小説ラストクロニクル/『東京ローズ』/時代4/Turn11 《癒しの光》
1-023C《癒しの光》 |
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「そもそも癒しの力とは、何なのでしょう?」 「それは夏の日差しの中での水浴び、美しい音楽を聴きながらの食事、孤独を救う語らい……ありふれた魂の幸福を無数に集めて、少量の祝福を加えたものだよ。」
~修道院の問答~
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時代4
Turn11
「なるほど、《東京ローズ》の確保には失敗、と」
静謐をたたえた大聖堂なだけ、教皇として努めて落ち着いた調子を繕おうとした声は、むしろ冷徹な厳しさを感じさせるものになってしまったらしい。報告を受けた兵士は僅かに震え、視線の先を何も面白いものが転がっていない床へと向けた。
ご苦労でした、と今度こそ穏やかな調子で《聖女教皇 ファムナス》が労ってみても、兵士の表情は変わらなかった。怯えた視線は床を這い、そのまま大聖堂を出て行った。
小さな背中を見送って、《聖女教皇 ファムナス》は溜め息を吐き、裏口から大聖堂を出た。信仰は天使の羽と同じく空気より軽いのか、小高い丘に建てられた大聖堂からはグランドール聖都の街並みが一望できた。
『そんなふうに皺を寄せていたら、婆あになってしまうよ』
少年のような高い声に遅れ、《聖女教皇 ファムナス》の顔に影が差す。どこもかしこも真っ暗になったあとに目に飛び込んできたのは、《始祖龍の初孫 ラ・ズー》の白い龍鱗だった。
『先ほどきみに報告をしに来た兵士は、だいぶ慌てていたようだね。いや、怖がっていたのかな。きみの顔が恐かったんだろう。若作りしていても、きみは中年に相当する年齢だ。いくら悩みがあるとはいえ、そんなに顔に出さなくても良いだろうに』
《始祖龍の初孫 ラ・ズー》の言うように、悩みはいくらでもあった。
目下のところでは、この目の前の若いのか老いているのかわからぬ龍の小僧が、いちいちファムナスの年齢をあげつらうような発言をしてくることで、その悩みに対しては、錫杖で鱗を小突いてやることで解消した。
『痛い、痛い』
きゃっきゃと少女のようにラ・ズーは笑った。どれだけファムナスが怒りを表現してやっても、彼にとっては小事なのだ。
《聖女教皇 ファムナス》は自分でも大袈裟に感じるほどに溜め息を吐いた。ラ・ズーは昔からこうだ。ファムナスが子どもの頃から変わらない。今さら怒ることでもない。
だが、《百の剣士長 ドゥース》は違う。
悩みの種は、ドゥースの仕出かしたことだった。
彼はバストリア領、ケルゲンの街で、《邪光の獣 ニルヴェス》から《白の宝樹》を奪い、災害獣を撃退した。
だがそんなことをする必要などなかったのだ。
歴史的にはともかく、現在のケルゲンはバストリア領なのだから、バストリア軍に任せておけば良かった。というより、戦略的に見れば《邪光の獣 ニルヴェス》はバストリアで暴れさせておくべきだったのだ。そうすれば、バストリアの国力を削げた。黒の覇王に一泡吹かせてやれた。グランドールの覇権に一歩近づくことができた。
だが《百の剣士長 ドゥース》はそうしなかった。
そのうえ、戦いの最中でバストリアの召喚英雄《東京ローズ》が死亡したためという報告をしてきた。だが実際のところは、どうだろう。
「どうですか、ラ・ズー?」
グランドールの街並みを眺めながら、《聖女教皇 ファムナス》は問うた。
『きみの考えている通りだよ、ファムナス』と《始祖龍の初孫 ラ・ズー》はファムナスを囲うように丸くなり、己の尾の付け根の辺りを舐めながら答える。『《百の剣士長 ドゥース》はリャブーとともにバストリアのリャブーの森に向かっている。シャルという名のリャブーが、召喚英雄《東京ローズ》の依代だったらしい。いや、だった、というわけではなく、今もそうなのかな』
「ドゥースは裏切った、というわけですね」
裏切った、などというのは過剰な言い方かもしれない。
だがグランドール聖王家最強の騎士団、百人隊の長である男が命に従わなかったことは確かだ。
「残念でしたね。《百の剣士長 ドゥース》は神候補のひとりだと思っていたのですが」
『そうかな?』
「そうでしょう。人望や実力を考慮すれば、彼に肩を並べる者はいません」
『じゃあ訊くけど、きみの娘……、イルミナが神になることについてはどう思う?』
ラ・ズーの言葉を受けて、ファムナスの脳裏に愛娘の姿が浮かんだ。同盟軍アリオンの人質として、イースラに預けられているイルミナ。わたしの、可愛いイルミナ。
「あの子では、優しすぎます」
『その通り。ぼくもそう思うよ。それにドゥースも同じだと思う』《始祖龍の初孫 ラ・ズー》は舌をちろちろと出し入れしながら、首をゆっくり巡らせた。まるでグランドールの街並みを監視するかのように。『イルミナやドゥースが神になった世界は、理想の世界だろう。誰しもに平等で、優しく、平穏な世界だ。それは素晴らしいことだ。
だが、そんな世界は誰も望んでいない。理想の世界なんてのはね。
これは戦争だ。戦争なんだよ。勝ったものが全部取るんだ。勝ったものが優遇されてしかるべきなんだ。負けたやつは奴隷で、勝ったものが敗者の末路を決めるべきなんだ。それが戦争なんだ。
イルミナやドゥースでは、勝っても何も変わらないだろう。それではいけない。誰もがその勝利を認めないだろうし、ザインも使徒も納得しない。
不平等で、他者に厳しく、戦争を好むものしか神にはなれない』
白輝の聖王国と称されるグランドールだが、その本質はほかの国と幾分にも違いは無い。戦争に出れば、兵士たちは敵兵を殺す。奪う。犯す。どれだけ聖人顔を気取ったとて、それは変わらない。変えられない。国が国という形を取る限り、変えられない。
だが《百の剣士長 ドゥース》という男は、国を渡り歩き、国の垣根を越えた。戦場にありながら、殺し、奪い、犯すという世界を変えようとしていた。
そんな彼は、アトランティカの宗教戦争をめぐる戦いには相応しくはない。
「では、グランドールの神候補は決定ですね」
『きみかい?』
「あなたですよ、ラ・ズー」
《始祖龍の初孫 ラ・ズー》は二度、瞬きしてから、己が下顎を突き出す。
『ぼくだって、わりと優しいんだぞ』
*
道が悪いだけでなく、硬い板張りのせいで、乗り心地は最悪だった。馬車の御者が不審の色を投げかけてくるのも、いつ放り出されるのではないかと怖かった。
それでも、同行者がいるというのはそれだけで心強かった。
「あと何時間かかるんだ、こりゃ」
《百の剣士長 ドゥース》が独り言ちるように言った。彼は視線を馬車の外に向けているらしい。しかし《邪光の獣 ニルヴェス》の邪光に晒された彼の目は、網膜に入ってくる光の明暗程度は見分けられるようになったようだが、未だ回復しきれたとはいえない状態だ。
「もうすぐ道が無くなるので、そこからは歩きになります。そこまでで十分です」
とシャルルフィアンは答えてやる。
「ケツが痛くなるな」
それはシャルも同じだったが、乗り心地の悪い馬車の不快さよりも、同行者との別れのほうが悲しかった。
終着点はバストリア西方、リャブーの一部族が古来より住む鬱蒼とした森の前である。馬車から降り、シャルはドゥースに向き直る。怪我の療養という名目でこれから各国を回るというドゥースは、シャルを村に送り届けるためについてきてくれたのだ。だが、それもここまで。ここでお別れだ。
「自由になれたのは、あなたのおかげです」
とシャルは頭を下げた。
「そりゃどうも」
盲目ゆえにドゥースの表情は見えなかったが、声の方向から、こちらを真っ直ぐ見ているというのはわかった。
これが最後だと思うと、何か言わねばと思った。何か、彼に感謝を伝えねば、と。
だが喉が渇いて渇いて、言葉が出てこない。苦しくなるばかりで、何も言えない。
「じゃあな、シャル」
先にドゥースに言われてしまえば、それでお別れだ。
視力のおぼつかぬまま、鞘に入った騎士剣を杖代わりに、《百の剣士長 ドゥース》は森に背を向けて去っていく。
「さようなら、ドゥース」
わたしとあなたは違います。
わたしとあなたは違う種族、違う民族、違う文化、違う性別、違う年齢です。
ドゥース、あなたもそれをどんなにか感じていたでしょう。
それでもあなたは、わたしを助けてくれました。
《狂魔技官 ギジェイ》を殺したことよりも、《邪光の獣 ニルヴェス》を追い払ったことよりも、首輪の拘束から解放してくれたこと、シャルを敵国の異種族だと理解しながらも助けてくれたこと、それが嬉しかった。
「あなたは英雄です」
《東京ローズ》第三の視覚で見れば、彼の背も燃える炎の色だった。流れ出る血の色で、咲き誇る薔薇色だった。
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