ブロセリアンドの黒犬/02/05 《後詰めの達人》


2-054U 《後詰めの達人》
「脇から風のように現れては、矢を射かけてくるんだ。追えば逃げちまうし、うっとうしくてたまらないよ!」
「俺たちも真似すれば?」
「残念ながら矢が足りないし、何より足が二本ぶんほど足りないね。」
~白エルフの弓兵の会話~


(ようやくあの男が消えてくれたか)
 用件が何だったのかは知らないが、書簡を見るなり血相を変えたということだったので、聖都に残してきた女のことだとか、そのあたりだろう。
 ディレーゼ伯パステロはカダナル城の城壁から戦場を見下ろしながら、《百の剣士長 ドゥース》のことを思い出していた。彼自身は知らなかったが、それはそこはドゥースが戦場を眺めていたのと同じ場所だった。

 ドゥースなどという若造は王家の、特に《聖王子 アルシフォン》のお気に入りだ。そのため、あの男は小土地しか持たない貧乏貴族だというのに、合戦では大将格という有様だった。百人隊だか何だか知らないが、大した剣の腕前ではない。あの程度の騎士なら、掃いて捨てるほどいる。
 此度の戦は、あのような男などおらずとも十分であるということを王家に知らしめるのに良い機会だ。

 ディレーゼ伯パステロは、改めて敵の軍勢を確認する。今のところは遠くに天幕が見え、ときおり斥候が姿を現す程度だが、それでも判ることはある。
(飛竜も飛行船もいないな)
 ゼフィロンの兵種はおよそ6種類。
 まず筆頭は飛竜飛行船で、これらは高高度から強力な攻撃を仕掛けてくるため、最警戒対象ではあるが、巨大であるがゆえに身を隠せぬという欠点もある。配備数も多くはない。今回の戦いでは出てこないだろう。
 とすれば、残りは4種。

 雷の魔法を使う魔術師集団は強力ではあるが、グランドールの白魔術で防ぐのは容易だ。兵士たちの鎧には雷魔術に対する防護術式が組み込まれており、大部分のダメージは軽減できる。
 半人半牛のミノタウロスの膂力は強力で、騎馬突撃さえも止めてしまうほどだが、その巨体ゆえに、彼らを乗せられる馬は殆どいない。ゆえに機動力に欠ける。
 逆にケンタウロス隊は素早いが、ミノタウロスとは逆に武器は弓で、中距離からの攻撃だけを警戒しておけば良い。行軍速度が図抜けて速いが、逆にいえば突出しやすいということである。

 そういうわけで、この戦場で警戒すべきはスワントだ。
「鳥人間どもめ」
 とパステロは吐き捨てる。翼を持ち、上空から弓による射撃をしてくるスワントの対策は難しい。天使がいれば迎撃は容易なのだが、今回の戦には参加していない。
(聖都では何をやっている)
 天使兵を送れと手紙を送ったのに、まったく返答が返ってこない。王家は何もわかっていない。人物評価も、戦場の重要度も。このカダナル城を奪われれば、ゼフィロンに聖都に攻め込まれやすくなるというのに、もっとこちらの意見を汲んでほしいものだ。

 天使がいないならば、とパステロは弓に長けるエルフを城壁に立たせ、スワントを警戒させる指示を出したときである。眼前の塀に、矢が突き刺さった。
 上を見る。
 矢が降り注いでいる。

 空を見ても何も無い。ならば下だが、城壁から身を乗り出すのは危険すぎる。パステロは城壁の陰に必死になって身を潜めた。幸い、矢は一発も命中しなかった。
「なんだ!? 襲撃か!?」
 パステロは隠れたまま、近くにいたエルフ兵に問う。彼も城壁の陰に隠れている。「わかりません」
「確認しろ。確認して、迎撃しろ!」
 命令は命令である。従わないものなどいるはずがない。エルフ兵は城壁から外を覗こうとして、頭を射抜かれた。パステロは舌打ちをした。

 しばらくして、矢の雨は収まった。兵士たちは、殆どが射撃が始まってからは城壁の陰に隠れていたため、人的被害は少ないようだ。
 パステロは安全を確認してから、外の様子を確認する。土煙の中に、馬の身体を持った兵団の姿が見えた。ケンタウロスだ。既に撤退に入っている。
「追撃しろ!」
 とパステロは命令を仕掛けて、しばし考える。
「既にかなり距離が離れています。追いつけません」と物見の兵からの返答が返ってきたが、パステロは慌てなかった。
「いや、構わん。小規模な隊だな。陽動だろう。捨て置け」
 幸い、こちらも人的被害は軽微であった。僅かな兵数によるめくら射撃だ、当たるものではない。あれは陽動に過ぎない。間違いなく、こちらをおびき寄せようとしているのだ。

「やつらはもう一度来るだろう。それまでに、騎馬隊の準備をさせておけ。追撃の用意だ。それに、今ケンタウロスどもが逃げて行った方向に斥候を出せ」
 われながら、的確な指示だった。パステロは笑顔で、斥候からの報告を待った。
 やがて戻ってきた斥候の報告から描かれた戦場の配置は、パステロが想像していたものとずばり合致していた。

「ケンタウロス隊ですが、100人程度の小規模な部隊です。逃げて行った方角は北方で、こちらには湿地土壌の森があります。ゼフィロンはミノタウロスをこちらの森に移動させているようです。ほかの兵の配置については、概ねこのように」
 と斥候が戦場地図に敵兵の種別と配置を図示する。
 ゼフィロンは、かなりの量のミノタウロス兵を北部の森に潜ませているようだ。ケンタウロスは陽動のみで、おそらく今回の戦闘に参加しているケンタウロス兵の絶対数が少ないのだろう。
 人間とスワントの兵士は、北東部の本陣から殆ど動いていないらしい。小規模な部隊の動きは見逃している可能性もあるが、大部分の動きは見違えていないはずだ。

 これだけの情報が集まれば、ゼフィロンの動きは看過できる。
「成る程、読めたな。ケンタウロスの隊で騎馬隊を誘き寄せ、ミノタウロスで迎撃するつもりだろう。本陣のスワントと雷魔術師隊は、城を攻撃して足止めをするつもりだ」

 予測できる伏兵ほど対処が簡単なものはない。
 後方に向けて矢を撃ちながら撤退するケンタウロスと、グランドール精鋭の騎馬隊であれば、グランドール兵のほうが速い。ミノタウロスが隠れている森へと近づく前に、ケンタウロスだけを攻撃できる。ミノタウロスは無視して、あとで火ででも焼き払えば良い。
「本当にそうでしょうか?」
 兵の中から声があがった。声のほうを見れば、ドゥースの配下のひとりだった。ドゥースについていかずに、こちらに残ったらしい。
「何か異論があるのか」とパステロは憮然として問う。
「そういうわけではありませんが……、しかし、ドゥース隊長は、召喚英雄は化け物だから、気をつけろ、と」
「所詮は鎧を着た豚だとか言われた男だろう。大したやつじゃない」パステロは鼻を鳴らす。「それとも、なにか、ドゥースはその召喚英雄に対する具体的な策でも出していたのか?」
「いえ……」ただ、とその男は挑むような目つきで言った。「ドゥース隊長の、時節を見極める目は確かでした」

 パステロとて、その噂は聞いたことがあった。曰く、貧乏貴族から百人隊の隊長まで上り詰めたドゥースという男の本当の恐ろしさは、剣の腕前や戦術などではなく、攻めるべき時期、守るべき時期を見極める目にあるのだと。
 馬鹿馬鹿しい、とパステロは切り捨てたときである。会議室に物見兵が駈け込んで来た。
「敵兵が現れました! またケンタウロスが100人ほどで、矢を射かけています!」
「軍議は終わりだ!」パステロは己の兜と槍を取り、立ち上がる。「出撃する! 撤退するだろうが、騎馬1000で追撃だ!」

 パステロも馬を駆り、騎馬隊を率いて出陣する。
 予想通り、カダナル城の城門が開いた途端にケンタウロス兵は撤退を始めた。逃げる方向は予想通り、北方の森だ。
 だがグランドールの騎馬兵は速い。
 ミノタウロスの伏兵がいる森までは、まだまだ距離があり、ケンタウロスが森に逃げ込む前に、グランドールの騎馬隊が彼らを蹂躙することは明らかだった。

 槍が届かんとするその瞬間である。
 まるでバリスタから射出されたような、巨大な矢が降ってきた。
 
 次の瞬間、パステロは矢の衝撃に驚いて暴れ出した馬から放り出されていた。


 矢が降り注いでいた。
 たいていの場合、降り注ぐとなれば雨に表現すべきだろう。小さな水滴が無数に降り注ぐ状態だ。
 だが此度は、雨などという表現は適当ではないように感じられる。というのも、矢の量はけして多くは無かった。理由は単純で、射手が熟練の兵というわけではないからだ。弓矢を扱うことに関しては。
 今回の矢は雨ではなく、であった。

(ミノタウロスに長弓を持たせるとは………)
 矢はミノタウロス隊が隠れている森から発射されていた。撃っているのはもちろん、剛力のミノタウロス隊だ。
 彼らの多くは歴戦の軍人だが、それは近接戦闘に関してのこと。
 弓矢を撃つとなれば、弓を構えるにも、矢を番えるにも、撃つにも時間がかかる。

「だがいいのか? ミノタウロスは弓矢なんて撃ったことはないぞ」
 と、作戦決行前に、《折れ角の暴風 モル・ガド》はそんなふうに確認したものだ。
「いいよいいよ、じゃんじゃん撃ってくれ」と、ベルトランは言ったものだ。
「当たらんぞ?」
「当たらなくて、いいんだよ。むしろ当たったら危ないだろ。お仲間が囮をやるんだからさ。矢だって、適当に長い棒とか槍でいいから」
「旗でも?」
「あ、いいな、それ。超豪華じゃん」

 今や、彼の言っていた通り、バリスタ用の巨大な矢だけではなく、槍やら木材やら旗やらが降り注いでいた。遠目に見る限りでは、矢は殆どがグランドールの騎馬隊に直撃していないばかりか、まったく見当違いの方向にまで飛んでいるものさえある。
 しかし、ごく僅かにでも、騎馬を掠るように飛ぶものもあった。

「それで、いいんだ」とベルトランは解説する。「馬なら、おれの世界にもいたからな。知ってるぜ。馬に乗ってるとよぉ、矢が厄介なんだよな。当たらなくても、矢が飛んでくるのを見れば怯えるし、一発でも当たれば暴れ出す。だから、騎馬相手にはモード・アングレさ」
「モード・アングレ?」
 聞き慣れない単語に、エルトラは首を傾げる。
「おまえ、知らんの? イングランド式だよ、イングランド式。長弓っていったら、ほら、そうだろ?」
「いや………、イングランドとは?」
「あとで調べろよ。兎に角、騎馬にはモード・アングレなんだ。なにせ、訓練しているとはいっても、馬は馬だからな」

 そう、馬は怯えやすい生き物だ。傷つけば、暴れる。制御がきかなくなる。一頭でも暴れ出せば、その恐怖が伝染する。
 いまや、グランドールの1000の騎馬は大混乱に陥っていた。矢が当たってもいないのに、落馬しているものさえいる。
 一方でケンタウロスは、人馬一体である。であるがゆえ、矢の衝撃で驚いたとしても、理性を持って鎮めることができる。彼らは悠々と森へ逃げ込んでいた。

「こうなったら、あとは楽勝ってやつだ」
 そら、行くぞ、と声をかけるなり、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》は戦槌を手に馬に飛び乗り、馬の尻を引っ叩く。そのまま単騎で、グランドールの騎馬隊へと向けて突撃する。

 エルトラは唖然としてしまった。
 総大将が単騎で突撃をかけるなんて、前代未聞だ。敵兵は落馬しているものもいるとはいえ、1000もいるのだ。
「ぜ、全隊、ベルトランに追随!」
 エルトラは慌てて号令をかけた。

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