《クロエ・ヒートヤード/Chloe Hildyard》、
貴族の畑仕事の様子を眺めること

「クロエさま、聞いていらっしゃいますか?」
「え? ああ、はい」
 しばらく別の考えに耽っていた《クロエ・ヒートヤード/Chloe Hildyard》が驚いて《ジェイミ・ハロード/Jamie Harold》からジャガイモの籠を受け取りました。

「今期のジャガイモは豊作ですね。幸いなことです。戦争の余波はこちらまで及ばなかったようです」
 首をかけたタオルで汗を拭い取るジェイミが、再びクロエから籠を受け取って尋ねました。
「珍しいですか?」
「え? あの、それは……」
 クロエがどぎまぎする表情で躊躇うと、すぐにジェイミは笑って尋ね直しました。
「畑でジャガイモを掘るのを見るのが初めてなのですか? それとも、貴族が畑仕事をするのを見るのが初めてなのでしょうか?」
 クロエはジャガイモ籠とジェイミの汗に濡れた顔を代わる代わる見たあとに答えました。
「どちらも、です」

 ジェイミはにっこり笑ってみせたあと、ジャガイモ籠を脇に抱えて歩き始めました。
「さて、もう一度お話をさせていただきます。先にお話をさせていただきましたように、わたくしともはイエバさまの真の教えを探そうと思っております。
 というのも、イエバの口をはじめとする高位聖職者たちや羽たちは、みな自分たちの利益のためにイエバさまの言葉を歪曲しているからです」
「……はい」
 大神殿であった、己の人生を根こそぎ変えてしまった出来事を思い出し、クロエは唇をしっかりと噛みました。

 いまでも少数の人間だけの秘密だけになっていますが、シェイクが戦争を起こした理由は《次期聖女/The Next Saintess》の奪還のためでした。
 しかし次期聖女奪還が成功する可能性は希薄と考えられていたため、イエバの口は失敗の場合に備えて、別の計画も立てていました。
 次期聖女が戻ってこなかった場合、シェイクの混乱を防ぐために、聖女の代役を立てるという計画。

 その計画の主人公こそが、このクロエでした。

 クロエ以上に条件に適う人物はいませんでした。聖女の代役になる以上は、聖女として信じられる程度には力を有しており、なおかつその事実を知られている人が少なく無ければなりません。クロエはそれだけの神聖力を有していながらも、知り合いはきわめて少数でした。
 彼女の存在が公になっていなかったのは、彼女の父であるヒートヤード公爵のためでした。
 強大な神聖力を持ったクロエの存在は、大神官たちが己の子どもたちを高位職に登らせるために障害になる大きな悩みの種であったため、イエバの口はヒートヤード公爵と取引をしたのです。
 彼女は今後神聖力を発揮する機会を禁じられ、代わりにヒートヤード公爵はクロエの姉を貴族の息子と政略結婚させることができました。

 人生が終わったような挫折感を味わいながら、それまでクロエは何もできませんでした。彼女は自身が持つ力を使うことも、それについて誰かに離すことも禁じられました。
 雪だるまのように増えていくのは、父親と教団、それに己を踏み台にして高みに登っていった姉に対する憎しみだけ。
 そんなクロエにとって、次期聖女の代役になるというのは拒むことができない誘惑でした。
 成功すれば、自身の力を思う存分使えるのはもちろん、姉よりもさらに高い地位に昇り、家族を嘲笑うことができるのですから。
 悩むことはありませんでした。その計画に参加するために、クロエはそれまで己が持っていたクロエという名前、顔、家族、人間関係、貴族であり司祭という背景に至るまで、すべてのものを捨て、変えました。己がクロエだということは、誰にも悟られてはいけません。

 もし本物の次期聖女が戻って来たらどうなるだろう、などということは考えなかったと言えば嘘になります。
 しかし、計画が失敗すれば、己を殺さなくてはならないとまでは考えてはいませんでした。そうなったら、自分はもはや貴族でも司祭でもないのだから、誰もわたしが誰なのかなんてわからない。死んだ人間と違わないかもしれない、と。

「後悔しました」

 いまになって後悔しても仕方が無いことでした。教団は全てを失ったクロエを殺そうとしました。



2-1-048U《クロエの破門/Excommunicated Choloe》
「次期聖女が帰還した以上、我々はもはやおまえを必要としない。新しい名前と金を手に、ここから立ち去れ」

それは殆ど成功していました。間違いなく、クロエは死んでいたに違いないのです。いま、先を行くジェイミがいなかったとすれば。
 クロエはもう一度、当時の状況を思い出しました。


《クロエ・ヒートヤード/Chloe Hildyard》、

貴族との出会いを思い返すこと


「イエバの口が命令を発しましたね。いまそこに行けば、あなたは死にます」
 この男は何の話をしているのだろう。いや、それより……、彼はなぜわたしが行こうとしていることを知っているのだろう?


2-1-059EP《ジェイミ・ハロード/Jamie Harold》
「ここに隠れてください、クロエさま。あなたのことを待っていたんです。イエバの口の言う通りの場所に行くのならば、あなたは死ぬでしょう」

「わたしについてきてください。当分安全に隠れることができる場所に心当たりがあります」
 垂れたフードの影に隠れてよく見えませんでしたが、美しい顔であることは知ることができました。そのうえ、語り口や身振りは平民のそれではありません。
(この人は明らかに貴族……、でも、いったい何を企んでいるのだろう?)
 クロエは見慣れない男が貴族であるという、そのこと自体に拒否感を感じました。
 イエバの口から、誰もいないところへ隠遁せよという命を受けて出て来たところでした。いまはもう、司祭も貴族も信じることができませんでした。いや、何も考えることもできなくなっていたのです。


2-1-046C《就任式/Inauguration》
まるで可能な限り早く前聖女と戦争の結末を追い払いたいかのように、シェイクの住民たちは新たな聖女と彼女を守護騎士を喝采して迎えた。

「どうせもう、ひとりだ。クロエという名は死んだ。誰の記憶にも残らない」
 クロエが男を無視したまま、頭を下げてセノトの聖所を降り、路地へと姿を消しました。
「お待ちしておりました、お嬢さま」
「……サミュエル? もう二度と会えないと思ってた」
 二日間馬を走らせて到着した森の入り口でクロエを迎えたのは、かつてヒートヤード家の執事であったサミュエルでした。クロエが赤ん坊だったときから世話をし、育ててくれた、厳格だった家でクロエが最も心を開いていた執事でした。
「おやつれになられて………」
 嬉しさで滲む涙を飲み込んで、クロエは笑ってみせました。「ありがとう、大丈夫よ。この手紙に書かれていた……、一ヶ月の間世話をしてくれる人というのは、サミュエルなの?」
「はい、さようでございます。事件が忘れられるまでの間、この森でお休みください」
「小屋があると書かれていたけれど、寝泊まりするところはあるのね?」
「心配なさらないでください。邸宅にいらっしゃるときより、きっと気楽に過ごせるでしょう」
「……もしかして、ケーキやワインとかも食べることができるの?」
「そうですね、訊いてみましょう。ワインだったら、今晩のお食事の際に差し上げられると思います」

「本当に、二度ともう誰にも会えないと思っていた。でも、わたしの存在は完全に忘れられたわけじゃなかったのね………」
 父のように己を暖かく世話をして育ててくれたサミュエルに出会えたことだけで、クロエは屍のように緊張していた身体が弛緩するのを感じました。溶けて流れる安堵感に、目眩いまで漂うほどでした。
「どれくらいここにいなくてはならないのかしら?」
「少し時間がかかるでしょう。わたしがいないときには、ゆっくりとここで景色を見物なさるのが良いでしょう。この森はヒートヤード家とは違って、見物するには絶好です」

(彼はわたしが会うことができる最後の人になるのかもしれない。一ヶ月後、わたしがどこに行くのかはわからないんだもの。
 それでも、サミュエルがここにいるということは、イエバの口がわたしのことを気遣ってくださったということだ。もしかしたら、事件が風化した頃にはまた聖所へと戻ることができるかもしれない………)
 希望的観測とともに、クロエはサミュエルとともに小屋へと向かいました。

 夕刻。
 食卓の傍らの床に倒れたまま、クロエは状況を整理しようとしました。
(出されたワインを一杯飲んだだけのはずなのに……。酔ってしまった? いや、酒に酔ったわけじゃない。身体に力が入らない。まるで……、まるで、水を含んだ木みたいに……。
 薬を仕込まれた……? サミュエルも危険かもしれない……。サミュエルは……、無事なの?)

 震える瞳を辛うじて上へと向かわせると、すぐに誰かが己を見下ろしていることに気付きました。
「申し訳ありません、お嬢さま」
 ……サミュエル?
「二千を頂きました。わたくしが一生で稼いだ金の二倍の金額です」
 ……どうしてあなたが………。
「息子が今回の戦争で怪我をしたのです。おかげでいままで貯めた金をすべて使っても足りないほど大きな借金をすることになってしまいました。一生をヒートヤード家で侯爵さまのために仕えてきましたが、何のお手伝いもしていただけませんでした。どうしようもありませんでした」
 戦争……? 息子……?
「わたくしも、以前に仕えた方に裏切るというのは心苦しいことでした。とても痛ましい気持ちではあります。ですが、それ以上に……」
 それ以上に……?
「たいへんお美しくなられましたね、お嬢さま。数年前までは、まだ幼さが残る体つきでしたが、いまは………」
 いまは、何をしようというの!?

 クロエの身体は小さくびくりと震えましたが、それだけでした。
 何の薬を使ったのかはわかりませんでしたが、意識は霞みつつありました。やめて、サミュエル……、どうか……。

「誰だ!? 貴様、貴様は……!」
 ドアが破壊される音とともに、サミュエルが驚き叫ぶ声が聞こえました。
 現れたのは、何日か前に聖所セノトで警告をしてきた男……?

 それを最後に、クロエの意識は途切れました。


《クロエ・ヒートヤード/Chloe Hildyard》、

回想を終え、貴族と対話をすること


「クロエさまが死んだように偽装しておきました。おそらく、イエバの口は計画通り、あの男がクロエさまを殺したと信じるでしょう」
「………」
「ですが、まだ完全に安全というわけではありません。わたしについてきてください。当分隠れることができる場所があります」
「……ありがとうございます。そして、申し訳ありません。あなたが最初に仰られたときに信じていれば………」
「あなたがいま生きておられるのも、イエバさまの恩寵ですよ」


2-4-252C《聖所の監視者/Overwatcher of Sanctum》
「わたしはここで奴らを食い止めます。ジェイミさまはクロエさまと地下へお逃げください……!」

 サミュエルからクロエを救い出した男、ジェイミはクロエがイエバの口の計画通りに殺害されたように偽装したのち、彼女を異端者の隠れ家へと案内しました。
 その異端者の隠れ場所こそが、シェイク北側のケンズヒル農場でした。

 クロエの回想を終わらせるように、ジェイミが話を再び紡ぎました。
「彼らがイエバさまのお言葉を歪曲して何も知らない信徒を騙し、利用しているということは、ほかの誰よりもクロエさま自身がよくご存知でしょう。その巨大な詐欺の中心で利用されたのですから」
「……はい、よく承知しています」
 ジェイミが言うように、クロエが何も知らないままに利用されたというのは正しくありませんでした。クロエは神官たちが何をしようとしていたのか、そしてそのことがイエバを欺く偽りであったということもよく理解していました。それがただ、クロエにはチャンスだったということだけなのです。
 しかしジェイミはクロエが事件の真相も知らずにイエバの口に振り回されたのだと考えているようでした。それでクロエは、自身が能動的に加担したという事実を伏せて、ジェイミが考えている通りに調子を合わせることにしました。

「ところで、どうしてわたしのためにこんなことを……?」
 ジェイミと過ごした時間の中で、クロエが抱いたもっとも大きな疑問はそれでした。
 ジェイミはシェイクでも指折りに数えられるほど高い地位にあるハロード家の嫡男です。クロエも貴族の娘ではありましたが、ジェイミとは比べるべくもありません。
 そしてジェイクの父は、シェイクにおいて6人しか存在しない、イエバの口です。
 己を初めとして、他の貴族が羨望の目で眺めるような地位にあって、全てのものを失った逃亡者である自身を助ける理由も、イエバの口である父があっても異端に身を置く理由もわかりませんでした。
 異端者に偽装し、自分を教団に売り渡そうとしているのではないか、という疑いまでわき起こりました。


2-2-114U《エロンの葛藤/Conflict of Eron》
「戦争は終わり、魔王は消滅し、次期聖女さまは戻ってきた。それなのに、なぜ異端者たちと灰色翼たちは増え続ける?」

「少々お待ちいただけますか?」
 倉庫に到着したジェイミが籠を下ろしました。すると麦わら帽子を被った髭だらけの男がジェイミに向かって近づいてきます。
「おお、大きなジャガイモですなぁ。今年は豊作ですね」
「はっはっは、ありがとうございます。ちょうどこのジャガイモでシチューを作ろうとしていたところなんですが、召し上がっていかれますか?」
「お言葉はありがたいのですが、いまは遠慮しておきます。すぐに行かなければならないところがあるので。ところで………」
 髭男が後ろに立っているクロエをじろじろと眺めると、すぐにジェイミがタオルで汗を拭いながら説明しました。
「ああ、わたしと一緒ににジャガイモを掘っていただいた方ですよ」
「なるほど、そうでしたか」

 一緒にジャガイモを掘った、という話に男が麦わら帽子を下げ、クロエに挨拶をし、クロエもぎこちなく挨拶を返しました。
 平民などの挨拶を受けなければならないとは。これからも、このような生涯を生きなくてはならないのか。
「パンを焼いたのですが、とてもたくさん作ってしまったので、分けて食べようかと思って持ってきました」
「それはありがたい。ちょうどお腹が空いていたんです。次はわたしのほうからごちそうさせてください」
 男が風呂敷で覆われた小さな籠を手渡しました。
「ごちそうしていただけるというシチュー、期待して待っていますよ」
 気さくに笑って男が離れていきました。

 汚らわしい平民とあのように会話ができるなんて……。
 クロエが持つジェイミといおう貴族に対する懸念は、ますます大きくなっていきました。
「わたしがクロエさまを、一緒にジャガイモを掘っていただいた方だ、とご紹介させていただきましたね?」
 クロエが無言で肯定すると、すぐにジェイミは籠の底を開いて何かを探しながら言葉を紡ぎました。
「一緒に何かをする、と紹介するのは、クロエさまをわたしたちと意を共にしている方だと説明する暗号です」
「え……?」
「わたしたちの組織は、数多くの点で構成されています。そのため、他の支部の者の顔もわからないまま一緒の仕事をすることも少なくありません。ある支部が異端審問官に引っかかったとしても、残りが生き残るためです」


2-2-112R《異端審問官/Inquistor》
「あなたの罪は避けられない。それはこの神聖なる棒によって行われる」

 ジェイミは籠の底で折り畳まれていた紙切れを取り出しました。
「そのために、各支部間では文書をこのような形にして連絡することになる場合が多いです。ですが、このように文書で伝達の際に、誰か傍に見知らぬ人間がいる場合は非常な危険が伴います。そのため、先ほどクロエさまをわたしたちの一員だと紹介させていただいたのです。安心して文書を伝達できるように」

 クロエは複雑な目で紙切れを広げて読むジェイミを眺めました。
 たったいま、わたしを異端の一員だと紹介した? 異端者だと? いったいわたしがなぜ異端者に入らなければならないんだろう。教団を出ただけだというのに。
(いや、異端者と変わらないのかもしれない。どうせ教団ではわたしは殺されそうになったのだから)


2-4-261U《異端処断者/Heretic Punisher》
「異端者を罰するために厳選された武器だ。この刃は異端を浄化するだろう」

「先ほどのお話を続けさせていただきます。単刀直入に申し上げますと、わたしたちにはクロエさまが必要なのです」
「シェイクに、ですか?」
「はい。クロエさまは、なぜこうまでして助けるのかと尋ねましたね? わたしたちは巨大な教団に抵抗していて、手助けをしてくれるひとりの力でも必要なのです。このようなわたしたちにとって、クロエさまの力は信徒数千、数万人を得たに等しいことです。シェイクで最も強い神聖力を持っておられた方ですから」


2-4-254R《クロエの護衛騎士/Guard Knight of Chloe》
「誰もがクロエさまを我々に希望を与えてくれる聖女と認めるでしょう」

「いや、それは………」
 クロエの答えはたどたどしくなっていました。自らそのように考えたことは無いではなかったからです。
 いえ、実際、いつもそのように考えていました。しかし彼女自身は政治的な理由によって家族に犠牲にされ、高い地位には絶対に上がることにはできない聖所の女司祭にされてしまいました。
 いつも苦しかった。一族の誰よりも、姉より、いえ、教団のどんな司祭よりも明らかに力があるのに、こんな名も無い聖所の女司祭として、誰にも知られずに一生を腐らせなければいけないのか。
 皆はなぜ認めないの。あなたたちは、わたしが持つ力を恐れてこんなふうに埋めてしまおうとするの。聖女さまでも、わたしより強い神通力は持っていないはずなのに。

 イエバの口が次期聖女の代役を提案した日、クロエが得た感情は、初めて自分が認められたという嬉しさでした。彼女はその日、ひとりで寝室で泣きました。そうだ、やはりわたししかいないのだ。聖女の代役なんていう大役は、誰もができるものではないのだ。わたしだけがその力を有しているから、わたしにお願いをするのだ。わたしは認められているのだ。姉もほかの子どもたちも……、もはや誰にもわたしを無視することなどできないのだ。

「謙虚ですね。クロエさまがヒートヤード家の政治的な理由のために、影に追いやられていたことはよく知っています。ヒートヤード公爵はクロエさまの姉のために、クロエさまを犠牲にさせたのでしょう。
 せいぜい一族の婚礼のために、イエバさまの祝福を一身に受けられたこのような方を一介の女司祭に留まるようにしてしまうとは。
 クロエさまのお父さまですからこれ以上は言いませんが、腹が立てずにはいられません」
 怒りを伴う表情で、ジェイミは声を低くしました。
「失礼でしたら、申し訳ありません、クロエさま」
「いいえ……。ですが、わたしはジェイミさまが考えるほどの力は持っていません。それに……」
(それなりに持っていた小さいものさえ、全て奪われてしまった。司祭という立場も、貴族だったという生い立ちでさえも………)
 とても言葉を繋げなくなり、クロエはうなだれました。
(そうだ、いまは何も持ってはいない。何も)

「それに、いまはヒートヤード家の貴族ではないし、聖所の女司祭でもない」
 クロエがとてお言葉にできなかった内容を、ジェイミが先回りして答えました。
 いままで実感が無かった。でも、他人から聞くその言葉が持つ現実感に、クロエは己の身体がぞっとするのを感じました。

「それで、なぜ……?」
「クロエさまがヒートヤード家の子であったり、高貴な聖所の女司祭だったからといって、あなたの力を必要としていたわけではありません。そうだったとすれば、以前からわたしはあなたを探していたでしょう。
 いま、あなたは全てのものを失った……、いえ、奪われたからこそ、あなたが必要なのです」
 ジェイミはクロエを直視しました。


2-2-108C《勇気ある市民/Brave Citizen》
「わたしは誰も傷つけていないし、イエバを貶めてもいない。それなのに、なぜあなたはわたしを異端と呼ぶの?」

「わたしどもはシェイクを正そうとしています。イエバの口が、教団の大司祭が、どれほどにまで腐っているのか、信徒たちは知らないままです。終わりの無い搾取に利用されているだけなのです。彼らを救い出し、イエバさまの真のお言葉を伝えなければなりません。
 クロエさまは祝福を受けた力を持っています。そして、誰よりも教団の暗部をご存知です」
 クロエは思わず、堪えていた涙を流してしまいました。次期聖女が帰って来たせいで、計画がおじゃんになり、教団から不要とされたときから我慢していた涙でした。
 慌てて手を口元に持っていきましたが、一度かっと上がって来た涙は止まりませんでした。

 ゆっくりとジェイミがクロエの身体を抱きました。
「誰よりもお辛かったのでしょう」

 いい、厭だ、と言う暇も無くジェイミに抱かれてしまったクロエは、彼の胸の中で大声で泣かずにはいられませんでした。
 選択の余地はありませんでした。既にクロエは世に忘れられた人間です。いまのクロエを誰かを知っていて、そして認めてくれるひとは、ただひとりジェイミだけ。


2-3-173U《異端伝道師/Hertic Missionary》
「ねぇ、そこの学生さん。ちょっとお話してもいいかな? イエバさまの真の教義について……」

 そして残念なことに、ジェイミの胸に顔を埋めたクロエは見ることができませんでした。彼の顔から、クロエに向けていた表情が消えていたことを。



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