小説メギド72/『2ガンズ』-4


4



「すみません、アンドレアルフス」
 と湯から戻ってきたマルコシアスは、開口一番に言った。
 用意されていた旅館の二階の部屋は、確かに紹介されていた通り良い部屋だった。畳敷きの部屋には布団が敷かれていたが、アンドレアルフスは奥の板張りの細い通路のような小部屋から、窓の外を眺めていた。

「なんだ?」
「いえ、旅行に来たのに、こんなことになってしまって………」
「宿には泊まれたし、温泉も入れた」
 死者が出た男湯は死体を埋葬したものの、すぐには使えないが、女湯を男女交代制にして使えるようにはなった。遺体を埋めるのに活躍したアンドレアルフスやマモルーは、先に風呂にありつくことができた。窓を開けていると、夜の空気の中に虫の音が入り込んできて心地良い。
 マルコシアスは盆を持っていて、それを布団の近くのローテーブルの上に置いた。湯呑みが二つ。しかし急須はない。それから自分のバッグを漁り、大きな瓶を取り出した。彼女の荷物の中の硬い物は杭打ち機ではなく、あの瓶だったらしい。
 布団の上に座ると、彼女は瓶から液体を湯飲みに注いだ。
「なんだ?」
「お酒です。旅行の話をしたら、アジトでグレモリーに貰いました。一緒に飲みませんか?」
 飲みませんか、などと提案しながらもう注いでしまっているので、断れない。彼女は酒に弱いほうだが、酒癖が悪い部類だと思う。
(ま、瓶一本しかないんなら大丈夫か)
 ローテーブルの横の座椅子にマルコシアスと並んで座り、杯を手に取る。乾杯して口をつけると、ぶわと甘い香りが広がった。強いというほどではないが、薄い酒でもない。貴族であるグレモリーから貰ったというだけあって、高い酒なのだろう。美味い。

「今日は、アンドレアルフス……助かりました。たぶん、あなたがいなかったら——」
 ぐいと湯飲みを開け、再度マルコシアスは自分の器を酒で満たす。もう酔っているのかもしれない。湯上りで浴衣姿なので、なんとなく艶めいて見える。
「ん、ああ………」
 アンドレアルフスの推理は間違っていなかった。貰った飴玉の弾丸は旅館で働く仲居の少女、イトの額に当たり、彼女を気絶させた。彼女は予想通りの反応をした。つまり、容疑者たちの中で唯一、「マルコシアスが魔物ハンターである」という事実を突きつけても驚かず、逆に周囲の者たちが驚いたことに遅れて驚いた人物だった。

 ナンダ医師やマモルー、ウッタガッタもそうだ。誰もがマルコシアスではなく、アンドレアルフスのほうが魔物ハンターだと思っていた。実際、アンドレアルフスは受付でも、浴場でもそう名乗っていた。マルコシアスはあくまで「連れ」と紹介したに過ぎない。見た目を考えても、華奢な女性であるマルコシアスが魔物ハンターのような荒事をやっているというのは、誰も想像すまい。たとえ幻獣と呼ばれるような存在を知らなくても、だ。マモルーなどは、アンドレアルフスの同行者としてマルコシアスの存在を挙げたとき、心配していたくらいである。
 にも関わらず、イトは最初からマルコシアスが魔物ハンターだとわかって話しかけていた。アンドレアルフスに、ではなく、マルコシアスに、だ。なぜか? 彼女の存在を知っていたからだ。そうでなくては、彼女が物騒な仕事を生業としているとは思うまい。
「わたし、そんなにハンターに見えませんか?」
 マルコシアスの肌は白く、温泉で上気しているためか酒のせいか、赤くなっている。小首を傾げると火照った肩の上で切り揃えた金髪が揺れた。

 正直なところ、そこからイトが犯人である、と繋げたのはかなりの飛躍だ。だから自信がなかった。
 彼女が気絶したあと、アンドレアルフスは全員に己の推理を説明した。その後、広間で寝かしつけていたイトが目覚めると、それだけで状況を察したのか、すべてを語った。
「おまえ、ハインストン村って行ったことあるか?」
「いえ……名前も知りませんでした」
 ハインストン村というのは、旅館で働くアルバとイトの生まれ育った村だという。だった、か。幻獣の襲撃によって、壊滅した。生存者は2名。森に採取に行っていたイトとアルバだけ。ふたりはその後、どうにか近くの村まで辿り着き、そこで買い付けに出ていたカミーオ女将と出会った。ふたりの事情を知った女将は、彼らを住み込みで雇うことにしたのだ。
 だが女将にも知らない話が、その前にはあった。

「あいつらは村に来て、全部奪っていきました」
 イトは語ったものだ。幻獣に村を壊滅させられた直後のことを。死体だらけのハインストン村で生存者を探し回っていたときのことを。急な物音で幻獣が戻ってきたのかと思って隠れていると、数人の男が家々に押し入り、金品を奪い、死体からさえ金目の物を剥ぎ取り始めたことを。
 見つかれば、殺されると思ったという。だから声を潜めて泣いていたのだという。
「おれたちは悪人だな」とそのとき、盗人集団の中のひとりは言ったという。「知ってるか? 今はソロモン王とか名乗るやつがいるらしいぜ。メギドラルの悪魔を従えている王さまだ。幻獣だとかいうああいう化けもんとか、おれたちみたいな悪人を殺すんだってよ。いつかおれたちも、ソロモン王に殺されるかもな」
 そんなふうに言って笑ったのが、トウゾックだった。
 だからイトは、カミーオ女将の下に身を寄せるようになってから、ソロモン王のことを調べるようになったのだという。マルコシアスのことも、幻獣のことを調べている過程で知ったのだという。宿泊に来たトウゾックをつい糾弾してしまい、揉み合いになったのだという。突き飛ばしてしまって、落ちていったのだという。慌てて湯を入れかえ中の風呂場に降りて揺すってみたものの、死んでいたのだという。
「だから、ソロモン王が来たのだということを教えてあげたんです」
 イトの自供は、そう締め括られた。

(あの子は追放メギドのことも知っていたんだろうか)
 ヴァイガルドのヴィータにとって、メギドには善も悪もない。悪魔は忌避すべき存在であり、外敵だ。もし彼女がマルコシアスのことを、単にソロモン王に同行しているだけの魔物ハンターなのではなく、実は追放メギドなのだということを知っていながらその事実を隠してくれたのであれば、ありがたいことではあった。

「アンドレアルフスは、いつあの子のことに気づいたんですか?」
 と尋ねてくるマルコシアスの湯呑みは空で、彼女は手酌で器を満たした。状況が状況だから仕方ないのかもしれないが、ペースが早い。
「宿に来て、荷物を持って上の階に案内してもらっていたときだ。あの子、最初に荷物を運びに来たときにおまえに向かって『魔物ハンターなんてすごい』なんて言ってただろ」
「……そんなこと、そういえば、言っていたかな……くらいですが、アンドレアルフス、よく聞いていますね」
「聞こえたからな」
 カミーオ女将にはアンドレアルフスが魔物ハンターである、とは名乗ったが、マルコシアスについては言及しなかったし、そもそも女将はアンドレアルフスがハンターであるかのようにイトに紹介していた。それなのに、イトの反応は不自然であった。

 女将といえば、イトを雇っていたカミーオ女将は気が動転してしまっていて、後処理どころではなかった。彼女は幻獣に襲われて壊滅した村から疎開してきたふたりの従業員に随分と目をかけてやっていたらしい。
 埋葬や温泉の湯沸かしやといった細々としたことを仕切ったのは、イトの幼馴染で彼女と同じくトウゾックに恨みを抱いていたアルバだった。彼はトウゾックが廃村にやってきた盗賊だとは気付かなかったらしく、イトを止められなかったことを後悔していた。

「アンドレアルフス……あの子は、どうなるのでしょう?」
 と問うマルコシアスの頬は、温泉から上がって部屋に戻ってきた直後よりも赤い。やや呂律も怪しいかもしれない。
「さて、な………」
 イトがメギドでも幻獣でもない以上、ソロモン王の軍勢として手出しするようなことではない。ヴィータのことは、ヴィータの法で裁かれるべきことだろう。自警団で比較的法に詳しいマモルーによれば、確かに事故であると思われるので罪は軽くなるはずだ、という話ではあった。彼自身も、そのために尽力するらしい。今は鍵のかかる部屋に軟禁し、アドンキが馬で自警団を呼びに行っている。
「ヴィータのことは、ヴィータの法で裁かれるだろう」
「……それだけですか?」
「それだけって?」
「そもそもの発端は、あの子たちの村が幻獣に襲われたことです。わたしがもっと多くの人々を救えていれば、あの子の家族も救われていたかもしれません」
「そうか」
 と面倒になっていたアンドレアルフスは否定も肯定もしなかった。

「わたしたちは追放メギドですが、ヴィータでもあります。わたしたちにとっても、他人事ではありません」
「うん」
「わたしは、もっとできることがあって、それなのに、正義なんて言って、それなのに、何もできなくて、もっと何かできることがあるんじゃないかって……」
「そうかもな」
「わたしが——」
 いいかげん鬱陶しくなったアンドレアルフスは、彼女の両手を掴んで布団に押し倒すと、口を塞いだ。馬乗りになると手を解放して、灯りを消した。闇だけが残った。
〈了〉

←前へ

0 件のコメント:

Powered by Blogger.