小説ラストクロニクル/『東京ローズ』/時代3/Turn8 《邪光の獣 ニルヴェス》


3-004S《邪光の獣 ニルヴェス》
「心することだ……光が祝福をもたらすものばかりとは限らぬことを。天上から差すそれと同じく、奈落の向こうから溢れ出す、この世ならざる光もまたあるのだから。」
~「災禍の黙示録 邪光の章」より~

時代3
Turn8


 ぬらぬら光る顔の上に乗っているのは、巨大な瞳。だがその瞼は閉じられ、縦長の瞳孔は見えなかった。

(リャブー、か………)
 バストリアの兵だろうか。
 いや、かつて放浪中にバストリアも回ったことがあるドゥースには、目の前のリャブーが雌であるということがわかった。指に膨らみが無いからだ。雄はタコのような膨らみがある。しかもまだ若い。服装も、兵士のそれよりは幾分華やかのように見える。
 おまけに目を瞑ったままで震えているとなれば、兵士ではありえない。侍女だとか、下働きでもありえないだろう。

(目が見えないのか?)
 もともと盲目なのか、それとも《狂魔技官 ギジェイ》による実験によってかはわからぬが、少なくとも現在、このリャブーが何らかの実験に使われているのであろうということは《狂魔技官 ギジェイ》が好みそうな実験器具や拷問器具が架けられているのを見れば、想像がつく。何よりリャブーの首には、見覚えのある首輪が嵌められていた。

 そんなふうに冷静に《百の剣士長 ドゥース》が窓を割って入り込んだ部屋を観察している間に、目の前のリャブーはようやく状況を飲み込んだらしい。息を吸い、叫びかけたリャブーの口を、ドゥースは掌で塞いだ。ぬるぬるしていた。
「おれは敵じゃない」
 こんな言い方で信じてもらえるとも思えないが、ドゥースは言ってやった。ああ、おれは敵じゃないんだ、敵だったらあんたのことなんかすぐに殺しているはずなんだ、と。
 殺しているはず、と言った瞬間に、リャブーの身体が震えた。

「おれの敵はギジェイだけだ。あんた、目が見えないみたいだが、《狂魔技官 ギジェイ》の実験室がどっちかはわからないか?」
 それは盲目のリャブー相手にこんなことを聞いても無駄だろう、という駄目元での問いかけであった。
 だがリャブーはぶるぶる震える手で片手をすぅと上げた。指しているのは、南。下の階で《狂魔技官 ギジェイ》が逃げて行った方向と合致する。
「助かる」
 指差された方角に向かいかけて、《百の剣士長 ドゥース》は部屋の扉の前で立ち止まった。

「じっとしてろ」
 踵を返して一閃。
 《百の剣士長 ドゥース》の騎士剣によって、リャブーの首に嵌められていた首輪が落ちる。《狂魔技官 ギジェイ》が大好きな爆弾首輪だが、瞬間的に切断すれば機能停止することを知っている。身をもって。
「これで大丈夫だ。じゃあな」
 リャブーの返答は無かった。
 もしかすると目が見えないだけではなく、喋れないのかもしれない。いや、最初に叫ぼうとしていたのだから、単に驚いて声ひとつ出せなかっただけか。
(ま、どうでもいいか)
 《百の剣士長 ドゥース》の狙いはただひとり、《狂魔技官 ギジェイ》だ。それ以外のことはどうでもいい。

 足音に硬質の音が響き渡る回廊を疾走する。幸いなるかな、道中バストリアの兵に遭遇することはなかった。あるいは単なる幸運ではなく、ギジェイの研究棟であるがゆえ、守備兵は駐屯していないのかもしれない。
 ならばそれはそれで、《クロノフォースメイデン》のようなギジェイの作り出した機械がいそうなものだが、そうした機械兵の姿も無かった。
 この状況を、ドゥースはまったく不思議に思っていなかった。ギジェイの考えが透けて見えたからだ。あの男は、ドゥースを待ち受けているのだ。

 観音開きの扉を開けば、そこは教会堂ほどもある広い部屋だった。《狂魔技官 ギジェイ》の研究室とは思えぬほどに壁は白く、天井から垂らされたカーテンも白かった。黒いのは血で汚れたドゥースとギジェイだけだ。
 天幕の前に佇むギジェイの身体からは頭が生えていた。ストックを新たにつけたのだろう。まったく、人間離れしている。
「如何でしたか、わたしの作品は?」
 ギジェイが異形の爪を生やした両の腕を、まるで指揮者のように広げた。素晴らしい、素晴らしいでしょう、と叫ぶ。
 その声をドゥースは耳に入れない。言葉を理解しない。ギジェイはただ殺すだけの存在だからだ。殺さなくてはいけないからだ。今度こそ、首を切るだけでは足りない。一片の痕跡も残らぬほどに切り裂き、焼き尽くす。

 そのために振るった騎士剣は、階下で追跡を防がれたときと同じように、見えない壁に阻まれた。
「それが何かわかりますか、《百の剣士長 ドゥース》? あなたがたが伝説と崇めながらも、ただただ見逃していた力! あらゆる攻撃を防ぐ力! 命を繋ぐ力! それをわたしが手にしたのです!
 これがあなたたちが知らない、グランドールの《白の宝樹》の力です!」
 ぶわさ、と《狂魔技官 ギジェイ》が白いカーテンを取り払った場所には、何も無かった。

「あ、あれ?」
 《狂魔技官 ギジェイ》の頓狂な声が空虚な空間に響いた。

 いや、何も無い、というのは間違いだ。白い床には硝子片が散乱し、奇妙な色の水溜りができている。《白の宝樹》を閉じ込めていた容器だろう。
 そして壁には大穴が空いていた。
 そこから巨大な顔を覗かせたのは、グランドールに現れたはずの災害獣。

 《邪光の獣 ニルヴェス》。

 アトランティカに現れた5匹の獣の中で、最も人間に近い形状をしているその災害獣についてわかっていることは少ない。
 その攻撃方法は、その数少ないことのひとつだ。
 それは《邪光の眷属》と同じ。見る者の目を刺す。

 壁をさらに突き崩して現れた巨大な腕が《狂魔技官 ギジェイ》の身体を薙ぎ払ったのち、のっぺりとした顔が《百の剣士長 ドゥース》を睨んだ。
 その瞳から邪光が瞬いたとき、《百の剣士長 ドゥース》は己が目に針が突き刺さったかのような痛みを感じ、次には何もかもが消えていくかのような浮遊感に包まれた。



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