小説ラストクロニクル/『東京ローズ』/時代1/Turn2 《リャブー族の輪唱術師》


4-078C《リャブー族の輪唱術師》
リャブー族の輪唱術が呼ぶものは、雨雲ではなく目くらましの黒霧である。

Turn 2

そういえば、知っていますか?
 グランドールの聖王家の……、折角だから匿名にしておこうかな。グランドール聖王家の王子さまについてなのですけれど、聖王家の高貴で素敵な王子さまは、九歳になってもおねしょをしちゃったんですって。しかもそれを隠していたもんだから、メイドさんにお尻を叩かれちゃって……。そのときにもおしっこを我慢していたものだから、叱られているときにもわんわん泣きながら、またお漏らししちゃったって』
 グランドールの王子さまって可愛らしい方なのね、という理力装置の女の声を受けて、どっと笑いが起きた。

 兵卒たちは貧乏だ。だから、美しく清廉で通った女教皇相手ならともかく、聖王家に対する貧民の思想は共通している。おれたちの納めた税金を使って贅沢しやがって、この金持ちめ、だ。

 爆弾騒ぎから3日が経った夜、グランドール陣地の天幕の光景は、以前とは少し異なる変化を見せていた。
 その変化の中心にあったのは、バストリアの理力によって構築されたと思しき球形機械であった。より正確にいえば、その機械越しに話しかけている人物であり、その声である。

 イースラの研究者によれば、美男美女の顔というものは、何がしか極端な要素があるわけではなく、目鼻立ちが平均的なものなのだという。だから、幾つもの顔形を平均すれば、美男美女に近くなるのだ、と。
 であれば、顔ではなく声に関してはどうだろう。グランドールの兵士たちは理力による音声装置から発せられた声を聞いたとき、その中に美を見出した。

 不思議な声だった。

 理力装置越しでも、発声しているのはひとりだけであるというのはわかる。
 だが、なぜかその声がひとりの人間の声には感じられない。何人もの声が、同じタイミングで、同じ口調で喋っているようであり、幼い子どものような甲高い声から、男の声にさえ聞こえる低い声もある。幾つもの声が形作っている、その中心は女の声だ。若い、しかし熟れた女の。妖艶な、黒髪の、むしゃぶりつきなるような肌の、薄薔薇色の乳首の、女。女だ。
 姿形影ひとつ見ていないはずなのに、グランドールの兵士たちは同じ想像をするようになった。
 
 3夜前のことである。
「何が爆弾だ、巫山戯やがって。聞こえてるのか、この阿婆擦れ女」
 爆弾騒ぎが収まってから、陣に戻ってきた兵士たちが、悪態を吐いて装置を蹴りつけた。
 こちらの声は通じないのか、罵声を浴びせられても理力装置から発せられる声には、特段の口調の変化は無かった。爆弾騒動のときはこちらの様子を見ていたような様子があったが、それは別の手段でこちらの動きを見通していたのかもしれない。

 声の主は、バストリアの兵で間違いあるまい、とグランドールの兵士たちの認識は共通していた。
 わからないのは、バストリア兵らしき女は、なぜこんな球体越しにグランドールの兵たちに話しかけてきているのか、ということだ。いや、わからないでもないか。爆弾だ、などと言って、こちらをおちょくろうとしたのだ。くそ、くそ。
 そんな怒りを、まるで顎から額まで撫でさするようにして、女は言った。
『からかっちゃってごめんなさいね。わたしはあなたたちを助けてあげたいの。だって何にもできずに死んでいくのが可哀想だから』

 女の言葉で引き起こされるのは激昂である。まだ見ぬ女を頭から爪先まで罵倒する言葉が響き渡ったが、それだけである。こちらの声を意に介さぬ女ならば、グランドール兵の言葉はそよ風ほどの効果も無かった。
『べつに、信用してくれなくっても良いの。わたしの自己満足だし、すぐに、というわけでもないから。だから、もし生きたいと思うのなら、わたしの話に耳を傾けて。
 それと、あなたたちに危険が訪れるまでの間、少し暇なの。だから、何日かはお話を聞いてもらってもいいかな?』
 そうしてバストリアの女による夜話が始まったわけだが、もちろん最初は兵士たちはろくろく話を聞きもしなかった。ただ、この装置をどうするべきか、女の声を無視して話し合っただけだ。女は美しい声で語っていたが明け方頃になれば黙ってしまった。寝たのかもしれない。

 翌日は、朝からすぐに戦いが始まった。
 バストリアの女の声に対するグランドールの兵士たちの反応が変わったのは、負傷して動けなくなった兵士たちが女の声に耳を傾けたのが始まりだった。
 誰が聞いていなくても、女は語った。
 最初は世情に関する話が中心だった。バストリアのみならず、グランドールの内情にまで深く踏み込んだ内容で、なぜ女がそんなことを知っているのか、そもそも彼女が話す内容が真実なのかどうかは、政治に詳しくはない兵卒たちにはわからなかった。
 話題は政治から芸術に飛び、音楽や絵画の話になった。かと思えばパンの焼き方や料理、珍味、そして王家のゴシップなどに移ることもあった。聖王家の王子の醜聞も、そのひとつだ。

 女の話題は豊富であり、でなくとも、美しい声となれば、負傷して動けぬ兵士は耳を傾ける。
 誰か耳を傾けるものがいれば、ほかの者も興味を示す。
 それでも、相手は敵国の人間だ。幾らしおらしいことを語ったとて、幾ら友好的に接してきたとて、不信感は拭えない。女の声が発せられる機械に近づかぬものもいた。

 だから、女の話に誰もが耳を貸すようになったのは、4夜目がきっかけであった。

『みなさん、聞いてください』
 女の声はいつになく真剣だった。
 語るところでは、バストリアの襲撃隊が今夜、月がいちばん高い刻に東から夜襲を仕掛けてくるのだという。
 グランドールの兵士たちの意見は三分された。
 最初から女に好意的だった兵士たちは、女を信用して東へ向かい、奇襲部隊を迎撃するべきだと主張した。
 最後まで女に否定的だった兵士たちは、女の言うことなど虚言なので、平時と同じく過ごすべきだという意見になった。
 女の意見を一応は聞くことにして、東に限らず周辺に斥候を出すべきだと主張したのは、興味本位で途中から女の話を聞き始めた兵士たちである。結局、この意見が採用された。

 果たして斥候の結果は、女の言う通りだった。
 東の森に居たバストリアの襲撃部隊は全身に泥を塗りたくり、闇夜に紛れて襲撃をかけてくる予定だったらしい。襲撃隊は僅かな人数であったが、完全な奇襲を受ければ、グランドールの天幕陣地は大きな被害を受けていたであろう。
 バストリアの女の声によって襲撃隊の存在を察知できたグランドール兵たちは、襲撃隊を逆に奇襲することができた。

 そのようなことが何度も続けば、頑なだった兵士たちの心もほだされてくる。
 ある日、女の声に従って本陣を空け、奇襲部隊の迎撃に向かったグランドールの兵士たちは、女の助言の通りに行動したにも関わらず、奇襲部隊を発見することができなかった。
 首を捻って帰ってみれば、陣はバストリアの兵たちに占領されていた。

「くそ」

 みな、安穏としていた。理力装置越しに声をかける女のことを、いつの間にやら信用していたから、彼女の言うことを聞いておけば問題ないと思い込んでいた。
 だから、陣を占領していたバストリアの兵の攻撃に、誰も彼もが対応できなかった。矢がグランドールの兵士たちの胸を貫き、槍が眼球を穿った。天幕が燃え、人の肉も燃えていた。

「くそっ………」

 燃え盛る戦場の中で、ころころと球体が転がっていたのを、生き残りのグランドール兵は見た。
 バストリアの女の声が、球体からは響いていた。ああ、この球体はなんだろう。バストリアのものじゃあないか? きっとそうに違いない。ではいったい、なぜそれがここにあるんだろう? まるで、と、その会話は初めてその球体が発見されたときのグランドール兵士たちの会話を再現しているかのようだった。
『爆弾だ!』
「くそっ! もう騙されるもんか」

 蹴り上げた球体は白熱し、グランドール兵の眼前で爆散した。
 火焔が彼の目を焼き、耳を奪い、そしてグランドールは敗北した。



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