小説ラスクロ『太陽の鴉』/時代4/Turn10《死へのいざない》

 それから、彼に次のような主のことばがあった。
「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。
 そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
 それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。
 幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。
旧約聖書、列王記第一17:2-6より


7-114C《死へのいざない》
迷える魂にとっての救いの手が、闇の中から差し伸べられることもある。

 肘を流し台に、組んだ指を顎の載せ台に、《聖求の勇者 セレネカ》は息を吐いた。なるほどシンクのそばで考え事をするとシンキングタイムだな、などと思いついてしまうと、今日何度目になるかわからないさらなる溜め息が出てくる。

 《魔血の破戒騎士 ゼスタール》を取り逃がした——それは仕方がない。あの料理人が強過ぎた。
 《大翼神像 セゴナ・レムリアス》の確保よりもゼスタールの確保を優先させた——これも妥当な判断だった。彼が生きている限りはセゴナの遺産の起動ができないからだ。
 だが結果として、《神告の秘使者 エルニィ》を奪われたことについては――いや、これもどうしようもなかったことだ。じゃんけんをしていたら急に殴られたようなもので、対策など立てようがなかった。

 昨夜、全身を黒の入れ墨で彩った巨漢が、突如として不時着したゼスタナスに飛び込んできたのだ。たとえ相手が全裸ではなくとも、混乱していただろうし、まともな戦闘は困難だっただろう。
(なにせ相手が召喚英雄なのだものなぁ………)
 明らかに魔法とは異なる力で《メルアンの戦闘員》をねじ伏せたあの男は、セレネカが杖剣に取り付けたアタッチメントからの小《メルアン式光波砲》を喰らわせたのに、びくともしなかった。召喚英雄は化け物であり、化け物の対処はどうしようもない。

 対処しようがあったとすれば、召喚英雄擁するゼスタムをもっと完膚無きまでに叩いておくべきだったということだ。
「ではなくて、エルニィの言うとおりにゼスタムとの協調策を取っておけば良かったというのに」
「レーテと協調できるわけないでしょ」と今になって賢しらに苦言を吐く《聖知の護光官 クロルト》にセレネカは言い返した。「レーテだよ、レーテ。ほかの国ならいざ知らず、ティルダナとレーテが協力するだなんて、未来永劫ありえないし、協調するにしたって、どっちかひとりしか動かせないんだったら、譲らないに決まってる。だから攻撃は正しかったに決まってる」

「それはそうですが……、こうなってしまうと、打つ手がないでしょう。大翼神像にたどり着くまではともかく、具体的な動かし方となるとエルニィがいないとままならないかもしれない」
「そうなんだよねぇ……。結局ゼスタールが死んでくれないといけないわけだし……。
 ゼスタムはレーテを追われている身分だって聞いてるから、時間をかければ、たぶん慟哭城の主が刈りに出るでしょうけど……、さすがにそれは待てない。エルニィだって危ないし」
 ああ、もう、とセレネカは地団駄を踏んだ。
「ああ、もう、あのふわふわのエルニィが今頃ゼスタムのやつらに何をされているかと思うと………!」

 後先を考えない衝角突撃によって、ゼスタナスを落とすことには成功した。ああ、成功はしたが、しかしメルアンタを飛ばせるように引き抜くとなると重労働だ。厨房の窓越しには、重機がメルアンタを引き抜き、飛べるように補修する作業光景が広がっている。
 ゼスタナスが動かせれば壁を塞ぐ応急処置だけでいいのだろうが、何せ操縦法法がわからない。捕虜として捕らえた《ゼスタムの戦闘員》たちは容易に服従せず、これなら殺したほうが後腐れがないとは思うのだが、無益な殺生を好まないクロルトが首を縦に振ってくれない。
 本来ならクロルトの言葉など無視しても良いのだが、今のセレネカの立場は実質的にはティルダナの役人だ。大神官であるクロルトに対する立場は曖昧なものだが、相応の理屈が無ければ独断で行動はし難いというのが実情である。

 幾つもの悩みを抱えながら、目下最大の問題はエルニィがいないということで、彼女を抱っこして寝ることができないので、メルアンタに乗って以来、初めて不眠気味になってしまった。
 《魔血の破戒騎士 ゼスタール》からの手紙が打ち込まれたのはそんな眠れぬ夜を越えた午前中だった。折られた紙片を携え、《美麗なる氷刃 ソニヤ》が厨房でパン生地を叩いていたセレネカのもとに飛び込んできた。
「姐さん、こんなもんが船の外壁に刺さってました。箸文っすね」
「なんだって?」
「矢文の箸バージョンで」
 とソニヤは矢代わりに用いられたのであろう鉄菜箸を振ってみせた。《獄炎の料理人 ウォン・ガ》とかいう料理人の仕業だろう。セレネカは手紙を開いた。

『セレネカ嬢、我と勝負せん。
 甲、我、ゼスタールと貴女、セレネカ嬢の間でレムリアナ全住民を対象とし、何方がセゴナの遺産を扱うに相応しいか、選挙を執り行うべし。投票はエルニィ嬢の大魂声術によって行うものなり。
 乙、選挙刻限前に大魂声術によって個々の主義主張を言明すべし。時間は最大で四半刻。発言内容は自由なれど、選挙開始から開票に至るまでの間、暴力行為及び選挙を妨害せんとする行為を禁ず。
 丙、甲乙に同意したるならば、此の文を開封したる後一刻以内に貴女の名前を我の名の下に書き加えるべし。貴女の名前が書き加えられた時点より、甲を開始するとともに実際の選挙日程の討議を開始す。甲を開始したのち乙の約定が破棄された場合、直ちに其の遺産の使用権限は破棄され、他方は遺産の使用権限を握るべし。
 丁、エルニィ嬢は頗る健勝なり。
 ——ゼスタール』

 文を締め括る署名がぼうと光って見えたからには、この手紙は一種の魔法だろう。エルニィの魔法かもしれない。彼女はセレネカが遺産を手にするということよりも、己が使命、可能な限り消耗を避けて《大翼神像 セゴナ・レムリアス》を使用可能にすることに心血を注いでいたようだった。ゼスタムとの戦闘を好ましく思っていないくらいだ。戦いではなく、話し合いで決着がつければそれに越したことがないということなのだろう。
 とすると、実際にセレネカがこの選挙まがいのことに参加し、三つ目の文言に違えて暴力行為などを行えば、直ちにゼスタールがセゴナの遺産の使用権限を持つことになるのだろう。

「無益だな」と手紙を見るために厨房に集まってきていたメルアンの中のひとり——《剛力の空戦士 ジン・デ》が馬鹿にしたように言った。「受ける理由はない」
 その考えも当然だろう。船はメルアンがすべて奪取しており、戦闘員の数は比べ物にならない。戦闘において明らかに有利なのだから、わざわざ条件を変えて勝負をする必要はない——四つ目の文言さえなければ。

 ゼスタールの文は、要求が受け入れられない場合には人質に取られているエルニィに危害が加えられる可能性があることを暗喩していた。
「だから受けないわけにはいかない」
「山狩りしてぶっ殺しに行ったほうが楽じゃないっすか?」
 とソニヤが軽い口調で提案したが、セレネカは首を振った。「一刻以内って書いてあるよ。無理でしょ」
「火ぃ点けましょうよ」
「昨日雨降ったから、森に火を点けても燃え広がらないよ」
「それより、受けるつもりか」
 と何かさらに言おうとするソニヤを押し止めてジンデが問いかけてきた。

 もちろんだ。エルニィが危険なのだ。ほかに方法がない以上、受けないという選択肢はない。
 この選挙めいたシステムを取り仕切っているのはエルニィ自身だろうが、彼女が暴力的ではない、話し合いによる解決を望んだがためにゼスタールに有利になったり、穴の空いたルールにしている、というのはありえないだろう。四面四角というか、頭の硬い子なのだ。もし刃で脅されるようなことがあったとしても、どちらか一方に手を貸すということはありえない。毎日頭を撫でてあげたり、一緒に風呂に入ったり、寝台を共にしてやったセレネカにも手助けがないのは残念であるが。

 では問題は、というと——。
「ゼスタールは、いったいこの勝負の何処に光明を見出したのでしょう?」
 セレネカの気持ちを代弁したのがクロルトだった。



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