9-096S《魔導戦艦 ゼスタナス》
ゼスタールが指揮権を奪った後、レーテが誇る大戦艦には新たな名が与えられた――後に畏怖とともに語られることになる、その忌まわしき名が。


 祈りなど、虚しいだけだ。
 シェネの心配は騎士叙勲を受けてから数ヶ月の間で明らかに息子、ゼスタールの様子は変わってきていたことで重くなっていった。

 人の身では最年少の騎士叙勲であれば、周囲の人間の風当たりも強いのだろうと、そんなふうに最初は気軽に構えていられたのだが、ひと月、ふた月と経るにつれて陽が昇る時間の長さに比例するように明るさが消えてゆくのだから、無視はできない。
 同じ宮仕えの身といっても、研究者のシェネと騎士のゼスタールとの間では職場の場所も職場環境も違う。
 出勤したときに可能な限り騎士の——つまり慟哭城の主の周辺での状況を探ろうとするのだが、いつも通りで、それはつまり得体が知れないということだ。

 本人に悩みの原因を問い質そうとしても、戻って来る返答はもちろんのこと「なんでもないよ、シェネ」なのだ。
 いつもそうだ。どんなにか辛いことがあっても、ゼスタールはそれを口に出したりしない。それが善いことだと思っているのだ。だがシェネからすれば、そんなのは子どもの意地っ張りに過ぎない。辛いことがあれば口に出して欲しいし、寄りかかって欲しいとも思う。

 溜め息を吐きながら研究棟からの家路に着く。ゼスタールが公務に着くようになってからというもの、帰路は慟哭城を通るようになってしまった。城の前を通ったところで、ゼスタールの姿が見えるわけではないのだが、どうしても何かしてやりたいという気持ちが無意味な行動として反映されてしまう。
 今日はしかし、その行動は完全な無駄にはならなかった。槍も樹も歪む慟哭城の威圧的な門前には、主人を待つ犬のような姿があった。待っているのは、誰であろうか。犬は少し苦手だ。

 髪の纏め布から足音を殺す靴まで全身真っ黒な小柄な人影には、見覚えがあった。《沈黙の黒牙 ザ・ジ》とかいったか。ゼスタールの友人……、というわけではないが、知人のはずだ。
 
(わりと可愛らしい顔をしているな)
 遠距離からだったが、改めてまじまじと顔を見直すと、男性を感じさせる肩幅や腰付きながら、全体的に華奢で、容貌はどこか中性的だ。
 ザジにとってゼスタールは恩人ということで、おそらくはゼスタールを待っているのだろうが、はて何用だろう。公務だろうか。いや、それなら城の中に入っているわけで、私用だろう。夜にプライベートで会うほど仲が良いのか。単なる友人ではないのかもしれない。もしや、ゼスタールはそちらの気があるのではなかろうか。そういえばゼスタールには浮いた話ひとつなくて、可愛らしくてかっこいいのになぜだろうと思っていたが、それはそういうことなのか。なんということだ。それは、普通ではない。いや、しかし、頭ごなしに否定するのでは、母親失格だ。誰に迷惑かけるわけでもないし。

 唸りながら必死に考えた挙げ句、「両者の合意があれば口出しすることではない」と結論づける。これはゼスタールに予め言っておいたほうが良いだろうか。うむ、母親なれば息子にきめ細やかな心遣いをしてやるべきだろう。
「あの」
 必死に考えていたせいで、ザジが目の前に近寄っていたことに気付かなかった。
「あなたは、ゼスタールの……」
「あっ、はい。うん……、えっと、こんにちは。いや、こんばんは、か」
 慌てていることが明らかな返答になってしまっているな、と自覚しながら、シェネは心の中で頭を振って妄想を追い払った。
 ゼスタールの友人に出会えた、しかも向こうから声をかけてくれたのだから、話題に挙げるべきは共通の存在、ゼスタールのことだ。彼のことで何か聞いていないか、とシェネは問いかけた。
「何か、というと?」
「その……、最近、少し疲れているみたいだから………」
「いや………」
 その、いや、とは何なのだ。歯切れの悪いザジの返答に、シェネは苛々としたが、相手は己の年齢の半分程度しか生きていないのだ。落ち着かなくては駄目だ、と深呼吸をする。
「あなたが支えてあげれば良いと思います」
 返ってきた返答にシェネは面食らった。唐突な突き放すような物言いで、最初は馬鹿にされているのかと思ったが、しかしザジの表情は静かなままだった。もっともこの少年のこれ以外の表情は見たことが無いのだが。

「ゼスタールはあなたのことが好きです」
 ゼスタールを養子にして育ててきた8年間、シェネはずっと我が子に愛情を注いできた。だから、当たり前だ、などとふんぞり返れるわけではないが、驚きの無いザジの言葉に、シェネはむしろ当惑してした。好きなのは、それはそうだろう。わたしだって、ゼスタールのことは好きだ、と。そう言ってやりたかったが、しかしほとんど初対面に近い相手にそこまで言うのは躊躇われた。
 ザジは頭を下げてから慟哭城の門前を離れていってしまった。ゼスタールのことを待っていただろうに、この場を離れるということは、シェネと話すことはもうないから会話を打ち切りたい、ということだろう。若い者は難しい。

 こうなれば最終手段に出るしかない、と自宅に戻ったシェネは鍋の前で腕を組むことにした。胃袋を掴むのである。古来、女はこうやって男に訴えるものだと相場は決まっている。
 遺憾ながらシェネは料理が得意ではないが、その不得手な料理でさえ、亡き夫の胃袋は掴めたのだ。いや、味は、多少、不味かったかもしれないが。
 息子と暮らすようになってからはといえば、彼の料理が美味いので自然と任すことも増えてしまったが、母であれば料理はする。
 昔よりも腕は上がっているはずだ。母の料理で情をほだし、にゃんにゃんごろごろするのだ——と思いかけていた矢先であった。中身の入った鍋が宙に浮くほどに地面が揺れたのは。

 巨大な影が黒オセロテの黒森から見える黒空をさらに黒く黒く覆い隠していた。

 シェネの家の前の道には飛行船が停泊しており、家から飛び出したシェネはそれで、先ほどの地震はその飛行船が着陸した衝撃であったということと、その飛行船はさらに巨大な、上空に神の如く鎮座する飛行船から降りてきたものであるということを理解した。
 上空を振り仰いだシェネは、首を動かさなくては全体像が解らない船を見渡して、ようやく理解した。この船は知っている。魔導技官であるシェネはこの船のセンサー類を作成したのだ。超弩級の新造船。慟哭城の主からは実戦配備はまだ宣言されていなかったはずだ。
(まさか………)

 厭な予感がした。

 新造の戦艦が起動されたとなれば、始まるのは大きな戦争以外にあり得ない。そしてその船から投下された飛行船がシェネの前に降り立ったということは、そこから出てくるのは息子の姿以外にありえない。
 未だ魔導原動機が唸りを上げている飛行船のタラップを降りる間、彼の長い銀髪は巻き上がり、その下の表情は叩けば割れそうなほど固くなっていた。
「やだ………」
 厭だ、とシェネの口からは思わず言葉が漏れた。 

 駆け出したシェネは、地面に降り立った息子に抱きついた。彼以外に降りて来るものはおらず、だから誰にも気兼ねはしなかった。でなくても、ここで彼を引き止めなくては駄目だということは明白だった。
「やだ……、戦争になんか行っちゃ厭だ。駄目だ。やめて……、ゼスタール
 力ではもはや敵わないということはわかっていた。だがそれでもシェネは精一杯の力を込めて、息子——ゼスタールに抱きつき、どこへも行けないようにしようとした。
 だが彼から帰ってきた返答は、「戦争じゃないんだ」という一言だった。

 戦争ではない。それは非常に喜ばしいことだ。
 だが心に引っかかる鉤針は返しを食い込ませたままだ。なぜこんな弩級戦艦が黒オセロテ森に?
「でも………」
 説明をしようとしたゼスタールの表情には迷いの色が見えた。

「いや、シェネ……、ごめん。一緒に行こう」
 逡巡ののちのゼスタールの言葉は、謝罪と説明の無い申し出だった。だがシェネは迷わずにその手を取った。
 この船に……、いや、この船で飛翔してさらに上空に停泊する《魔導戦艦 ゼスタナス》に乗り込んだときから、ゼスタールは破戒の称号を持ち、シェネは異端の印を押されることになった。 



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