展覧会/漫画/『Wizard's Soul ~恋のジハード~』
いつも通り目が死んでる。
『Wizard's Soul ~恋のジハード~』(以下、『Wizard's Soul』)はトレーディング・カード・ゲーム (TCG)を扱ったゲームである。
ほかにTCGを扱った漫画 (実在のTCGの販促などではなく、TCGというゲームそのものを扱った漫画)というと、たとえば→以前に紹介した『でゅえるメイト』がある。
『Wizard's Soul』が端的にどういう漫画かというと、TCGの地位が異常に高い世界を扱った漫画である。小学生はもちろん、大人も子どももおねーさんも、猫も杓子もTCGをやっている。
『でゅえるメイト』ではTCGの社会的地位が低く、キャラクターはところどころぶっ飛んでいたりするものの、現実に近い設定に対し、『Wizard's Soul』は明らかに非現実的だ。
だがそうした非現実な世界の中でも、もちろん人間は生きている。
『Wizard's Soul』は父の借金を返済するために、「人に嫌われる」デッキを使って大会を勝ち進もうとする主人公、一ノ瀬まなかの話だ。
ところで、現実にあるTCGは種々様々なものがあるが、そのルールには共通項が多い。
基本的に、2人のプレイヤーはデッキ (もしくはライブラリ)という名のカードを集めた束を持ち寄り、ここから色々なタイミングでカードを引いていく。
カードには様々な効果があり、それを使用することで、自身の勝利条件を満たすか、相手の敗北条件を満たせば勝利となる。
こうしたルールの源泉はTCGの大本でもある『Magic: the Gathering』(以下、MtGと略す)から発生したものであり、その影響力は根強い。
『Wizard's Soul』で登場するTCGは、本作タイトルと同じくWizard's Soulという名であり (紛らわしいので、以下WSと略す場合は『Wizard's Soul』内で登場するTCGタイトルWizard's Soulを示すことにする)、これもMtGの影響が非常に大きい。
ゆえに、幾つかの話はMTG Wikiから引っ張ってくることにする。
さて、上で主人公、まなかは「人に嫌われる」デッキを使って大会に勝とうとすると書いたが、具体的にどう嫌われるのか?
作中でまなか本人によって、彼女のデッキは3つの戦術を取ると解説されている。すなわち、
これらのデッキの共通点は、「相手のやりたいことを妨害する」ことで勝利(もしくは対戦相手の敗北)を目指すという点にある。
デッキについて解説する前に、勝利と敗北について説明する必要がある。
多くのTCG (そして源流であるMtGが)そうであるように、WSで勝利/敗北のための条件は3つだ。
2巻では条件3の特殊勝利カードを使ったデッキを使用するプレイヤーも登場するが、基本的には勝利条件は1と2だ。
ではその勝利条件を満たすために組まれたであろう、上の3つのデッキはどのようなデッキなのか、改めて見てみよう。
まずパーミッションというのは、相手の行動を打ち消す行為を主体とするデッキである。
→パーミッション - MTG Wiki
MTG Wikiでは、対戦相手が打ち消されないかどうかの確認のために、相手に許可を取る必要が出てくることから、こうした名前がついたと解説されている。
その由来の通り、パーミッションデッキは相手の行動を打ち消すことが肝である。
であるがゆえ、パーミッションの基本戦略は相手のあらゆる行動を妨害し、自分だけがゲームエンドに導くフィニッシャーを展開、勝利することになる。
まなかの場合、《冥王の略奪》をフィニッシャーとして用い、相手のクリーチャーのコントロールを一時的に奪取することで、勝利している。
ロックになると、相手への妨害はもっとわかりやすくなる。
→ロック - MTG Wiki
パーミッションの場合、相手は行動をすることができた。できたが、打ち消されてしまい、何もできなくなってしまっていた。
だがロックの場合は、そもそもが土地(カードを使用するのに必要な資源)や手札を制限・拘束することで、行動を拘束する。
つまり、打ち消す以前に何もできなくさせるのだ。
作中ではロックめいた行為はあまり出てこないが、対ふとみん戦で相手のクリーチャーの行動を縛りながらバーンを行った。
ライブラリ破壊は少し毛色が違う。
→ライブラリー破壊 - MTG Wiki
上で、勝利条件は通常は1(相手のライフを0にする)か2(相手にデッキが0の状態でカードを引かせる)であると書いた。
だがより正鵠を射るなら、勝利条件は普通は1だ。基本的に、デッキはなかなか切れないものだからだ(ちなみにMtGのルールでいくなら、正確には「デッキが空の状態でカードを引かなければならないとき」に負ける。デッキが空になっただけでは負けない)。
ライブラリ破壊は、通常ではない勝利手段で勝利するデッキといえる。
そしてライブラリ破壊のデッキは、ライフゲインを多用する「耐える」タイプのライブラリ破壊も無いではないが、基本的にパーミッションもしくはロックの要素を含む。
ゆえに、まなかのデッキはいずれも、「相手に何もさせない」デッキなのだ。
TCGというのは「自分のやりたいことをやる」ゲームであるといわれる。
ゲームには勝利条件(もしくは敗北条件)があり、それを達成する(させる)ためにプレイする。自分の思い通りに行動できれば、それだけ勝利に近づくのだから、どんなゲームであれ、「自分のやりたいことをやる」ゲームであるといえる。
だがTCGには、他のゲームと比べて異質な点としてその膨大なカードプールがある。
そしてそのカードプールから、デッキを構築するという要素が産まれる。
プレイ開始前に何らかの準備な必要なゲームもあるだろうが、それでもTCGの構築要素に比べればその準備要素は薄い。
構築というのは、カードプールから必要なカードを取捨選択する行為だ。
その取捨選択の中で、勝つための道ができる。勝つための手段ができる。為すべきことができる。
勝つための筋道を考える。そのための構築を考える。構築をする。戦う。
だがまなかのデッキは、その構築を否定する。相手に何もさせないで、勝利をする。
だから嫌われる。
作中でそこまで言われているわけではないが、デッキが不快だから嫌われるのだ、と作中では語られている。
ところで、MtGにおいてデッキタイプは幾つかの分類方法で分けられる。その中で、3つに分けた場合の分類がもっともわかりやすいので、ここで解説する。すなわち、ビートダウン、コントロール、コンボだ。
まなかのデッキはパーミッションやロックであり、相手の行動を妨害するので、コントロールである。
が、実をいえばコントロールだけが相手の妨害をするわけではない。
なぜなら、ビートダウンは自分が殴り倒すことを優先し、一見して相手の妨害など一切考えていないように見えるものの、その実、「殴り倒す」ということを達成した先にあるのは、「相手が自分のしたいことができない」ことだからだ。
でなくとも、「殴り倒す」ということをするためには、相手の防御をどうにかしなくてはならず、そこで「相手の行動を妨害する」という要素は少なからず含まれるからだ。
パーミッションやロックのような重コントロールは、相手の行動を妨害する。ああ、妨害する。そういうデッキだ。
しかしビートダウンやコンボデッキも、自身の行動を優先させるという点においては、間接的に相手の行動を妨害しているのである。
というより、そもそも「勝つ」ためには「自分のしたいことをする」ことが必要で、それは「相手のしたいことを妨害する」に繋がらざるを得ないのだ。
では、あらゆる勝負は勝つ者だけが愉快であり、負けた者は泥を啜るだけなのか?
いや、大事なのは、「そうであるか」ではなく、「そう感じるかどうか」だ。
『Wizard's Soul』とはまったく関係無いのだが、ここで『戦闘妖精雪風』などで知られる作家、神林長平の言葉は挙げる。
自分はこの、「貧乏は仕方がないと思うけど、貧乏くさいのはいやだ」という言葉が好きだ。
事実は事実で、それは仕方が無い。
だが自分と相手が人間である限りは、主観は捨てられない。事実と違って見えていても、そう見えるなら、そうなのだ。そう感じるという感覚そのものは、すべて個人の侵されざるものだ。
論理的というのは、一見して素晴らしいことのように思える。怜悧で、タフで、落ち着き払い、大人びた、そんな性質であるかのように見える。
だが「論理的に」という枕詞の上に言葉を紡ごうとすれば、そこにあるのは感情を無視したテキストがあるだけだ。論理を紡げば人を説得できるのは、推理小説の中だけだ。
どれだけ言葉を使っても、どれだけ正しいことを証明しても、相手の感性を棄却することはできないし、逆に言葉の上の説明だけで相手の心が動くわけではない。デッキタイプだけで人の心を動かせるわけではないし、人の心を凍らせるわけではない。
今のところ、多くのTCGは人間と対戦するゲームだ。
であれば、相手の人間を、その感情を無視できない。少なくとも、それを知らなくてはならない。
『Wizard's Soul ~恋のジハード~』(以下、『Wizard's Soul』)はトレーディング・カード・ゲーム (TCG)を扱ったゲームである。
ほかにTCGを扱った漫画 (実在のTCGの販促などではなく、TCGというゲームそのものを扱った漫画)というと、たとえば→以前に紹介した『でゅえるメイト』がある。
『Wizard's Soul』が端的にどういう漫画かというと、TCGの地位が異常に高い世界を扱った漫画である。小学生はもちろん、大人も子どももおねーさんも、猫も杓子もTCGをやっている。
『でゅえるメイト』ではTCGの社会的地位が低く、キャラクターはところどころぶっ飛んでいたりするものの、現実に近い設定に対し、『Wizard's Soul』は明らかに非現実的だ。
だがそうした非現実な世界の中でも、もちろん人間は生きている。
『Wizard's Soul』1巻p132より |
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大会初戦での対戦相手、ふとみん。デッキタイプはファッティ。 容姿端麗なわけでも、性格が良いわけでもなく、しかしTCGが強いからモテる、という、「TCGの地位が異常に高い」というこの漫画の世界観を象徴する人物である。 |
ところで、現実にあるTCGは種々様々なものがあるが、そのルールには共通項が多い。
基本的に、2人のプレイヤーはデッキ (もしくはライブラリ)という名のカードを集めた束を持ち寄り、ここから色々なタイミングでカードを引いていく。
カードには様々な効果があり、それを使用することで、自身の勝利条件を満たすか、相手の敗北条件を満たせば勝利となる。
こうしたルールの源泉はTCGの大本でもある『Magic: the Gathering』(以下、MtGと略す)から発生したものであり、その影響力は根強い。
『Wizard's Soul』で登場するTCGは、本作タイトルと同じくWizard's Soulという名であり (紛らわしいので、以下WSと略す場合は『Wizard's Soul』内で登場するTCGタイトルWizard's Soulを示すことにする)、これもMtGの影響が非常に大きい。
ゆえに、幾つかの話はMTG Wikiから引っ張ってくることにする。
『Wizard's Soul』2巻p104より |
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大会三戦目の対戦相手、ロマンさん。 MtGプレイヤーである浅原晃がモデルであると思われる。 ロマンデッキを好み、まなかとは対照的な姿勢でプレイを行う。 |
さて、上で主人公、まなかは「人に嫌われる」デッキを使って大会に勝とうとすると書いたが、具体的にどう嫌われるのか?
作中でまなか本人によって、彼女のデッキは3つの戦術を取ると解説されている。すなわち、
- パーミッション
- ロック
- ライブラリ破壊
これらのデッキの共通点は、「相手のやりたいことを妨害する」ことで勝利(もしくは対戦相手の敗北)を目指すという点にある。
デッキについて解説する前に、勝利と敗北について説明する必要がある。
多くのTCG (そして源流であるMtGが)そうであるように、WSで勝利/敗北のための条件は3つだ。
- 相手のライフを0にする
- デッキを空にしてカードを引けなくさせる
- 「条件を満たせば勝利する」と書かれたカードの条件を満たす
2巻では条件3の特殊勝利カードを使ったデッキを使用するプレイヤーも登場するが、基本的には勝利条件は1と2だ。
『Wizard's Soul』2巻p77より |
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主人公、一之瀬まなか。目が死んでいる。 とある事情によってTCGを嫌っていたが、父親の借金を返すために「嫌われる」デッキを使って大会に出場することになる。目が死んでいる。 |
ではその勝利条件を満たすために組まれたであろう、上の3つのデッキはどのようなデッキなのか、改めて見てみよう。
まずパーミッションというのは、相手の行動を打ち消す行為を主体とするデッキである。
→パーミッション - MTG Wiki
MTG Wikiでは、対戦相手が打ち消されないかどうかの確認のために、相手に許可を取る必要が出てくることから、こうした名前がついたと解説されている。
その由来の通り、パーミッションデッキは相手の行動を打ち消すことが肝である。
であるがゆえ、パーミッションの基本戦略は相手のあらゆる行動を妨害し、自分だけがゲームエンドに導くフィニッシャーを展開、勝利することになる。
まなかの場合、《冥王の略奪》をフィニッシャーとして用い、相手のクリーチャーのコントロールを一時的に奪取することで、勝利している。
ロックになると、相手への妨害はもっとわかりやすくなる。
→ロック - MTG Wiki
パーミッションの場合、相手は行動をすることができた。できたが、打ち消されてしまい、何もできなくなってしまっていた。
だがロックの場合は、そもそもが土地(カードを使用するのに必要な資源)や手札を制限・拘束することで、行動を拘束する。
つまり、打ち消す以前に何もできなくさせるのだ。
作中ではロックめいた行為はあまり出てこないが、対ふとみん戦で相手のクリーチャーの行動を縛りながらバーンを行った。
ライブラリ破壊は少し毛色が違う。
→ライブラリー破壊 - MTG Wiki
上で、勝利条件は通常は1(相手のライフを0にする)か2(相手にデッキが0の状態でカードを引かせる)であると書いた。
だがより正鵠を射るなら、勝利条件は普通は1だ。基本的に、デッキはなかなか切れないものだからだ(ちなみにMtGのルールでいくなら、正確には「デッキが空の状態でカードを引かなければならないとき」に負ける。デッキが空になっただけでは負けない)。
ライブラリ破壊は、通常ではない勝利手段で勝利するデッキといえる。
そしてライブラリ破壊のデッキは、ライフゲインを多用する「耐える」タイプのライブラリ破壊も無いではないが、基本的にパーミッションもしくはロックの要素を含む。
ゆえに、まなかのデッキはいずれも、「相手に何もさせない」デッキなのだ。
『Wizard's Soul』1巻p32より |
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作中で最初に対戦する相手、主人公まなかの想い人でもある瑛太。トップメタのデッキを好むようである。 まなかのパーミッションデッキと対戦し、敗北。その後の心理はTCGゲーマーとして非常にわかりやすい。 |
TCGというのは「自分のやりたいことをやる」ゲームであるといわれる。
ゲームには勝利条件(もしくは敗北条件)があり、それを達成する(させる)ためにプレイする。自分の思い通りに行動できれば、それだけ勝利に近づくのだから、どんなゲームであれ、「自分のやりたいことをやる」ゲームであるといえる。
だがTCGには、他のゲームと比べて異質な点としてその膨大なカードプールがある。
そしてそのカードプールから、デッキを構築するという要素が産まれる。
プレイ開始前に何らかの準備な必要なゲームもあるだろうが、それでもTCGの構築要素に比べればその準備要素は薄い。
構築というのは、カードプールから必要なカードを取捨選択する行為だ。
その取捨選択の中で、勝つための道ができる。勝つための手段ができる。為すべきことができる。
勝つための筋道を考える。そのための構築を考える。構築をする。戦う。
だがまなかのデッキは、その構築を否定する。相手に何もさせないで、勝利をする。
だから嫌われる。
作中でそこまで言われているわけではないが、デッキが不快だから嫌われるのだ、と作中では語られている。
ところで、MtGにおいてデッキタイプは幾つかの分類方法で分けられる。その中で、3つに分けた場合の分類がもっともわかりやすいので、ここで解説する。すなわち、ビートダウン、コントロール、コンボだ。
- ビートダウン - 生物を展開して殴り倒す
- コントロール - 相手の行動を妨害する
- コンボデッキ - 特定のシナジーを優先する
まなかのデッキはパーミッションやロックであり、相手の行動を妨害するので、コントロールである。
が、実をいえばコントロールだけが相手の妨害をするわけではない。
なぜなら、ビートダウンは自分が殴り倒すことを優先し、一見して相手の妨害など一切考えていないように見えるものの、その実、「殴り倒す」ということを達成した先にあるのは、「相手が自分のしたいことができない」ことだからだ。
でなくとも、「殴り倒す」ということをするためには、相手の防御をどうにかしなくてはならず、そこで「相手の行動を妨害する」という要素は少なからず含まれるからだ。
パーミッションやロックのような重コントロールは、相手の行動を妨害する。ああ、妨害する。そういうデッキだ。
しかしビートダウンやコンボデッキも、自身の行動を優先させるという点においては、間接的に相手の行動を妨害しているのである。
というより、そもそも「勝つ」ためには「自分のしたいことをする」ことが必要で、それは「相手のしたいことを妨害する」に繋がらざるを得ないのだ。
では、あらゆる勝負は勝つ者だけが愉快であり、負けた者は泥を啜るだけなのか?
いや、大事なのは、「そうであるか」ではなく、「そう感じるかどうか」だ。
『Wizard's Soul』1巻p56より |
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まなかを敵視するクラスメイト、小林さん。 作者が女性だけに女性が怖い。 |
『Wizard's Soul』とはまったく関係無いのだが、ここで『戦闘妖精雪風』などで知られる作家、神林長平の言葉は挙げる。
――シルフィードやファーンが果たしてジャムを殺しているのかどうかはわからないんですが、少なくともコストはかかっている。
神林 コストはかかっています。僕は貧乏は仕方ないと思うけど、貧乏くさいのはいやだ(笑)。作るのに手間がかかっているものは何によらず尊敬しますよね。
早川書房編集部『戦闘妖精・雪風 解析マニュアル』, 早川書房, 2002. 「神林長平ロング・インタビュウPARTⅠ」, p043より
自分はこの、「貧乏は仕方がないと思うけど、貧乏くさいのはいやだ」という言葉が好きだ。
事実は事実で、それは仕方が無い。
だが自分と相手が人間である限りは、主観は捨てられない。事実と違って見えていても、そう見えるなら、そうなのだ。そう感じるという感覚そのものは、すべて個人の侵されざるものだ。
論理的というのは、一見して素晴らしいことのように思える。怜悧で、タフで、落ち着き払い、大人びた、そんな性質であるかのように見える。
だが「論理的に」という枕詞の上に言葉を紡ごうとすれば、そこにあるのは感情を無視したテキストがあるだけだ。論理を紡げば人を説得できるのは、推理小説の中だけだ。
どれだけ言葉を使っても、どれだけ正しいことを証明しても、相手の感性を棄却することはできないし、逆に言葉の上の説明だけで相手の心が動くわけではない。デッキタイプだけで人の心を動かせるわけではないし、人の心を凍らせるわけではない。
『Wizard's Soul』2巻p57より |
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大会二戦目の対戦相手、王子。種族統一デッキを使用する。 観客の行動によって敗北することになる。 |
今のところ、多くのTCGは人間と対戦するゲームだ。
であれば、相手の人間を、その感情を無視できない。少なくとも、それを知らなくてはならない。
(画像は秋★枝『Wizard's Soul ~恋のジハード~』1-2巻(KADOKAWA/メディアファクトリー), 2014より)
[『Wizard's Soul ~恋のジハード~』感想/レビュー]
2 件のコメント:
PvPである以上、相手は無機質なcomではなく感情を持つ人間であり、更に相手対面して行うTCGにはダイレクトな感情のやりとりがある。
勝者と敗者がはっきりと存在する分余計に。
自分は、負けた時見て分かるほどに不機嫌な態度を示し、敗因となったカードに対して過剰なまでに批判をするプレイヤーを知っている。(冗談かどうか分からないレベルなので呆れを通り越して恐怖すら覚えるものだ)
彼(彼女)とは知らない仲ではないので愛嬌と言えなくもないが、彼(彼女)の行いに対戦相手の感情を意識したものは…感じられない。というか、あったら大したものである。
こんなリアルな出来事を思い出しながら記事を読んでみたり。
この漫画面白そうですね。是非機会を作って読んでみようと思います。
秋★枝さんは別作品でしか知らなかったので、楽しみです。
コメントありがとうございます。
勝負ごとに関してはいろいろな話がありますが、最終的に物を言うのは経験かなー、と個人的には思います。他人の心は完全に理解できませんが、自分で体験すると考えられるようになるものなので。
恋愛マスター秋★枝さんの『Wizard's Soul』は、主人公のまなかが「勝とうとすると嫌な戦い方しかできない」と自己嫌悪しながら死んだ目でTCGをプレイする漫画ですが、必ずしもデッキタイプだけで対戦相手は嫌がらないわけで、実際1巻の後半から始まる大会の中では、普通に対戦相手を楽しませたりもしています。
まなかは勝負の経験自体は豊富ですが、その相手が完全に固定されていたので、人との対戦に関しては経験値がまったく無く、そうした欠落した経験を習得していく展開になるかもしれません。
でもヒロイン的な立場の瑛太くんが真性のマゾなので、最後まで死んだ目で対戦を続けそうな気がしないでもないです(笑)。
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