1-020S 《ブリュンヒルデ》
「憎まれつつ去る魂があれば、惜しまれて呼び戻される魂もあります。あなたの魂は……さて、どちらでしょうね?」
~審判門の天使~


 ずっと座りっぱなしだと、尻が痛くなってくる。
 とはいえ有翼の身ではこの狭い馬車の中、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》のように身体を投げ出して休むことはできない。エルトラは身を縮めたまま、少しだけ体勢を変えて座り直す。

 かたかたと、規則正しい音を立てて馬車がゆっくりと進んでいた。進路は現在魔女裁判が行われている、グランドールの聖都である。
 商隊に偽装した馬車であり、僅かな兵しかつけていないからには、戦争に行くつもりはない。《ジャンヌ・ダルク》を救出するための潜入部隊である。

「ジャンヌさまだったら、おれたちがこんなことせずとも、ひとりでどうにかできるんだろうがな」とベルトランは潜入部隊であることを自覚せぬ喧しさで、ひとりで喋り続けていた。「まぁ信仰に厚いお方だから、敢えて囚われの身でいるんだろう。殉教ってやつかも。つっても、この世界でそんなのは間違ってるぜ。おれが助けてやらんとな」
「今回のジャンヌの騒動は、バストリアの黒太子の謀略ではないかと考えられているようですね」
 エルトラがそんなふうに言葉を返せば、珍しくベルトランが言葉に詰まった。

「黒太子……、ね」
 一拍遅れて、ベルトランが言葉を紡ぐ。その口調には、なぜかベルトランらしからぬ色が含まれていた。
「バストリアの黒太子のことくらい、知っているでしょう?」
「どうせ鴉みたいな真っ黒な鎧を着てやがるんだろ?」
「そうですよ。世情に疎いあなたでも、それくらいはやはり知っていましたか」
「いや、似たようなやつを知ってるってだけ」

 誤魔化すように言って、ベルトランは黙った。この男が黙るなど殆ど無いことなので、エルトラは気まずい思いに捕らわれ、後ろを振り向いてしまった。
 木造りの簡素な壁の向こうには、商品が乗っていることになっている。もちろんそれは、商隊として偽装するためのもので、本当に重要なものは、その商品に隠されるようにして、箱に入れられていた。
 中身は女だと聞いている。それはそうだろう。その女こそが、この作戦の肝なのだから。

「クロノグリフってのは、よくわからんが、そういう運命が書かれてる本ってことだろ。だったら、その記述に反しないように、嘘を吐けばいい」
 ベルトランがそんなふうに前置きした《ジャンヌ・ダルク》救出作戦の筋書はこうだ。ベルトランが聖都の《ジャンヌ・ダルク》が囚われている牢に忍び込み、《ジャンヌ・ダルク》を救出。代わりとして、彼女によく似せた女を置いてくる
 こうすれば、その似せた女が《ジャンヌ・ダルク》として処刑され、本物は生き残れる。これならクロノグリフの記述とは反しない。ベルトランはそう説明した。

「そう都合良く行くと思いますか?」と飛雷宮の巫女が尋ねたのを覚えている。「その程度の誤魔化しで、ザインとその使途のクロノグリフを欺けると?」
「やってみねぇとわかんねぇだろ。だいたい、ジャンヌさまの運命にしたって、あんたらが、そうかも、って言ってるだけなんだから」

 ふむ、と巫女は少し考える様子を見せてから、「あなたが行く必要は?」と問うた。前向きな問いかけだった。
「おれ以外に、誰ができる?」
「成る程。自信は大いに結構。それで、あなたひとりでやるつもりですか?」
「いや。女の手配はおれにはできない。だから適当な女を探してくれ。あと聖都までは商人として入りたいから、そういうかんじの変装ができるやつらを数人つけてくれ。商品としての積荷も」
 ベルトランは敏腕であった。彼は一見鈍重に、ときには愚鈍に見える。人の話を聞かず、人の話を理解しているように見えないからだ。

 だが、あるいはそれはまやかしなのかもしれない、とエルトラは最近思うようになっていた。
「自分は行かないほうがいいのでは?」
 作戦が決まってから、エルトラはそんなふうに尋ねたことがあった。エルトラも作戦に組み込まれていた。
 言うまでもなくスワントはゼフィロン人で、であればしぜんと警戒されることが予想される。巨大な羽は、隠せない。
「いいんだよ。グランドールとゼフィロンでまったく交流が無いってわけじゃあないんだろ? スワントだからって、石投げられるわけでもあるまい。それに、訛りだなんだで、どこ出身かってのは簡単にばれちまうもんだし。いざというときに羽があると便利だからな

 ベルトランにそう言われて、ほっとするどころか、むしろエルトラは落胆した。
 というのも、エルトラが気にしていたのは、自分が敵国人だと見破られて作戦が失敗することではなく、この作戦に参加しなければならないということそのものであったからだ。

 敵国の英雄を助ける。
 それだけを見れば、大義のある行いだ。しかもその英雄はうら若い乙女なのだ。土地と金と食い物を得るだけの闘いではなく、義のある戦いというのは、それだけで嬉しくなる。命をも賭けたくなる。
 だがその代償として、同じくらいの歳の少女を犠牲に捧げなければいけないのだ。未だ、エルトラはその少女の顔は見ていない。誰なのかも、知らない。見たくなかった。どんなにか自分に言い訳してみても、それが義に程遠い行いに違いないと確信できてしまうから。

 それでも、作戦の日となれば顔を合わせないわけにはいかなかった。
 グランドールの聖都に到着したその夜、作戦は決行された。作戦とはいっても、土台が単純なものである。ベルトランとエルトラが少女とともに聖都の牢へと侵入し、《ジャンヌ・ダルク》と少女を取り換えてくればよいだけなのだ。彼女が閉じ込められている場所は調べがついていて、簡単に聖都まで侵入できたからには、あとはそう苦労する任務ではなかった。

 だが犠牲に捧げる少女を初めて見たとき、エルトラの心は掻き乱された
(あのときの………!)
 顔を隠せるよう、大きめのフード付きローブを纏っているその少女は、災害獣に襲われたアル・テトラで、エルトラが救った女だった。

 既に足の怪我は治癒したようだ。あのときは亜麻色の髪を三つ編みにしていたが、いまやその髪は色を抜かれ、少年のように短く切られている。
 災害獣との戦いのときには気付かなかったが、彼女は確かに《ジャンヌ・ダルク》に似ていた。

 少女は少女で、エルトラとベルトランが先の戦いで出会った兵士であることに気付いたらしかった。何か言いたげに口を開きかけ、しかしすぐに視線を下げた。何も言わなかった。ただ、瞳が潤んでいた。

 アル・テトラの村は壊滅した。
 改めて、エルトラはその事実に想いを馳せた。
 戦後の復興は進んでいるが、すべてが元通り、というわけにはいかない。何しろ《壊嵐の獣 オグ・シグニス》と《雷帝 バルヌーイ》が戦ったのだ。10の台風がひとつになって通り過ぎたようなものだった。
 名前も知らない少女の家族が災害獣の襲来の際に死亡していることを、エルトラは知っていた。《壊嵐の眷属》から娘を守るために立ち塞がり、そして死した少女の家族の死体を見ていたから。

 身を任せる縁も無い少女が行き着くところはどこだろう。修道院か、売春宿か、でなければそれらとは違う形で、身体を売るか。
 少女は最後の選択肢に身を任せたのだろう。生きていくのが嫌になったのか。いや、養わなければならない家族がいるのだろう。弟がいるということを聞いた覚えがあった。災害獣との戦いののち、再会できたのかもしれない。再会できて、しかしそれでも不幸だったのかもしれない。

 3人は誰にも見つからぬよう、聖都を駆けた。途中で少女が遅れたが、ベルトランがその手を引っ張って急がせた。
 《ジャンヌ・ダルク》が捕えられている牢塔に月がかかっていたが、エルトラは上を見ていなかった。ただただ、己の手を見ていた。

(自分は………)

 腕長のベルトランに比べれば、自分の腕はなんと短いのだろう。エルトラは痛いほどその事実を思った。あのときに必死で助けたはずの少女を、今度は殺さなくてはならないのだ。
 ベルトランは、少女の顔に何も思うところは無いようだった。あるいは、彼は災害獣との戦いの際、この少女の顔を碌々見ていなかったのかもしれない。
「これでジャンヌさまが救える」
 彼の顔に浮かんでいたのは、ただただ歓喜の笑みだった。

 エルトラは自分でも意識せぬほど自然に、その短い腕を伸ばした。
 ベルトランの長い腕を掴み、少女の手を奪った。待ってください。そう言って、ベルトランの前に立ち塞がっていた。

 ブロセリアンドの黒犬。長腕。鎧を着た豚。レンヌからディナンまでで最も醜い男。軍神。
 さまざまな名で呼ばれた男、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》の顔が怒りで燃え上がった。

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