
 伝染病。
 Damselはそう言っていた。それは空気感染するのか、それとも体液か粘膜を通して感染するのか。Downtownに蔓延するほどの感染力があるならば、空気感染でもおかしくないのでは。すると、既にAzaleaもその病に侵され始めているのではないのか。吸血鬼だからといって、油断はできない。目の前で死んでいるPaulとて、Ghoulだという話だ。
 
 こんなことになるなら、Damselの頼みなど聞くのではなかった。彼女がじぶんで出向けば良かったのに、と思いかけ、彼女には彼女でほかに伝染病関連で別件があり、そちらのほうがより危険度が高いということで、彼女のことは責められない。
 
 なんにしても、もし空気感染なら、既に遅い。でなくとも、Downtownで伝染病が蔓延しているのなら、防ぎようが無い。その原因を突き止めるまでは。このままなんの手がかりも無いままでは、帰れない。
「伝染病については、その辺のホームレスからも話が聞けるかもしれない。中には死体清掃の仕事をしているのもいるし、夜にうろついてるから」
 Damselがそう言っていたことを思い出す。Last Roundに戻る前に、ホームレスに話を聞いてみるのがよいかもしれない。

 そう思ってアパートを出ようとすると、カウンターの上に置かれた電話のランプが明滅していることに気づいた。留守電が入っているらしい。
『Paul? Hannahです』
 と、再生してみて流れ出てくるのは、若い女の声であった。
『急にごめんなさい。でも、ベッドから起き上がることさえできないの。薬を買ってきて……。部屋の鍵番号は1203だから』

 どうやら電話の主は、同じSkylineアパートの住人らしい。薬とか言っていたか。たぶん、この女性も未知の伝染病に侵されているのだ、とAzaleaはあたりをつけ、Skylineアパートの一階から屋上フロアまで、総当りで部屋の番号を打ち込んでいき、6階の部屋でようやく鍵が開いた。
「Hannahさん?」5階のPaulと同じ間取りの部屋の中、Azaleaは電話の女の名を呼びながら歩きまわる。「Hannahさん、いませんか?」

 か細い呻き声が聞こえてきたのは、寝室に入ったときである。栗色の髪の女性がベッドに寝ていた。
「Paul……、Paul?」
 と彼女はベッドにうつ伏せに突っ伏したまま、男の名を呼んだ。
「Hannahさん?」
「Paulじゃないの……? あなたは………?」
 Hannahは顔をあげる気力すら無いらしい。瞼を閉じたまま、振り絞るような声で言葉を発する。
「えっと、わたしはPaulの友だちで……、いまPaulは手が放せないから、代わりに様子を見に来たの。大丈夫?」
 Azaleaは咄嗟の判断でそう誤魔化しながら、Hannahの体調を診る。
 だが、これはもう駄目だろうとすぐに判断できた。血の気が全く無い。一滴残らず血を吸いだされてしまったかのような肌の色である。
「ごめんなさい。とても体調が悪くて……」Hannahは躊躇いがちに言葉を紡ぐ。「あの、もしかして、Paulの体調も悪いんじゃないの?」
「いや……、そんなことはないよ」
 Azaleaはじぶんの声色が心配になった。じぶんはきちんと嘘を吐き通せているだろうか。Paulが死んだということを隠せているだろうか。

「あの、あなたは……、いま街で流行っている伝染病に罹ったの?」
 とPaulのことが発覚しないようにというのが半分、目的を達成するためというのが半分の理由で、Azaleaは尋ねた。
「そう……、かもしれない。いろんな薬を試してみたんだけど、ぜんぜん効き目がなくて……。何日か前にあの女と出会ってから………」
「あの女?」
「金融業務委託のことで会ったの……。わたしのことは、新聞で見たんだって言ってた……」
「その女の名前は?」
「Jezebel。Jezebel Lockeとても綺麗な……、でも、すごく変わった……」


「その女は、どこにいるの?」
Empire Hotelの5階に住んでるって……」
「Empire Hotel?」
「ねぇ、Paulは、Paulは本当に無事なの?」とHannahは無理矢理にベッドから身体を起こそうとする。まるで最後に残った血の一滴を振り絞ろうとするかのように。「わたし、わたしずっと……、Paulにもこの病気を移しちゃったんじゃないかって……」

 Azaleaは彼女の身体を抱き留めた。病気が移るかも、ということを一瞬だけ思い浮かべたが、頭から振り払う。
「大丈夫。Paulは大丈夫だから……」
「ほんと? 良かった………」
 Hannahは涙をひと粒、ふた粒落とした。力が抜ける。死んだ。彼女も、Paulと同じように。

(Jezebel Locke………)
 Hannahが死ぬ前に残してくれた情報のおかげで、Azaleaは3つのことを知ることができた。
 ひとつは、Jezebel Lockeなる女がDowntownで蔓延している伝染病の原因であること。
 ふたつ目は、彼女はEmpire Hotelの5階に住んでおり、おそらく吸血鬼であること。
 三つ目。これはJezebel Lockeが吸血鬼であろうと推測した理由でもあるのだが、PaulやHannahを殺したのは、病気ではなく、血力であるということ。

 なぜそう判断できるか?
 見えたからだ。Azaleaには、死したHannahから漏れ出る血力の残滓が、まるで吹き上がる血のように吐き出されるのが見えたのだ。血力を使って相手の内臓に働きかけるPurgeを使えるAzaleaには、この病を引き起こしているのがじぶんと似たような能力であるということが解った。
感染の心配はない……、と思う)
 死んだHannahの身体から、まだ生きているAzaleaの身体に移ってこようとする血力を、Azaleaは己の血力で弾いた。特殊な血力だが、Azaleaなら防げる。

 AzaleaはSkylineアパートを出て、Empire Hotelに走った。じぶんは、この血力の影響を受けない。血力で自分自身を守れる。だが殆どの人間は危険だし、吸血鬼でも危ういかもしれない。
 じぶんが、病の原因を止めなければ。
 そう思えば、Damselのところに戻っている余裕は無かった。


 Downtown西部のEmpire Hotelで、Azaleaは色仕掛けでホテルマンからJezebel Lockeの部屋の鍵を入手した。
 コールガールであった手前、色仕掛けというのは手慣れたものであったが、慣れているからといって成功率が高かったわけではなかった。吸血鬼になって以来、百発百中の色仕掛けであるが、悲しくなるのは、血力を使わなければ子ども扱いで、まったく相手にしてもらえないということだ。

 だがそんなふうにじぶんの胸だの尻だのの成長度合いについて想いを馳せるのは、Jezebel Lockeの部屋のドアを開けるまでだった。
「あら? Enlightenmentの子かしら?」
 Azaleaが戸を開けたときに、ちょうど部屋の入り口に立っていたJezebel Lockeは、勝手に鍵を開けて入ってきたAzaleaに対して驚くこともなく、鷹揚に問うてきた。
「あの、すいません。ドアの鍵が開いてたから………」
 Azaleaは慌てて弁解する。部屋の戸をノックしたときに返事が無かったので、てっきり部屋にはいないものだと思って、油断していた。


 JezebelはHannahが言っていたように、確かに恐ろしいほどの美貌を持った女であった。彼女はぞっとするような妖艶な微笑みを浮かべ、Azaleaの首筋に手を伸ばしてきた。
「あなた、可愛い子だからNinthの輪に加えてあげる……」
 そう囁いてAzaleaの首筋に唇を吸いつけてきた瞬間、AzaleaはJezebelの身体から血力が膨れ上がるのを感じた。

 相手が吸血鬼となれば、躊躇する必要は無かった。AzaleaはBlood StrikeでJezebelの身体を部屋の反対側の壁まで吹っ飛ばした。
「やっぱり、あなたがHannaたちに病気を………」
 その言葉は最後まで紡げず、Azaleaは膝をついた。

 果物ナイフがAzaleaの腹に突き立っていた。
「あなた……、ちょっとだけ血力が強いのね」殆どダメージを受けた様子もなく、Jezebelが立ち上がり、部屋のテーブルに突き立っていた2本目の果物ナイフを抜く。「痛めつけてからじゃないと駄目かな」


(やばっ………)
 Azaleaは一歩、後ずさった。
 Jezebelの身体からは、血力が眼に見えるほどに溢れていた。この女はAzaleaより血力が強い。LaCroix並みかもしれない。

 彼女が持っているのは、ただの果物ナイフだ。人狼の爪のように、傷の治りが遅いということはない。実際、腹を刺された傷は、既に治りつつある。
 だが一瞬では治らない。それだけ傷が深い。馬鹿力で、そして恐ろしく動きが速い。一度掴まれたら、もう逃げられない。

 いや、既に遅かった。ゆっくりと歩み寄ってきているかのように感じたJezebelだったが、一瞬で間合いを詰めて、Azaleaの首根っこを掴んで持ち上げた。
「大丈夫、お友だちになるだけだから……。ちょっとだけ痛いかもしれないけど、でも、最初はなんでもそうよね?」
 そう言って、JezebelはAzaleaの腹にナイフを突き立てた。腕に、足に、顔に。何度も何度も。

 ナイフを突き立てられる直前にAzaleaが思い出したのは、Santa Monicaの画廊で戦った血塗れの化け物の姿だった。あの化け物は、全身が血に塗れていた。だが血を流しているというわけではなく、血の鎧を纏っているかのように硬かった。

「あら………?」
 Jezebelが不思議そうに呟いたのは、いつの間にか彼女の手から果物ナイフが離れていたからだろう。


 ナイフはAzaleaの身体に突き刺さっていた。
 いや、それは正確ではない。Azaleaの身体は全身が血の鎧に纏われていて、その血の鎧がナイフを受け止めていたのだ。
「”Blood Shield”……」
 
Discipline: Blood Shield
 ThaumaturgyのLv3。対象は自身。
 血を硬化させ、己の身体に鎧として纏わせてダメージを減少させる。

 Azaleaは捥ぎ取ったナイフを、呆然とするJezebelに突き立てた。

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