3-021C 《不屈の闘志》
「倒れず、退かず、休まず戦え。勝利とは、戦場に最後まで立つものに訪れる福音である。」
~アリオンの戦訓~


 グランドール聖都の闇に、肉が叩き付けられる音が響いた。
 篭手に覆われた拳で殴られれば、顔は青黒くなるほど腫れ上がり、歯は折れ、血が壁に張り付いた。指は折れ、爪は剥がれ、目はろくろく見えてはいなかった。スワントの象徴たる羽は赤く染まっていた。
 それでもなおしがみ付いてくる男に、ベルトランは悲しくなった。

「もう諦めろ!」ベルトランは、潜入作戦であるということも忘れて叫んだ。
 言葉と暴力とを叩きつけてやりながら、やはりエルトラは離れない。駄目だ、駄目だ、と譫言のように呟くだけで。
「この女を助けたところで、もうひとりの女が死ぬんだ! おまえはどっちが良いか、見定めしてるだけだ! 自分の手が届くもんだけ自分のものにしようとしているだけだ!」
 言いながら、ベルトランは虚しかった。自分も、自分の手に届くものを自分のものにしようとしているだけだから。

 ジャンヌ。
 ジャンヌ・ドゥ・マルマン。それがベルトラン・デュ・ゲクランの母親の名前だった。ベルトランを産み、ベルトランを嫌い、ベルトランを憎んだ、母の。
 ジャンヌなんて、フランスだったらどこだって転がっている名前だ。だから珍しくもなんともない。
 にも関わらず、《ジャンヌ・ダルク》に出会い、その名を初めて聞いたとき、ベルトランは動揺してしまった。《ジャンヌ・ダルク》がジャンヌ・ドゥ・マルマンと同じように美しかったからだった。

(おれは、ジャンヌを助けたい)
 ジャンヌを助け、ジャンヌを守り、ジャンヌを自分のものにしたい。そう思うからには、グランドールに属するという選択肢は無かった。いつかジャンヌが他の男のものになってしまうから。奪うしかなかった。ゼフィロンの将として、グランドールから奪うしかなかったのだ。

「この女に惚れたか!? だったら守ってみろ! できないんだよ、おまえは!」
 長腕を振り上げて、振り下ろす。それだけの動作を、あらゆる人間は避けられない。目の前のスワントとて、それは同じだ。
 違うのは、倒れないこと。

「違う………」
 違う。違うんだ。頬を腫らし、臓腑を打たれたスワントの言葉が、なぜかはっきりと聞こえてきた。違うんだ、と。


 《ベルトラン・デュ・ゲクラン》という男は、ちびで、でぶで、はげの中年男だった。腕は奇妙に長く、喋れば人とは少しずれていた。美しいとは言い難く、付き合い易いとは思えず、ただ、ただ醜かった。醜い男は期待されてはいなかった。

「あなたは……」

 だが彼は戦った。自分の信じる神とは違うと知りながらも、恩義を受けて戦ってくれた。彼は誰一人見捨てなかった。巨大な獣の前でも逃げなかった。
 民草のために戦い、恩義のために戦い、平和のために戦い、人のために戦った。

 彼は英雄だった。
 ああ、彼はまさしく、英雄譚の英雄だったのだ。エルトラが幼い頃に憧れた、危機となるや颯爽と現れ、どんな不利な戦いでも諦めずに戦い、人を救う。そんな英雄だったのだ。

 どれだけ殴られても、どれだけ叩き付けられても、それでもなお立ち上がれたのは、本当に守りたいものがあったからだ。
 守りたかったは代役として生け贄に捧げられようとしている少女ではなかった。少女のことは不憫であり、物悲しく、理不尽だと感じた。だが損得を考えれば仕方が無いとも思ったし、一介の兵士である自分に介入できる事情ではないと判断していた。
 だがベルトランが《ジャンヌ・ダルク》を助けたいという想いを呟いたとき、エルトラは動かずにはいられなかった。
 なぜなら、ベルトランが笑顔だったから。

 殺すのは、仕方が無い。作戦ならば、仕方が無い。命令ならば、仕方が無い。
 だが、笑顔で少女を生け贄に捧げるなど、駄目だ。なぜなら、それは英雄のする行為ではないから。
「あなたは英雄だ」
 だから、こんなことをしちゃいけない。

 エルトラの叫びがグランドールの聖都に響き渡る。ベルトランが、膝をつく。
 守りたいものを守るために、どれだけ殴られても、どれだけ罵声を投げかけられても、ただ倒れず退かずにその言葉を投げつける。それだけがエルトラの戦いであった。
 エルトラの守りたいもの。それはベルトランの、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》という男の、英雄像だった。

 その英雄像が、床に膝をついたまま、もう一度その長い腕を振り上げた。振り下ろされた拳がエルトラの眉間を直撃し、全ては暗闇に沈んでいった。 

***
***

 アトランティカの五カ国間の戦争を語るとき、ゼフィロンの召還英雄、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》が話題に上がることは少ない。
 様々な戦線を渡り歩き、災害獣の一体である《壊嵐の獣 オグ・シグニス》さえも退けた召還英雄が、なぜ一般にあまり知られていないのか。それはある時期から、突如として歴史書からその名前が見られなくなるからである。

 といっても、その時期にベルトランは戦死したというわけではない。
 が、なぜかベルトランという男はある時期をきっかけとして、急に戦果を挙げることができなくなり、ゼフィロンのいち将軍と成り下がってしまう。

 その理由について、後世の学者からは幾つかの理由が挙げられており、ひとつには彼と同時期に召還されたグランドールの英雄、《ジャンヌ・ダルク》の死が関連しているのでないかといわれている
 また時を同じくして兵役に背き姿を消した、ベルトランの世話係とも言われているスワントの兵士が関連しているのではないか、ともいわれており、いまいちメジャーになりきれない英雄、《ベルトラン・デュ・ゲクラン》の失落の原因は、天使を失ったからだとも、紋章となる双頭の鷲の羽を失ったからだとも言われている。

 ゼフィロン軍から逃走したスワントについては、名の知れた人物というわけでもないため、当時の歴史書を紐解いてみても、詳細はわからない。
 真実を知るのは、ただザインとその使徒のみである。

***
***

 グランドール辺境、ティグエナの村に遅い春が訪れていた。
 村の南方、森林沿いの川に、ひとりの女性が近づいてきた。片手に木桶を持っているからには、水を汲みに来たティグエナの村人であろう。
 亜麻色の髪を三つ編みにして、どこか幼さの残る顔立ちであるものの、明らかに腹だけ大きいので、妊婦であることがわかる。

 突き出た腹に気を使いながら、女性は桶に水を汲み上げた。そうして河原から去ろうとしたときに、ぬるりとした石苔に脚を取られた。
 桶が落ち、水が流れた。そのまま倒れていれば、腹の子は流れ、女も死んでいたかもしれない。

 だが彼女のあとを追って来た若者が、女を抱きとめて助けた。
 もし彼が人間であるならば、きっと間に合わなかっただろう。手は届かなかっただろう。だが彼はスワントであり、その翼を羽ばたかせて間に合わせることができたのだった。

 女が男に向かって、照れたように何か言い、男がそれに飽きれたように言葉を返した。
 今度は有翼の若者が桶を取り、水を汲んだ。片手に桶を、そしてもう片手で女の手を握る。
 ふたりは仲良く手を取り合って、村へと戻っていく。その後ろ姿を、木陰から一匹の山犬がじっと見ていた。
 川では岩魚が跳び、森では草葉が囁き、空には雲雀が鳴いていた。

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