小説ラスクロ『柿の種』/時代1/Turn2《創造的破壊》


1-153C《創造的破壊》
歴史も物も、一度壊してから作り直すほうが早いことがある。



「道に迷っているのではありませんか?」
 静かな歩調でまっすぐにミスルギに歩み寄って来たので、どうやら聞き違いではなく、この女はミスルギに話しかけてきているらしい。
「もしかして、首都での剣術大会に行かれるのでは?」
「そうだが。なぜそれを知っている」

 ぶっきらぼうに答えたのは、単に人見知りだからというのではなかった。ミスルギは蒼眞勢の頭首の娘だ。つまり、相応に立場がある人間だ。であれば、ミスルギを誘拐して身代金でもせしめようなどという悪人はいないとも限らない。
 そう考えてみると、目の前の女は明らかに怪しかった。ミスルギの目的を知っているのは、彼女のこれまでの同行を――蒼眞勢の島にいるときから監視でもしていたからか。女の佇まいは常人のそれとは違っていた。だいたい美人すぎるのも気になるところで、こんな辺境にこんな美人はいない。つまり何か悪巧みしに来た悪人だ。

「剣を持っていたので、もしかすると、と思いまして」
 と言って女は口元だけで微笑んだ。確かにミスルギは武器を背負っていた。大会では武器は貸し出されるので剣を持っていく必要はないのだが、女の一人旅となれば自衛の手段は必要だ。それが白鞘に収められた長ドスだった。
「もし迷っているのでしたら――首都への切符販売所はあちらですよ。あそこに看板が出ています」
 女が指差したほうを見やれば、桟橋を下りて堤防沿いに少し歩いたところに、たしかに何か売っているらしい看板が見えた。昔の記憶を辿れば、あのようなところで切符を買ったような覚えもある。

「助かった。ありがとう」
 とミスルギは礼儀正しくも言ってやった。頭も下げてやった。これで良かろう、と女に背を向けて切符販売所のほうへと脚を向けようとしたところで、後ろ手を掴まれた。
「すみません、待ってください」
 まさか道案内に金をせしめようという輩か。都会では詐欺が多いと聞く。顔に似合わずふてぶてしい女だ。だがおれはそう簡単に屈しない。ああ、屈しないぞ、と振り返ったミスルギが見たのは、不安そうに眉根を寄せた女の表情だった。
「お願いがあるのですが……首都への船に乗るのでしたら、切符を買ったあとでその船着き場まで連れて行っていただけませんか?」
「連れて行って、とは……」
「道に迷われている方に、連れて行ってもらいたい、というのも奇矯なことを言っているように感じられるやもしれませんが………わたし、方向音痴なんです」
 俯き気味にそう言うと、女の白い肌が僅かに紅差した。



 目の前を、束ねたふたつの髪がほわんほわんと揺れている。
(ねこみたい)
 イズルハは先導する少女の背を眺めながら、そんなことを思った。桟橋で声をかけた少女は小柄なのに大股でずんずんと歩いていく。迷いがない歩調ではあったが、切符を買ったあとの彼女の歩みは、どこか一方向へ行ったあとで、急に引き返したりしていて、つまりは彼女も道程をはっきりと理解しているわけではないということがわかった。それでも、方向音痴のイズルハひとりで船着き場まで行くよりはマシだ、と思う。

 そもそも、切符を買えただけでも奇跡的なことだったのだ。ああ、自分を褒めてやりたい。その程度なのだ。その程度が限界だったのだ。切符を買ったあとのイズルハは迷って迷って、桟橋をぐるぐるとしていたのだ。
 誰かに道を訊ければ良かったのだが、生来の人見知りと口下手が手伝って声がかけられない。でなくても、行き交う人々は足早なのである。得体の知れぬ人々ばかりなのである。なけなしの勇気を振り絞って声をかけたとて、口頭で行き先だけを説明されただけではきっとまた迷ってしまう。であれば、勇気を出す甲斐がない。まだここは辺境だというのは知ってはいたが、田舎出のイズルハにとって、本土のこの船着き場は十分に都会だった。
 そこで見つけたのが、自分と同様に道に迷っているらしい少女だったのだ。彼女の持ち物や立ち振舞いで武道をやることや、おそらくは目的が自分と同じであることは悟ってはいたが、それだけではなく、ただただ可愛らしければ、イズルハはただ目で追うだけではなく、大股で迷走する少女のあとを追っていた――それが正解だった。

 束ねた髪を猫耳に見立てると、金色の目も猫に似ている、と感じてしまう。目の形はやや釣り気味だったが、大きく勝ち気な瞳がきつさを和らげ、どこか可愛らしい色さえも残していた。力強い眉は、活発な少年のようにも見える。ぶっきえらぼうながらはきはきとした口調は心地良く、不快さを感じさせない気質を羨ましくさえ思った。
「ここが船着き場だ――と思う」
 切符を購入したあと、券売り場で聞いた道案内を頼りに桟橋の先まで辿り着くと、猫目の少女は振り返って言った。
「と思う?」
「ここが船着き場だ。首都への船が出る」
 と言い直してから、少女は桟橋の先で茸のような形の係留柱に腰掛ける男に接近した。煙草を吸う柄の悪そうな男は見るからに海の男といったところで、イズルハは少女の手を引いて止めたくなった。
 しかし少女は男と二言三言何事もなく会話をし、戻ってきた。「うん、やっぱりここがそうだ。四半刻もせずに船が来るそうだ」

 などと喋っている間に、閑散としていた桟橋に人が集まってきた。田舎育ちのイズルハが見たこともないような大きな旅客船もやってきた。やはりここで正しいということか。疑うようなことを言って悪かったかな、と少女を見ると、彼女も彼女で自分の土地勘が信用できていなかったのか、安堵の吐息を吐いていた。
「ありがとうございました」
「ああ、うん――ところで」
 と頭を下げたイズルハに対し、少女は気に留めた様子もなく問いを投げかけてきた。
「あんたも剣術大会に参加するつもりなのか」
「そのつもりです」
「では敵だな」
 そう言うと、猫毛の少女は係留柱に座っていた男に券を渡すや、男の静止も聞かずに船の上へと飛び移ってしまった。まさしく猫のような軽業だ。誘導されるまえの乗船だったためか、船員らしい船上の男が彼女を咎めるのを、イズルハは呆然と眺めることになった。

 気を取り直したイズルハの胸の底から湧いて来た感情は、急に敵だと断じられたことへの戸惑いや怒りではなく、むしろ喜びに近い感情だった。言葉にするなら、そうでなくては、といったところだろうか。
「やっぱり、ねこなんだ」
 あの子は気分屋で、脚が速くて、可愛らしいのだ。そんなふうに思えば思うほど、イズルハは笑みを隠せなかった。軒下で眠る猫に手を出して、手の甲を引っかかれて逃げられるときと同じように。


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