1-018R《力の天使 ラーン》
真の力とは、優れた武具や腕力などではあり得ない。それは、不屈の魂にこそ宿るのだから。

時代 3
Turn 9

 ふらつく頭でも、見えなくなった視界の中でも、己の危急は理解している。
 なれば《百の剣士長 ドゥース》が取るべき行動は、もっとも近くに感じる気配に接近し、目を瞑ったままでそれに向けて拳を振り下ろすことだけだった。

「ドゥース……!」
 やめろ、という声が何度も聞こえて来たが、組み敷いて繰り返し繰り返し拳を打ち付けているうちに、声は途切れた。
 声が途切れても、握り拳を叩き付けるのを止めない。まだ動いているからだ。びくびく、びくびくと動いているからだ。
 ぬるぬるした血だけではなく、硬い骨だとか、飛び出した眼球だとか、柔らかい脳の破片だとか思しきものを拳に感じるようになって、ようやく《百の剣士長 ドゥース》は落ち着きを取り戻した。

 《邪光の獣 ニルヴェス》の邪光を受けてから、ドゥースの眼は何も映してくれなくなった。だからニルヴェスの襲撃を受けてから何が起きたのか、ドゥースは完全に把握ができていない。
 わかっていることは3つ。

 ひとつ。《邪光の獣 ニルヴェス》は《白の宝樹》を狙っていたらしいこと。
 ニルヴェスがこの場所に現れたのも、ギジェイが奪ったのであろう宝樹を求めてのことなのだろう。

 ふたつ。《狂魔技官 ギジェイ》を殺したであろうこと。
 やめろ、と叫んでいた声は《狂魔技官 ギジェイ》のものだった。ならば、もはや人の形を留めていないであろう存在は、ギジェイだ。ギジェイだったものだ。
 以前にも殺したと思って生きていたことがある。首を落としても生きていたくらいだ。
 だが今回は、殺せたという不思議な確信があった。

 みっつ。《百の剣士長 ドゥース》は死ぬ。

 《邪光の獣 ニルヴェス》の攻撃を受けた直後、ドゥースは浮遊する感覚ののちに全身を打ち付けられた。おそらくは床を壊され、少なくともワンフロアぶんは落ちたのだろう。それで足の怪我が無かったのは幸いだ。
 だがここは敵地、バストリアであり、《狂魔技官 ギジェイ》はあらゆる民族の敵だが、バストリアの技術者だ。それを殺した者は、たとえグランドールの《百の剣士長 ドゥース》でなくとも報復の目に遭うだろう。

 今、ニルヴェスの気配は近くには無い。《白の宝樹》を奪い、そのまま逃げたのか。それともこの城にまだ用があるのか。それは知れない。
(だが、《邪光の獣 ニルヴェス》を倒すのはおれの役目じゃない)

 アリオン。
 それはグランドールとイースラが手を組み、災害獣に立ち向かうために組織された討魔軍。
 災害獣を倒すのはアリオンだ。ドゥースではない。《百の剣士長 ドゥース》は、彼女らを教練したに過ぎない。災害を食い止めるのは、聖光印の力に護られた千の剣と千の槍なのだ。
「だから、これで善い」
 これが分相応だ。ギジェイを殺すのがドゥースの限界なのだ。

 閉じ込められたアルシフォンやレイラニのことは心配だが、おそらく光の壁が消えた今なら、あのふたりなら自力でグランドールまで逃げられるだろう。目が見えなくなり、足手纏いになるドゥースがいなければ。
「だから、善いんだ」

 己が心に言い聞かせながら、《百の剣士長 ドゥース》は立ち上がっていた。
 気配があった。目が見えなくても、血を失っていても、殆ど圧力のように感じられる呪力は召喚英雄のそれだと確信するに十分だった。



 制止の声。叩きつける音。断末魔の声。叩きつける音。聞こえなくなった声。叩きつける音。
 ぷんと鼻をついたのは、血の匂い。
 いや、もっと汚いものの匂い。

「《東京ローズ》か……?」
 吐き気を催しかけたシャルルフィアンは、しかし匂いの発生源から投げかけられた言葉を聞いて、さっと頭が冷えていくのを感じた。

(気付かれた……)
 それまでとは段違いの、まるで建物ごと破壊されているかのような尋常ならざる物音を聞いて《狂魔技官 ギジェイ》の研究棟を訪れ、物陰からそっと様子を伺っていた。
 盲目であるがゆえ目を通して物を見る必要が無く、代わりに召喚英雄《東京ローズ》として千里眼めいた力を持つシャルは、それを使えば気取られることなく壁越しに状況を察せると思っていた。

 だが相手は騎士だった。歴戦の騎士だった。
(それにこの人……、さっきの人だ)
 掠れていたが、声は先ほどギジェイの楔からシャルを解き放ってくれたグランドールの騎士だった。
 既に気づかれているのであれば、隠れていても無駄だ。シャルは男の前に進み出た。

「《邪光の獣 ニルヴェス》は何処へ行った?」
 男にそう問われて、シャルはある事実に気づいた。
(この人、声の向きがおかしい………)
 《東京ローズ》の力を使っているとき、シャルは視覚でも聴覚でもない形で外界の情報を得ることができる。
 だがそんな力を使わずとも、産まれたときから盲目だったシャルは声の発生源や音の反響を察知する能力が高かった。
 そしてその高い聴力は、男がこちらから僅かにずれた方角に向けて声を放っていることを示唆していた。

 《邪光の獣 ニルヴェス》。
 その邪光は、見る者の眼を刺し、光を奪うという。
 彼の眼は、まさしくその邪光の影響を受けたのだ。
 目が見えていないのだ。
 シャルが、彼が先ほど助けてくれたリャブーだとは気づいていないのだ。
 それなのに。

「あなたはどうするつもりなのですか?」
 問いかけに対する返答には、それまでの掠れたものとは違う、一本の剣のような冷たく硬い意志が篭っていた。
「手を貸せ、《東京ローズ》。災害獣を追う」



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