小説メギド72/『2ガンズ』-3


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「確かに、そんなふうに読めるな」
 と言いながら、アンドレアルフスはマルコシアスに視線を送る。余計なことを言うな、という意味だ。マルコシアスも視線で、いちおうわかってはいるがどういうことか、と返してくるが、その返答まではさすがにできない。
 死体の指先で書かれたと思しき血文字には、確かに『ソロモン王』としか読める文字を象っていた。

「ダイイングメッセージというやつか? 『ソロモン王』……なにか聞いた覚えがあるな」
 とマモルーは独り言のように言った。
 メギドやハルマゲドンといった単語はお伽話でも出てくるような単語だが、幻獣やソロモン王となるとその情報浸透具合は地域によって異なるだろう。王都でも、メギドやソロモン王は自分たちの手柄を主張しなかったため、その存在を認知しているのはごく一部であろう。噂話として伝わる程度のことはあるかもしれないが、知っているのは特に悪人の類かもしれない。
「この中で、『ソロモン王』というのを知っている者はいるか?」
 マモルーが全員を振り返って尋ねてきたので、アンドレアルフスは「いちおう、知ってる。連れのマルコもな」と手を挙げてやった。「メギドを従えたヴィータだと聞いている。ハルマゲドンを食い止めるため、幻獣やメギドと戦っているのだと」
 ひとまず当たり障りのない部分だけ語っておく。わざわざ自らが追放メギドであり、ソロモン王とともに戦っているなどとは言う必要もないだろう。
「あんた……魔物ハンターだったか。会ったことはあるのか、その、ソロモン王に? 本当に、いるのか?」
「まぁ、な」
 無駄に嘘を吐くと碌なことにならないので、肯定しておく。
「じゃあ、彼を殺したのはそのソロモン王?」
「そりゃあないだろう。だって——」

「あの」とアンドレアルフスの言葉を遮って言葉をあげた者がいた。叫び声が聞こえたときに玄関のところにいた、商人風の若い男である。「ちょっといいですか?」
「あんたは?」
 マモルーがじろりと男を睨むが、男は飄々としている。
アドンキと言います。よくこの宿に出入りさせてもらっている商人です。『ソロモン王』なんですが、ぼくも聞いたことがあるんですが……彼とは少し違う話なんですよね」
「というと?」
「幻獣を殺すというのは合ってますが、悪人も殺したりするんだという、なんていうか、ナマハゲみたいな存在だと聞きました。悪魔の力を取り込んでいて戦うんだ、みたいな。というかですね、実際のところ、この話……トウゾックさんから聞いたんですが」
「あんた、彼と知り合いだったのか?」
「ええ。といっても、貴金属や宝石などを何度か取引したことがある程度の間柄です。まさか盗賊だとは思いませんでしたが……たぶん盗品だったんでしょうね」
 
「ほかに、『ソロモン王』という名前について、何か心当たりがある者はいないか?」
 とマモルーがひとりひとり見渡していくが、みんなが首を振った。
 だが、「で、でも、あの……」と手を挙げた者がいた。和服を着た少女、イトである。
「何か気づいたことでも?」
 尋ねるマモルーの声はいくらか柔らかい。彼は宿泊客なので、見知った幼い少女の従業員にはいくらか思い入れるところがあるのかもしれない。
「あ、あの、アルバくんではないです。彼はずっと薪を割っていました。音が聞こえていて………叫び声が聞こえるまでは、少なくとも」
「ん? ああ、アリバイか」
「そうです。一時間くらい前から聞こえていました。だから、アルバくんは犯人ではないです」

 この唐突なアリバイ主張にマモルーは戸惑った様子だった。が、イトは気にしていないらしい。必死そうに、アルバという斧を持った少年のことを気にしている。一方、アルバのほうはどこ吹く風といった様子である。
「それなら、わたしは妻と一緒にいたよ」とドクター(あとでナンダという名前だと知った)も言った。「なぁ、そうだろう?」
 呼びかけられて、「えぇ」とここで初めて恰幅の良い女性(こちらもフージンという名前だとあとで聞いた)が発言した。ふくよかな見た目ではあるが、気弱そうな声だった。

「いや、そりゃ、アリバイにはならんだろう」とマモルーは、しかし冷静に言った。「あんたらは夫婦なんだから」
「それなら彼らもそうだろう」とナンダ医師はアルバとイトを振り返る。 
「そりゃあの子の場合は、薪割りの音がほかにも聞こえていたわけで……ええい、それはいい。とにかく、ある程度安全を確保してから自警団を呼ばないと……この中に犯人がいるというよりは、得体の知れない人物が宿の中に入り込んでいる可能性のほうが高い。くそ、まずは全員固まって建物内を見て回るべきか……?」
 苦悩するマモルーを尻目に、アンドレアルフスは首を動かして浴場の様子を確認する。ウッタガッタは木を伝い、二階経由で入ってきたというが、逆に風呂場から外へ出ていくのは難しいだろう。身の丈よりずっと高い塀に囲われており、ろくな足場もない。桶や椅子で足場を組めばなんとか登れるかもしれないが、桶や椅子はきちんと並べられているので、これもありえないだろう。普通に入口から入って、入口から出て行った、か。
 アンドレアルフスは少し視線を上げた。ドクターに曰く、「ヴィータの力でどうこうしたというレベルではない」傷で被害者は亡くなったらしい。
 旅館の建物はコの字状になっていて、中央の凹みに相当するところに温泉がある。浴場へは、落下したのかもしれない、と検討をつけて死体の真上に視線をやると、三階の部屋に空いている窓が見えた。

「ドクター。彼は即死か?」
 とナンダ医師に問いかけると、彼は頷いた。「おそらく、そうだろう」
「即死なのに、身体の下の血が擦ったような痕がないか?」
「確かに。これは……しかし、被害者がつけたものではないだろう。おそらく、犯人が揺すったのだろうな」
「揺すった? なぜだ?」
「普通に考えれば……生きているかどうか確かめたのだろうな」
「ふむ」
 アンドレアルフスはしばらく医師の言葉を頭の中で反芻した。

「マモルー」
「なんだ?」
「被害者は突き落とされたのではないかと思う。あの部屋だ」
 とアンドレアルフスは先ほど見つけた空いている窓を示した。
「確かに……開いているな。なるほど、三階から頭から落ちれば殴られた以上の傷になるか。では事故か? ふむん、女将、あの部屋は誰の?」
「あそこは……トウゾックさんのお部屋ですね」
 予想通りの回答だった。アンドレアルフスは頷いて、「少し見てくるが、いいか? あんたはほかの客を見ててくれ」と提案した。
「そりゃ、あんたは犯人じゃないようだから動いてくれるのは助かるが……犯人と出くわすかもしれないぞ。ひとりで大丈夫なのか? 魔物ハンターとかいうらしいが、ヴィータ相手は大丈夫なのか?」
「じゃあマルコを連れていく」
「といっても……」
 マモルーの視線が華奢な女性にしか見えないマルコシアスに注がれる。本人はよくわかっていないらしく、小首を傾げているが。口止めをしていなければ、「任せてください! わたしとアンドレアルフスなら何が出ても楽勝です!」くらいのことは言うだろう。
「女でも、背中を見ててもらうことくらいはできる。大丈夫だ。戻ったら自警団を呼んでくる手筈を考えよう」

 そう告げて、アンドレアルフスはマルコシアスを連れて浴場を出た。
「参ったな」
 声が聞こえない程度の距離まで通路を進んでから、マルコシアスに語りかける。
「そうですね。まさかソロモン王の名前がここで出てくるだなんて。あのトウゾックという男がソロモン王と面識があるとは思えませんし……どこで知ったのでしょう?」
「いや、あの血文字を書いたのは被害者じゃないぞ」
「え?」マルコシアスは青い目を丸くする。
「おまえ、被害者は即死だぞ。たぶん上から落ちてな。それなのに、血文字なんか残せるはずないだろう」

「しかし、医者の見立てが間違いで生きていた可能性も………」
「ない。犯人は被害者の元まで来て、身体を揺さぶっている。血文字にも気付く。だったら消すだろ、なんか自分の手がかりになるなら」
「じゃあ……犯人が書いたと?」
「そうだろうな。被害者の指で」
「ということは、犯人は追放メギド? でも、ソロモン王の名を書き残す理由が——」
「いや、ヴィータだろう」とアンドレアルフスは否定した。
 宵界メギドラルから追放刑を受けたメギドはヴァイガルドでヴィータに転生するが、その性根は必ずしも善良なものではない。というより、悪逆な者のほうが多いかもしれない。その中には、ヴィータを殺すような者もいる。
 が、今回の犯人はそうではない、とアンドレアルフスの勘は告げていた。
「おまえや……あとはビフロンスとかからも、殺人鬼になった追法メギドの話は聞いた。あの手のヴィータを殺して回るような奴らは、楽しんで殺すし、痛めつける。だがあの現場にあったのは、単に殺したという事実だけだ。メギドにしても、ヴィータらしく暮らしていたメギドだろう」

 ぎしぎしと音を立てる階段を登っていく。

「では、なぜヴィータがソロモン王の名を? どういう意図が?」
「犯人はわかっているが、なんで大将の名前を書いたのかっていう理由はわからんな」
「そうですね——」頷きかけたマルコシアスの声が上擦った。「なんですって?」
「おそらく、だが。いや、正確に言や、犯人というか、嘘を吐いているやつがわかったというか………少なくとも、ソロモン王のことをまったく知らない、と言っていたわりには知っていそうな奴がいたというか」
「えっ、あの、つまり、あの人たちの中にいるというわけですか? なんで? 特に尋問とかしてないじゃないですか」
「ソロモン王周りのことを知らないにしては、言動がおかしかった」
 三階の目的の部屋に辿り着いたアンドレアルフスは、特に確認せずに扉を開けた。畳張りの部屋は几帳面に整っていたが、窓際だけ物が乱雑に転がっている。開きっぱなしの窓の木枠にヒビが入っているので、落ちそうになったときに掴もうとしたのかもしれない。結局努力虚しく落ちてしまったわけだが。やはり被害者はここから落ちたということで間違いないだろう。

「じゃあ、犯人を捕まえないと………」
 きょろきょろと部屋を見回しながらマルコシアスが言ったが、そうは簡単にいかない。アンドレアルフスは溜息を吐いた。
「面倒くせぇ問題が二つある。一つは、あくまでおれがそいつが犯人だと思っているのは、嘘を吐いているからだ。だが、もしかすると嘘ではないかもしれない。完全に矛盾があるかどうか、というとそうとも言えないし、犯人じゃなくても何か事情があって隠していた可能性もある」
 アンドレアルフスは窓から身を乗り出し、下方のマモルーたちに向かって手を振った。いまのところ、下の状況に変化はないようだ。犯人と思しき人物は、しかし俯いて不安そうな表情をしていた。
「もう一つは」と部屋を出るようにマルコシアスに手で促しながら言う。「これは事故に近い。見たところ、現場に意図的な殺害の意思はない。だから、犯人であることを指摘すれば、何をするかはわからん。大将のことを書いたこと自体、尋常じゃないんだ」
「しかし、捕まえないわけにはいかないでしょう」
「そうだな。とりあえず——とりあえず、拘束したい。落ち着けば冷静になるだろうから、しばらく時間を置かせたい」
「ふむ、そっといきますか」
「といって、全員が事件で浮き足立っているのに、急に捕まえるわけにはいかん。いや、もう一つ問題があったか。正直、おれの記憶が正しいのか怪しい。たぶんおれの記憶が正しければ、犯人が〈ソロモン王〉周りのことを知らなければ言っていることはおかしいんだが、記憶はいいかげんなもんだからな。できれば拘束する前に確認したい。いや、くそ、なんだ、わからんな、本当に自分の考えが正しいのかどうか。探偵小説だと探偵はいちいち人数集めて演説ぶるが、自分の記憶違いだったりしたらどうするんだ、本当に」

「どうにか確認できませんか? で、裏が取れたら一気に確保、と」
 浴場に戻るために階段を降りながら思案する。
「できなくもないが……急にぶん殴る形になるだろうな」
「それでも、致し方ないでしょう。失敗しても大丈夫です。なんとかフォローします」
「それは………頼りになるな」
 アンドレアルフスは笑った。
(こいつ、誰が犯人なのかとか、根拠も聞いていないのに………)
 まったく、楽天的な女である。
 マルコシアスはアンドレアルフスに全幅の信頼を置いてくれるわけではない。彼女には彼女の考えがあり、時に反発もする。しかしそれでもアンドレアルフスのことを助けようとしてくれるし、アンドレアルフスも彼女に対してそうしたいと思っている。

「じゃあ、そうするか。戻ったら仕掛ける」
 アンドレアルフスは三階から一階の浴場へと戻ると、まずは怪しい人物は見当たらず、部屋には窓辺に落ちたような跡があったことをマモルーたちに伝えた。
「そうか……ふむ。彼を狙ったのだとすれば内部犯の可能性が高いが……無差別な押し入り強盗の可能性も——」
「考え込む前に、ひとり紹介しておかなければならない」
 とアンドレアルフスは仕掛けた。片手をポケットに突っ込んだまま、もう片方の手でマルコシアスの腕をぐいと掴み、前に出す。
「彼女が泣く子も黙る正義の魔物ハンター、マルコシアスだ」
「え?」
 とマモルーの横にいたナンダ医師が声をあげて目を丸くした刹那、アンドレアルフスはポケットから手を抜いた。握り拳の上に乗せた飴玉を親指だけ弾き飛ばすと、砂糖の塊は狙い違わず犯人の額を直撃した。


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