《ミュラ・タスディバル/Murat Tasdivar》、セノトへ向かう大天使を見送ること

「守り切れ!」

 《ミュラ・タスディバル/Murat Tasdivar》の叫びが終わるまえに、駆け出した森の光戦士たちが崩れかけた戦列を寸でのところで押し止めました。
 死が這い寄りつつある空気はセノトが作った陰によって冷えていました。

 ミュラはもう一度視線を上げ、セノトの状況を見回しました。
 魔王がセノトに上がってからおよそ20分が経過していました。
 今後、どれほど持ちこたえなければいけないのか、果たして聖所に向かった英雄たちが魔王を打ち倒すことができるのか、という不安は払拭できませんでした。

 いまミュラをはじめとする地上に残った面々ができるのは、悪魔がこれ以上セノトに近寄ることが無いように防ぐことだけでした。

 カイデロンは進撃前も、カロイ渓谷での戦闘の際もそうだったように、今回もまた連合軍が予想していたのとは全く違った戦略を取ってきました。

 連合軍は《ピエトロ・フリゴ/Pietro Frigo》の援軍を受け、《トゥルースシーカーの眼/Eye of Truthseeker》という空前絶後の兵器をセノトに設置することに成功し、《トゥルースシーカーの眼/Eye of Truthseeker》と月輪の魔術兵団によってセノトに防衛網を張ったところまでは成功していました。
 こうなれば、圧勝できるとまではいかないものの、持久戦に持ち込んで戦闘を継続していれば、優秀な遠距離火力によって十分に持ちこたえることができるだろう、というのが首脳部の考えだったのです。
 このように連合軍は長期戦を想定して戦闘に突入しましたが、開始と同時に戦略を変えて短期総力戦に突入するほかはありませんでした。

 《終焉の宣告者、サルテス/Sarutes, the Condemner of End》が魔王を載せ、セノトの上へと跳ね上がったのです。

 セノトの周囲を護っていた数多くの羽たちの誰もが、そのアゼルの残滓の強襲を防ぐことはできませんでした。
 サルテスが切り開いた空の道を、《次期聖女/The Next Santess》と《ヴァイオレット/Violette》が乗ったワイバーン、そして沈黙の鉤爪らと空を飛ぶことができる高位悪魔が従いました。

 絶対に突破されないはずの防衛戦が突破され、魔王とともにいる次期聖女の姿を発見した大天使《アイリン・ベル/Irene Belle》は、そのとき初めて魔王の本当の目的を悟り、翼を震わせました。

「一番目の羽はすべて聖所を護れ! セノトの守護者たちは前へ。魔王が聖所に近づけないように防ぎなさい!」


1-4-278R《一番目の羽/First Wings》
二番目の羽はアイリンの言葉に従って攻撃を行った。だが一番目の羽はイエバの言葉そのものに従った。

 今回の展開も予測できなかった。
 連合軍とシェイクの命の重さの責任感を抱え、アイリン・ベルは聖所を見上げました。

「セルヤ、ミュラ。地上をお願いします。
 メリナとエロンは……、わたしとともに聖所へ来てください」
「アイリンさま、 二番目の羽もお供いたします」
「……あなたたちは、セノトの防御をお願い」
 追従したい《アナイス・テイラー/Anais Taylor》の切実な叫びを背中に、アイリンは聖所に這い上がりました。
 アナイスはイエバの口であるアイリンが残した軌跡を眺めたあと、すぐに己を取り戻し、《二番目の羽/Second Wing》を招集しました。 

「ご無事で!」



《ベリアル/Belial》、次期聖女とともに聖所に侵入すること

 イエバの光が発せられ、悪魔のうちの一体が消滅しました。
 結局、聖所の中に入ることができたのは、いま魔王ベリアルの周囲に残った強大な力を持つ統治者らと人間の血を持つ者だけでした。


1-4-285U《聖所の結界/Protection of Sanctum》
魔王とヴァイオレット、それに強大な力を持つ悪魔以外は誰も聖所の結界を通過することができなかった。

「弱者とは哀れなものだ」
 ベリアルが嘲笑すれば、残った者もまた笑いました。
 初めから聖所の結界に持ちこたえるほどの能力も無いのに聖所までついてくるということ自体が蛮勇で、そのような馬鹿に与えられる同情心などはありませんでした。

「ここは……、セノト?」
 次期聖女、イクウェルが茫然と呟きました。
 数ヶ月の間、ベリアルの言いなりになり、カイデロンのあちこちへ連れ回され、犠牲になるための器として正常な思考ができないように疲弊していましたが、それでも彼女は理解することができました。
 ここはセノト。
 あんなに帰りたかった家がすぐ傍にあるセノト。
 でも、生きている者はいない。
 いや、生きている者は全て死体になってしまった……。

 目の前で強行される殺戮は、殺されるのがシェイクの人間であるというだけ、カイデロンで見たあらゆる出来事よりも大きな精神的衝撃を与えました。
 そうして理性が崩れていくイクウェルを見て、ベリアルは微笑みを浮かべました。
「聖女よ、お加減でも悪いのかな?」


1-4-225C《汚染された聖所/Polluted Sanctum》
結界がベリアルによって突破されると、聖所にはダムが決壊したかのように呪われた霊が降り注いだ。

 ベリアルが吹きだす気勢で染まっていく聖所の真ん中、数数多の死体の山を挟んで、聖女と彼女の護衛騎士が立っていました。
 ただイエバの意を示すためだけに生きて来た聖女と聖女の護衛騎士。一生をお互いに頼ってきていた二人の覚悟は既に成っていました。

 聖女の騎士が駆けました。

 そして、ベリアルは自身に向かって駆け寄る騎士の頭を引き千切って投げてしまうと、そのまま歩み寄り、聖女の心臓を抜き取って高く掲げました。
 ゆっくりと身体が崩れていく聖女は、首をうな垂れる最後のその瞬間まで自身のためにだけ生涯を生きてきた騎士の背中を眺めていました。
 そして彼と同時に、聖女の死体の背後から《バフキン/Bahkin》が現れました。
 バフキンの身体の中には、自身が抜き取った数百年前の聖女の心臓が入っていました。


1-4-260U《聖女の心臓/Heart of Saintess》
何世紀も昔、神聖な聖職者だったバフキンは戒律を破り聖女の心臓を奪い、永遠の生命を得た。だがいまやそれは………。

「死ね、ベリアル!」
 二人の聖女の心臓が共鳴し合い、聖所がイエバの光で包まれ始めました。


《アイリン・ベル/Irene Belle》、聖女が奪われていたことを告白すること


 激しい戦いと、その抵抗も無力だったことを示す死体の山は、聖所に近寄るほどより一層凄惨になっていきました。
 初めから余裕がなく、まともに戦うことができる人員は全て戦線とセノト周辺の防御に配置されていたので、このような光景が無理もないことでした。
 ただ《アイリン・ベル/Irene Belle》とその一行は、生存者を確認する暇も無く、ただ走り、また走るだけでした。

「ちょっと、アイリン……、説明くらいはしてくれる………?」

 《メリナ・エモンス/Mellina Emmons》が息を切らせながら大天使アイリンに問いつめましたが、彼女は走る速度を返って速め、後ろを振り返らずに答えました。
「時間が無いのです。間に合わせなければいけません」
「いったい何の話? ちゃんと説明してもらわないとわからない。聖所に行こうとしているのよね?
 聖所にいらっしゃるのは聖女様だけでしょう? それとも、何かそこに魔王が持ってはいけない物でもあるというの?」

「聖女さま」
 その言葉を指し示す意味が理解できないメリナが首を捻って問い直すと、アイリンが唇をしっかり噛んで答えました。
「聖女さま……、ベリアルは聖女さまが目的なのです」
「どういうこと? 聖女はイエバの言葉を告げるだけの人間でしょう? ベリアルにとって、何の意味があるの?」
「聖女さまの心臓を媒介にして……、まだイエバの言葉が届かない次期聖女さまの肉体へと身体を移そうとしているのです」

「それが何か……」
 《エロン・ホワイト/Eron White》が驚きに目をむきました。
「ベリアルが10年もの間、姿を表わさなかったときに気付いているべきでした。いえ、サルテスが現れたときにでも感づいていなければなりませんでした。魔王に何かことが起こらなければ、サルテスが姿を表わすはずがないのだと」
「次期聖女様をカイデロンが? いや、それで、そうだということまさか……、今ベリアルのもとに彼女が?」
「はい」

 単独で飛んでいきたかったアイリンでしたが、一人で行って良い相手ではないということをあまりにもよく知っていたので、大天使はただ間に合わなくならないことを祈りながら走るしかありませんでした。

「ベリアルは死につつあるのです」


《バフキン/Bahkin》、聖女に復讐されること

 《バフキン/Bahkin》は冷たく冷めてしまった聖女の心臓を落としました。
「なぜ………?」

 魔王ベリアルが床に転がっている数百年の聖女の心臓をゆっくり足で転がしました。
「きみは初めからイエバを裏切ってカイデロンに来たな」
 心臓が崩れていきます。バフキンの残った生命と共に。
「一度裏切った者が再び裏切らないという法はないだろう。鎖をはめておくのは当然のことではないかね?」
「わたしの……、心臓に……何を植えつけた……?」
「君の心臓? 滑稽だね。イエバの器に寄生したのだろうに」

「……ベリアルを殺すことができる機会だったのに………。
 いや……、わたしがなぜベリアルを……? いったいわたしが……なぜ?」
 バフキンは固まって動くことはできない体で、遠ざかる意識を必死になって繋し、最後の瞬間を逃す前にやっと答を捜し出しました。

「聖女の心臓がわたしに囁いたんだな。
 あたかもわたしが考えたように……、数十年間もの間続けてわたしの意識にささやいた。魔王を殺せと……それがわたしの本当の願いであるかのように………」
 バフキンはシェイクを離れて数百年ぶりに初めて罪悪感から抜け出した満足した笑いとともに、自身の手で心臓を抜き取った、本当に愛した聖女の顔を思い出しました。

「復讐に成功しましたね、アリエル。ははは………」


《メリナ・エモンス/Mellina Emmons》、沈黙の鉤爪と対峙すること

 大天使アイリンの一行が到着するちょうどその頃、ぴったり示し合わせたように到着した《一番目の羽/First Wings》が、やっと《沈黙の鍵爪》の間で道を開きました。

 完全に潰された聖所の門の間で、賛美歌の代わりに死者の悲鳴の声が漏れており、聖所の中の状況を推察させていました。
 覚悟を固めた一行が中に入ろうとしたとき、援軍が到着したという報告が上がってきました。

「メリナさま、お願いします」
 反対側から上がってくる《チェルシア/Chelcia》をはじめとする《沈黙の鉤爪暗殺者/Assassin of Silentclaw》の増援を見て、メリナが首を左右に振りました。


1-4-250C《沈黙の鉤爪暗殺者/Assassin of Silentclaw》
聖所を守護していた聖騎士たちは、沈黙の鉤爪によって次々と排除された。

「少し数が多いですね……。それにあの血族、チェルシアという名でしたでしょうか。名のある血族だったはずですが……」と《一番目の翼/First Wings》が状況を整理する間に、メリナが暴風を巻き上げて歩いていきます。
「問題ないわ。さっさと行ってちょうだい。わたしが喰い止めるから。ここにいたら、あなたたちが巻き込まれてもわたしにはわからないわよ」
 アイリン一行が聖所に入るとすぐに、メリナの周囲で逆流していた魔力や暴風によって、地面を濡らしていた羽毛が踊り迸り、あたかもカーテンのように垂れました。

「退きなさい、魔術師」
「魔術師?」
 チェルシアの言葉に、《メリナ・エモンス/Mellina Emmons》の眉がつり上がりました。
「夢の道標。わたしはまだその称号を誰かに譲り渡した記憶がないのだけれど」
「……メリナ・エモンス?」

 チェルシアは手をあげ、後に従ってきた兵を停止させました。
 目に見える兵は明らかにカイデロンのほうがはるかに多かったのですが、アルケンでただひとり、大魔術師だけが持つことができるという夢の道標の称号が両軍兵士の士気を騒然とさせました。

「……カルペンの虐殺者、お会いすることになって光栄ですわ」
 チェルシアは爪の先を舌で舐めて目を血の色で染めました。
「その節は妹があなたにお世話になりました。 おかげでまだ両脚が再生せず、両腕で這い回る日々が続いております」
「……ああ、カルペンにいた血族ってわけね? なるほど、じゃあ、妹さんはいまはアイロンをかける役目ってことでしょう?」
 やがて巻き上げて行った魔力や暴風があっという間にメリナの魔力の入れ墨に引き込まれ、同時に空まで覆う勢いであった羽毛カーテンが力を失って空に散りました。


1-4-294U《進軍阻止/Hindrance to Advance》
メリナたちはカイデロンの進軍を止めるため、封印石を掲げた。これで十分な時間が稼げるだろうか?

「あなたも同じようにしてあげましょうか? それで妹さんとお互いに抱きあうことができるようになるでしょう? それって素敵じゃない?」


《エロン・ホワイト/Eron White》と《アイリン・ベル/Irene Belle》、最後の攻撃を仕掛けること

「その女を連れてこい」
 魔王ベリアルの言葉が終わるや否や、ヴァイオレットが次期聖女イクウェルをベリアルの前に跪かせました。
 イクウェルの目は焦点を失って既に久しく、耐えられることはできない光景に気を失った状態でした。

「始める」
 周囲を囲んだ悪魔の間で、魔王は今しがた抜き取った聖女の心臓をイクウェルの頭の上に持ち上げ、ゆっくり血を絞り出し始めました。
 頭から濡らしていく血が熱いからなのか、でなければ自身に起きることに対する恐れのためなのか、魂が抜けたイクウェルの身体ががたがた震えました。

 そしてアゼルの気勢、魔王の存在それ自体が腕を通して集まり、聖女の心臓を経たあと、血を乗って次期聖女の身体を覆い始めました。
 流れる血の檻の中でもくっきりと広がり始めるアゼルの気勢が、未だイエバの力が残っている空気と触れ合い、何かが削られていく奇怪な叫び声をあげます。
 同時に、血がぐつぐつと煮立ち始めました。
 魔王の存在がぶうっと浮かび上がれば、もはや止まることもできません。最も危険な瞬間、ヴァイオレットは周囲を警戒するために頭を扉のほうに回しました。

 そしてこのようなことがいつもそのように起こるように、最悪のタイミングで入ってきました。


1-4-282R《最後の抵抗/Last-Ditch Resistance》
羽たちはセノトの門の入口から血腥い戦場へと飛び立った。彼女らがここで敗北すれば、シェイクにはもはや未来は無い。

 《エロン・ホワイト/Eron White》は扉を蹴飛ばして入る勢いそのままに槍を投げました。
 正確に魔王の首を狙って飛んできた槍を、ヴァイオレットは鬼神のような反応で食い止めましたが、その瞬間に感じたシルエットに不安を感じて振り返るほかはありませんでした。

「サンクチュアリ!」

 《イエバン・ナイト/Yevan Knight》の頂点に立つ者に与えられるという矛。
 エロンにイエバの窓という称号を付与したサンクチュアリが正確にイエバの彫刻像の胸のまん中打ち込まれ、燃え上がりました。
 あたかもイエバが献身したかのような自愛の光は、壁と底に彫られたイエバの言葉をいっぱいにし、一寸の前も見られないほどに爆発した光の気勢に、ベリアルとヴァイオレットを除いたすべての悪魔が燃え上がり、消滅しました。
 そして彼と同時に光の氾濫を掻き分けて、《夜明けの慈悲/Mercy of Dawn》がヴァイオレットに向かって打ち下ろされます。

「クク!」
 かろうじて防ぎはしましたが、ヴァイオレットはエロンの連撃に対処するのが精いっぱいで、後方に押し出されました。
 エロンは極度に興奮して激しくなったまま、ヴァイオレットを目前に置いた瞬間その間積み重なった全てのものが爆発した状態でした。

 次期聖女様を奪われたことに対する復讐、死んでいったシェイクの人々に対する復讐、そして……。
 潰れた天井から《アイリン・ベル/Irene Belle》が墜落するように魔王ベリアルの上に下りてきました。

「ベリアル!」


《アイリン・ベル/Irene Belle》、魔王の胸の傷にかつて戦った妹の爪痕を見ること

「ベリアル!」
 死んでいった聖女の護衛騎士、そしてバラバラになった聖女の空っぽの胸。
 ほとばしる涙と共に《アイリン/Irene Belle》が絶叫しました。
 ラジアも、幼い羽も、そして聖女さままで。
 おまえはわたしの存在理由を、皆を奪っていった!


1-4-284CE《審判の一撃/Blow of Judgment》
セノトへと向かった悪魔たちと聖所を守護する羽たちの戦いによって、空は死で染め上げられた。

 ベリアルは心臓を持っていないほうの手でアイリンの黒槍を掴み、床に投げ飛ばしました。

「馬鹿なやつらめ。この程度の天使に負けたのか。この忙しいときに」
 ベリアルが己を守る者が誰もいないということに憤怒すると同時に、アイリンが再び迸りを上げた黒い槍を突き出しました。
 だが、再びベリアルの手に遮られ、魔王は嘲笑しました。
「まだ200年も生きていない若造が、よくこの程度まで練達したんだ。褒めてやろう。だが、これで終わりだ」
 ベリアルの残った魔力が心臓に集まりました。所々炸裂しながら煮立つ心臓を見て、アイリンはもはや迷う暇もなく、黒槍を握っていない反対側の手を心臓に差し入れました。

「ラジアか……!」
 ベリアルが驚きに目を剥き、魔王の残った存在とアイリンの魂、アゼルとイエバの力が心臓で混ざり、かつて大陸で見られなかった巨大な力の波動を作り出しました。


大陸アルカディア、大戦の切れ目を示すこと

 皆が見ました。
 森の新芽も、月のはしご上の鴉も、辺境の巨人も。
 大陸のすべての生きていることが光が混ざって入った推し量ることはできない深さの闇を見ました。
 ある者はアゼルが降臨したといってまた、誰かは闇の中を乗って流れる光で聖女の犠牲を感じたという、大陸の歴史に最も大きい事件の中の一つで記録される瞬間でした。
 黒い光の根源地. その光がさらって過ぎ去った戦場ではあたかも時間が止まったように寂しさだけが流れる中で皆がセノトを眺めていました。


《ヴァイオレット/Violet》、魔王の消滅を悟ること

 静寂を破ったのはカイデロンの悪魔でした。

「クアアア!」
 自らの理性を制御できない悪魔らと被造物が、みなぞっとする苦痛に泣き叫んでゆっくりと黒いタールのように溶けて流され始めました。

「これが何なの! 助けて! クアアアア!」
 そんなふうに溶けて流される悪魔ら共に居た者はすべて一緒に溶けて流された、統制されない悪魔たちは狂ったように泣き叫んで四方八方で飛び回り始めました。
 戦場は文字どおり阿鼻地獄、悲鳴でぎっしり埋まりました。

「後退! 後退しろ! 兎に角全軍撤退しろ!」
 各軍の指揮官はパニックに陥った兵士たちを後退させるのに忙しくなっていました。
 戦闘はこれ以上継続することも難しい状態に陥ったまま、皆が暴走するカイデロン軍を避けて逃げ回る局面となりました。

「ベリアル……!」
 黒い光が過ぎ去ってからしばらくに経って気がついた《ヴァイオレット/Violet》が魔王を探しました。
 しかし、黒い光が迸った聖所の中央にいたのは、ただ静かに目をとじた次期聖女イクウェルだけでした。
 周囲をいくら見回してもいませんでした。ベリアルも、アイリンも。

「……ヴァイオレット」
 殺意にぎっしり埋まった目で、エロンが次期聖女の前に遮るように立ち塞がりました。
 いったいベリアルはどこへ消えてしまったのだろう……? まさか……! だが……!

「クク」
 外は悪魔の悲鳴の声でいっぱいで、これ以上悩む時間はありませんでした。
 ヴァイオレットは反転して、聖所の外に向かって走りました。


《エロン・ホワイト/Eron White》、大天使の消滅を悟ること

 追おうとする《エロン・ホワイト/Eron White》を、イクウェルが捕まえました。
「……騎士さん?」
 エロンはあわてて立ち止まり、イクウェルの安全を確認しました。
「大丈夫ですか、次期聖女さま」
「次期……、聖女?」
「はい、次期聖女さま。お怪我はありませんか。もう大丈夫です。ご安心を」

 エロンはマントを脱いでイクウェルの肩にかけました。
 イクウェルは状況を把握できないという様子で目を大きく開いたまま、呆然と周囲を見回しました。
「……ママやパパに会うことはできますか?」
「はい、もう大丈夫です。
 次期聖女さま、少しの間だけここでお待ちいただけますか?」
 エロンはイクウェルを安心させるために微笑みを浮かべたあと、、外の情況を確認するために窓へと向かいました。
 ワイバーンに乗って逃げるヴァイオレットと《沈黙の鉤爪暗殺者/Assassin of Silentcraw》を《一番目の羽/First Wings》が追いかけるところで、メリナもまた、全く怪我したところ無く無事に見えました。
 だが……。

「アイリンさま………」
 魔王ベリアルとともに消えてしまった大天使アイリン。聖所に残ったのは次期聖女だけで、いったい彼女がどうなったのかはわかりませんでした。
 エロンが下せる結論は、大天使アイリンが魔王を倒すために全てのものを投げだし、そしてその結果として二つとも消滅したということでした。
 怯えた顔のイクウェルを抱いて、エロンが沈んだ声で宥めました。
「みな終わりました………」

 エロンは見ていませんでした。
 イクウェルの片方の目が黒く染まったことを。そしてその反対側の目に微弱な光が漂ったことを……。そして、イクウェルが口元に笑いを残していたことを。



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