13-067C《影弓の使い手》
影から放たれるその一射を止められる者は、どこにもいない……世界に闇が色濃く落ちるこの時刻には。



 朝っぱらから五月蝿いのがいると、穏やかな朝は始まらない。しかも、ふたりもだ。オルバランの召喚英雄――いや、元、であり、こいつらの下で扱き使われなくて良かったと心底思う――の《ベル・スタァ》酒場(サルーンの入口の黄金のベルを鳴らして扉を開け、外を眺めて嘆息を吐いた。まだ陽は地平線の下で、薄ら明るい程度だというのに、ふたりの女が戦っていた。

「王女――いえ、王! まだまだ脇が甘いですよ!」
 ひとりは大柄な女だった。亜麻色の髪を虚空に流し、女が振るう大剣は巨大だった。あの重量では、たとえ刃引きされてはいても、当たれば大怪我か、最悪死ぬだろう。少し離れて、小姓なのか、幼い少女ふたりがはらはらと心配な表情で戦いを見守っている。
「気のせいだっ!」
 対峙していたのは黄金の鎧を身につけた銀髪の少女だ。ドワーフであれば小柄で、まだまだ大剣に振り回されているようにも見える。しかし小柄は小柄なりに少し背が伸びたか――などと思いながら《ベル・スタァ》は煙草に火を点けた。

 三度の剣戟のあとで、片方の剣が宙に踊った。地に突き刺さった長剣の持ち主は、亜麻色の乙女のほうだ。
「なかなかお上手になられたようで何よりです」
 剣を手放した側がにっこりと微笑むのに対し、勝ったはずの銀髪の少女は肩で息をしていた。
「次は両手を使わせられれば良いのだがな」

 このふたりの剣士とその付き人の幼い少女ふたりが宿屋兼酒場の〈ヤンガーズ・ベント〉にやって来てから二週間。剣士たちは来る日も来る日も訓練を続けていた。最初は愉快に見ていたベルだったが、暑苦しい戦いが何度も繰り広げられているのを見ては、飽きが来てしまう。
「ベル、煙草は止めてください。煙草には人体に有害な成分が含まれていて、特にフィルターを介して取り込まれる主流煙よりも、直接煙として放出される副流煙のほうが人体には大きな悪影響があります。健やかな生活を送るためには、煙草は不要です。特に女性であれば、自身と周囲の人間に害があるばかりか、のちのちの赤子に対しても害となりえます。百害あって一利なし。一刻も早く辞めるに越したことはありません」
 しかも亜麻色の髪の乙女――《地宝剣の大闘神官 レト》という女に至っては、こうだ《ベル・スタァ》が召喚英雄と知ってもまったく物怖じせずにこんなことを言う。非常に耳障りだ。

「あんたたちは」とベルはレトを無視し、朝食の支度をしながら訊いた。「戦に行かなくていいのか? あれから戦は続いているんだろうに」
「王の力はまだ十分ではないです」と表の井戸で頭から水をかぶってから身体を拭くレトが言った。「いや、正確には、力は十分でもそれを使いこなせてはいないと言うべきでしょうか。〈黄金覇者〉としての試練を達成はしましたが、完全にその力を制御できるには至っておりません。〈黒覇帝〉を倒すためには、腹の内から指先に至るまで、さらには先の先の剣先まで意のままに操れるようになる必要があります」
「準備を整えて悠長に構えているのはわかったけどね、その間に空いても力を蓄えさせることになるんじゃないの?」
「然り。ですが――」

 レトが言いかけたとき、酒場のウッドデッキの椅子に座って朝食を待ちわびていた様子のふたりの少女が、何かに気付いたように視線を持ち上げた。すぐさま慌てた様子で酒場の中に飛び込んでいき、皿と水差しを持って外に戻って来る。酒場の主人であるベルに許可を取らないあたり、このふたりの幼い少女はレトに似て自分勝手である。呆れながら、ベルは朝食をウッドデッキのテーブルの上に並べる。
 少女らは訓練によって草が剥げた土の上に皿を置き、井戸水を入れた水差しの水を皿の上に注いだ。水面に像が映るからには、ミスティカでよく使われているという《創生水の儀式》だろう。オルバランの国民で習得者はあまり多くはない。
「レトさま、シャダスの《天機の新星将 ティリス・ルリア》からの連絡です」
「レトさま、ヴェガの《炎智の到達者 リュンサ》からもです」
 とふたりの少女がほとんど同時に言った。

「ご苦労さまです」
 レトがふたりの少女に頭を撫でて労うと、少女らはにっこりと微笑んでからウッドデッキへと戻っていき、勝手に朝食に箸を伸ばし始めた。レトという女はベルには態度だ礼儀だ手順だと口五月蠅いくせに、あの少女らに対してだけは異常なほどに寛容だ。せめて頭を殴らせる許可をこちらに寄越して欲しい。
「王、申し訳ありませんが、訓練は道中で続けることになりそうです――シャダスとヴェガから、戦闘準備が整った旨の連絡がありました」
「そうか」
 銀髪の少女――少女というには、もう不適当なのだろうか、ドワーフの年齢はよくわからない――《黄金覇者 アルマイル》は頷くと、《ベル・スタァ》に向き直った。
「ベル、部屋を長いこと貸してくれてありがとう。わたしたちはそろそろ行く」
「あ、そう。ちゃんと金は払ってくれ。前回のぶんも、だ」
「うん、わかってるよ――」アルマイルは少し逡巡する様子を見せてから、ベルに問いかけた。「やっぱり、力は貸してはくれないか?」
「もとはといえばオルバランに呼び出された召喚英雄なんだから――って言いたいんだろうけど、その気はないね。この前は、こちらに火の粉がかかりそうだったから払っただけだ」
「そうか。残念だ」
 とアルマイルは言ったが、特に表情は変わらなかった。ベルの返答は予想の上だったということだろう。

「ならばせめて、敵の召喚英雄の情報をいただけませんか?」とウッドデッキに上がってさっさと朝食に手を付けていたレトが言った。「聞けば前回の襲撃者は、あなたと同郷だったと言うではありませんか。宿を経営しているのであれば、宿客の話から、あなたと同郷でメレドゥスに召喚された召喚英雄の情報くらい手に入れているのではありませんか?」
「わたしの知っている召喚英雄の情報といっても――」
 ない、と言いかけて、《ベル・スタァ》は思い出した。何年も前にメレドゥスに召喚されたという召喚英雄の話を。その忌むべき二つ名を。彼女が本当にメレドゥスに召喚されたとなれば、ベルは幾千金払われたとしても、アルマイルらの戦に同行する気は起きない。
「ひとつだけあるよ。そいつの二つ名は、〈フリー……〉」

 〈あの女〉の二つ名を告げながら、アルマイルは果たして彼女の顔を見ることがあるだろうかと《ベル・スタァ》は考えた。ほとんどの人間は、〈あの女〉の顔を見る前に撃たれたものだ。


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